人気ブログランキング |

縄文語ってホントに有ったの❓ー2 (通巻第596号)
 複雑な紋様や立体的装飾に溢れた縄文土器の在りように較べ、弥生式土器は何の装飾もないシンプルな造形であった。それは、生活用具としての実用性に徹した姿だと言うことが出来よう。火炎土器やその他の縄文土器は、例えば平底のものでないラグビーボールのような形の土器など、水を入れたり煮炊きをする道具としては、考えにくい構造をもったものまであると言う。

▽ 古代の遺物で用途が分からないものが見付かると、何かの宗教的な意味の有るものなのだろうと安易に位置付けられてしまうことが多いが、それは正しい態度ではないだろう。しかし、そうは言っても、弥生式土器と比較しての縄文の込み入った装飾は、実用性とはかけ離れた、その紋様に込められた何らかの精神的意味合いを想定しなければ、どうにも説明がつかないものであると考えざるを得ない。
...縄というのは、少なくとも日本に於いては、神に関わる何らかの力を意味していた。例えば神社では、注連縄(しめなわ)は、聖域を表す象徴であった。しめ縄の此方側が俗界であり、向こう側は神の領域を示すのである。

▼ 注連縄はまた蛇体を表し、永遠の生命(力)を表した。蛇は、世界の多くの民族が蛇の脱皮や生命力の強さに着目して「永遠の生命」の象徴としている。縄文土器に文様として付けられた縄の模様は、縄文の人々が自らの共同体の生命力やその永続性を神に求めた祈りの言葉であったのではないか。

◎ アイヌ紋様には、渦巻き模様( morew )が多く描かれる。渦巻きは「 mo-rew 静かになる・曲がる 」と分析される。渦は世界の永遠性を意味する。曲がり曲がって、何処へも消え失せない。渦巻き模様は、蛇がとぐろを巻いて、自らの尻尾をくわえる姿に共通する。永遠の循環、これが渦や蛇に寄せた古代人の観念にほかならない。

☆ 縄文土器の縄目模様は、永遠への憧れに尽きるのだろうか。私は、それだけでない、縄目の形に、そうした抽象的観念に止まらない具体的な意味合いが発生し始めていたのではないかと、そんな気がするのである。文字を持たない民族にとっての、文字に代わって神に祈りの言葉を伝える眼に見える何者かが。

★ 南米の古代インカに「キープ」という通信手段が有った。インターネット検索のウィキペディアの情報によると、...
...キープ quipu , khipu ケチュア語で「結び目」 紐に結び目を付けて数字を記述する方法。...とある。
ウィキペディアでは、出展が不明としつつ、注目すべき以下のような記述を続ける。
...キープは単なる記号以上の複雑な体系を持ち、言語情報を含んでいることが近年の研究によって明らかにされている。
王や役人は人民の統治に必要な情報などをキープに...以下、次回に。
   (次回につづく)

# by atteruy21 | 2019-04-23 20:12 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ー1 (通巻第595号)
 日本語やアイヌ語の祖語に該(あ)たる「縄文語」と呼ぶべき言語が、本当に日本列島に曾て(かつて)成立したのか。それを検証してみようなどという途方も無い企てを、ズブの素人の私がしようとしている。優秀な学者や研究者が、専門の垣根を越え学際的な共同研究をしたとしても、それでも万人を納得させる研究成果を挙げられるか、それさえ心許ない困難な仕事であるのに...。

▽ 言語学や民俗学に全く素人であっても、「言霊(ことだま)」の不思議な力に導かれて、ふと気が付いてみたら「縄文の心」に至る秘密の通路の扉の前に立っていた。そんなことも有りそうな、そんな予感が私には有るのだ。勿論、乏しい知識を総動員して寝る間も惜しんで居眠りしてでも、材料集めに奔走したいと思っている。

▼ そもそも、「縄文」とは何か、という噺(はなし)から始めるのが筋だろう。縄文時代、弥生時代と言うのは、社会科教科書で殆どの人が小学生の頃に教わる。だが、この「~時代」のネーミングは、いったい何に由来するのか、必ずしも誰もが知っているという訳ではない。
...縄文時代、弥生時代の命名は、出土した土器の型式の違いに注目した年代の区分なのである。あの「火炎土器」に代表される大胆な意匠(いしょう=デザイン)の土器が出土する地層と、複雑な飾りをもたず、滑らかな表面をもったシンプルな造形の弥生式土器の出てくる地層に、学者・研究者たちはそれぞれの名を付けたのである。

◎ 「弥生」式土器と言うのは、その土器が出土した場所が、今の東京大学の近くの弥生町という所であったからである。一方の「縄文」式土器と言うのは、これは皆さんご存じのように土器の表面に縄目の模様が付けられたものが多かったことによる。
...なお、こちらの方は余り知られていないが、「縄文土器」という名の命名者は、大森貝塚( Shell Mounds of Omori )を発見したアメリカ人学者のモース( Edward Sylvester Morse )である。モース氏については、大森貝塚で発見した食人の痕跡をとどめた人骨を廻る、考古学界やアイヌ学会の多くの人々を巻き込んだ「アイヌ=人喰い人種論争」のきっかけを提供した人である。
...モース氏自身は、アイヌには食人の習慣はないので、それ以前の先住者の遺跡なのだと考えたようだが、人骨が独り歩きしてしまった訳である。この事は前に述べたので、繰り返しは避けよう。

