人気ブログランキング |

<   2018年 02月 ( 28 )   > この月の画像一覧

アイヌ・日本の民俗とアイヌ語(その26)  通巻第188号

『 ヌチ ドゥ タカラ (命ぞ宝)』...命( i-not-i )ということーその6

 命というものは、個人の肉体を超えて、別の言い方をすれば、世代を超えて繋がる何ものかだと古代の日本列島の住人は考えていたと言えそうである。ならば、その繋がる何者かと言うのは、結局は「血の繋がり」の事なのかということになるのだろうか。
 
 前回、遠野物語の民話で「家(いえ)」を巡る連続性の話を取り上げた。家が残った、家が滅びたという考え方は、日本の民話の大事なテーマの一つである。『遠野物語』では、「家」は「血の連続性」の観点で語られている。しかし、「家」というものは、
古い時代の日本では、必ずしも血で繋がった集団を意味しなかったのである。よく時代劇で、大店(おおだな)の商人(あきんど)が
娘に婿を取って店を継がせるという話が有ったり、そもそも商家では、使用人も家族の一員として血の繋がった親子や兄弟姉妹と
同様に、親族呼称で呼び合うようなことも少なくなかったという。家と言うものは、たとえ血の繋がりが無くても、構成員同士の精神的一体感を醸成する存在であったのである。

 こうしてみると、「繋がる」と言うのは、或るものが、別の特別な何者かに繋がるというよりは、自分自身に繋がることを意味しているのではないかと私には考えられるのである。人が死んで、その死んだ人に瓜二つの孫が生まれて生まれる。結局は、人は死んでも、その魂は残って、新しい自分として帰ってきて生き続ける。それが「命(i-not-i=それ・繋がる・者)」なのであると。
 アイヌもウチナンチュもヤマトンチュも、縄文人の血を受け継ぎ日本列島に生まれた人は皆、「人は死んでも、その意識と心は
滅びずに残り(魂は不滅)、ノチ(将来)に新しい自己として子孫の生を生きるのだ」という信仰を持っていたのである。

「i-not-i」という語句の、発音の組み合わせが、後(のち)や将来、繋がるや魂という言葉に至るまで、三つの言語を繋ぐ共通の
概念を表すということは偶然ではない。命というものは、命という言葉は、それほど幅が広く奧が深いという事なのだろう。
 
  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-02-28 13:06 | Trackback | Comments(0)

アイヌ・日本の民俗とアイヌ語(その25)  通巻第187号

『 ヌチ ドゥ タカラ (命ぞ宝)』...命( i-not-i )ということーその5

 『 i-not-i 』という語句の真ん中に有る「 not 」という語が自動詞「繋がる」を意味するのか、それとも他動詞「繋げる」を表すのかで、語句の全体の意味は大きく異なってくる。それは別の角度から言えば、語の先頭に有る「 i (それ)」が主格に立つのか、目的格に立つのかということでもある。
 最後尾の「 i 」という語が「(~する)者」を表すことはほぼ間違いないだろう。そこで、「生命( =life )」を表す沖縄方言の
「ヌチ(古い発音ではノチ)」という言葉と、大和言葉の「イノチ」という語を比較すると、沖縄方言の方は「 i (それ)」が抜け落ちた形であることが分かる。もし「ノチ」が他動詞の「繋げる」を意味すると仮定すると、何を繋げるのかの肝心の対象をその
言葉自体が無視するという矛盾に陥るのである。
 
 「イノチ」の「イ」は、敢えて言えば主格の「それ」であり、「それ、繋がるもの」を意味すると私は思う。何が繋がるのかが
次の追究の課題である。
...少し譬話(たとえばなし)をしよう。東北地方の民話に『座敷わらし』が登場する。恐らくはその家の、小さくして亡くなった子どもの霊が家の人達を護るという考えがモチーフになったものだろう。遠野物語では、古くからの庄屋の家から、ある日小さな女の子が出て行くのを村人が見かけ、見かけぬ子だが何処へ行くのかと聞いたところ、「オラはずっとこの家に居たんだが、もうこの家には居られなくなったから、山の向こうの...の家へ行くんだ」と答えたという。村人は不思議な事も有るものだと思っていたところ、永く大いに栄えていたその庄屋の家では、みな次々と家人が亡くなり間もなく滅びてしまったという。

