生産活動に見る縄文と弥生ー59 (通巻第410号)

 中川辞典では、接尾辞の pa-7 の項で、助動詞の pa-6 と 接尾辞の pa-7 が、ひとつの動詞に対して両方が同時に着くことも可能である...と記述し、例文として以下の二つの文章が載せられている。

▽ neun iki-pa=an pe ne ya ?  どのようにしたらいいの ?
  a=e aep ka a=i=kor-pa-re wa a=se wa rewsi=an kor a=e kor...食べるものも貰って背負って、野宿しながら食べながら...
だが、この二つの例文には、両方が同時に付く形は見当たらないのである。どうも辞典の記述に混乱が有るようなので、ここはやはり、「複数形」だとか「多回相」だとかの定義の厳密な検証が必要なのではないかと私は思う。
 アイヌ語のいわゆる「複数形」の性質について、有名なアイヌ語学者・天才知里真志保博士が、鋭い洞察眼の貴重な考察をしておられる。名著「アイヌ語入門」の複数形に関する記述の触りの部分を見てみよう。

▼ 「アイヌ語入門 その68 :《単数の形の古い意味》」から抜粋
...アイヌ語の名詞は、既に見たように、数の区別を語形の上に表さない。ただ suma (石) seta (犬) aynu (人)と言ったばかりでは、石がなんぼ有るのか、犬が何匹いるのか、人が何人いるのか、てんで見当がつかない。けれども動詞の方は、いま見て来たように、単数と複数とを語形の上に区別して表すので、名詞の表す主体(または客体)の数は、それと関係する動詞の語形を見ればたやすく見当がつくのである。
 suma an .   「石 ー (ひとつ) ある」
 suma okay .  「石 ー (二つ以上) ある」
 seta ek .   「犬 ー (一匹)  来た」
seta arki .  「犬 ー (二匹以上) 来た」
aynu oman .  「人 ー (ひとり) 行った」
 aynu paye .  「人 ー (二人以上) 行った」
 このように、動詞の単数の形は単数を表し、複数の形は複数を表すのである。そんなこと、当たり前ではないか ! 単数を表すから単数の形で、複数を表すからこそ複数の形ではないか !? 単数が複数を表したり、複数が何か他のものを表したりしたら、
オカシナ話ではないか!? ところが、そのオカシナ話が実際にあるのだから、ことは面倒になるのである。...以下、次回に。
   (次回をお楽しみに)

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# by atteruy21 | 2018-10-19 12:01

生産活動に見る縄文と弥生ー58 (通巻第409号)

 助動詞の pa と接尾辞の pa とアイヌ語学者の中川裕氏が位置付ける語彙について辞典を見てみよう。「 pa 」という語は広い守備範囲を持つ語であるので、中川辞典では登載の順番に語のあとに番号をふって、例えば、 パ pa-3 などの形で辞典に登場する。これは、「 pa という語彙の三番目の意味だよ」ということを表す。いちいち助動詞のパだとか接尾辞のパだとか断るのも面倒なので、この記述にもこの方法を援用する。

▽ パ pa-6 【助動】何人もで行う、或いは何回も行うことを示す ; パ pa-7 とは語源的に同じものだが、こちらは、動詞接辞ではなく、 pa-7 が付いた後に、さらに付くことができる。
...(例文) ekimne utar kam sike ki wa sap pa . 山に行った人たちが、肉を背負って帰ってきた。
 (私の注釈)
   e-kim-ne utar   kam sike   ki wa    sa-p pa
  山へ行った 人たちは 肉の荷を背負う ことをして 帰って来た

▼ 「 ekimne 」と言うのは、「(猟のために)山に行く」という動詞、及び「山の方へ」という副詞である。ここでは動詞として使われている。なお、「 ekimne 」の構成をさらに分析すると、「(h)e -kim -ne 頭を・山へ・向ける(寄せる)」となる。
 中川氏はこの語を「~の頭・山・~である」と解釈しているが、日本語になっていない。金田一解釈の呪縛に陥っているのだ。

...中川氏は、ここの文章の「 sa-p 」の「 -p 」を、説明・断りを入れずに「 -pa 」と同列に扱っておられるようだが、ここはやはり説明が必要だろう。ただ、中川氏は、複数ないし多数回を表す独立した要素としての「 -p 」という語彙を認めてはおられないようだから、説明しろと言われても、それは氏にとって無理難題と言うものだろう。

▽ パ pa -7 【接尾辞】動詞語根に接尾して複数形を作る ; 多回相を表すパ -pa 6 と語源的には同じであり、意味的にも区別ができないこともあるが、この接尾辞のパは人称接辞の内側に置かれ、助動詞のパは人称接辞の外側に置かれる。ひとつの動詞に対して両方が同時に着くことも可能である。
 (例文) neun iki-pa=an pe ne ya ?  どのようにしたらいいの ? ...以下、次回に。
  (次回につづく)

