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<   2017年 11月 ( 28 )   > この月の画像一覧

「アイヌ語と日本語は他人である!」ってホントなの?(その11)

 「あまみきよ」という語は、「あまみ」という語と「きょ」という語で構成され、前段は「あまみ」という地名を表し、後段は
前述した「チュ(人)」を表す。但しこの「チュ」は、只の人ではなく神人を意味するとされる。現代の沖縄方言では、「沖縄人
(ウチナンチュ)」だとか「ヤマトンチュ(大和の人)」など「~の住人」の意味で用いられる外、「海人(ウミンチュ)」等と意味を
広げた使い方もされているが、元々は神ないし超人を表す言葉だったのである。それは、アイヌ語の「クル」や「ピト」に、ほぼ
重なる一種の接尾語なのである。「あまみ」の「み」という語に神という意義を与えてしまうと、「あまみ・きょ」という語が「~の神・の神」という重複形を作ってしまう訳で、その意味で「あま」に「海」を当ててはならないと言った訳である。
「み」という語は、それ自体が独立して意味を持つ語彙なのか、それとも、「あま」という語に何らかの意味を付加する接尾辞にあたるものであるのかが問題になるが、当面その問題は措(お)いて、「あま」・「あまみ」の語義の追究から始めたいと思う。
 「あまみ」の語義を知る手懸かりは、やはり、「あまみきょ」という神がどんな神だったのかを知ることから始めるのが手順と
いうことになるだろう。「あまみきょ」は女神だったと考えられているが、それはこの神が「女性原理」に立つ特性(神格)を持つ
存在だということを暗示するものである。「女性原理」などと言っても、いったい何の事を言っているのかという話になろう。
 女性の第一の特性、女であることの最大の価値と見られる性質は何か。女性を特定の狭い枠に閉じ込めるような意図はさらさら無いので、あらかじめお断りしておくが、それは「産む性」という事である。古代の人々にとっては、子を産む女性は正に神秘の
驚異の存在であり、大地の恵みや人間の繁殖・共同体の繁栄の象徴と意識された。
 ギリシャ神話に「ガイア Gaea =地母神」という女神が登場する。豊穣(ほうじょう=豊かな稔り)と繁栄とを司る神である。この神のような存在は、世界のほとんど全ての民族の祖先たちが、共通して崇(あが)める神格である。
 さて、沖縄の「あまみ」ないしは「あま」という神格が、どういう性格を持った神であったのかは、上記のような文化的背景を考慮に入れた上で、直接に沖縄の伝統的語彙に基づいて、個々に具体的な語義の詮索が為されなければならないことは、ご理解が
頂けたものと思う。
 そこで、「あま」であるが、沖縄方言の古くからの語彙で「大阿母(うふ・あむ)」とか「あんがまあ(阿母)」、「阿母加奈志
(あんがなし)」など高い指導力を持った優れた女性を称える呼称があった。これらの語彙は、主に宗教的な意味合いで特殊化され
「ノロ・ユタ」などの巫女に用いられ、その最高位の「聞得大君(きこえうふきみ=ちふいぢん)」などもこう呼ばれたという。
 
 「あまみ」の「あま」は、この女性原理の「豊穣と繁殖」を語彙の主概念とするものである。では、その概念に「み」は、どう
結び付くのか、それが第二のステップとして浮かび上がる。    (次回につづく)

by atteruy21 | 2017-11-30 13:59 | Trackback(12) | Comments(0)

「アイヌ語と日本語は他人である!」ってホントなの?(その10)

