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もっと知ろう‼アイヌのことーその3(アイヌ・日本の民俗とアイヌ語ー47)

通巻第209号 『モノ』という言葉についてーその21

 大和言葉の『モノ』という語彙と、アイヌ語の『 -p , -pe 』という語法の関連について述べてきた。両者が文法上ほぼ同一の形で逆接語法に用いられるという注目すべき特性について述べ、二つの語の「同系の証明」とする前に、大和言葉の「部(べ)」という言葉を改めて検証しておきたい。
 私が、以前に阿弖流為(アテルイ)やシャクシャインについて述べたとき、「部民(べみん)」だとか「~部(べ)」等という言葉を
紹介した。いずれも出身地から切り離され、天皇に直属・隷属した民衆のことである。この「部(べ)」という語彙は、アイヌ語の
『 -p,-pe 』に直結する語であると思っている。その辺の事柄を分かりやすく述べている人と著述をお目にかけよう。今まで何度となく登場頂いた新谷行(しんや・ぎょう)氏の『アイヌ民族抵抗史』に以下の記述がある。

...「奴隷狩り戦争」 阿倍比羅夫の記事にも「蝦夷五十余を献る」とあり、侵略戦争が領土拡大と同時に奴隷狩りの様相を帯びていたことは紛れもない。当時の記録を拾っていっても、
 七二五年、陸奥(むつ)の俘囚(ふしゅう)一三四人を伊予国に、五七八人を筑紫に移す。
 七七六年、出羽国の俘囚三五八人を大宰府管内と讃岐国に移す。うち七八人は諸詞および参議以上に割当て、賤(奴隷)とする。
 同年、陸奥の俘囚三九五人を大宰府管内の諸国に移す。
 七九五年、俘囚大支部阿弖良(アテラ)の妻子親族六六人を日向に移す。 ...等々の記事が見当たる。恐らく、これらの記事は実際のごく一部で、戦争捕虜として、或いは掠奪(りゃくだつ)奴隷として、その他さまざまな形で、記録に残ったものの何百倍もの原住民が、畿内をはじめ各地に強制移住させられたのであろう。『類聚三代格』の延暦六年(七八七年)正月廿一日の項に「王臣
及び国司等争って狄馬及び俘奴婢を買う」とあるように、原住民は馬同様に(馬よりも廉価で)、中央・地方貴族の私有財産として
売買交換されていたのである。
 俘囚の強制移動に対して、逆に出羽や陸奥へ送られてくる賤民もあった。たとえば七一七年(養老元)には信濃・上野(こうづけ)
越前の百姓(ひゃくせい)二百戸が出羽柵に送られ、さらに東海・東山・北陸三道の百姓二百戸が同じ出羽柵に、また、七五九年(天平宝字三)には坂東八国・北陸四国などから、「浮浪人」二千人が捕らえられて雄勝柵に強制連行され、柵周辺の開墾や労役に従事させられている。言うまでもなく、これらの百姓・浮浪人と言われるのは、もとをただせば原住民族であり、天皇国家では、
これらを辺境の地に送って農耕に従事させると同時に、兵士として使ったのである。...以下省略。
 部民(べみん)だとか、服部(はとりべ)、或いは斎部(いむべ)などと呼ばれ、或いは吉弥候部(きみこべ=天皇の私物の意)という名の下に天皇に隷属し、苦しく厳しい労働を余儀無くされた民衆の、その呼称の由来がご理解頂けただろうか。(次回につづく)

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by atteruy21 | 2018-03-21 12:43 | Trackback(2) | Comments(0)