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もっと知ろう‼アイヌのことーその3(アイヌ・日本の民俗とアイヌ語ー6)

アイヌ・日本の民俗とアイヌ語(その6)  通巻第168号

 「paskur パ シクル(カラス)」続き

...アイヌ語「 pas 」と日本語の語根「ハ シ 」が同一の概念を表すということが、もし正しいと仮定すると、興味深い観念上の世界が広がってくる。
 直接アイヌ語(パシ)と日本語(ハシ)の問題に入る前に、世界のほとんどの民族が、古い時代に共通して心の中に育(はぐく)んだ、一つの宗教観念、生命観がある。それは人間を含め、生きとし生きる全てのものに豊かな恵みを与えてくれる大いなる神に対し、時に人間の血をもって購(あがな)う必要があるという観念である。それは、恐らくは冬至(とうじ)の衰えた太陽の光の復活を願う
祈りのための代償の意味であったのだろう。有名なイエス・キリストの、人間を救う意味での死の代償も、こうした世界観、生命観に基づいて生まれた説話なのである。キリストの生まれたとされる12月25日というのは、実は太陽の復活を願って彼が命を捧(ささ)げた日、処刑された冬至の日だったというのが、元々の物語だったのに違いない。
 人身御供(ひとみごくう)という言葉をご存じだろうか。「人柱(ひとばしら)」という言葉もある。いずれにせよ、城を築くとか
橋を架ける等の場合に、それが難工事であればあるほど、その大仕事を完成させるために神の怒りを鎮めるための命の代償が求められたのである。
 立場を替えて言えば、ある崇高な目的のため、人が自ら進んでわが身、我が命を神に捧げることを決意するということも、稀に存在したという。

 そこで、いよいよ「パ シ 」や「ハ シ 」の出番である。日本語の「人柱」という言葉は既に出てきたが、もう一方、神様や尊い霊位を指して「一柱、二柱」という数え方も行われる。日本語の「ハシ」が何かの尊い目的のために身を犠牲にするという意味を
持っているとしても、それだけでは何故「柱」という字や言葉が使われるのか、十分な説明になっていない。
 恐らくは、人柱に立てる犠牲者の体を柱にくくりつけた事からの発想で用いられた呼称であろう。思えば、あのキリストでさえ
十字架という柱に磔(はりつけ)になって、人間の罪障を購ったではないか。
 キリストは民衆の罪を背負って十字架の上で神に命を捧げた。そして彼は、その事によって自らが神になった訳である。アイヌ民族でも大和民族でも、民衆の願いを背負って人柱に立った(実は、立たされた)人は、神に祭り上げられたのである。祭り上げるとか祭るというのは、「纏(まつ)る」と言うのが語源であって、「体をぐるぐる巻きにして」という事なのである。実は、殆どが
自ら進んでわが身を捧げてはいないことを示す言葉なのだ。....以下、次回に。

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by atteruy21 | 2018-02-08 11:26 | Trackback | Comments(0)