 この話に見られるように、日本では、民衆は「家(いえ)」というものに一種の生命の繋がりのような意識を育てて来たと考えられている。人の命というものは、個人の肉体を超えて「家」の形で繋がって行くもののようである。アイヌ民族の死生観とも共通するのだが、人はある家に生まれて、生きて、年を取って死んで、また「その家」に生まれ変わって帰ってくる。
 古来、アイヌの人たちは、生まれてきた赤ん坊が亡くなった祖父や祖母に似ていると、その祖父母が生まれ変わって戻ってきたものと考えたようだが、この生命の見方は現在の日本でも人々に受け継がれている。少なくとも、私の母方の祖母は、もし自分が死んでも、「また、じきに生まれ変わってここへ戻ってくるからな」と孫に言うほど固くこの死生観を堅持していたのである。
  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-02-27 09:53 | Trackback(3) | Comments(0)

アイヌ・日本の民俗とアイヌ語(その24)  通巻第186号

『ヌチ ドゥ タカラ (命ぞ宝)』...命( i-not-i )ということーその4

 アイヌ語で「 i-not-i 」に通じる語句が無いと言っている訳ではない。実際、金成(かんなり)マツさんが筆録し有名な金田一
京助氏が編集した「アイヌ叙事詩ユーカラ集」に、『 inotu 』という語彙が度々(たびたび)登場する。しかし、ここでは神々の
戦いに敗れたカムイの「魂(たましい)=霊魂」が昇天して行くという文脈でのみ、この語彙は使われている。「生命」を表す語彙
としては使われておらず、死に行く魂がごうごうたる音を立ててこの世を去る、と語られるのである。いとしむべき、大切な命という、ウチナーグチで言う「ヌチ ドゥ タカラ = 命こそ宝(大切な愛しい命)」という文脈で語られるものとは全く異質の、別の
語彙なのである。
 「生命」と「魂」とは、関連する語であることは勿論のことだが、あくまでも、語彙としては別のものとして明確に峻別されなければならない。この問題は、改めて追究して行くべきものであるが、別の機会に譲りたいと思う。ただ、この「イノトゥ」という語が「魂(たましい)」を表すとすると、アイヌ語には元々「 ramat ラマッ 」という立派な「魂」を表す語が有るではないかと
反論があるだろう。しかし、私はこの「イノトゥ」こそが本来のアイヌ語の「魂」を表す語彙であって、「ラマッ」の方は、魂と
いう意味は勿論有るのだが、本来の、本当の意味の重点は「意識」とか「心」に有ったのではないかと考えている。

 アイヌ民族は、意識や心が無くなることが「死」であると考えていた節(ふし)があるのだが、それは現代の生死に係る考え方とも共通する、先進的な科学的な見方だと言えよう。多くの民族が魂が身体から抜け出ることをもって「死」と抽象的、非科学的な
見方をするなかで、アイヌ民族の死生観は具体的・現実的で科学的であると特筆されるべきであろう。
 「 ram ,-u 心、思い 」、「 ramu ~を思う 」、「 ramat,-i ~の魂 」などのアイヌ語の語彙の関連を詳しく見て行くと、ラム 、ラマッと言う語は、頭に、脳髄に浮かぶ事柄の集合体、つまり「意識」に意味の中核部分があるものと考えられる訳である。

 沖縄方言と大和言葉、そしてアイヌ語を繋ぐ「 not-i 」という語句は、「繋がるもの」ないしは「繋げるもの」という3言語共通の意味を持つ。ならば、その「繋がる」或いは「繋げる」の主体または目的語が何を指すのかを明確にすることが、何よりも
求められる事であろう。

  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-02-26 10:52 | Trackback(25) | Comments(0)

