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アイヌ語と日本語の中に残る「縄文語」ーその1069

縄文語のかけらーその689 (通巻第1374号)
 アイヌ語の「ポロ」や「ポン」と言う言葉には、元々の「大きい」、「小さい」の意味の他に、その基本義から派生した新たな意味が有る。地名の例で言うと、アイヌ民族は山や川を生き物と見立てる習慣があり、例えば、二つの山が側に並んでいるとき、大きい方の山を「ポロシリ」、小さい方を「ポンネシリ」と呼ぶのである。
 ✳ アイヌは川のことも生き物と考えていたから、川が或る所で上流に向かって枝分かれして二本の川になっていると、それは親の川が子を産んで、子どもの川が親の処から巣立って行くのだと見たようだ。

▽ 川の見方に見る民族の観念の違い ❗...川は上流から流れ下る存在か、浜辺から山奥へ遡って行く生き物か ?
...川をどういう存在と見るかに就いては、アイヌの古人と大和の人々とでは見方が正反対になって、言葉でも違いが顕れるのは面白い。前にも取り上げた噺で覚えて居られる方も多いだろう。
 ✳ 川の合流点に来ると、大和の人々は「二つの川が落ち合う=出逢う」と考え、そんな場所を「落合(おちあい)」と名付けた。
それは、河川の水の流れの方向に着目した、川の在り方に就いての素直で自然な見方である。それに対し、もう一方のアイヌ民族の方は、川をアイヌと同じ生き物だと考えて、しかもその生き物は浜辺から野原を抜けて山奥へと入って行く生き物だと考えた訳である。
 🔶川と言う生き物は、山奥へと向かい、長い旅の途中では結婚して子も産んで、子は独り立ちして行くのだと。日本語の落合は水の落ち合い、つまり合流点を表すが、アイヌ語では全く逆の、子別れの場所になるのだ。

▼ アイヌ民族の暮らしの考え方の川への投影...それが川を山奥へと向かう生き物とする観念の成立の理由 ‼
...川を生き物と見る考え方が、いったいどういう人間の暮らしから導き出されるのか、古代人の心理を分析する力など持ち合わせない素人の私にはその解明は望めない。
 ✳ だが、一点だけ思い当たるフシが私には有るのだ。
 《アイヌがコタンを営み、更にそれを拡げて行く道筋》...それが「山奥へと入り込んで行く川」の観念の産みの親 ‼ ?

◎ 海を越えてやって来て、浜辺の古丹(コタン=集落)を拠点に、川を遡って山奥へ向かった祖先(エカシ)たち
...アイヌ民族の神の賜(たまもの)である大切な食料、それは yuk (鹿肉)であり、何よりも鮭(カムイチェプ)である。アイヌの人々はそれらの獲物を追って川を遡り山奥へと向かう暮らしを続けてきた。
 ✳ 前にも紹介した所だが、アイヌのコタンの分布は、鮭の遡上限界に一致すると言う。鮭が遡らない、鮭の採れない川筋にはアイヌは暮らしの拠点を広げられなかったのだ。
 🔶 縄文人たちが、何処からやって来て、どのように暮らしの領域を拡げて行ったのか、何やら聞いたことのあるセリフだが、そんな噺は此くらいにして、次回はポロとポンの本題に戻ろう。   (次回につづく)

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by atteruy21 | 2021-06-14 10:18 | Trackback(2) | Comments(0)