 著名な歌人にして、民俗学の大家でもある折口信夫(おりぐち・しのぶ)が、著書「古代研究Ⅰー 祭りの発生」で、次のように
述べている。
...あまみは、言うまでもなく、琉球の諾冉(だくぜん)二尊とも言うべき「あまみきょ」・「しねりきょ」の名から来ているのである。あまみきょ・しねりきょは、沖縄本島の東海岸、久高(くだか)・知念(ちねん)・玉城(タマグスク)辺に、来(きた)りよったということになっているが、その名はやはり、浄土を負うているものと見られる。 「ぎょ」・「きょう」・「きゅう」などは、人(チュ)から出た神の接尾語で、「あまみ・しねり」が神の国土の名である。それを実在の島に求めて、奄美大島の名称を生んだものであろう。「しねり」に儀来(ぎらい・じらい)との関係が見えるばかりか、あまみの「あま」には、儀来同様に、海なる義が
窺(うかが)われるのである。決して合理的な解釈を下すことはできない。北方、奄美大島から来た種族が、沖縄の開闢(かいびゃく)をなしたと考えるのは、神話から孕(はら)んだ古人の歴史観を、そのままに襲うた態度である。...以下省略...
 折口信夫は、沖縄を開いた集団(祖先の人々)を、奄美辺りから来たと結論付け、「あまみ」の語義としては海(あま)を当てた。
折口氏の説については、前段部分の、奄美方面からきた集団が沖縄の祖に成った迄は正しいが、奄美の「あま」に海の義を充てた
部分には、私は不同意であると述べざるを得ない。
 折口信夫氏は、「あまみ」にも「しねり」にも、ともに海の義が含まれると主張するのだが、そうだとすると、「あまみ」と「しねり」は同格となってしまい、「陰陽二神」である筈の「あまみ・しねり」の神名の対句が成立しない、という矛盾が生じることになるのである。
 私は、「あま」の語意を、手近な「海(あま)」に求めるのでなく、別の語彙を追究すべきではないかと思っている。沖縄の別の重要な概念を含む「あま」という語彙の探索に、眼を向ける必要があると思う訳である。なぜ別の概念でなければならないのか、
それは、「あま(海)」だけでは「あま・み」の「み」が導き出されないからである。「み」に、「神」や「精霊」にあたる語意が
有ることは承知している。それで確かに「海の神」や「海の精霊」を意味しうるのかも知れないが、それでは対句の「しねり」の
方はどうなるのか。「~の神」を「~り」で表す神名が有るとは思えないのである。一般論としては、「諾冉二尊」という限りは
「海の神」に対しては「山の神」が、対句として相応(ふさわ)しいものとなる。「しねり」の語義の追究が必要になるだろうし、
「しねり」が、どの地方、地域を指すのかの、比定地の探索が重要な意味を持ってくるだろう。残念ながら、今の私の知識や力量では、とても「しねり」の語義に迫ることはできない。
 だが、「あまみ」については、自らの無力、非力を顧みず探求の一歩を進めたい。沖縄の言葉に、「大阿母(うふあむ)」だとか
「アンマア(阿母)」などの優れた女性を呼ぶ名称がある。これがワンステップの語彙なのである。  (次回につづく)

by atteruy21 | 2017-11-29 13:15 | Trackback(18) | Comments(0)

「アイヌ語と日本語は他人である!」ってホントなの?(その9)
 
 琉球弧(りゅうきゅうこ=弓状の列島)の一隅に、奄美諸島が連なっている。この「奄美(あまみ)」という名の由来を探ることは
可能だろうか。未だほんの思い付いただけの段階なのだが、乗りかかった舟だから、ひとつ挑戦してみようと思う。「思い付き、思い付きと言うけれども、今までお前の持ち出したテーマが、全てが思い付きに過ぎないじゃないか!」と言う方も多いだろう。その通りである。それを承知した上で、敢えて挑戦してみたい。それだけの魅力と示唆に富むテーマ性を「あまみ」という言葉が
持っていると思うからである。
 先ず、「奄美」という漢字の意味から考えるのが道筋ではないかと私は思う。「奄」と言う字は、中国語では yan (イェン)と
発音し、意味は「覆う・かぶせる」のほか「息が細いさま」等である。気息奄奄(きそくえんえん)という熟語は、息が詰まって、息絶え絶えで死にそうな様子を表す。いずれにせよ卑しめる字の使い方であって、中華思想の思い上がりが産んだ命名だと思う。
 小柄な日本人を倭人(わじん=背の曲がった小さい人)と蔑(さげす)んだ中国人の命名に対し、せめてもの抵抗で「和人」という
嘉字を用いた大和の人々の反骨に倣い、「あまみ」の人々も自分たちの土地の名に「美(み)」という字を付け加えたのだろう。
 奄美の「奄」が、漢字の持つ本来の意味としては命名事由にならないとすれば、現代中国語の発音では「イェン」と発音されるこの「奄」が、現地「あまみ」の人の当時の発音を模したものであったと考えるのが、論理の筋道であるに違いない。
 私は、当時の漢人の「奄」の発音は、日本人の耳に「やん」、「あん」ないし「あンむ」と響くものだったのだと考えているのだが、当然の事ながら、この読み方の延長上に、「あまみ」という語彙の真の姿が見えてくると考えているのである。
 「あまみ」という語彙を考える上では、当然の事ながら沖縄方言(大和言葉とは別の琉球語なのだという考え方もある)の語彙や
文法に則(のっと)った解釈をすることが、沖縄方言で説明ができることが、先ず第一の条件になることは言うまでもない。
 また、地名を考える上で見逃してはならないのが、その地の民俗であり、宗教観である。少し寄り道をしなければならないが、
辛抱強く耳を傾けて頂きたいと、先ずお願いをして置きたい。