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# by atteruy21 | 2018-10-18 11:16

生産活動に見る縄文と弥生ー57 (通巻第408号)
 動詞の語尾に「 -pa 」を付けて「複数形」ないし「多数回性」を表す語法がある。どんなものが有るのか、ものは試し語例を見て頂こう。(順不同)
...ani ~を持つ → an-pa (複) ; turi ~を伸ばす → tur-pa (複) ; suye ~を揺する・振る → suy-pa (複)
 sinewe 遊びに行く・訪問する → sinew-pa (複) ; hotuye 叫ぶ → hotuy-pa (複) ; hosipi 帰る・戻る → hosip-pa (複)
 noye ~をねじる・よじる → noy-pa (複) ; he-tari 頭をそらせて上げる → hetar-pa (複) などなど。
▽ 語尾に「 -pa 」を付ける動詞には、一つの共通する特徴が有るのだが、気が付かれただろうか。
 言葉の色々な音の違いに眩惑(げんわく)されて、共通点に目が向かない方も有るかも知れない。ヒントになる「 -p 」を付ける方の動詞を並べてみよう。
... ahun 入る → ahu-p ; yan 陸に上がる → ya-p ; rikin (高度が)上がる → riki-p などがある。今度こそはお分かりになったと思う。その通り、「 -pa 」の付く動詞の特徴は、語尾が母音で終わるいわゆる「開音節」の動詞だということである。
▼ ani , turi , suye , sinewe , hotuye 等々、全て母音の語尾を持つ。一方、言うまでも無いかも知れないが、「 -p 」を付ける方の動詞は閉音節(子音終わり)の語彙である。
...既視感というか、何か聞いたことがある区別の基準だと思われた方も有ろう。ご明察で、「~する者」を表す「 -p ,-pe 」の
選択の基準と同じ、語尾が開音節か閉音節かで「 -pa 」が付くか、「 -p 」が付くかが決まるのである。

△ アイヌ語にかなり詳しい方で、私の説明した上記の法則・決まりに疑問を呈される方が有るかも知れない。それは「kor」が
関係する複合語に表れる、語の内側に接中(infix)する複数を表す接辞に現れる、面白い特徴のことである。
...kore 「~に~を与える」という動詞であるが、その複数形は「 kor-pa-re 」となるのだが、これは本来、「 kor -e = ~を持つ・させる」「持たせる・与える」という語彙に、複数を意味する接辞が割り込んで接中し、「 kor-pa-re 」という複合語を形成する結果となったのである。
 この最後の結果の姿だけを見ると、 kor という閉音節の動詞に pa が接尾した形に見え、上記の法則に反するかのように一見思われる訳である。
 しかし、それは思い過ごしであって、心配は無用なのである。実は、 kore 「与える」という動詞に、末尾は e で母音だから「 -pa 」が接尾したものに過ぎないのである。末尾の母音の e を取り去って、kor-pa の語句を得た訳だが、これだけで、既に「持たせる・与える」の複数形であるのに、「屋上屋を重ねる」の類いで korpa に更に re (させる)を加えた重複表現になってしまったと言うのが、この語の出生の秘密なのである。 (次回につづく)

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# by atteruy21 | 2018-10-17 14:58

生産活動に見る縄文と弥生ー56 (通巻第407号)
 アイヌ語に英文法などで言う複数形( plural )と言うのが本当に有るのかということの真否は暫く措(お)くとして、いわゆる「複数形」や、行為の多数回性を表すとされる語句の作り方には幾つかの方法がある。
...一つは、語形そのものを変えるタイプのやり方である。例としては、既に登場した「 rayke 殺す → ronnu たくさん殺す」のタイプの語法である。実は、この二つの語彙は、単数から複数への変化形なのではなく、元々別の意味を表す言葉であったものが
後世に習合・合体したものではないかと私は考えている。例えば ronnu は、「一網打尽にする」といった意味合いがあるように私には思えるのだが...。或いは「虐殺する・皆殺しにする = ジェノサイド」というような。
 ▼ アイヌ民譚集・パナンペ死んだ真似をする から (パナンペに騙され、仲間を皆殺しにされた狐たちの復讐譚である。)
 hokure hokure teeta a-utari utar i-ko-ronnu a pewre kampo a-e ro a-e ro !
そらそら 先だって  俺たちの同族を 殺した 柔らかい肉( = 人間 )だ 喰ってやろ喫(く)ってやろ !
...ここでは、知里氏は単に「殺した」と訳しておられるが、やはりここは「俺たちの仲間を皆殺しにした」ないしは、
  「仲間を無慈悲に虐殺した」と狐たちは恨みのこもった眼でペナンペを見る形で訳した方が良いのではないだろうか。 

