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アイヌ語と日本語の中に残る「縄文語」ーその416

縄文語のかけらーその35 (通巻第720号)

 雷が撃つ( pak ・ピカッ )という観念から、「 神(カムイ)が怒って人間(アイヌ)を罰する = pak 」という言葉が古いアイヌ語(縄文語 ? )に形成された。そのように私は推測している。

▽ だが、一口に「罰する」と言っても、現代の我々が考える罰という観念と、古代の列島人の間に生じた罰の観念とは、実は、かなり違ったものであったようなのである。
...何故そのような推測が出来るのか、そう言うにはそれだけの理由、証拠が有るのである。
 一言で言えば、神の観念である。人間が罪を犯して神がそれを罰するとき、その罰の在り方、捉え方が違うのだ。極めて人間に優しいのである。
...キリスト教やイスラムの神は、人間の過ちに対しては、過酷とも言える償いを要求した。聖書の語る所によれば、神への愛と忠誠の証しとするため、愛し子の命を神への犠牲に捧げた父親がいた。エホバやアッラーは荒ぶる罰する神であった。

▼ 一方、アイヌのカムイは人間の過(あやま)ちに対し寛容であった。こうした神の性格の違いは、いったい何に由来するのか。
罪を犯した者に対してアイヌ民族のとった態度、昔からの慣習にそのヒントがある。
...悪神(ニッネ・カムイ)やレプンクル(和人など外国人)の悪行に対し、ユーカラの神々や英雄たちは、「地獄へ踏み落とす」と高らかに謡った。しかし、これとは対称的に過ちを犯したコタンのアイヌ(人間)に対しては、例えば喧嘩で相手を殺めてしまったような悪人でも、いざその男が死出の旅路に立つときは、コタンの古老(エカシ)たちは、その男の家族などに相応の償いをさせた上で、どうか反省したこの男をポクナモシリ(根の国)に引き取り、父祖たちと共に暮らさせて呉れるよう、カムイや祖先達の霊に祈ったのだと言う。

◎ 実は、「カムイの意思」という形で現れる規範というのは、その時代時代の人々の社会意識なのだと言う。前に筑波の歌垣の噺をしたとき、他人の妻と一晩の歓喜を尽くすことが恥ずべき行為などでなく、神も許し嘉(よみ)し給うものだという観念が広く古代の大和の人々の間に存在した事実について述べた。
...近親婚や狭い地域内での婚姻関係の弊害を避けるという、当時の人がその科学的見解に基づいてこの歌垣の慣習を編み出したというものではないが、そうした弊害を避けるという科学的認識が、信仰という装いをもって、「神も許し給う」という高らかな宣言に結び付く訳である。

☆ 次回は、罪と罰に関するアイヌ語の具体例を示しながら、厳しく罰するというより、より人間的な、優しく諭す人間関係について、述べてみたい。   (次回につづく)

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by atteruy21 | 2019-08-26 10:41 | Trackback(1) | Comments(0)