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アイヌ語と日本語の中に残る「縄文語」ーその121

生産活動に見る縄文と弥生ー74 (通巻第425号)

 疾風(はやて)という言葉をご存じだろうか。暴風という意味である。この暴風を、古代の大和の人々は、どんなものだと考えていたのだろう。言葉の成り立ちが古い言葉を辿って行くと分かるのである。文字をもった文化というのは、有り難いものであるとつくづく思う。古語辞典を見てみよう。

 ▽ はやて【疾風】(名)「はやち」の転。「はやちも龍の吹かするなり」(竹取物語・龍の頸の玉)。暴風は、龍が吹かしているものだと言うのである。龍というのは、中国の想像上の生き物であり、もちろん神である。龍は、風を起こし雨を降らす大自然の大いなる力の権化(ごんげ)であり、大自然の支配者なのである。日本列島の住人も、恐らくはこの龍という中国人の観念の影響を受けて、蛇体の神として風の神に「はやち」と命名したのである。

 ならば、その「はやち」というのは、さらにどのような語の構成になるのだろうか。それは「はや・ち」と分析できるのだが、
「はや」は勿論、「勢いをもって進む」であり、「ち」は「蛇」を表す。「ち」が蛇を意味すると言うのは、八岐大蛇(やまたのおろち)蛇の説話にも明らかである。「ち」という大和言葉は、もともと「長く延びたもの」を原意とすると言われている。蛇は体のくねくねと長いところから、「ち」という発音を与えられたのである。また、この「長く延びたもの」という語意は、道という語彙をも産み出したのは、あまり知られていない。「道・路(みち)」という言葉も、「み・ち」と分析される。「み」は美称であり「ち」は「長く延びたもの」の意である。
 ▼ 未だ納得できないという方もあろうから、「ち」が道や路を意味することの証拠の語彙を幾つか挙げよう。
...大路(おおぢ)、小路(こうぢ)、木曽路(きそぢ)、四十路(よそぢ)などなど。

 ▽ 龍は、風雨を司る大いなる神であり、同時に恐ろしい魔でもあった。日本列島は、四季の変化に富み、全体として穏やかな気候で、豊かな情操をそこに住む住人に与えたが、台風(暴風)が常に列島を窺い、列島全体を覆う急峻な山容(さんよう)と流路の極端に短い河の流れは、美しい景観の代償に洪水の危険を生み出し、人の暮らしは常に脅かされた。

 ▼ さて、寄り道と言うより脱線に近い「疾」の検証はこれくらいにして、アイヌ語の「 paye 」の語意の追究に戻ろう。
  paye は「素早く移動する」を意味し、必ずしも「行く」を意味しないと...。
  (次回につづく)

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by atteruy21 | 2018-11-03 19:20 | Trackback | Comments(0)