人気ブログランキング |

<   2018年 04月 ( 27 )   > この月の画像一覧

通巻第246号 「たま」という言葉についてーその31

 特定の人間集団の支配者・指導者としての「主(ぬし)」という大和言葉は、アイヌ語のニシパという語彙に似た、未知の縄文語から発展を遂げて成立した。この「主」という語彙は、社会の発展にともない、宗教的或いは精神的な指導者の意味合いを徐々に薄め、土地や物の所有者という側面に重点を置いた支配者の意味を強めて行く。人々から尊敬され愛される、優しい導き手から、全てを独占し人々から恐れられる強面(こわもて)の命令者となって行くのである。
 出雲神話の大国主(おほくにぬし)の姿は、愛され親しまれる指導者像の最後の残光(ざんこう)であった。「ぬし」と表現される優しき指導者のイメージは、大和の人々の脳裡からさらに遠ざかる。終には「ぬし」という言葉さえ使われることが少なくなり、代わって「主(あるじ)」という語彙が所有者・支配者を表す語として主流をなして行く。

「主(あるじ)」という語は、「ぬし」という語に由来するが、「ぬし」という語が本来もっていた「指導者」の語意を全く失い、「所有者」、「支配者」の意味だけに特化・限定されたという、特殊な出自を持つ語彙である。例えば、城主(じょうしゅ)という語は、城の「あるじ」を意味するが、その「あるじ」という言葉は、城の所有者であり支配者ではあっても、決して、指導者ではあり得ないのである。「あるじ」という言葉は、客に対する主人(ホスト)を表す語として成立したと言われ、元々の語源的由来は「饗応(きょうおう)する=もてなす・ご馳走する」というものであった。言葉そのものが、権力者や富裕者の世界の産物だった訳である。

 稗田阿礼という名の秘密の話から、ちょっと回り道し過ぎ、道草を食い過ぎた。アイヌ語によく似た(と私は考えているのだが)縄文語の「ひえ=piye 」という語の追究の本道に戻ろう。
 アイヌ語の「 piye 」という語は、現代では「脂の乗った、脂肪のついた」という意味に限定されてしまっているが、元々は「肉の脂身、脂肉」という名詞的使用法もあったと私は考えている。それはまた、アイヌ語の「 no-ipe 」と同様、「至上の旨きもの」の意味を表し、終(つい)には「頭脳・脳みそ」という意味をも獲得するに至った、というのが私の描いたシナリオである。

 この「 piye ひえ 」という語は、「脳」という意味のその先に、更に新たな意味を付け加える発展を遂げて行く。その新たに付け加えられる意味とは、いったい何か。前に、魂の在処(ありか)を考える民族間の観念の差異について述べたとき、英語圏での心の在処を示す語としての心臓( heart )の意味の様々な広がりを論じ、このことを記憶にとどめて置いて頂きたいとお願いしたことを覚えておいでだろうか。いよいよ、その予告の話題の登場である。  (次回につづく)
 

by atteruy21 | 2018-04-30 14:21 | Trackback | Comments(0)

通巻第245号 「たま」という言葉についてーその30

 大和言葉の「ぬし(主)」という言葉は、アイヌ語の「ニシパ( nispa )」という語彙と繋がりが有るのかも知れない。それは、意味の上からも音韻の面でも十分に考えられることである。しかし仮に会津方言の「にしゃ」という語を仲立ちにしたとしても、それがコマとしてピタリと中間にはまり込み、両者が隙間なく繋がったと言い切るには、何かもう一つ足りないのである。
 それは、音韻の点ではアイヌ語のニシパの「パ」の音と、会津方言の『にしゃ』の「や」の微妙な違いが埋められるかの問題であり、また、文法的に見た場合でも、何故「ニシパ」の「パ」が大和言葉の「主(ぬし)」からは抜け落ちたのかの説明に欠けるという難問が残るのである。