アイヌ・日本の民俗とアイヌ語(その23)  通巻第185号

『ヌチ ドゥ タカラ (命ぞ宝)』...命( i-not-i )ということーその3

 古い沖縄方言の「ヌチ」や大和言葉の「のち」という言葉が、アイヌ語の「ノッ not = 顎」と言う語彙に関連が有りそうだという考え方には、それなりの根拠があるという事にご納得が頂けたろうか。勿論、それぞれの言葉には意味のズレが生じていて、直ぐにはそれと気付かない形になっているのだが...。言葉の意味が次元の違う範囲にまで広がっていて、同一の語源に目が向きにくくなっているのである。
 顎と生命と将来とでは、それが一つの意味合いから出発したなどと考えること自体が、既に常識を超えた世界になっているのである。だが、全く異次元にあると見られるこれらの語の間の、微(かす)かな繋がりの糸を見出だすことは必ずしも困難なことではない。三つの事物を成立させる共通の動きを何とか探りだして、「繋がる」という動詞を私は抽出(引き出す)した。実は「not」というアイヌ語には繋がるという動詞の意味は既に存在しない。過去に有ったものとして復原したものに過ぎない。しかし、根拠
無しに勝手に持ち出したものでないことは、残されたアイヌ語地名を分析することで明らかになるであろう。

...前回にアイヌ語によると思われる「野付崎」という、根室海峡に突き出た半島状の砂州を紹介した。「繋がる」という意味を示すものとして、改めて詳しい紹介をしよう。野付崎は、海流によって運ばれた砂の堆積(たいせき)によって形成された半島状の
砂州である。平仮名の「つ」の形状で、その「つ」の字の左上端が辛(かろう)うじて標津の岸に繋がっている。繋ぎ目は、今にも切れそうで、しかし切れて島にはならずに半島状態を保っている訳である。
 「野付( not-ke )」は、明らかにアイヌ語で「繋がった・所」と解釈できると私は思っている。地図を拡げてご覧いただければ
くどい説明は要らない、一目瞭然(いちもくりょうぜん)でこの地名が納得されよう。

 さて、三つの言語(うち一つは方言だが)が、繋がるという言葉を通して色々な意味を醸し出すのだが、本項で問題に取り上げる
「命(いのち、ヌチ)」という語彙は、その繋がるという動詞の主語は何だろうか。いったい何が繋がるというのか、途切れずに繋がる主体とは何を指しているのかが問題となる。その際に留意して置かなければならないことは、大和言葉と沖縄方言に残っている命(いのち、ヌチ)という言葉に対し、アイヌ語では生命を表す語彙としては「 i-not-i 」という語句が明確な形では残っていないという事である。一説によれば、「 i-not-u 」という語が有るとされるが、多くの人の認める所とはなっていない。
  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-02-25 21:08 | Trackback | Comments(0)

アイヌ・日本の民俗とアイヌ語(その22)  通巻第184号

 『ヌチ ドゥ タカラ(命ぞ宝)』...命( i-not-i )ということーその2

 アイヌ語の「 not 」という語彙が、なんと大和言葉や古い時代の沖縄方言(琉球語⁉)の「ノチ」という言葉に繋がりを持っているのだと私は主張しているのである。
 しかし、アイヌ語を少しでも知っている人ならば、アイヌ語「 not 」には未来だの将来になどの意味はなく、ただ身体部位の
「顎(あご)」を指すだけであると反論が有るだろう。どこから未来や明日が出てくるのかと。

 だが、私は、「 not 」という単語が、本当に、あの「しゃくれた顎」だの「長い下顎」等と表現される、漢字で書き表すと「顎(あご)」と表記される部分だけを意味しているのかということに、大いに疑問を懐(いだ)いているのである。アイヌ語での元々の「 not 」という言葉は、指し示す範囲が現在よりももっと広く、顎から首筋を通り胸元に至るまでの全体を指していたと考えるのが合理的だと考えられるからである。何故そういうことが言えるのかというと、「 not 」という音(おん)を含む地名の付いた場所を実際に見てみると、範囲を拡げて見た方が実際の地形に符合するのである。

