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アイヌ語と日本語は兄弟(同系)の言語か、それとも他人か-63

...アイヌ語と日本語には、主語と目的語の区別がなかった?...その13

 主語の有無とか、主語と目的語の対立の曖昧さについて考えてきた。主語と言い、目的語と言っても、結局は、その役割を担う
人格的三極「I、you、he など」が誰であり、何であるのかに大きく関わるものなのだということを、改めて強調して置きたい。
 そこで思い出して頂きたいことがある。日本語の祖先となった古代語には、人称(人格極)が元々は無く、人称を持つ言語・文化
(例えば漢語)の影響下に人称の考え方や語法を受容し、摂取して来たのではないか、ということである。そして、人称の考え方を
摂取するに当たり、民族の旧来の、固有の「位置概念」を核にして新しい概念を創出したのだと述べたところである。
 ところで、その時には説明しなかったのだが、漢語の人格極、例えば爾(なんじ)、他(彼・彼女など)は、実は、それ自体が元々
古くは位置や場所を表す語彙だったのである。
 爾(なんじ=er・アル )は、古くは「近い」を基本的な、核となる語意としており、他(彼 =ta ・ター)は、「他の・外の・別の
場所」を意味していたのである。

 この事が一つのヒントを与えてくれる。それは、漢語に於いても、古くは人称(人格極)が無くて、動詞や形容詞などの述語が、裸で、人称の衣を纏(まと)わずに語られていた可能性があるという事である。分かりにくい考え方なので、具体例で説明しよう。
 例えば、行く「去 =qu (チュイ)」という語がある。発話者は、「お前が行く」という場合は、相手の方を指差しつつ、ただ、
「去(チュイ)」と言う。「私が行く」と言いたい時は、自分の胸の辺りを押さえるか指差したりしながら、やはり、ただ「去」と
言うのだ。では、「彼(彼女)が行く」は何と言い、どんなジェスチュアをするのか。それは、発話者と聞き手の間の視線の範囲の外側、別の方向、恐らくは斜め横あたりを指して、やはり一言、「去(チュイ)」と言えば良い訳である。
 語の現在の形の裏側に隠された、過去の姿の痕跡を探り、そこから推察して、このように往時の会話の様子を復元、再構築することは、あながち論理の飛躍とかこじつけと非難することはできないのではないだろうか。
 では、他動詞の場合はどうだろうか。当然、主語や目的語などの対立関係が発話の態様に反映される筈である。言葉での対応に
なるのか、ボディランゲッジがものを言うのか。
 世界の言語の在り方の多様性は、一般人の常識を大きく超えることが稀ではない。どんな展開が用意されているのか、「乞う 
ご期待 !」である。

  (次回につづく)

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by atteruy21 | 2017-10-23 11:46 | Trackback(2) | Comments(0)