 だが、この音韻問題と文法問題は、一つの視点を据えることにより、二つながら同時に解決する。その一つの視点とは、言葉というものは、語の成立当初の本来の理由が忘れ去られた場合に、語彙に形態的な変化がもたらされることも有れば、その語の文法上の位置・性格すら変わってしまう場合があるという点である。具体的に述べよう。

...会津方言の「にしゃ」は、アイヌ語のニシパ( nispa 天の頭 )から来た言葉だろう。だが、その本来の、宗教的権威に満ちた遥か高い位置にあるお方という言葉の位置付けが忘れ去られてしまうと、それは只の「あなた」の位置に降格した。決して客体になることの無い、孤絶した高みにあるお方から、同じ目線に立つ只のあなたになったのである。当然に人から何かをされ、被害を被(こうむ)る立場にさえなり得る訳である。となれば、主格であることを示すためには、「あなた・は」を表す語の構成として、「にし・は」という位置付けを「にしゃ」に与えたのだろう。

 大和言葉の「主(ぬし)」は、縄文語( = アイヌ語 )の nispa を語源とするものだろう。それが会津方言の「にしゃ」のような中間的形態を経て、「ぬしゃ(主は)」となり、最後に主格を表す格助詞(と彼らが考えた)「は」を語尾から取り除いて「ぬし」という語彙は成立したのである。

 ただ、問題点は残る。主に当たる「あなた」が、どうしても行為の客体になる、目的格に立たねばならないときは、大和の古人たちは何と言ったのかという問題である。「あなたに、~してやろう」などと言うとき、「主(ぬし)に...」とは文法上言えない訳だから、その時は「お・主に」とか「主・様に」などと、目的格に立ちこそすれ、その方は高い位置に有ることを示す接頭辞ないし接尾辞を付けたのである。  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-04-29 16:16 | Trackback | Comments(0)

通巻第244号 「たま」という言葉についてーその29

 「にしゃ」という人の呼び方が会津方言に残っている。元々は尊敬すべき相手に対して使う「あなた」という意味であったが、現代では気安い仲間に用いて、「お前、あんた」に近い語感の言葉に落ちぶれてしまっている。
 この呼称には、実は面白い特徴が有って、この「にしゃ」と呼ばれる人は、いつも主格に立っているのである。人に何かされる行為の対象には決してならないという特徴である。私の「アイヌ語・日本語同系論」を既に読まれた方は「ははん、あの事か」と気付かれたと思うが、「にしゃ」は与格・対格に立たない語なのである。目的格に立つ文脈では用いられないのだ。

 アイヌ語で「人称」と位置付けられる、一人称人称接辞の「 ku= 我は・我の 」という言葉は、目的格(我に・我を)に該当する接辞を持たない。「 ku ク 」という音(おん)に繋がる変型した語形の、例えば、「 ki キ = 我に 」とか「 kun クン = 我を 」ないし「 ken ケン = 我を 」という仲間の語彙を持たない孤立した言葉なのである。それは、この「 ku=」という語がもともと人称接辞として出発したのでなく、「 kur 神人」という特殊な普通名詞から形成されたことから来る特徴なのだとその時述べたことを思い出して頂きたい。会津方言の「にしゃ」も、これと同じ発展の道筋を踏んで、目的格に立たない、特殊な自立語として成立したのではないだろうか。

 「にしゃ」という語の成立の過程を想像してみよう。それは、「主(ぬし)は... = あなたは...」と言おうとして作られた語句ではない。「にし・に(あなた・に)」という語形が、そういう言い回しがされないことからも、それは明らかである。
「にしゃ」は、複合語句でなく単一の語彙で、恐らく、その祖形は「にしぱ = 指導者」であったのだろう。「にしぱ」が音韻の変化の法則に従って、「にしふぁ」に変化し、「にしわ」ないし「にしゃ」に転化したのだろうと私は考える。
 この音韻転化の法則は、有名な人名の発音の変化の道筋を示すことで理解いただけよう。有名な「藤原氏」である。

