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アイヌ語と日本語の中に残る「縄文語」ーその628

縄文語のかけらーその247 (通巻第932号)

 アイヌ語や日本語に於ける記述の「双方向性」の話をもう少し深めよう。例えば大和言葉において、「たまふ」という言葉は、上位者が下位の者に物を与えるという意味と、逆に、身分の下の者が上位者から物を戴(いただ)き、更にそれを分け合うという、全く立場が異なり時に相(あい)反する関係を、何と「たまふ」と言うただ一語で述べきることが出来るのである。

▽ 「賜(たま)ふ」↔「給(たま)ふ・給はる」...この二語は、元は「たまふ」と言うただ一語だった ‼
...古語辞典に、図解学習と言うことで絵入りの説明文が囲み記事で載せられていた。図をお見せする力量が私に無いので、文章による説明になる。貴族とおぼしき若者が、庭の縁側の下に膝まずいた下人と思われる者に、高い殿上から何か物を下げ渡す様子が描かれ、一方、下人の方は有り難くそれを押し戴く絵があり、以下の説明文が書かれている。

▼ 「たまふ」と「たまはる」
...尊敬語動詞の「たまふ」は、上位者が下位者に「与ふ」、くださるの意。謙譲語動詞「たまはる」は、下位者が上位者から「受く」、「いただく」意を表す。なお、ハ行下二段活用の「たまふ」は上代に、「いただく」の意の謙譲語として用いられ、「たまはる」は中世以降、「くださる」の意の尊敬語として用いられた。

◎ 一つの言葉が、一つの文章の中で、只の一語だけで、立場と方向の異なる二つの視点からの叙述が出来るのである。これは、世界広しと言えども、アイヌ語と大和言葉にだけ見られる稀有(けう)の言語事象である。
...そこで、改めて「いさむ」の分析に戻ろう。譬を競馬場から中世の合戦場に移して...
* 今、敵の軍勢を谷間に追い詰めて、最後の掃討戦に打って出ようという場面だと想像して欲しい。だが、何か可笑しいのだ。
相手の兵が如何にも手応えが無く、逃げ足が速いのだ。貴方の脳裏に阿弖流為(アテルイ)の陽動作戦が浮かぶ。罠には掛からないぞと、貴方は左手を水平に拡げ、逸(はや)る兵士たちの眼前で遮って...。

☆ 勇み立つ兵士たちと、それを冷静に制止する将軍の立場が、たった一つの「いさむ」と言う語に表現されるのだ。この不思議な感覚をキチンと押さえ、貴方の A .I 的頭脳で情報処理して、改めて「 hatto 」と言う語彙の双方向性の視点に立った解析の作業に入って行こう。

★ 「 hattoho an 禁止する 」と言う語句は、実は、「禁止する」とだけ、一面的に単純に訳しては、古代の人々の本来の観念を正確に写し取ったものとは言えないのである。
    (次回につづく)

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by atteruy21 | 2020-03-26 11:55 | Trackback | Comments(0)