☆ 縄文土器( cord marked pottery 縄目を・付けられた・陶器 )、これが命名の謂れである。縄文土器は、人の目を引く大胆なデザインで、恐らくは色彩に富んだものも有ったのだろう。火炎土器を含め、その造形のダイナミックな特徴は、どこかアイヌ紋様に連なる情念を感じさせる。暮らしの道具であるとともに、神に祈る、そのような感覚を我々に訴えてくる。

★ 縄目は、土器製作の過程で付いてしまうと考える研究者もあると聞くが、やはり神への願いに関わるものと考えるのが自然であろう。どんな想いがその縄目に託されているのか、それが次の課題である。   (次回につづく)

# by atteruy21 | 2019-04-22 14:34 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー243 (通巻第594号)
 「いそ( iso )・磯」という言葉は、大和言葉に於いてもアイヌ語にあっても、食糧の生産活動の場所やそこでの収獲の喜びを表すということが言えそうである。そこで、生産活動と収穫の喜びに関連した大和言葉で、重要な一つの語彙が私の脳裏に浮かび離れないのである。

▽ 山の幸、海の幸という言葉がある。猟の獲物の豊猟や漁穫の喜びを表す言葉である。美味しいものの喩えや暮らしの幸せをも意味する。この「さち」という言葉の成り立ちを、現代の眼で再構成することは可能なのだろうか。
...「幸(さち)」という漢字を一旦忘れて、心を白紙の状態にして、「さち」という耳で聞いた音だけを頼りに、その音(おん)の原意を探ろうという訳である。幸(さいわ)いにも、古語辞典で見るだけで参考になる考え方のヒントがたくさん有る。

▼ 古語辞典 「さち」
...さち【幸】(名) ①漁や狩りで獲物の多いこと。また、その獲物。 ②獲物を取る道具。弓矢や釣り針など。
〈②例文〉火遠理命(ほをりのみこと)、その兄火照理命(ほでりのみこと)に、各(おのおの)さちをあひ易へて用いむ」と言ひて
〈訳文〉火遠理命が、その兄の火照命に、「お互いに獲物を取る道具を取り替えて使ってみよう」と言って...
 ③幸福。さいわい。
...同じ古語辞典に、「さち」の語源として...
 → 一説によると、「さち」或いは「さつ」とは、それが付くと獲物を得る力を生ずると信じられた霊力であって、その霊力の宿った弓矢のことを「さつ弓」「さつ矢」と言い、霊力を身につけた者が「山さち彦」「海さち彦」にほかならないと言う。
「さち」「さつ」は具体的な物を指す言葉から、その結果としてもたらされる「獲物」という意味を経過して、さらにはそれを抽象化した幸福・さいわいといった意味を派生させて行ったと考えられる。...とこの辞典は解説している。

◎ 「さち」という言葉が、獲物を取る「道具」を意味したと言うことは、現代に生きる我々にとっては驚きである。だが、縄文時代を生き、弥生へと移り変わる時代の古代の列島人にとっては、生産と生活を根底から揺さぶり変化させる道具の革命は、正に神が宿ったかと瞼を擦(こす)らせる程の経験であった。

☆ 山や海での鉄製の鏃(やじり)や釣り針、畑地での鋤や鍬や鎌の登場は、人々の労働の生産力の爆発的な向上、発展を促した。縄文には無かったこれらの利器(りき=さち)が、縄文の人々にとっては「カムイ」そのものであったろう。
...次回以降、アイヌ語と日本語の親に該たる「縄文語」という言語が、実際にあったのかという大テーマに取り組んで見たい。
 → その冒頭に、そもそも「縄文(じょうもん)」とは何か、ということが先ず語られねばならないだろう。
   (次回につづく)

# by atteruy21 | 2019-04-21 14:54 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー242 (通巻第593号)
 海辺の岩場を磯(いそ)と言う。それは力溢れる働き手の男たちに限らず、老人や女・子ども、時には手足の不自由な人々にさえ食糧を自らの手で調達できる場となった。人が自らの力で人々の暮らしを支える食糧の調達が出来ること、或いは、そう言う生産活動に参加できることが、人間に生きる喜びと誇りとを与えてくれるものなのである。

...縄文の人々は、恐らく海辺の岩場近くに最初の集落を作り始めたのであろう。そして、次第に山奥へと暮らしの範囲を広げて行ったに違いない。古代のアイヌの人々も、海辺のコタンから徐々に川沿いに山奥へと生活圏を広げて行った様子がある。