 アイヌ語の「 not (あご)」は、顎部だけでなく細く括(くび)れた首筋をも含む、どちらかと言うと、首筋の方に重点を置いた
表現だと私は思う。地形で言うと、海流などによって湾のように陸地が侵食され、それでも分断されて島とならずに陸地(本土)と
繋がっている、そういう地形を思い浮かべて頂きたい。実際に地図を拡げて見ていただきたい。
...北海道の東端の根室湾に、標津(しべつ)から国後島の方向へ、恐らくは海流によって形成された砂州が延びている。地名は「野付崎」という半島状の地形である。切れそうで切れずに標津の岸に「繋がって」いる。ちょっと上顎や下顎には見えない。
もう一つ、本州の石川県に能登半島がある。多くの人がこの「のと」という地名がアイヌ語の「 not 」に由来するものと考えて
いると言われている。こちらの方は、ちょうど七尾湾に浮かぶ能登島を噛むような形で七尾から氷見(ひみ)に至る海岸線が下顎に
見えないこともないかな、という感じである。だが、ここでも矢張、海流が侵食して(⁉)七尾湾を形成し、それでも西海岸まで突き抜けるまでは行かず、括れた首筋のような形になったのを指して「のと=not-to 」と言ったのではないかと思う。

 思えば、喉(のど)という言葉も、通説では「飲む・所」と解釈されるが、喉は飲むだけに限らず固形物も通る訳だから、語源としてはちょっと無理があり、顎から首筋にかけた首筋を表すと考えるべきなのかも知れない。  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-02-24 12:18 | Trackback | Comments(0)

アイヌ・日本の民俗とアイヌ語(その21)  通巻第183号

 『ヌチ ドゥ タカラ (命ぞ宝)』...命( i-not-i )ということーその1

 前述した「 i-... (それ~する者)」の項目で取り上げても良かったのだが、アイヌ語と日本語の間の強い紐帯(ちゅうたい)を暗示する言葉に、「命(いのち)」という語がある。アイヌ語と大和言葉の二者の間に橋渡しの中間項が有って分かりやすいので
独立した別の項目として取り上げることにしたのである。
 
 沖縄方言に「命」を意味する「ぬち」という語彙がある。よく知られているように、沖縄方言は母音の数が減少するという音韻進化の途上にある言葉である。古い時代には、現在の日本語と同じ5母音で語られたと考えられている。「え段」が「い段」に、
「お段」が「う段」に変化する「現在進行形」なのである。沖縄方言はこのまま行くと遠くない将来に3母音の音韻体系の言語に
なると言われているのだ。
...ティンサグヌ ハナヤ チミサチニ スミティ (天咲くの花は 指先に 染めて)...同じ歌で
ユル ハラス フニヤ ニヌファブシ ミアティ (夜 走る 舟は 北極星 目当て)などと民謡にある。見事にえ段はい段に、
お段はう段に変化している。

 この法則に従うと、沖縄方言の「ヌチ」は、旧(ふる)くは「ノチ」と発音された筈であるという推論が成り立つ。これは、大和言葉で同音の「ノチ」という語に繋がると私は考えている。「ノチ」は、大和言葉で思い浮かぶものと言えば勿論「後(のち)」で
時間的に「あと」のことを言う。「後の世」などと言うから、将来や未来を表すとも言える。命があると言うのは、結局、未来を
持つ、これから先の将来があるということに他ならない。

 そこで、この「将来」や「未來」という語意が、大和言葉や沖縄方言の「ノチ」や「ヌチ」に仮に含まれるとしても、それだけでは肝心のアイヌ語との関連が見えてこない。語彙の中心義、核心となる意味の把握の観点が少しずれているのである。
 結論から先に言うと、「ノチ・ヌチ」は「将来」や「未来」に意味の中心が有るのではなくて、そこに「繋がる」という語意が根幹なのである。「途切れずに繋がる」というのが、「ノチ」の本義で、これがアイヌ語の「 not 」に繋がるのである。
...アイヌ語で「ノッ not 」と言うと、「顎(あご)」を言うというのが通り相場だが、ちょっと待って頂きたいのである。
  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-02-23 11:27 | Trackback | Comments(0)

