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もっと知ろう‼アイヌのことーその2(アテルイを継ぐ者ー21)

アテルイを継ぐ者(コシャマインとシャクシャイン)その21  通巻第143号

 前に、「津軽一統志」と「渋舎利蝦夷蜂起に付出陣書」は、二つとも幕府により出兵を命じられた津軽藩の報告書なのであると私が言ったことを憶えておられるだろうか。歴史に詳しい方なら、この私の断言に当然疑問を呈せられただろう。実は、普通には理解しにくい関係が横たわっているからである。
 実は、「渋舎利蝦夷蜂起に付出陣書」の執筆者は、将軍徳川家綱により上意を奉ずる者として派遣された松前泰広、その人だからであったからである。松前氏の一族である泰広が、自身の出身地松前藩の利益に反するような報告を、しかも蝦夷地を巡っては競争的な関係にある津軽藩を経由して行うものなのか、という問題である。蝦夷地を巡っての幕府と松前藩の相克というものが、有ったのか無かったの問題だとも言えよう。
 松前泰広は、確かに松前藩の、松前氏の一族の出である。しかし、いったん徳川家に仕え「旗本=将軍の直臣」となったからには、自己の出自を超えて徳川家に対する絶対的忠誠心が働くのである。それが戦国時代以来の武士の最高規範であった。従って、
幕府の意向が、仮に松前藩の利益に反するような場合でも、泰広は躊躇(ちゅうちょ=ためらい)なく幕府の意向に従って行動しなければならなかったし、実際そのように行動したのである。

 ...松前藩兵と幕府討伐隊は総勢六二八人で進軍した。この戦は、松前藩一藩のみならず幕藩制国家への敵対行為だということを、アイヌ側も承知しない訳にはいかなかった。オニビシ方のシュムクルアイヌがまず投降し、藩はこれを人質にとって防ぎとした。アイヌの滅亡を避けたいなら和睦に応ぜよという説得工作により、ついにシャクシャインも子息のカンリリカの勧めにより、
和睦を受け入れた。
 しかし、この和睦というのは鎮圧軍の謀略で、十月二十三日夜、ビボクにおける和睦の酒宴の場で、シャクシャインをはじめ、
チメンハ、フミアシ、マカノスケら主だった人々が殺されてしまった。アツマ、サルでも同様の謀殺があり、幕府への注進では、
全部で五五人のアイヌが殺害または捕縛されたと言われている。...中略...
...この寛文蝦夷蜂起事件は、奥羽大名が蝦夷地に向けての幕府の軍役発動を受けた最初のケースでもあった。津軽藩は幕府の命令によって杉山八兵衛を惣大将とする七百人余の軍隊を松前に渡海させた。津軽藩は国縫までの出陣を望んだが松前藩に断られ、
箱館近くの大野まで検見したにとどまった。津軽アイヌがこの出兵に動員されていたことは前述した。津軽藩は、恐らくは幕府の
許可を得てであろう、密偵船を西蝦夷地に派遣し、アイヌ社会の動静を詳しく把握することに成功している。通詞としての津軽アイヌの協力があったればこそだが、これが後に松前藩の知る所となり、松前を責め取る積りかと非難された。...以下、省略。
 これが菊池勇夫氏の捉え方だが、私はこの見方には賛成しない。   (次回につづく)

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Tracked from roblox ids 2.. at 2022-06-16 02:39
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by atteruy21 | 2018-01-14 13:25 | Trackback(2) | Comments(0)