...「藤原」は、古くは「プディファラ」と読まれて、発音されていた。これは私が勝手にそう想像しているのではなく、学会で多くの識者・専門家が一致して認める見解である。「プ→ふ」「ディ→ぢ→じ」「ファ→わ」「ラ→ら」とは、現代人にとっては大いなる変化が起こったように見えるが、大和言葉ではこれが短期間に起こったのである。

 「ニシパ」が「にしゃ」に転化したという可能性を、お認め頂けるだろうか。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-04-28 10:03 | Trackback | Comments(0)

通巻第243号 「たま」という言葉についてーその28

 阿礼と安万侶の対話に、いま暫く耳を傾けよう。
...安万侶  待て、待て。神の話をしているのではない。この辺りをお持ちになっていたお方、人のことを訊いているのだ。
  阿 礼  山や川を持つ人など、あろう筈(はず)も無い。この大地( siri )の全ては神の賜物(たまもの)ではないか。
  安万侶  ならば、この辺りの人々の頭(かしら)は、どんな方だったのか。その方を何と呼んだのだ。人々の上に立たれ、       人々を導かれるお方、指導者のことだ。
  阿 礼  それを我々の言葉ではカムイと言うのだが、カムイという言葉が気に召されぬのなら、それはニシパ( nispa )と
      言い換えても良い。人々を導く、尊い偉いお方だ。国と言うものがどんなものか、分からないが、辺りで最も大きな
      郷(さと)の長(おさ)を「kotan-kor-nispa 村長(むらおさ)」と呼ぶことはある。

 このやり取りにも解説が必要だろう。「 nispa ニシパ 」という言葉である。現代のアイヌ語では、ニシパは大人の男性の美称として「旦那様」といった形で用いられているが、元々は「 nis-pa 天の・頭(かしら)」を意味し、世界的な基準の言葉で言えば
「シャーマン(呪術者)」であり、精神的・宗教的な指導者を意味したものであった。ほぼ同じ意味を表す語彙に「 kur 」という言葉が有るが、「クル」が「神に従う」ものの意味合いが強いのに対し、「ニシパ」の方は、「人々を導く」という意味に力点が置かれた言葉のように見える。

 沖縄の民俗に、シャーマンは船に乗って七つの天を巡るという信仰がある。シャーマン(巫者)が巫(ふ)に入って( = トランス状態に陥って)神の世界に行き、神の意思を聞き取って、戻った巫者はそれを人々に伝え、人々を導く訳である。縄文の人々の宗教観念も、恐らくはこの沖縄の民俗の見地に近いものだったのだろう。

 「神の意思を人々に伝え、これを導く者」というのが「ニシパ nispa 」という言葉の原義(もとの意味)だったとすれば、大和言葉にも思い当たる語彙が有るだろう。神主(かんぬし)は、説明の必要もない神の意思を伝え、人を導く者である。大和言葉の「主(ぬし)」という語彙が、恐らく「ニシパ」という語に繋がるものだと言うことは予想がつく。しかしアイヌ語の「ニシパ」と大和言葉の「ぬし」とでは、いかにも語形・発音がかけ離れてはいないか。
 会津地方の方言で、この隔(へだ)たりを埋めるかも知れない一つの言葉がある。「にしゃ」と発音される、尊敬すべき相手にも用いられる「あなた=お主?」という語である。「にしゃ」は、「お主は...」と言っているとも見えるのだが...(次回につづく)

by atteruy21 | 2018-04-27 11:15 | Trackback(17) | Comments(0)

通巻第242号 「たま」という言葉についてーその27

 大国主(おほ・くに・ぬし)という大和言葉は、例えば「Poro siri kor nispa 」というような構成を持った縄文語の文を、一つ一つ逐語的に大和言葉に置き換えて出来上がった造語だったのではないだろうか。語り部である稗田阿礼と、編集責任者を務めた太安万侶の翻訳作業での質疑応答のやり取りは、おおよそ以下のようなものでなかったか。

