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アイヌ語と日本語の中に残る「縄文語」ーその1031

縄文語のかけらーその650 (通巻第1335号)

 遥か海を越えて日本列島にやって来た越の水人たちは、どのようにその土地の古くからの住人たちと出逢い、どんな関係を構築して行ったのだろう。恐らくは現地の住人たちよりも数段優れた武器や移動手段(舟など)を持っていただろう渡来人も、いきなり縄文の流れを汲む住人たちに戦いを挑み、集落を蹂躙して其処に自分達の住み処(か)を造るなどの無謀はしなかっただろう。

▽ 土着の縄文人とは住む場所を分けて...干潟や潟湖に「さっかけ(仮小屋)」を架け
...対馬海流に乗ってやって来た越の人々は、もともと水上生活に馴(な)れ漁撈と農作業に長(た)けた人々であった。当時の日本列島の住人たちは、主に狩猟や木の実の採集などで暮らしを立てていたと思われるから、ある意味で二つの集団は生活圏を異にする住み分けの可能な関係にあったのである。
 ✳ 越人たちが最初に流れ着き、仮の住まいを設けた土地は、一つの共通の特徴があった。それは、海辺の湿地帯、縄文の言葉で言えば「エトウ ・ etu 」の地であった事は、これは偶然の為せる業(わざ)だろう。

▼ 糸島半島や出雲、京都丹後半島の伊根、そして越後の潟(かた)の海...水人たちの拠点の特徴は ??
...越(えつ)からやって来た海人族は、干潟などの形状の湿地帯に仮設の小屋を建て、そこを拠点に漁撈を行い周りの陸地(をか)にも徐々に生活圏を拡げて行ったのだろう。仮設小屋を建てずに、乗ってきた舟をそのまま住まいとして活用する、一種の海上の舟屋の生活も有ったのかも知れない。
 ✳ 丹後半島の伊根の舟屋と言うのは、毎日の終りに舟を陸(をか)に引き揚げて、収容する建物と現在は考えられて居るようだが、そもそも家自体が水上に迫(せ)り出している構造から見て、舟自体が家なのであると考えるのが素直だろう。

◎ 海辺に住み始めた異人たちに、原住民はどう接した ?
...縄文の日本列島の住人も、舟は初めて見るものではなかったし、その見慣れぬ人々が話す言葉や漁労のスタイルにも、何処か見覚えがあった。丸木舟を用いた沿海交易も既に始まって、言葉が通じない同士でもいわゆる「沈黙交易」が行われていたから、現地の人々が物珍しさも含めて、越の舟人の所へ出掛けるのにさして時間はかからなかっただろう。
 ✳ 越の舟人は、海辺の湿地に穴を掘り、沢から水を引いて何やら草を植えている。持っている道具も、石や木で出来たものでなく、黒々とした、また時に白く光る不思議な歯を持っており、見る間に穴が掘れ草が切れる。それが縄文人には不思議だった。

☆ 身振り手振りでカタコトで、一体どんな会話が行われたのか ? ‼
...(縄文人)アンタ達、どっから来なさったかね ?
✳ (越の水人)あの海を越えて、遠くから来たのさ...。   (次回につづく)

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by atteruy21 | 2021-05-06 12:27 | Trackback(2) | Comments(0)