アイヌ・日本の民俗とアイヌ語(その20)  通巻第182号

「鬼(オニ)というもの」ーその5

 日本のテレビ番組や映画で、最も人気のあるテーマは戦国時代の英雄の物語だろう。合戦が終わって主人公たちが冑(かぶと)を
脱ぐと、そこには髪を解き、いわゆる「散ばら髪(ざんばらがみ)」になった、青々と月代(さかやき)を剃り上げた頭部が現れる。
 このヘアスタイルは、いったい何を表すものなのか。戦国武将の多くが、とは言っても大将に当たる人だけは別なのだが、戦に
臨む武士というものは、死を賭して主君の為に戦う決意を、普段は結ってある髪を解くことによって表すのである。
...「髪を解く」という行為は、実は死者の扮装をするということであり、死地に赴く決意を表すことに他ならない。このことは
戦場に臨む場合に限らず、例えば浅野内匠守(あさの・たくみのかみ)が切腹の場に臨む時にも同様に見られる。死に臨む内匠守は白装束に髪を解いた姿で辞世の句を詠(よ)むことになる訳である。

 「髪を結う」という行為には、単に「調髪する」という意味以上に、「神や貴人に向かい合う」という意味が付加され、そこに重点が置かれていると私は考えている。だから、中国人や日本人にとっては、髪を結わずボサボサ髪にしたアイヌの風俗は、正に
礼儀を弁(わきま)えない野蛮なものに見えたのである。偉大なる皇帝や尊き天皇(すめろぎ)の前に、死人(しびと)の扮装で穢れた姿を現すなどもっての外である、という訳である。
 桃太郎伝説に登場する鬼ヶ島の赤鬼や青鬼は、頭のてっぺんや耳の横に牛のような角を生やしている。あの姿は、いったい何に由来するものなのだろうか。私の知識レベルでは残念ながら解析できない。ただ、鬼(オニ)という語が死者を表すのだとすれば、それは死者に関わる何者かを意味していると考えるのが普通だろう。

 私は死者というと骸骨(がいこつ)をイメージする。「 on-i 腐れ果てた者 」を分析した時には、「イザナミ」の腐乱した姿を
例に挙げて説明したのだが、「 on 」には「腐って姿の変わり果てた」の意味を与えた訳だが、「 on 」の真意は実は「腐って」
よりも、「姿が(醜く)変わり果てる」の方に有るのである。腐乱死体も厭(いと)わしいが、骸骨もやはり恐ろしい。変わり果てるという意味では、その究極の姿は骸骨であろう。
 死者の、骸骨の固い骨、これが牛などの強力な角の連想を生んだのではないかと私は考えている。しかし、そこまでこじつけなくとも、恐ろしいもの、強いものを突き立てる角のイメージで表現したと考える方が、単純だが説得力が有るのかも知れない。
  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-02-22 11:14 | Trackback | Comments(0)

アイヌ・日本の民俗とアイヌ語(その19)  通巻第181号

 「鬼(オニ)というもの」ーその4

 「左衽(さじん)」なんて言葉は、初めて聞いたという人が殆(ほとん)どだと思うので、岩波国語辞典で確認をして頂こう。
...「左衽」...(衣服を着るときの)ひだりまえ。また、野蛮人の着物の着方。野蛮人の風俗。  ▽中国で、衣服をひだりまえに着たのを夷狄(いてき)の風俗としたところから。 ...とある。それならばと、「左前(ひだりまえ)」の方を見てみると...
...「左前」...着物の右のおくみを、普通とは逆に外側に出して着ること。▽死者の装束(しょうぞく)に用いる。

 実際にアイヌの人たちやその先人の蝦夷の人達が左衽の風俗であったのか、私は知らない。中国の史書に左衽の風があると記録されているからと言って、必ずしもそれが正しいとは限らないからである。歴史書というものの通弊(つうへい=共通の弊害)として、それが勝者により書かれるという限界と、意外に、史書編纂者の傲(おご)りたかぶった感覚で、思い込みの強い勝手な解釈に基づくものが少なくないのである。デマ記事が結構多いのである。左衽の風俗については、史書編纂者に「野蛮人は皆左衽の風があるもので、蝦夷は野蛮人であるから当然、左衽の風を持っている筈だ」という妙な三段論法が有ってのことかも知れないのだ。
 