太安万侶...古(いにしえ)のこの国の大王(おほきみ)は、どのような人物だったのか。
稗田阿礼  国の大王(おほきみ)とは、どんな者を指すのか。国とは?、王とは? 我らの古き言葉では何と言えば良いのか...
太安万侶  国の大王とは、例えばこの辺り一帯、あの山もこの川も、全ての人と物をお持ちになり、支配されるお方のことだ。
稗田阿礼  ならば、 siri-kor-kamuy 「大地を領く(うしはく=領有する)神」と言うことになる。
太安万侶  いやいや、神のことを訊(き)いているのではない。あくまでも人のことだ。
 
 中途だが、ここで解説が必要だろう。縄文人は国家を知らなかったから、それに該当する言葉も当然に持たなかった。だから、国とは何かを問われ、安万侶は「この辺り一帯の山や川や全てのものだ」と注釈したのだろう。だから阿礼は、「それならば、 siri だ」と答えた訳(わけ)である。なぜ阿礼は、国王に「 siri-kor-kamuy 」と神を持ち出したのか。縄文人近似の言語感覚をもつアイヌ語の表現にヒントを求めよう。ユーカラなどでは、その地の長(おさ)や指導者を「 kur (お方)」や「 kamuy (神)」で呼ぶことは当たり前のことであった。例えば村の長を「 kotan-kor-kur 」ないし「 kotan-kor-kamuy 」と呼んだのである。
 もう一つ、アイヌ語に於ける「 kor 持つ 」という語の中核をなす概念の正確な把握の必要性の問題がある。稗田阿礼は、元々自分たちの言葉にはない「支配者」( = 王)という概念を、どう縄文語に置き換えるかで苦労した訳である。

 ... Siri-kor-kamuy という言葉は、実(じつ)は、何の説明も付けないで口にすれば、「木(き)・立木(たちき)」という言葉になってしまうのである。アイヌ語の世界では、樹木もカムイであった。その神は、「大地を・鷲掴みする・者」という概念に由来するもので、アイヌは樹木の根を大地をがっちりと掴む拳(こぶし)に見立て、神の名としたわけである。「 kor 」という語は、
この「しっかりと掴む」の意味から出発して、「手放さない」、「我がものにする、思うがままにする」、そして「支配する」と意味を広げて今日に至っている。稗田阿礼は、元々噛み合わぬ概念と概念の狭間を埋め、大意をうまく伝えることにかなりの高い水準で成功していると私は評価している。やはり、稗田阿礼という人は、大天才なのだと言うことだろう。
  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-04-26 10:46 | Trackback(16) | Comments(0)

通巻第241号 「たま」という言葉についてーその26

 自らの非力を省(かえり)みず、残された記録から、失われた縄文語の復原に挑戦してみたい。旺文社の古語辞典に、稗田阿礼の為し遂げた仕事について以下のような説明があった。既に紹介した事であるが、改めて見ていただこう。
...天武天皇の命で「帝紀」や「旧辞」を誦習し、和銅五年、太安万侶はこれによって「古事記」を編んだ。...と説明された。
ここで「帝紀(ていぎ)」と言うのは、中国王朝の歴代の系譜ではなく、大和朝廷の大王(おほきみ)の歴史でもなく、大和朝廷成立以前の、つまり、被征服者側の原住民族の王なり指導者のことを指す。また、「旧辞(くじ)」というのも、大和の事柄でなくて、
そこに謂う「旧辞(古き言葉)」というのは、もちろん原住民の話す「縄文語」を意味する訳(わけ)なのは、今さら説明するまでもないだろう。

 では、その「帝紀=原住民族の王の系譜」について、想定できる縄文語(アイヌ語としても十分通じる⁉)の詮索を開始しよう。これも「旺文社の古語辞典」に依って、考えを進める事にしよう。また、日吉神社の説明文にお世話になる。
...ひえ【日吉】(名)比叡山の東麓、滋賀県大津市の坂本にある日吉神社。大山咋(おほやまくひの)命、大己貴(おほなむちの)神を祭り、...。とある。