 時間がない関係で、結論めいた話から入りたい。沖縄に古くからの民俗的宗教観で、「ニライカナイ」という理想郷の考え方がある。尤(もっと)も、理想郷とは言え、ただの薔薇色の世界では決してなく、死者の住む、懐かしい祖先のいらす「根の国」でも
あって、島の人々に幸いを運ぶ存在であると同時に、災いをももたらす恐ろしい国であったのである。この「ニライカナイ」から
人間世界を導くために、天帝から派遣された二柱の神があった。それが「アマミキヨ」と「シネリキヨ」という神人(カミンチュ)
なのである。
 (次回につづく) 皆さんの意見を聞かせて下さい! 自分が空回りしているだけなのかの不安に苛まれています。

by atteruy21 | 2017-11-28 12:59 | Trackback | Comments(0)

「アイヌ語と日本語は他人である!」ってホントなの?(その8)

 日本語だと普通には思われていて、実はアイヌ語起源のものだったという語彙に、地名の問題がある。北海道や東北地方各地に
アイヌ語起源の地名が数多く存在することは良く知られているが、中国地方や四国、何と九州にまでアイヌ語で解釈できる地名が
有ると聞けば、殆どの人が意外に感じられるに違いない。
 私は、アイヌ文化やその源となった(縄文?)文化は、古い時代、ほぼ日本列島の全域に亙(わた)って栄えたのだと考えているのだが、アイヌ語で解ける西日本各地の地名について、二、三の例を挙げて考えてみたい。前(さき)に、接辞「 ci=...」の説明をした際に、九州の筑紫野(ちくしの)という地名を挙げ、これは旧(ふる)く「ちくしぬ」と言い、アイヌ語の「チ・クシ・ヌッ」を
語源とすると唱(とな)えた知里真志保教授のことを紹介した所である。
 島根県の遥か沖合に「竹島」という島がある。いま領有権問題で韓国との紛争を抱えている、あの「竹島」である。もちろん、
「たけしま」という名そのものはアイヌ語では解けない。だが、一方の当事者の韓国における島名「独島 dok・do トク・ト」を
考えに入れると、俄然、アイヌ語との関連が浮かび上がる。韓国名の「独島」は、字義の通り(周囲から隔絶した)独つ(ひとつ)島
という意味なのだが、同島は三つの小さな島が並んで見え、確かに周囲からは孤立してはいるのだが、とても「独つ島」とは言いにくいような島の形なのだと言う。独(トク 閉音節)の発音に秘密が有るのだと考えられる。
 一方、日本名の「竹島」は、文字通り「竹のいっぱい生えた島」ということで名付けられたと言うが、これも、今は竹は生えていないらしい。そこでアイヌ語の登場だが、「竹」は「top (トプ=根曲がり竹)」という。竹が密生している島なら、「top-us-i
(トプシ=竹が・いっぱい生えている・所)」とか「 top-siri (トプシリ=竹・島)」と名付けるのは、ごく自然な訳である。
 韓国周辺の人々が、隣人のアイヌ語を話す人たちの言葉を真似て、竹・トプの発音を韓国風に「トク」と聞きなし、これに独の字を当てたと言うのは十分にあり得る話だと私は思うのである。もう一つの例を挙げよう。
 対馬海峡に長崎県に属する「対馬=つしま」が浮かんでいる。「対馬「の名は、島の中央部に海が食い込み二つの島にちぎれていることから、「対(つい)になっている島=対島」が語源だろうと考える人が多いが、果たしてどうだろうか。
 「二つの島」ならば、何故「対島」とならずに「対馬」と、「島」となるべき所に「馬」の字を当てたのか。皆さんご存知の、
「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」、正確には「魏書東夷伝倭人の条」というのだが、そこに邪馬台国へのルートが記されており、
そこに「対馬」という名と文字が登場するのである。島の字を使わずに馬の字を使ったのは、その土地が魏の使節の耳に馬の音で
ある「マー」と聞こえたからに他ならない。「対馬」はトウイマー(tuyma )と読む。アイヌ語では、tuyma は「遠い」を意味する。
 九州の地から、或いは壹岐の島から遥かに望見する「つしま」を、当時のアイヌ(の祖先)の人たちは、「tuyma siri =遠い・島
遠くに見える島」と呼んだに違いない。私にはそう思えるのだが...。   (次回につづく)
 

