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アイヌ語と日本語は兄弟(同系)の言語か、それとも他人か-66

...アイヌ語と日本語には、主語と目的語の区別がなかった?...その16
 後置主語と、ごく普通に述語の前に付く主語(前置主語)の関係を考えて頂くため、次の二文を見較べて頂きたい。
 「パナンペが水浴すると褌が流れた」より
  konoyaro,tan Penanpe ne awan teeta ne-yakka
  この野郎、このペナンペであった 先日も
  i=kosunke wa a=kor icen eykka awan-pe.Tane e=rayke=an kusu-ne na,...
  我々を欺して 銭を盗んだのは。    今、殺してやるぞ...
 「鯨婆さん、虱(しらみ)をとりましょう」から
   ci=nuwenpe-somo-ne awa e=hawe-an kusu , a=e=rayke kusu-ne na ,
  聾の私でもないのに そんな事を言いやがって  殺してくれる
 ご覧のように「お前を殺してやる」という同一の語句を、主語を頭に戴(いただ)いた形にしても、尻尾(しっぽ)に後置しても
いずれの言い方も可能である。恐らくは「...=an 」と後置する方が古い語法で、「 a=...」という形は、あとで発生した新しい
語法なのだと思われる。従って、後置主語を用いると、いささか古風な、文語的な響きがあり、前置主語の方は、より現代的な、
口語的口調に聞こえるもののようである。
 主語の前置、後置は、それぞれ地方により方言の差異として現れており、それは、その地方の歴史的沿革や人々の移動の結果として、そういう方言の分布状況になったのではないかと私は考えている。
 さて、ジェスチュアと語順の関係の問題に戻ろう。この「アイヌ語と日本語には、主語と目的語の区別が...」の文の第一回で
「kamuy aynu rayke.」という文を取り上げて、この文は、「熊が人間を殺した」とも、「人間が熊を殺した」とも、どちらとも取れるし、それでなんら差し支え無いのだと述べた。さぞビックリして頸を捻った方も多かったろう。実は、この曖昧さは、古いジェスチュア併用語法の名残りなのである。接辞「...=an 」などを編み出す事により、この曖昧さを克服したのが、今のアイヌ語なのであると、そのあとの文で述べたことを憶えておられると思う。
 そこで、何らかの主導性を表すジェスチュアが、どんな風に接辞「...=an 」や「...=as 」に形象化されて行ったのか、考察を
進めて行きたい。動作の順序は、必ずしも主語と目的語の関係を決めるものではないということは、後置主語の存在の事実一つで
明らかだろう。アイヌ語の先人たちが、どのようなジェスチュアをして様々な行為や事態の主人であることを表そうとしたのかを
考えて見よう。手懸かり、ヒントは、当然のことながら現代のアイヌ語の中に残っている。もう、お分かりだろう。それは、接辞
それ自体の重要な構成部分である「an 」であり、「as 」である。動詞an やas の意味、性質についての私の考えを覚えておいで
だろうか。一言で言えば、それは「堂々と立つ」姿である。    (次回につづく)

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by atteruy21 | 2017-10-25 11:50 | Trackback(1) | Comments(0)