 ここに出てくる「大己貴(おほなむち)」という神の名が決定的なヒントになる。この名義は、「大国主」という神名とセットになって、一つのアイヌ語を想起させる。それが「縄文語」を彷彿(ほうふつ)させる事になる訳である。
 そのアイヌ語を示す前に、前段の作業が必要だろう。それは「おほなむち」の意味の解析である。「おほなむち」という名前は
勿論、大和言葉である。既にアイヌ語と日本語の同系論を展開した時に紹介したことだが、それは「大きな・土地を・持った」と分析できるものである。「おほ(大)・な(土地)・むち(持ち)」がこの神格の名義である。
 もう一方の「大国主」は、これは分析するまでもなく、「大きな・国の・主(あるじ)」であり、原住民の王、ないしは指導者を意味している。この二者を見較べて、ある一つのアイヌ語が脳裏に浮かぶのは、恐らく私一人ではないだろう。

 ...「 poro-siri-kor kur 」ないしは「 poro-siri-un kur 」であり、いずれも「大きな・土地を(国を)・持った・お方」という意味であり、或いは、「お方( kur )」は、別の語彙の「方・貴人( nispa ニシパ )」であったのかも知れない。「大国主」の名義の「ぬし」の発音から考えて、「 Poro siri kor nispa 大国主 」は棄てがたい魅力を備えていると思うのだが...。
  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-04-25 10:40 | Trackback | Comments(0)

通巻第240号 「たま」という言葉についてーその25

 前回に、「次回は、いよいよ縄文語の解析だ」と予告編を打った。もちろん、物事はそう簡単には運ばない。これが縄文語だと
断定できる語彙そのものが、未だ発見ないし復原されていないからである。稗田阿礼が語った言葉、その諳(そらん)じた語句は、縄文語だったと私は信じているが、惜(お)しむらくは、阿礼が発音したその音(おん)自体が、文字にされ、残される事がなかったことである。
 「縄文人」は文字を持たなかった。大和びとも元々は文字を知らなかった訳だが、稗田阿礼の時代には、漢字文化の影響下に、大和の支配者層は漢文を操り、万葉仮名などを創りだす過程にあった。そんな中で、大和の支配者たちは、なぜ、被支配者である民衆の言語を記録しようとはしなかったのか。被支配者たる民衆の言語を知ることは、支配する側にとっても極めて有用で必須なものであるのに関わらず。大英帝国は、世界に君臨し各国・各民族を支配するための戦略の根本に、その国、民族の言語・文化の正確な把握、記録の概念を据えた。大英博物館(The British Museum )がエジプト文明を始め世界の文物を収集し体系化しようとしたのは、別に考古学的趣味が高じてそうしたのではない。世界支配に必須の大戦略の一部だと考えたからである。
 
 支配される人々を、その人格を含めて丸ごと掌握する。それが被支配者の反抗を抑え込み、支配の全(まった)きを保証するものであるからである。大航海時代を経て、西洋各国が中南米を始め世界に植民地を広げた。その時、植民地政策の尖兵(せんぺい)となって奮闘したのが、キリスト教各宗派の宣教師たちであった。彼らは植民地の民衆に力ずくで改宗を迫り、従わぬ者を弾圧し、必要があれば皆殺し作戦の実行部隊となった。彼らにとって異教徒は人間ではなかったからである。南米大陸に於ける原住民族の大虐殺は、隠された恥ずべき史実である。
 原住の縄文人に対する大和の支配者の立場は、これと似た立場にあったのであって、自らの支配の正統性を示す意味でも、縄文語や縄文文化を本来は大事にすべきだったのである。
 
 では、なぜ縄文語を記録しようとしなかったのか。その理由は、一つに縄文語を表記することの困難にあったのだと私は考えている。具体的に考えよう。縄文語に近いと見られるアイヌ語でヒントが得られるのではないか。

...魂( ramat =概念形)という語彙を考えよう。カナで表記すれば「ラマッ」となる。現代日本語にはほとんど無い、子音終りの
「閉音節」の語である。未だ片仮名も平仮名も無い時代の事である。例示した語彙を始め、二重母音や撥音、促音など、漢字では表しがたい語彙が縄文語には(現代アイヌ語にも)多かったのである。記録できなかったのである。 (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-04-24 11:30 | Trackback(24) | Comments(0)