by atteruy21 | 2017-11-27 10:35 | Trackback | Comments(0)

「アイヌ語と日本語は他人である!」ってホントなの❓(その7)

 日本語とアイヌ語、その中間項となる漢語の「逗留」に就いて、語義を正確に捉えておく必要が、先ず有るだろうと私は思う。
日本語の「逗留」について、岩波国語辞典では何と言っているか確認をして頂きたい。
「岩波国語辞典」 逗留 : 旅先で、ある期間とどまること。滞在。
 それでは、キーワード「逗留」は、中国語(漢語)ではどんな扱いなのか。現代中国語辞典(香坂順一編著)を見てみよう。
...逗留 douliu (トウ・リオウ) 【動】滞在する。  例文は以下のとおり
 今年春節在家郷逗留了両个星期。「今年の正月は故郷に2週間滞在した。」
 ご覧になって直ぐ分かるように、日中両語ともに「滞在する」が基本語義となっている。また、両者とも、「いつも自分のいる所ではない別の所へ行って、短期的に或いは一定の期間だけそこに身を置く」というのが中心的概念になっているのである。
 さて、アイヌ語に戻ろう。アイヌ語では、「 tori 」の語に動詞「逗留する」と名詞の「鳥」の二つの意味を当てている。中川裕氏は、二つの意味を併記するだけで、両者の関係については何ら位置付けも説明も行ってはいない。 ただ、tori の語の一方にだけ、アクセントの記号が付されている。だから、同氏は二つの別の語彙と考えておられるのかも知れないが、それならそれで、一定の説明が必要なのでは、と私は思うのだが...。
 時間の制約も有るので、結論を急ぐ。「とり」のオリジナルの語彙は、アイヌ語(ないしは、その祖語)であって、「 tori 」が
それである。この「 tori 」は、動詞「逗留する」と名詞「とり(鳥)」を一本の線で貫く、「とどまる(留まる)」の語意を中心・中核とする概念である。
 この「トリ」は、先に述べた「カリ」を対極とする語で、トリは留鳥、カリは渡り鳥を意味する。ただ、仮にそうだとすると、一つの矛盾が生じる。このことに気が付かれた方も有るかも知れない。物事を見抜く、鋭い視線を大いに喜びたい。
 トリが留鳥を指すとすれば、鶴などの渡りをする鳥だって「トリ(留鳥)」というではないか、という反論が出よう。その通りである。「トリ」という言葉は、「いつも身の回りに居て、遠い場所には行かぬ者」という事であって、例えばスズメ等がその典型
である。鶴は樺太やら中国大陸の方まで行くではないか、という勿れ!アイヌの生活圏が日本列島を覆っていた?時代はともかく
和人地が広がり、アイヌの生活圏が東へ北へ縮小移動するにつれ、南への渡り鳥がアイヌの眼には写らなくなり、北へ飛んで行く鳥だけが意識されるようになったのである。樺太や中国大陸、更にシベリアは、アイヌにとっては元々生活圏の中であったから、鶴なども遠い異国へ渡って行くとは、もう見えなかったのである。鶴はいつもあの、冬はそこいらの湿地か、夏は、ちょっと海を越えたあの湖にでも行っているんだべ!程度の存在になっており、もう「カリ(渡り鳥)」ではなくなっていたのである。
  (次回につづく)

by atteruy21 | 2017-11-26 16:24 | Trackback | Comments(0)