 ここで一番重要なのは、注目に価(あたい)するのは、左衽と言うのが中国では死者に着せる装束なのだという事である。和人と
ともに皇帝に謁見(えっけん=貴人と会見すること)した蝦夷と見られる人は、皇帝から見れば死人の衣装を着ていた訳である。
 思えば、十三世紀半ば以降サハリンに進出し、元(モンゴル)軍と戦ったと史書に登場する、アイヌ民族を指すと考えられている民族の名の『骨嵬 guwei クーウェイ』という語も、死者や死骸をイメージさせる語感を持つものではなかったか。

 アイヌ民族を死者と結び付ける非常識極まりない誤解を生んだもう一つの理窟は、服装とも関連のある髪型の問題である。
中国人の一般的な髪型は、異民族が王朝を樹立した清朝(しんちょう)時代に至るまで、あの弁髪(べんぱつ)ではなくて、ちょっと日本人の髷(まげ)にも似たヘアスタイルをしていた。三國志の英雄や、中国第一の人気スターの英雄『岳飛(がく・ひ)』にしても
かっこいい髷を結っていた。中国人は、髷を結うことを文化の象徴と捉え、神の前や貴人に会う際の正装の一部と考えた訳である。東北アジアの風俗であった弁髪(頭頂部にポニーテールのように髪を残し、あとは剃り落とす髪型)は、野蛮の風の代表として
清朝から強制された漢民族はこれに激しく抵抗したという。中国のこの風俗の観念は、日本人にも決定的な影響を及ぼし、死者の
髪型、死者を送るヘアスタイルの観念へと発展して行くのである。  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-02-21 12:05 | Trackback(10) | Comments(0)

アイヌ・日本の民俗とアイヌ語(その18)  通巻第180号

 「鬼(オニ)というもの」ーその3

 異民族を人間以外の化物のように見るのは極めて身勝手で理不尽な態度なのだが、歴史上においては、特に周辺民族を支配するような超大国がこういう態度をとることは珍しいことではなかった。身近な例では、『中華』思想に凝(こ)り固まった歴代の中国王朝は、殆ど例外なしに周辺の民族の名称に動物を中心に良くないイメージを表す漢字を当てたことはよく知られている。
 日本は「建国」以来、大国の中国を意識し、中国「皇帝」の向こうを張って「大王(おおきみ)」に替えて「天皇」という呼称を
創設し、「中華思想」を真似て「小中華帝国」の概念を国造りの柱に据えた。
 前にアテルイについて述べたことがある。その時には十分に触れることができなかったが、桓武天皇が蝦夷の制圧に全力を傾注したのは、実は、朝廷がこの「小中華帝国」の完成という幻想に囚(とら)われていたことにもよるのである。大和朝廷自身が、世界の中心たる中国から見れば一介(いっかい)の「東夷」に過ぎないのだが、天皇から見れば、西に隼人(はやと)や熊襲(くまそ)、
東に蝦夷(えみし)と、周辺民族を切り従えた中央権力の、我はその天の皇(おう)なるぞという訳である。

 異民族のアイヌを、小中華思想に基づいて禽獣(きんじゅう=肉食の鳥やけだもの)に例えるというのは、今日の視点からすれば許されないと言っても、歴史上は当たり前の事だったのかも知れない。実際、「獣の肉を貪(むさぼ)り」だの「恩はすぐに忘れ、仇(あだ)は必ず復讐(かえ)す」、「人倫(じんりん=人の道)を弁(わきま)えぬ」など、根拠も示さず習慣を異にするアイヌ民族に一方的な非難、罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせるのは日本の支配者の常套であった。

