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アイヌ語雑感 ー 30

(2)アイヌ語の周辺ーその22 (通巻第2030号)
 源義経は戦略・戦術の天才であり革命児だったと言われる。それまでの戦争の姿を変え、戦争に対する意識までを変えてしまったからだ。その点で後の世の織田信長の人と事績によく較べられる。
 🔷 織田信長は、どの点で義経と較べられるのか、いったい義経の何を引き継いだと言うのか ?

▽ 最強・織田軍の力の秘密 ❗ 戦国時代初の常備軍の創設
...前に、平将門(たいらの・まさかど)と言う武士の頭領の噺をしたことがある。一時は、関東一円の武士たちを束ねて、京都の政権の向こうを張って王国を築こうとした人物である。天皇を廃して新しい武人の政権を作ろうとした節(ふし)が有るので、自らを「新皇(しんのう)」と称したと言う。
 🔺 向かうところ敵無しの将門の軍団は、ある日突然に解散し、追い詰めた天皇派遣軍を置き去りにして撤退してしまった。

▼ 平将門の敗北の原因 ‼
...天皇の派遣軍を各地で撃ち破り、向かうところ敵の無かった将門軍が、何故いきなり撤退してしまったのか。言い伝えによれば、それは農繁期を迎えた時期の事とて、働き手を取られた兵士の家では、家族が息子や夫を家へ帰してくれるよう、将門に泣き付いたからだと言うのだ。
 🔵 当時は無敵を誇った将門の軍団も、所詮は農民を寄せ集めた臨時軍に過ぎなかったのである。兵士が言うことを聞かなかったせいか、将門の心の優しさの為せる業か、とにかく将門軍は勝利目前に撤退してしまったのだ。
 こういう所が私が平将門を好きな理由なのは、古いブログ読者はご存知だ。

◎ 改めて信長の桶狭間の戦いの勝因 ❗
...押し寄せる今川軍の総勢は数万(二万人~五万人で諸説あり)、一方の織田軍は五千人ほどの兵力だったと言う。通常、こうした兵力差がある時は、勝敗は戦う前から決まったも同然なのだが、歴史の不思議、織田軍は大勝して今川義元の首を取ったのである。
 ⭕ 信長は、二千の常備軍、訓練された精兵を育てていた ‼
 ...今川方の兵力は数万と言われた。だがこれは戦う精鋭部隊の数ではない。恐らくは、その兵力とされた二万以上の兵の大半は、各地から寄せ集められた農民で、例えば敵の馬上の武士に本気で討ちかかるような者は皆無に近かっただろう。
 激しい雨の中、鍛えられた数百の兵が今川軍の本隊に襲いかかったとき、吉元を守り最後まで戦った兵は50に満たなかったと言う。

☆ 次回はまた義経の噺に戻ろう    (次回につづく Suy u-nukar-an ro ! )

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by atteruy21 | 2023-03-29 11:48 | Trackback | Comments(0)