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アイヌ語と日本語は兄弟(同系)の言語か、それとも他人か-97

「アイヌ語と日本語は他人である!」ってホントなの?(その10)

 著名な歌人にして、民俗学の大家でもある折口信夫(おりぐち・しのぶ)が、著書「古代研究Ⅰー 祭りの発生」で、次のように
述べている。
...あまみは、言うまでもなく、琉球の諾冉(だくぜん)二尊とも言うべき「あまみきょ」・「しねりきょ」の名から来ているのである。あまみきょ・しねりきょは、沖縄本島の東海岸、久高(くだか)・知念(ちねん)・玉城(タマグスク)辺に、来(きた)りよったということになっているが、その名はやはり、浄土を負うているものと見られる。 「ぎょ」・「きょう」・「きゅう」などは、人(チュ)から出た神の接尾語で、「あまみ・しねり」が神の国土の名である。それを実在の島に求めて、奄美大島の名称を生んだものであろう。「しねり」に儀来(ぎらい・じらい)との関係が見えるばかりか、あまみの「あま」には、儀来同様に、海なる義が
窺(うかが)われるのである。決して合理的な解釈を下すことはできない。北方、奄美大島から来た種族が、沖縄の開闢(かいびゃく)をなしたと考えるのは、神話から孕(はら)んだ古人の歴史観を、そのままに襲うた態度である。...以下省略...
 折口信夫は、沖縄を開いた集団(祖先の人々)を、奄美辺りから来たと結論付け、「あまみ」の語義としては海(あま)を当てた。
折口氏の説については、前段部分の、奄美方面からきた集団が沖縄の祖に成った迄は正しいが、奄美の「あま」に海の義を充てた
部分には、私は不同意であると述べざるを得ない。
 折口信夫氏は、「あまみ」にも「しねり」にも、ともに海の義が含まれると主張するのだが、そうだとすると、「あまみ」と「しねり」は同格となってしまい、「陰陽二神」である筈の「あまみ・しねり」の神名の対句が成立しない、という矛盾が生じることになるのである。
 私は、「あま」の語意を、手近な「海(あま)」に求めるのでなく、別の語彙を追究すべきではないかと思っている。沖縄の別の重要な概念を含む「あま」という語彙の探索に、眼を向ける必要があると思う訳である。なぜ別の概念でなければならないのか、
それは、「あま(海)」だけでは「あま・み」の「み」が導き出されないからである。「み」に、「神」や「精霊」にあたる語意が
有ることは承知している。それで確かに「海の神」や「海の精霊」を意味しうるのかも知れないが、それでは対句の「しねり」の
方はどうなるのか。「~の神」を「~り」で表す神名が有るとは思えないのである。一般論としては、「諾冉二尊」という限りは
「海の神」に対しては「山の神」が、対句として相応(ふさわ)しいものとなる。「しねり」の語義の追究が必要になるだろうし、
「しねり」が、どの地方、地域を指すのかの、比定地の探索が重要な意味を持ってくるだろう。残念ながら、今の私の知識や力量では、とても「しねり」の語義に迫ることはできない。
 だが、「あまみ」については、自らの無力、非力を顧みず探求の一歩を進めたい。沖縄の言葉に、「大阿母(うふあむ)」だとか
「アンマア(阿母)」などの優れた女性を呼ぶ名称がある。これがワンステップの語彙なのである。  (次回につづく)

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by atteruy21 | 2017-11-29 13:15 | Trackback(23) | Comments(0)