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アイヌ語雑感 ー 178

(3)アイヌ語と日本語って本当に似てるの ? ~ 日本語「貝(かひ)」とアイヌ語「 Sey (貝)」ーその56 (通巻第2178号)
 🔷 祖谷という地名の謎を探る ー 《再掲》縄文語のかけらーその460(通巻第1145号)(続き)
...痩せた土地での農民の暮らしは、日本列島の各地に姨捨てや子捨て、或いは子殺しの😭悲しい物語や伝説を様々に残した。
 洪水や日照りでの飢饉の折りなどには、乏しい食糧を分け合うことすら許されない状況下で、泣く泣く親を捨て、子を棄てる仕儀に至った農民も有ったのかも知れない。

▽ 流行り病で死んだ人は...
...戦乱や飢饉で世が乱れると、飢え死にしたり流行り病で亡くなる人が巷(ちまた=町なか)に溢れた。芥川龍之介の「羅生門」で描かれたような、死者が道端に打ち捨てられ、死骸が邪魔になって道を歩く事すら儘(まま)ならぬ、そんな情況が生まれるのだ。
 * 実は、飢饉の時に限らず、日本の民俗に於いては、死者を抛(ほう)り投げる事は決して珍しいことではなかったのである。

▼ 恐ろしい魔を、力(ちから)いっぱい、遠くへ抛り投げる ❗
...【葬(ほうむ)る】を、昔は「はふる・はぶる」と言い、「はふぶ(む)る」と言った。全て、放り投げるの意である。
 🔺 たとえ大切な家族のものであっても、遺体(=死骸)というものは、古代の人々にとっては恐ろしい「モノ」であり、恐怖の的であった。取り分け、赤痢や天然痘などの病原菌によるものや、ウイルスなどの介在する死の病は、邪悪な悪魔そのものに思えた事だろう。

◎ 祖谷に限らず、貧しい山間の僻地に於いては...
...何も祖谷に限らず、貧しい土地に於いては死者を送るについても、金(かね)と手間暇をかけて丁寧に霊を送るという訳に行かなかった。何よりも遺体と言うものは恐ろしい魔物であり、一刻も早く手元から遠ざけなければならない。
 🔵 山間の谷間は、神の住まいであり神の国への入り口である。祖谷の人々には、死者の遺骸は神の国に送り返すという観念が生まれたのだろうと、そう私は考える。だから、谷底深くへ遺体を放り込んだのだろうと。

☆ 「 i = 魔・死者 」の分析を終え、「 ya 」の解析に進もう
...実は、この見出しの一行は引用した私の古い論考の終わりの文で、このあと i (魔・死者)の後の項目として「 ya 」の解析をしようと言う訳ではない。
 🔶 次回は、元の話題に戻って、「モノ」と言う守備範囲の広いスーパー・プレイヤーを解剖の対象にすべく、古語辞典によって詳しい「もの」と言う言葉の分析をしようと言うのだ。
 ( 次回につづく ・ Suy u-nukar-an ro ! )

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by atteruy21 | 2023-09-17 15:24 | Trackback | Comments(0)