「アイヌ語と日本語は他人である!」ってホントなの❓(その6
 借用に際して生じる語彙の意味上の「ずれ」について、その「ズレ」の発見の仕方と、それがなぜ発生したのかの原因を教えてくれる、一つの興味深いテーマがある。ただ、このテーマの検討の度合いは未だ初歩的で、科学的検証に堪(た)えるものではないものである所から、是非、この文をご覧いただいている皆さんからご批判やご指摘を頂きたいと思う次第である。
 アイヌ語の語彙に「 tori 」というのが有る。アイヌ語学者の中川裕氏の「アイヌ語辞典(千歳方言)」によれば...
 トリ tori 【動1】 逗留する
 トリ tori 【名】  鳥
 〈例文〉tori ta ku=ne cikap ta ku=ne ! 「鳥になりたや、鳥になりたや」のように、チカプ cikap 「鳥」と対句で使われる
 ことが多い。<日本語。....とある。
 中川氏の「対句」の捉え方には、若干の疑問が私には有る。中川氏は tori と cikap を並列、対立するものと見ておられるのだが、その和訳文は同じ語句である「鳥」になっていて、対句としての意味が訳出されていない。結論から言うと、私はこの対句には、消失してしまった「項」があると考えている。その対立する「項」とは、「 tori 」と「 kari 」だったのではないか、と私は思うのである。どなたの著書であったのか記憶に定かではないのだが、アイヌ語の tori が日本語の「鳥」から入ったものであると学者が述べたとき、「tori という言葉は昔からアイヌ語にも有ったのになあ!」と、アイヌ古老が寂しそうに不満げに語った、という話である。
 私は、元々の対句は、「トリ・チカプ」と「カリ・チカプ」の対立にあったのではないかと考えている。「tori cikap 」は「留鳥」、「 kari cikap 」は「渡り鳥」の事である。
 昔、庶民に人気のあった国定忠治(くにさだちゅうじ)という任侠(にんきょう=正義の❓ヤクザ者)を主人公にした芝居で忠治が
子分との別れに際して言う名台詞(せりふ)にこんなのが有った。
...雁(かり)が鳴いて南の空へ飛んで行かあ!かわいい子分のテメエ達とも別れ別れになる門出だ...というのだが、「かり」は
現在ではほぼ死語になって使われなくなったが、基本的には特定の鳥の種の名称ではなく、渡り鳥全般を総称する語彙だったので
ある。ここで言う「かり」が、「雁(がん)=がんかも科の大形の水鳥」という特定の鳥種を指すものでないことは、このセリフが
どういう場面で語られたのかを考えれば、直ぐに理解のできる事柄であろう。忠治たち一行は、役人や捕り手に追われて、ここで
バラバラに逃げ延びようとする所なのである。あの渡り鳥のように、遠い異国へ飛んで行くように、我々も追っ手の手の届かない遠くへ落ち延びるのだと、忠治は言っているのだ。「 kari 」はアイヌ語で「回る・回って」を意味するが、この「渡り=巡って行く」をも意味すると私は信じている。では、「 tori 」の方はどうだろうか。中国語の「逗留」との関連が先ず考えられる所であり、先ずその中国語の分析・検討から始めよう。    (次回につづく)(あなたのご意見をお待ちします!)


by atteruy21 | 2017-11-25 11:05 | Trackback | Comments(0)

「アイヌ語と日本語は他人である!」ってホントなの❓(その5)

