遠方に霞(かす)んで見える「縄文語」と、古い大和言葉から現代のアイヌ語へと、それぞれを結ぶ細い糸であり梯(かけはし)となる「 ta 」という共通の語彙(音・おん)が、「何かを打つ」という観念を太い根として、周囲へ大きく萌(も)え広がって行くというイメージが、あなたの脳裏に浮かんだだろうか。「 ta 」という語彙は、「打つ」という根から「何かを取り出す」という、言わば、萌え広がって地上に顔を出す木の「芽」の部分までがその守備範囲に入るのだが、冷たい土を掻き分けてニョッキり頭を地上に突き出すための、そのエネルギーはいったい何処からやって来るのかという問題にも眼を向けないといけないのである。
◎ アイヌ語「 ta 」のほぼ反対側に、「 kar 」と言う語彙、観念がある。大和言葉の「狩る・刈る」にも繋がる、あの kar と言う言葉である。この「 kar ・狩る・刈る 」という言葉は、自然界から何かを収穫するという意味であるが、同じく神から与えられるにしても、神からの賜物(たまもの=プレゼント)を、手を加える事なくそのまま頂くことを含意している。
...前にアイヌ語学者の中川裕教授のアイヌ語辞典で「 kar 」の項目を覗いた。そこでは、...
☆ カラ kar 【動詞2】~を摘む。~をもぐ。~を採る ; 木の実、山菜、キノコなどを刃物を使わずに切り取ることをいう。...とあったことを記憶しておられるだろう。教授も指摘されるように、 kar という言葉は、手を加えて物の性質を変えたりせずに神の恩恵をそのままで受ける観念を表している。
これに対し「 ta 」と言う語彙は、人間が何かに働きかけて、それを価値高い別の何かに変えると言う、より高次の概念を孕む新たな段階に達した姿なのである。人間が自然に働きかけ、自然を変え、或いは自然には無かった何者かを「造り出す」という、