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アイヌ語と日本語の中に残る「縄文語」ーその402

縄文語のかけらーその21 (通巻第706号)

 痛いの痛いの、飛んでけ‼...などと、優しい母のイメージでのみトウスやフッサを語る訳には行かない。それは公平でないし、アイヌ古人の心情を正確に映すものでもない。 tusu や hussa には呪(のろ)いを込める恐ろしい側面も有るのだ。
...病を癒す力を持つと言うことは、取りも直さず、人に呪いをかけて人を病気にして殺すことさえ出来ると言うことでもある。

▽ 人に幸せをもたらすトウスも有れば、人を不幸に陥れ苦しめる、呪いの言葉も有る訳である。今も残る、この「呪い」に該たる言葉の幾つかをアイヌ語辞典で見てみるのも、古人の精神の在り方を知る上で役に立つものと私は思う。
...keske ケシケ 妬(ねた)む。呪(のろ)う。相手に災いがあるように思っている。(萱野辞典)
 i-o-itak-usi イヨイタクシ 呪いをかける。呪う。← i 人・相手に o それ itak 言葉 usi 付ける (萱野辞典)
...keske ケシケ ~を嫌う。~を憎む。 (中川辞典)

▼ pon-itak ポニタク 呪いの言葉 (萱野辞典)
...ponitak eraman-pe anakne o-ru-kes-sak-pe ne . 呪いの言葉を知っている者は、血統が絶えるものだ。
ponitak 呪いの言葉 eraman ~を知る pe 者 anakne ~は o そこで ru 道・血統 kes 残る sak 無い pe 者 ne だ

◎ 人を呪うと言うことは、呪いの言葉をかけると言うことのようである。アイヌ語の発想ではそう言うことになる。もちろん、アイヌ民族に限らず古代人にとって呪いの言葉というものは恐ろしいものであった。大和言葉に於いても、言霊(ことだま)という考え方が有ったのは皆さんご存じだろう。言葉というものは、口にされたその段階で不思議な力を表すもので、言葉そのものが、既に一種の神であり霊魂だと言うのだ。
...シャーマンが、ある屈強な若い男に「汝の脚は既に足萎え、もう、一歩たりとも動けぬのだぞえ...。」と宣(のたま)われば、そう宣告されたその若い男は、その場で忽(たちま)ちに実際に足萎えとなり、元に戻してくれるよう、泣いてシャーマンにすがり付く。そういった光景は日常茶飯に起こったのである。

☆ 現代の精神医学の眼で見れば、信仰に基づく、両者の強い依存関係の下での暗示の効果であると理解されようが、古代の人間関係に於いては、それは正に神の顕現であり、魔の為せる業(わざ)としか見えなかった訳である。

★ 生々しい、血が吹き出るような、「トウスの霊能者」の世界から、人々の尊敬を集める精神的指導者、「天の頭・ nispa 」と呼ばれる存在に到達するまで、あと一歩の距離にやって来た。今こそ、ニシパの本義に迫ろう。
    (次回につづく)

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by atteruy21 | 2019-08-11 12:13 | Trackback(4) | Comments(0)