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アイヌ語と日本語の中に残る「縄文語」ーその150

生産活動に見る縄文と弥生ー103 (通巻第454号)
 黒い覆面を着けて踊る盆踊りは、決して例外的なものではない。覆面で顔を隠さずとも、例えば「おわら風の盆」では、菅笠を目深に被った踊り子が、俯(うつむ)き加減に踊りの歩を進めるのだ。踊り子の顔は見えないか、見ないか、それが、この盆踊りのコンセプトである。

 ▼ なぜ顔を隠すのか、なぜ顔が見えないように振る舞うのか。それは、踊り手が異界から訪れた者・死者であるからに他ならない。なぜ異界の者や死者という観念がこの行事に必要なのか。顔を見せない、或いは、顔を見ないようにするというのは、その踊り手が、互いに見知らぬ者同士であるということを前提としてこの「祭り」が行われてきたことを暗示している。

 盆踊りの古い形態は、筑波嶺の「かがひ」と同様、見知らぬ者同士が性的関係を持ち、新たな血を、新たな遺伝子を地域社会に取り込む為の社会装置だったと考えられる。筑波の山の神が、筑波嶺の麓の集落の人々に、神の名において見知らぬ者同士の愛の交歓を許したように、八尾の某(なにがし)かの神も、異人同士の営みを嘉(よみ=祝福)した訳である。

▽ 一見すると性の放埒(ほうらつ=ほしいままに欲望に従うこと)に見える盆踊りの風俗も、元を質せば神の祝福を受ける神聖な行いであり、社会的な要請に基づく地域の重要な行事であった。見知らぬ者同士や、時にまた、見識った隣の家のつま(夫・妻)と一夜の歓喜を尽くすことが、なぜ神が赦(ゆる)し、地域社会の求めることであり得たのか。
...古代の地域社会は、例えば一つの村は、人数の規模で言えば数十人か、大きな集落でもせいぜい数百人の規模であった。常に外部の新しい血を取り入れるべく、嫁取りにせよ婿入りにせよ隣の村や少し離れた町から迎えるような形が採られたが、もちろん限界が有ったのである。

○ 古代の地域社会にとっては、生き残りのためには新しい血を、新しい構成員を得ることは必須の条件であった。近親者同士の婚姻は当然のこと、同じ地域に住んで長くなるメンバーの間の嫁取りや婿取りは、地域構成員の生き抜く力の衰退を意味した。
「はやり・やまい=疾病」の問題一つとっても、均質の遺伝子を持つ社会集団は、極めて抵抗力の無い、活力に欠ける存在でしかなかったからである。

 神が許し、いや、神も嘉(よみ)した見知らぬ者、見知ってはいるが知らない同士を演じる者同士の愛の交歓を、西馬音内の、
津和野の、八尾の異人の盆踊りは現代に伝えているのである。   (次回につづく)

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by atteruy21 | 2018-12-02 14:07 | Trackback(2) | Comments(0)