▽ 海辺から山奥へと暮らしの範囲を広げて行った...?  だが、そんな事がいったい何から分かるのかと訝(いぶか)しく思われるだろう。だが、川に対するアイヌ民族の観念がその推定の根拠を我々に示してくれるのである。
...古代のアイヌの人々が、川を生き物であると考えていた事は前に述べた。川の名前がその事を教えてくれる。既に何度も紹介した事なので、ここでは繰り返さない。ただ、川に関する一つの見方は重要な点を示唆してくれるので改めて紹介しよう。

▼ アイヌは、川は生き物で、海からやって来て山奥へと遡って行く者であると考えたのである。これも何を根拠にそんなことを言うのかという話になるだろう。川の名前が根拠になるのである。川の名と言うか、場所の名と言うか...
...Pet-e-ukopi ペテウコピ と言う場所がある。日本語で言えば「川の落合い」となるが、川がそこで二股に別れる場所である。
この言葉を解析すると、

◎ 「 pet (川が)・ e (そこで)・ u-ko(互いに) ・ hopi (捨て去る) 」...今まで一緒に来たのに、そこで二股に別れた所と言う命名な訳である。現代日本人がこの場所がどんな所かと聞かれれば、それは上流から一本の川が流れてきて、その場所で二本に別れて流れて行く分岐点だと思うに違いない。だが、実際はその逆で、山奥から、上流から流れてきた二本の小川が、そこで合流して(落ち合って)一本の川になる場所を指すのである。

☆ 現代人は、川と言うものは水の流れと同一と見て上流から下流へと行くものだと考える。だから、川がお互いに捨て去って別れて行くと言えば、ほぼ自動的に一本の川がそこで二本の川に二股に別れて行くのだと思い込むのである。そこでアイヌの見方なのだが、川は海から来て山奥へと遡って行く生き物だから、そこで相手を捨て去って別れて行くと言えば、二本に別れて山奥へ向かうと、そう言う発想になる訳である。結果、現代日本人とアイヌの古人では、川の行く方向は全く逆になる訳である。

★ 川の名の一つをとっても、古人の生活の一環が垣間(かいま)見えるものである。次回は「磯・いそ・ iso 」の語義の海幸との関連を「さち(生産用具)」と言う語に絡めて補足説明を行い、次の課題へと歩を進めたい。



# by atteruy21 | 2019-04-20 14:50 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー241 (通巻第592号)

 アイヌ語の「 iso 」という言葉に、日本語の「磯」という語が繋がると私は主張するのであるが、そのためにも「磯」という言葉の元々の意味を、正確に把握して置く必要があるだろう。古語辞典で見てみると...
...いそ【磯】(名)海・湖などの波打ち際の岩石の多い所。
〈例文〉「大海の磯もとどろに寄する波 われて砕けてさけて散るかも」(金槐集・源実朝)
〈参考〉 「いそ」と「はま」
...荒磯(ありそ)の語もあるように、波打ち際の岩石の多い所が「いそ」であり、砂浜の語もあるように、海や湖に沿った陸の
 平地が「はま」である。

▽ ご覧のように、大和言葉の「磯」は、海辺や水辺の岩場を意味する言葉である。一方、アイヌ語に於いては、磯や水辺の岩場に関連する語彙には、どんなものが有るだろうか。知里真志保「アイヌ語入門」を覗くと...
...Sirat-tukari シラットゥカリ ← sirar (磯) + tukari (~のすぐ手前)。マツマエ郡。地名解151,152。
  Kapas-sirar カパシ シラル ← kapar (薄くて平べったい) + sirar (海中の岩)。キタミ国エサシ郡。地名解439。

▼ アイヌ語に於いては、「 sirar 」の語に、磯(岩場)の意味と岩石の意味の二つの語義を持たせていることが指摘できる。岩という物体と、それが存在する場所とを一つの言葉の中で併存させている訳である。ただ、この関係を、岩石という「物体」自体を表す語彙とそれが存在する「場所」を表す言葉との対立と見るのでなく、 sirar を「水の所の岩石」と考えれば、それが一つであれば「ナントカ岩」であろうし、それが複数有れば「~の岩場」となって、物か場所かの対立など気にする程のものでないのかも知れない。

◎ さて、「磯=海辺の岩場」が、なぜ豊漁や収獲の喜びを表す語彙と結び付くのか。それが皆さんの解けない疑問になっているのだろう。既にヒント以上のものを述べているので、繰り返しになってしまうかも知れないが、それは、海辺の岩場が人間に豊かな食糧を与えてくれる場所であるからに他ならない。このブログのかなり前の話題で、人間が、知性と伸びやかで美しい体躯を手に入れたその秘密に、海辺での生活を挙げたことを覚えておられるだろうか。
...他の猿人や旧人類に水辺に追い立てられ、已む無く始めた水辺の生活が、人類に思わぬ幸運をもたらし、言語や直立した立ち姿と流線形の美しい体躯をもたらしたのだと。

☆ 海辺の岩場は、魚や貝や海草やを、力の弱い女や子どもでさえ収穫する担い手として活躍できる場であった。
    (次回につづく)

# by atteruy21 | 2019-04-19 16:52 | Trackback | Comments(0)