 借用関係の推定が困難になる要因の一つに、借用による語彙の意味の「ずれ」の問題がある。借用する側が、どういう形でその
語彙を取り入れ、利用したのかについて充分な注意を払わないと正しい理解には行き着かないということである。例を挙げて説明しよう。
 「昆布」という語がある。あの海藻の「コンブ」である。アイヌ語では「 konpu(コンプ)」と言う。この「昆布」という語彙は
借用語だと思われるが、オリジナルは何語だったのであろうか。「何を言ってるんだ!昆布という語そのものが、そもそも漢語ではないか。中国語の昆布を日本人やアイヌが借用したに決まってるじゃないか!」と単純に考えてはいけないのである。
 四千年の歴史を持つ中国が、文字すら持たないアイヌ語から言葉を借用などする筈が無いではないか。昆布という語は、元から
中国に有ったものなのだから、借用など問題にならぬという主張は、一見するとまともに聞こえるのだが、本当にそうだろうか。
 日本語を含め、オリジナルの語彙は、どの言語の、どの「こんぶ」なのかを検証することとしたい。まずは、日本語であるが、
大和言葉では、コンブなどの海藻の類(たぐい)を一般的に「め」と総称した。昆布のことは「ヒロメ(広布)」といい、他の海藻に「ワカメ」とか「アラメ」などがある。ご推察のとおり、この「め」は、二重母音の「萌え=もエ=芽」と同根の語である。海中に萌え広がるものというのが原意であろう。もちろん、昆布のオリジナルではあり得ない。次に、中国語(漢語)であるが、確かに「昆布」という語が中国語辞典に載っている。「昆布kunbu(クンプ)」という語は、辞典の解説によれば「中国医薬としての」と
いう条件が付いているのであって、漢方薬としての語彙なのである。それならば、海の中の海藻としての「コンブ」を中国語では
何と言うのかというと、それは「海帯(ハイタイ)」というのである。
 元々中国では、海藻を食用にするという習慣がなかったものと思われ、また、北海を主な棲息分布域とするコンブは、中国人にとって、それのみを意味する語彙は必要がなかったのである。(アイヌ民族から❓)交易で手に入れた海藻のコンブを、乾燥させて作ったのが漢方薬の「昆布」なのだが、何故、中国ではその薬材に「昆」と言う字と「布」という字を当てたのか。そこに借用関係の秘密が隠されているのだ。「昆 kun」は、「(子ども等の)数が多い」を原意とし、「布 bu 」は「布(ぬの)」の意味のほか「散在する・バラバラに散らばる・広がる」の意味がある。これを総合的に判断すると、昆 kun 子どもが殖えるように、と言う嘉字(めでたい言葉)と布 bu (海中に)萌え広がるものという語義を合成して「薬効のあるもの」の字に当てたのだと考えられる。
 結論を言えば、アイヌ語 konpu がオリジナルの語彙であって、中国語も大和言葉もこれを借用したのだと考えるのが最も論理に叶うものであると私は考える。ただ、私自身の力量不足から、他のアイヌ語の語彙と関連付けて、そのオリジナルである由縁を
立証できないのが残念なことではある。ただ、中国語も日本語も、「勢いをもって(海中に)萌え広がる」という観念を語意に含む
ことから、アイヌ語の原語彙もこの語義を表していただろうことだけは断言できるのである。  (次回につづく)

by atteruy21 | 2017-11-24 13:32 | Trackback | Comments(0)

「アイヌ語と日本語は他人である!」ってホントなの❓(その4)

