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アイヌ語と日本語の中に残る「縄文語」ーその29

通巻第333号 「有る」と「 an 」についてー29

 テレビ番組で、アイヌ神謡集の「梟の神の自ら歌った謡」が取り上げられたことがあった。「 siro-kani-pe ran ran piskan,
Kon-kani-pe ran ran ...」。詩にあわせて作曲された静かな曲に動画が添えられて、美しい画面が展開した。悠然として大空にはばたく梟が、キラキラと輝く水滴を辺りにふり撒きながら飛んで行くのである。しかし、このファンタジックな冒頭シーンは、
この謡(うた)に込められた真の意味、アイヌの先人たちの脳裏に浮かんだ映像とは、かなり異なるものなのである。

...sirokani-pe の「 pe 」と ran ran の「 ran 」の意味の取り違えが有るのである。
「 pe 」という言葉は、アイヌ語では水や水分を意味するので、これを滴(しずく = drop )と訳を付して誤りとは言えない。寧ろこの謡(うた)の全体的雰囲気からは好ましい名訳だと言えなくもない。ただし、「 ran 」という言葉が、「滴が落ちる」という観念と両立せず、滴が降(ふ)るという表現を許さないのである。

 sirokani-pe の「 pe 」は、露(つゆ = dew )を当てるのが相応しい言葉である。...適当な英文があるので見ていただこう。
...The dew on the leaves of grass glistened in the morning light. 草の葉に宿る露は朝の光を受けてきらきらと輝いた。
 「露(つゆ)」という言葉は、芳(かぐわ)しい情緒を醸す懐かしい言葉だが、現代の若者文化の中では、あまり遣(つか)われなくなってしまった。朝の野辺の草に露が降りるというシーンを、現代では見ようにも見られなくなっている訳だから、ある意味ではやむを得ないと言えよう。露と滴(雫とも書く)とでは、意味内容は全く異なる。

...滴(しずく = drop )は、小さな水の塊を言うのであって、例えば、雨の水が滴(したた)り落ちるような時にも、「雨の滴」という。これに対し、露の方は、空中の水分が夜気(やき = 夜の冷えた空気)の冷たさに触れて水滴となったものだけを言う。只の水滴ではないのである。「 sirokani-pe ran ran 」を「銀の滴、降る、降る」と訳してはいけないと私が言うのは、「 ran 」という言葉が、単に落ちる(降る= drop )を意味するものでなくて、空気中の蒸気が夜の空気の冷たさに触れて、姿を変えて水滴になったものでなければならないからである。

 ran は、姿を変えて目の前に現れるというのが中核概念になければならない。只の降(ふ)るでは露の神秘性を表し得ないということは、ご理解が頂けただろうか。
   (次回につづく)

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by atteruy21 | 2018-07-31 10:27 | Trackback(4) | Comments(0)