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もっと知ろう‼アイヌのことーその2(アテルイを継ぐ者ー38)

アテルイを継ぐ者(コシャマインとシャクシャイン)その38  通巻第160号

 大和朝廷時代から徳川幕府を経て明治政府に至るまで、日本列島の原住民である「蝦夷(えみし)→蝦夷(えぞ)→アイヌ民族」に対する和人勢力の姿勢や構えは、先住民に対する敬意を欠く、極めて身勝手なものであった。生活習慣や信仰を含め現在の日本に生きる我々にとって、自身の在り方、生き方の土台となった大切な考え方の多くをこれらの先人に負うていながら、その事にすら想いを致さず、ただ漫然と生きるのは賢明な生き方とは言えないだろう。先住民に対する感謝と敬意どころか、江戸時代や明治時代の差別意識を引きずっていないと誰が言い切れるだろうか。
 蝦夷(えみし)と呼ばれた人々の、優れたものの見方・考え方を、今生きている我々もそれと知らずに受け継いでいるし、多かれ少なかれ現代の日本人にも、蝦夷(えみし)と同じ血が流れ、繋がっているのだと私は思っている。わが身と心の古里(ふるさと)、わが内なる蝦夷の世界を知ることは、現代を心豊かに生きる上で欠かせない、高い価値を持っていると私は思う。

 その「先住民に対する敬意を欠く」態度の原型になったものを、「アイヌ民族抵抗史」の記述を通して見極めてみよう。少し、
嬉しくはない作業になるかも知れないが、我慢して真実を見極めるよう互いに努力しよう。過ちを知ることは、それを乗り越え、
視野の広い豊かなものの見方を勝ち取るために、是非とも必要なものだからである。

...「文化的・平和的征服」
 『日本書紀』は倭建命(やまとたけるのみこと)の「蝦夷征伐」について、次のように記している。「景行天皇廿五年七月三日、
武内宿禰(たけのうちのすくね)を遣わせ、北陸及び東方(あづま)諸国の地形、百姓(おほみたから)の消息を視察さす。景行天皇
廿七年二月十二日 武内宿禰東国より還り参りて奏言(まお)さく、東夷の中、日高見国(ひたかみのくに)あり、其国人男女並に
椎結(かみをわ)け、身を文(もどろ)げて、人となり勇悍(いさみたけし)、是を総へて(すべて)蝦夷と曰(い)う。亦(また)土地沃壌(こ)えて曠(ひろ)し、撃ちて取るべし。
 景行天皇四十年夏六月 東夷多(さわ)に叛(そむ)きて、辺境騒動(さわぎとよ)む。
七月十六日 天皇群卿に詔して曰く、今東国安からずして、暴神(あらぶるかみ)多に起る。亦蝦夷悉に叛きて、屡(しばしば)人民を略(かす)む。誰人を遣わして其の乱を平(たむ)けむ。
ここで倭建命の東国出発、有名な「草薙の剣」の物語や...以下、次回に。

 (次回につづく)

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by atteruy21 | 2018-01-31 11:59 | Trackback(4) | Comments(0)