 隣接する異言語の間で語の借用関係が生じたとき、どちらがオリジナルで、どちらが借り主なのかが問題となる。借用関係は、
隣接する国家や民族の力関係を始め、様々な要因が重層的に絡み合って複雑な様相を呈することが多い。
 通常は、力が強く優越する集団の言語を、力の弱いグループが借用することになるのだが、事はそう単純には進まない。一つの例が以下のような場合である。古代の日本列島では、元々この列島に住んでいた集団に対し、後から、主に朝鮮(韓)半島南部から渡来して原住の人々を支配するに至った集団が有ったと考えられている。こうした場合、圧倒的少数者集団である支配者は、数において勝る被支配者集団の言語や文化及び慣習を取り入れざるを得ず、語彙の取り入れや借用の関係は、劣位者が優位者のそれを取り入れるという一般則が、常に通用するとは限らない状況を生む訳である。
 こうした場合には、多数派の集団の言語は「基層言語」となって日常生活用語群を形成し、宗教的用語やしきたりを表す言葉も
多くの場合、多数派集団のものが残される。もちろん、優越集団の優越する所以(ゆえん)の部分は、語彙として新しく形成された
集団の指導理念、思想及び言語として君臨することになるのは言うまでもない。少数優越集団の語彙の例としては、例えば、高い生産力を支えた稲作に関する用語、軍事力を支えた製鉄などの技術用語である。
 宗教観念に関する語彙が優越者のものになるか、多数劣位者のそれになるのかは、諸々の条件の差異によって区々(まちまち)
なのである。いままでに述べた諸点に留意されて、アイヌ語での分析に眼を向けて頂きたい。
 なお、その前に、大和言葉では、「神」という語の「カミ」と、「上(うえ)」の意味をを表す「カミ」の語が、全く別の発音であったことが明白であるため、神の語源を分析的にこれ以上遡(さかのぼ)る事は出来ないと考えられている事は述べて置きたい。
 [アイヌ語での語源分析]
 神(kamui )を、アイヌ語では、「 ka・ mu ・i 」と3部分に分析することが出来ると考えられている。アイヌ語は、1音節で
構成される語彙が豊富なことは、世界に殆ど類例を見ないと言われている。勿論、ここでいう「1音節」は、二重母音や閉音節の
語彙を含むものであることは前置きして置きたい。
《 ka 「上に」・mu 「塞(ふさ)がる=覆い被さる」・ i 「者」》...これが分析結果である。
 語彙「カミ」の語源すら説明できない大和言葉の「迦微」がオリジナルか、一つ一つの意味を持つ音節にまで分析して、立派に意味が見えてくるアイヌ語が起源であるのか、それは神のみが知る、などという高踏論(こうとうろん=お高くとまった言い分)に耳を傾ける必要などさらさら無いのである。
 あなたのその眼で見た通り判断して頂きたい。所謂(いわゆる)借用論の「正体見たり枯れ尾花」、「張り子の虎」ぶりは、もう
覆うべくもないのであるから。            (次回につづく)

by atteruy21 | 2017-11-23 10:36 | Trackback | Comments(0)

「アイヌ語と日本語は他人である!」...ってホントなの❓(その3)

 古代の日本語には、母音は五種類よりももっと多かったという話を聞いたことがあるだろうか。神とカムイの関係は、この事に
関連して考える必要があるのである。「あい」だとか「あう」とかの発音を「重母音」というのだが、現代語では殆ど無くなって
しまったが、古代には、重母音を含む語彙が少なくなかったと考えられている。また、語尾が子音で終る語を「閉音節」というのだが、現代語では存在せず、全て母音終りの「開音節」の語彙になっている。しかし古代日本には、子音終りの多くの語彙が存在
したことが、疑いの無い事実として受け入れられている。
 二重母音の存在は、現代日本語にも痕跡が残されている。「タラのめ」という美味しい野草をご存知だろうか。「タラの芽」と
書くことが多いが、元は「タラの萌え(もえ)」と書いた。「萌え」というのは、草木の葉や芽が勢い良く生え茂る状態をいう。
 漢字の「芽」は、現代では「め」と単音で発音するが、古代にはこの「芽」を、このままで「もえ」と読んでいたのである。
ただ、発音は現代語とは異なって、二重母音の「 m‘o’e =もウエ 」という発音で、現代人の耳には殆ど「め」のように聞こえる
ものであったらしい。古語についての発音上の用語で「甲類、乙類の別」ということが言われる。古事記や万葉集に出てくる語で
日本語の一文字を表すのに、特定の漢字数文字が当てられるのだが、その文字の当て方に混同を許されない法則があったというのである。二重母音や閉音節の語彙は、この乙類の漢字が当てられたのである。村山七郎というアルタイ系諸言語の研究者の著書に
「日本語の研究方法」という本がある。その中に「古代日本語の1音節語」という一覧表があるので、ごく一部を紹介しよう。
  ミ(甲類)  水、三
  ミ(乙類)  実、身、箕(アイヌ語 mui 箕)
  メ(甲類)  女
  メ(乙類)  目、芽、海藻           (以下省略)
 村山教授がここで述べている「1音節」というのは、二重母音を1音節として(換言すれば一母音として)捉えておられるからであり、また、それは正しい。
 さて、ここで前出の大野教授に改めて登壇頂こう。大野教授は、「身」という語を取り上げて、敢えて「ミ」と「ム」に語例を分解して、「身実(みざね)」だの「身体(むくろ)」だのと分けて解説して見せた訳だが、もともとこの「身」とは、2音に分けて読むものではなく、二重母音の、言わばミとムの間のムイ(殆どミに聞こえる)という単音節なのであって、別けること自体が無理無意味であったのである。日本語の「神」は、甲乙で言えば「迦微」と書かれ、その「微」は乙類の「ムイ」である。
 そこで、いよいよアイヌ語での分析に取りかかろう。それは、「カ・ム・イ」にまず分析される。...
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2017-11-22 12:33 | Trackback(24) | Comments(0)

