「 i = もの」という語と「 ku = ~を飲む 」という語の合成された形で、全体として例の「アレを飲む」という意味になる。
ここで謂(い)う「アレ」とは、酒のことを謂うのである。「 i - 」という語は、敢えて口にできないもの、或いは口にするまでもないもの、話者同士の間での自明の分かりきった物を指すのである。文法的に言えば、「 ku = ~を飲む 」という他動詞を
合成語「 iku = 酒飲みする」という一語(自動詞)にする訳である。
もう一例挙げてみよう。「 inom = (カムイに)願い事をする、祈る 」という自動詞である。元々は「 i = それ(カムイ)」と
「 nom (~に願う、~に祈る)」という他動詞を合成したもので、一語になると自動詞化して「祈りを捧げる」だとか「願い事をする」という意味になる訳である。自動詞を使った場合と他動詞を用いた時の、それぞれの言い方の間にどれだけの違いがあるのかは、よく分からないと言うのが実際の所のようだが、自動詞化したものの方がより荘重(そうちょう = おごそかで重々しい)な
雰囲気が醸(かも)し出されるらしい。
「 i - ...」という語句は、「それ」とか「もの」を、それとなく、その名を口にせず暗(あん)に示すものなのだが、こうした語法が多用されるのには、やはり、それなりの理由があるのである。それは禁忌(きんき=タブー)の存在である。或いは聖性への畏(おそ)れと言ってもいいかも知れない。アイヌ民族の先人たちは、カムイや自然に対する敬虔な心の構えをその暮らしの基盤に