...二つ目は、これも前回に登場した動詞の語尾を変化させ - p を付けて「複数形」を作る語法である。
  san → sap 、ran → rap 、rikin → rikip などが、これに該たる。例えば san や ran を見てみよう。いずれも語尾を
変えて それに -p を付けてできる語彙の sap と rap は、それぞれの複数形だとされる。だが、ここに言う複数形と言うのは、
いったい何を指して複数というのか。例えば「 san 」という語は極めて広い意味を持つが、人が姿を表す、帰って来るなどにも使えるが、川の水が流れ出るとか、川そのものが山奥から浜手に流れてくるのにも用いられるのである。人であるならば、大勢が山へ行って「帰って来る」ときに複数形になると言うのも分からなくはない。だが、川の流れが複数というのは、いったい、どういう事態を指すのか。

▽北海道の川にユーラプ川「 Yu-rap-nay 湯(温泉)が・流れ下る・川 」という名の川がある。これも、単に「流れ下る」とだけ訳したのでは、複数形を用いる意味が無いのである。私はこの「 rap 」は、単に流れ出るや下るを意味するのでなく、そこには副詞的な「いつも」だとか「常に」という意味を含んだ新たな語意の展開が生じていると見るのである。

...最後の複数形は、或いは多数回性と言った方が良いのかも知れないが、動詞語尾に「 pa 」を付けて、複数や多回相を表すとされる助動詞や接尾辞と言われるものの検証である。  (次回につづく)

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# by atteruy21 | 2018-10-16 11:33

生産活動に見る縄文と弥生ー55 (通巻第406号)

 アイヌ語の「 tapkar 踏舞する 」という言葉から、現代語でいう「労働する・生産する」を意味する古くからのアイヌ語の、しかも、現在ではアイヌ語にさえ失われてしまった「tap 」という古い動詞語形を分離し、「収穫」という意味を表すと私が考える「 kar 」という古アイヌ語を抽出(ちゅうしゅつ=引き出す)しようなどという、かなり無謀な試みを私はしようとしている。
 言わば一種のマジックをこれからお目にかける訳で、誤魔化されないようカッと眼を見開いて、よく聴いて頂きたい。

▽ 先ず、「 tap 」という語彙の再吟味から始めよう。 tap は、「 ta 打つ・何かに力を加えて何かを取り出す 」という語彙の多数回性を示す語形だと私は考えている。実は、多数回だの複数形だのという見方は、印欧語などの文法観の余り良くない影響を受けた、アイヌ語本来の語の在り方から見れば、必ずしもしっくり来る定義とは言えないものなのである。

▼ いわゆるアイヌ語の「複数形」について、若干の検証をしてみよう。アイヌ語に於いては、印欧語などと違い、名詞にあっては複数形は存在せず単複同形である。だが、動詞には行為の主体や客体が複数であるとき、複数形が表れるとされる。
 幾つか、語例を上げてみよう。いずれも中川氏辞典による。
...サプ sap 【動1】(複)山手から浜手へ下りる。前へ出る ; → san 。
(例文) ekimne utar kam sike ki wa sap pa . 山へ行った人たちが、肉を背負って帰ってきた。
(注釈)上記の例文は、sap の文例として中川氏が例示したものではなく、あとに出てくる助動詞のパ pa 「何人もで行う、或いは何回も行うことを示す pa の例文に登場するものである。 sap が入っているし、あとの説明にも役立つので、ここで紹介した。
...ロンヌ ronnu 【動2】(複)~を殺す ; →ライケ rayke 。
 チロンヌプ cironnup 【名】狐 ; 〈 ci=「われわれが」 ronnu 「~を殺す(複)」 p 「もの」。
(私の注釈) ronnu は、「たくさん殺す・捕る」という意味である。また、 ci= は「われわれが」を表すと見るのは正しくなく、
 「誰もが~する」と訳すべきもので、狐は「誰にでも・楽に獲れる(アホな)・やつ」という文の構成になる。
 ◎蛇足だが、狐を別の呼び名で「スマリ(シュマリ)」と言うが、これは恐らく「 suma ari ci-ronnu-p 石(を投げて)でも誰にでも簡単に獲れる奴(やつ)」の省略(下略)した短縮形であろう。rayke は、複数を表すとき語の形自体を変えるのである。
...さらに、初出の語尾を -p に変える「複数形」に対し、語尾に「 -pa 」という助動詞を付ける(?)、多数回性を示す語の形があるのだが、それは次回の楽しみに取って置こう。
  (次回につづく)

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# by atteruy21 | 2018-10-15 13:19