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アイヌ語と日本語の中に残る「縄文語」ーその1438

縄文語のかけらーその1058 (通巻第1760号)
 🌀 欧米やロシアの地名の語源に、ラテン語の語彙や熟語表現が多用されていることに皆さんの納得が行かれたら、長く続いた
カムチャッカやウスリー島の語源の噺にサヨナラをして、元の噺に戻って行こうと思う。
 ⭕ 元の噺って何だっけ?...と言われるだろう。無理も無い、そう言う私だって何の噺(はなし)からカムチャッカに来てしまったのか、なかなか思い出せないのだから...。

▽ 山人(やまびと・さんじん)の噺がきっかけ ❗
...大元の最初の噺は、北海道の静狩の礼文華峠や、東北は青森下北半島の尻労(しつかり)の地の桑畑山が、身を乗り出して海岸の砂浜を通せん坊して、今にも沖漁に出たがっている様子がある...そう言う噺から出た噺なのである。
 🔺 そんな観念を、何故アイヌの先人たちが心に描くようになったのか、それを知ろうとして山人の棲む奥深い山懐に踏み込んでしまったのだった。

▼ 山の民と海の民の交流と相克があった ❓
...日本の民俗観念の「山人(やまびと・やもうど)」にあたる観念に相当する、「キムナイヌ・ kim-un-aynu = 山の人」と言う観念がアイヌ民族にも存在した。
 🔷 「山の人」とは言うが、その伝説上の実態は「異人」ないし「化け物」であって、外見上も隻眼(せきがん=片眼)片足などの特徴をもった存在だった。

◎ 異人・山人と思われた人々は、どんな人間集団だったか ❓
...和人以外で、アイヌ民族の隣人となった人々は、一体どんな人たちだったか。鬼とも蛇とも例えられる人々は、恐らくは後にオホーツク人と称された北方民族の流れを汲む人たちだったと私は考えている。
 🔴 ニヴフの人たちとか、ウィルタと呼ばれた人たちが樺太(現サハリン)の北部や、南下して北海道の宗谷岬を経て根釧台地に至るまでの、東海岸の地域に長い間暮らしていた。

☆ 北海道を背骨で割って二分すると...
...魚のエイが東西にそのヒレを拡げ、その尾を跳ね上げた形で北海道は海に浮かんでいる。そのエイの拡げた翼の中央を日高山脈、石狩山地、北見山地の山塊が連なって、背骨のように北海道を二分している。
 🔵 その南北に走る背骨の西側にはアイヌの先人たちが先住し、山脈の東側は後にオホーツク文化を築いた人たちが占拠していたのではないか。
 アイヌ文化の形成には、これらの北方民族の末裔たちが...(以下、次回に続く)

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by atteruy21 | 2022-06-22 12:19 | Trackback | Comments(0)