縄文的生産様式の「狩猟・採集」活動を表す語彙で、アイヌ語と日本語に共通する音(おん)に、「かる」と「 kar 」があると述べた。それならば、弥生的生産様式である(主に稲作の)農耕活動についても、アイヌ語と日本語に共通する語彙なり言語要素が有ったのかということに次の関心が赴くことになるのは、自然の成り行き、人情(にんじょう)というものだろう。
縄文の香りを日本語より色濃く留めていると見られる「アイヌ語」に先ず着眼しよう。アイヌ語に「 ta 」ないし「 tap 」という言葉がある。アイヌ語辞典で「 ta 」を引いて見ると...。
...タ ta 【動2】~を彫る。~を掘る。~を汲む ; 何かで詰まったものの中にあるものを表面から取り出す。...とある。
この辞書の記述だけでは、なぜ「 ta タ 」という一音(いちおん)に、意味合いのかなり異なる語意が矛盾無く込められ、併存するのかの理由が見えてこない。
...具体的に目的語を組み合わせてみて、そこに生じるそれぞれの違った意味の、その底に流れる共通の意義、「 ta 」なる語の中核を成す思想を掴(つか)み取ろう。
これらの「 ta 」を含む動詞の、それぞれに共通する概念は何だろうか。何かに人が力を加え、働きかけて、その中から「価値有る何者かを取り出す」というのが共通する概念であろう。だからこそ、幅広い意味の違った行動を表す動詞を、ただ一つの発音で纏(まと)めることが可能となった訳である。
「 ta 」という言葉は、具体的な行為の枠組みを超えて、言わば「代動詞」的な役割を果たす。何かに力を加えて、何らかの価値有る物を、見えない所から目の前に取り出すということである。その「何かに力を加えて、価値の有る何者かを取り出す」という範疇に入りさえすれば、その具体的行為の内容は問わないのである。
では、その「 ta 」という音は、何処から何者から由来する音(おん)であるのか。それは恐らく、「力を加える」という語意が語の中核を成し、それが「取り出す」という概念を抽(ひ)き出したのだと私は考えている。「力を加える」という意味を表す語で「 ta 」に近い音をもつ語彙は近傍に有るのか。それが次の課題である。 (次回につづく)