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アイヌ語と日本語の中に残る「縄文語」ーその138

生産活動に見る縄文と弥生ー91 (通巻第442号)

 ある動作や行為が一回性のものかどうかの判断は、何処にその基準や境界を設けるのか。何だか難しい話になってきたようなので、分かりやすく例文で挙げた文章に即して考えを述べよう。改めて例文を再掲する。

...inkar-as awa ci-macihi homatu-ipor eun kane   hese hawe  (konna)  taknatara .
 見てやる と  わが妻 驚きの情 面に浮かべて その息つく声 (その様) ハッと短し。...これが逐語訳である。

▽ 家が燃えているのかと驚き怪しんで駆けつけたばかりの妻の狐が、ハッハッと息を切らしながら、呆然と青ざめた夫の狐に「あんた、どうしたの」と息急(せ)き切って問う場面である。一見すると、「ハッ・ハッと息を切らして」という様子が、行為の複数回、多数相を表すように見えるかも知れない。しかし、物事を分析的に見るように考えると、問題になっている行為がどんな行為で、どこから始まりどこで終わるのかを厳密に考えないと事柄の本質は見えて来ないということが分かるのである。そこで、
妻の狐の行為は何なのかを知ることが先ず第一だということになる。息を吐(つ)く行為であると考えると、ハッハッと息を吐くということで、それは複数相を表すと判断することになる。

▼ だが、分析的視点はそんな安易な判断を排斥する。妻狐の行為の本体は「息を吐(つ)く」に在るのではなく、「息を切る」の方に在るのである。何故(なぜ)なら、...hese hawe konna tak-natara 「息する声(音)が途切れ途切れだ」と叙述されているからである。息を「はあっ」と伸ばさずに、ハッ・ハッと切っているのが妻の行為の本体な訳である。アイヌ語で「 tak 」と言えばそれは「短くする・短い」を意味するのであって、この物語で言えば「息を切らす」ということになる。
...問題は、この「息を切らす」という行為を何処で区切るかという事である。息を何度も吐くと考えれば確かに多数回を表すと見えるが、アイヌの古人は、一連の息吐きを全体として一つの行為として、短く途切れた大きな一つの息をしたのだと、そう考えたのではないだろうか。はあっと深い溜息(ためいき)を一つ吐くのか、ハッハッと短い息を一つの大きな息と見なすか、息を吐く行為としては大差が無いと私は思う。

◎ 結論とすれば、この神謡の「 tak-natara 」は、短く途切れた息を一つの行為として捉えた表現だと考えたい。換言すれば、
やはり「 -atara 」は一回性の行為の継続を意味し、もう一方の「 -itara 」の方は多数相の表現だと結論付けたい。
  (次回につづく)

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by atteruy21 | 2018-11-20 11:14 | Trackback(2) | Comments(0)