「アイヌ語と日本語は他人である...」ってホントなの❓(その2)

 国語学の大家の大野晋教授が著した「日本語をさかのぼる」という本に、カムイと神の関係を「借用論」で断定的結論をつけた
興味深い叙述があるので紹介しよう。自分に都合のよい「結論先にありき」の大論陣だが、借用論とは何者であるかを良く教えて
くれる、反面教師としては名著であると言えよう。同書の第二部第三章の「信仰」から抜粋して引用する。
 ...「まず、カミという形が最も古い語形であるか否かから考えてみる。カミという語のミは乙類に属するもので、カミは奈良
時代には k a m‘i’の音であった。<私の註 この i につけたクオーテーション・マーク(‘i’)は、アイにウムラウトをつけたつもりのものです。ウムラウトを表示する技術が分からないので代用しました。> これはカミ(上)kami とは別音であるから、上にいますものがカミ(神)であるという語源説は成立しがたいことはすでに述べた。そこでカミという語の別形があるか否かをみると、カムカラ(神の品格)、カムサビ(神々しい様子である)、カムナガラ(神の意向のまま)、カムガカリ(神憑り)など、カムという
形がある。独立語としてはkam‘i’であり、複合語の場合には kamu である。...(中略)...
...これらの事実は母音‘i’が、古代日本語の基本的な母音でないことを示すもので、‘ i ’は、何らかの事情で後に発達した母音であることを想像させる。 kamu ~kam‘i’の関係に類似するのは、「身(む)」という語と「身(み)」との関係である。
「身実(むざね)」「身体(むくろ)=身幹(むくろ)」など「身(む)」という語があるが、これと「身(み)」との関係は、mu~m‘i’の対応で、まさにkamu ~kam‘i’の対応と同様である。「身」については、おそらく mu が古形で、m‘i ’がその変化形である。その変化は、mu の後ろに、独立名詞形を作る接尾語 i が加わって mui→m‘i’という変化が生じたものと思われる。
それと同様に、カミ(神)のkam‘i’という形は、おそらく古形kamu の下に、独立する名詞を作る接尾語 i が加わって、kamui→
Kam‘i’という変化の結果生じたものであろうと思う。
アイヌ語のカムイ(神)という語は、右の kamui の段階をそのまま取り入れたものであろう。...(以下省略)
 大野教授という碩学(せきがく=学問が広く深いこと)大家にして、このような表面的な理由付けしかしえないのは、悲しい事である。「カム」は元々、神の古語である独立名詞の「神(かむ)」であって、元々独立している「かむ」に、わざわざ独立名詞化を
する理由がないのである。ただ、独立名詞「カム」は、動詞に由来する、言わば不完全な所を残した名詞で、真の名詞に昇格するためには、今一つの名詞化が必要だったことは確かな事実である。
 次回では、アイヌ語の分析の中で、mui (muy)→mi の変化の秘密を解き明かしたいと思っている。

 (次回につづく)

by atteruy21 | 2017-11-21 12:56 | Trackback | Comments(0)