人気ブログランキング | 話題のタグを見る

もっと知ろう‼アイヌのことーその3(アイヌ・日本の民俗とアイヌ語ー110)

通巻第272号 「たま」という言葉についてーその57
 「死者のメタモルフォーゼ」(続き)
...墓を作る前は、池間島は風葬であった。棺桶はないから、アダンの葉を編んだもので筵を作り、竹を薄く切って編んだもので死体を包んで「薪山のほう」すなわち島の北西のアダンの林の中に置いてきた。そのとき、「ウジャウ」といって海に持っていく煙草入れ(たばこいれ)を、寝かすときの枕にしたという。大神島では大正時代までそのようにしていて、徳正さんは実際に大神島の林で見たことがある。
 風葬の場合は、墓がないから林の中に死体を放置しておいた訳で、死体は風雨にさらされ自然に白骨化し、あとは骨をひろって瓶に入れ、自然窟の中に置いた。ウジャウを枕にしたのは、死者の魂が旅立つ時には海を渡ると考えたからである。旅立つまでは死者はアダンの林か海岸線をさまよっているが、旅立った後はこの世にはいない。
 
 徳正さんは、洗骨は池間島では比較的新しい習慣で、昔は洗骨は無かったという。洗骨が必要になったのは、墓ができてからである。しかし、調査によると池間島で洗骨されたと思われる古い骨も出ているから、このことは、場合によっては洗骨する必要もあったということを意味している。それでは、どのような時に洗骨が必要で、どのような時に洗骨が必要なかったのであろうか。
 徳正さんによると、昔は池間島には墓というものはなく、全て風葬だったが、さらに興味深いのは、昔は五十歳以上の人が亡くなると炊いて食べる習慣があった。これを『ダビワー』と呼ぶ。
 ダビワーは、今でも形を変えて行われており、現在では葬式のときに生きた豚を殺して炊いて、故人の肉のつもりで食べるが、
昔は五十歳以上の人が死ぬと、豚ではなく本人を炊いて食べたという。
 五十歳以上の人だけを食べたのは、五十歳以下の人の死は若すぎる死であり、病気などの不自然な死であると見なされたからであろう。今でも池間島では、病気や事故などで死んだ人を異常死と考え、忌み嫌う風習が残っていて、死体は通常の墓ではなく、特別にできた自然窟に放置する。その後数年たってから洗骨し、洗骨後に初めて一般の死者と同じ祖先墓に入れた。
 こうした扱いは、若死にや子どもの死などにも共通しており、取り扱い方を見ても、五十歳以下の死者を食べなかった理由は、異常死と考えられたからであろう。

 ここから、昔の葬儀の習慣には二通りの作法があったことが見えてくる。一つは、本人を食べるダビワーで、この場合は五十歳以上の自然死の人に限られる。ダビワーの場合は、肉は炊いて食べられたから、洗骨を行う必要はない。骨はすぐに骨壺に入れられて祖先墓に置かれた。前泊徳正さんが、池間島には昔は洗骨の習慣は無かったとおっしゃるのは、『ダビワー』が洗骨の代りとなっていたせいであろう。...以下、次回。  (次回につづく)

Tracked from roblox radio.. at 2022-06-16 09:22
タイトル : roblox radio codes
もっと知ろう‼アイヌのことーその3(アイヌ・日本の民俗とアイヌ語ー110) : アイヌのこともっと知りたい... more
Tracked from song ids at 2022-06-16 09:45
タイトル : song ids
もっと知ろう‼アイヌのことーその3(アイヌ・日本の民俗とアイヌ語ー110) : アイヌのこともっと知りたい... more
名前
URL
削除用パスワード
by atteruy21 | 2018-05-29 10:13 | Trackback(2) | Comments(0)