 仮に百歩譲って、歴史上は異民族を人間扱いしないこの態度が特に悪辣(あくらつ)だとも言えないのだとしても、蝦夷の人々を
「オニ(鬼=死者)」と呼ぶのは余りに酷すぎるのではないか。だが、それをいう人自身の恥ずべき人間性を露(あらわ)にするこの酷すぎる呼び名にも、それなりの訳が有るのである。他者への思い遣りを欠く、一方的な誤った思い込みが、誤解が産み出す観念なのだが、その言い訳に耳を傾けるのも真実に至る道程として意味があるのかも知れない。
...それは、アイヌ民族の風習、風俗に対する和人の無理解・不寛容から生じるものなのだろう。一つ二つの例を挙げよう。
 その一つに、アイヌ民族の服装の習慣に対する和人の偏見がある。中国の史書等にアイヌ民族の「左衽(さじん)の風(ふう)」という記事が出てくる。左衽というのは、大和言葉で言えば「左前(ひだりまえ)」という意味で、死者の服装の習慣になるのである。「衽」は和語では「おくみ」で、襟のことである。...以下、次回につづく。
 

by atteruy21 | 2018-02-20 11:34 | Trackback | Comments(0)

アイヌ・日本の民俗とアイヌ語(その17)  通巻第179号

 「鬼(オニ)というもの」ーその2

 現代のアイヌ語で「 on オン 」と言えば、食物などが細菌の働きにより「発酵する」ことを言う。しかし、古くは発酵という限定された意味でなく、霊妙な働きにより物が「腐敗する、腐って崩れる、変性する」という広い意味合いを持っていたと私は考えている。
 同様の語意をもつ単語を大和言葉に求めてみると、「熟(な)れる」という言葉がある。やはり発酵するという意味として用いる
語に「熟れ鮨(なれずし)」がある。バッテラ等に繋がるあの関西風の発酵食品である。この「熟(な)れる」には、「古くなる」や
「よれよれになる」という意味があり、何よりも「腐る」という肝心な語義が有るのだ。残念ながら、「オン」と「なれる」では
発音が違いすぎ、直接的な関係を論じることは出来ない。しかし、アイヌ語の「オン」に古くは「発酵する」だけでなく、「腐敗する、朽ち果てる」という意味があったと考えるのは、論理的に十分に可能だし、それ以上に必然の道筋だと私は思うのである。
 
「オニ」は、「 on - i (腐った・者 = 死者)」と分析できるのだが、これならば中国語の「鬼(クイ) = 霊魂、死者」とも一致
すると言い得る訳である。
 ところで、日本の民話や地獄絵図に出てくる、あの牛のような角の生えた鬼の姿は、いったい何者に由来する者なのだろうか。
中国にも地獄の閻魔大王の部下の獄卒が登場する話があるが、あの日本の鬼のような姿ではなく、黒い服を着た、小役人をイメージさせる目立たない様子で描かれているらしい。王朝に仕える小役人というのは、どこでも余り良くは思われないものらしい。
 定説は無いものの、日本のあの赤鬼や青鬼は、不当極まりない話ではあるのだが、アイヌ民族を指しているという見方がある。
天皇の「王化(みおもぶけ)に染(したが)はず」、まつろわぬ者を鬼神として蔑(さげす)む気風は「アイヌ民族と日本人」を著した
菊池勇夫氏によれば以下のようなものだった。
...こうした「日の本」「唐子」の夜叉(やしゃ)=鬼神のイメージは、例えば室町物語とされる御伽草子(おとぎぞうし)『御曹子島渡(おんぞうし・しまわたり)』の蝦夷描写に近似している。この草子は藤原秀衡のもとから牛若丸が蝦夷島の千島の都に渡って、
「大日の法」なる兵法書を奪ってくるという筋立てであるが、蝦夷の大王は手足が八本、角が三○本もあって巨大で恐ろしい姿をしていた。近世以降のように容易く征伐・退治されるような存在ではなく、恐怖・畏怖すべき対象であった。また、先に東の境界
として出てきたアクルもまた、坂上田村麻呂の蝦夷征討の伝説化に伴ってアテルイらの抵抗エミシが悪路王などと鬼神化したものであった。同様に、土佐光信筆といわれる『清水寺縁起』(永正一四=一五一七年頃)に描かれた蝦夷もまた鬼の姿であった。...
 (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-02-19 11:28 | Trackback(6) | Comments(0)