通巻第239号 「たま」という言葉についてーその24

 稗田阿礼イコール「 piye ta a-re-i 」なんて、全文アイヌ語じゃないか。何で大和の舎人(とねり)の名前がアイヌ語なんだと
怒りの声が聞こえて来そうである。しかし、その怒りは的が外れているのである。稗田阿礼という人は、大和朝廷の権力の枠内に取り込まれた、原住民系の臣民なのである。あの阿弖流為の前駆(ぜんく)となった、伊治公呰麻呂(いじのきみ・あざまろ)と似た
立場であった。
 ご承知のように、大和朝廷の支配者となった人々は、朝鮮半島から渡来して、先進的な生産力と武力を背景に、原住民に対する支配権を打ち立てた人々の末裔である。極めて少数者であった新しい権力者は、数において圧倒的に勝る被支配層の理解なり協力抜きには、一日とてその権力を維持はできなかったのである。

 大国主命(おおくにぬしの・みこと)の国譲りの噺は有名である。新来の権力者は、自らの支配の正統性・正当性を証明するため自分たちの祖先は、元々の原住民の支配者( = 神 )から、その支配権を平和裡に譲り受けたのであると..。討ち滅ぼした原住民の支配者を神に祭り上げ、原住民の宗教と民俗を取り入れ、新しい国の像を描こうとしたのが「古事記」などのいわゆる「記紀」である。
 太安万侶(おおの・やすまろ)は、稗田阿礼が暗誦し伝承していた、大和朝廷成立以前の、「日本(列島)の」古い政治の動きや、民衆の暮らしの在り方、宗教的観念などを聴き取って、これを大和言葉に記録し直したのである。何を言っているのか分からない方もあろう。分かり易く述べよう。

...稗田阿礼は、伝承をどんな言葉で記憶していたのか、という事である。阿礼が口にしたのは、アイヌ語の前身、『縄文語』であったろう。大和以前の、古くからの日本列島の住人たちの暮らしや宗教、民俗を語るのに、縄文語以外にどんな言語が相応しいだろう。天武天皇が稗田阿礼に暗誦させたと言うのは、語られるべき民俗や古い政治の在り方が、この縄文語で語られていたからであるに他ならない。
 阿礼が縄文語で語り、安万侶が「それは、今の言葉は、大和言葉では何と言うのだ?」などと問答を繰り返し、古事記の原文は出来上がって行ったのではないか。一種の翻訳作業が二人の手で行われたのだ。
 
 教科書などに於ける稗田阿礼と太安万侶の事績の説明の、何と支離滅裂だったことか。ただ、それは以上の背景が理解されれば
その矛盾が何処からきたるのかが、今度はハッキリと分かるだろう。 (次回はいよいよ、縄文語の解析となる。)

by atteruy21 | 2018-04-23 10:27 | Trackback | Comments(0)

通巻第238号 「たま」という言葉についてーその23

 突然に何の関わりも無さそうな「稗田阿礼」などと言う名前が出て、さぞビックリされたろう。しかも、その名前が「脳髄」という言葉や、アイヌ語の「 piye (肉の脂身)」という語に繋がるのだなどという、こじつけにも程がある、無理難題と荒唐無稽を足して二で割ったような、訳(わけ)の分からないことを言い出すに及んでは...。
 しかし、『盗人にも三分の理』の諺(ことわざ)ではないが、どんな主張にも幾らかは聴くに足る理屈は有るもので、騙されたと思って、暫く聞いて頂きたい。稗田阿礼とはどんな人物だったか。旺文社の古語辞典によれば、...

...ひえだのあれ【稗田阿礼】『人名』(生没年未詳)  大和時代の語部(かたりべ)の舎人(とねり)。
天武天皇の命で「帝紀」や「旧辞」を誦習(しょうしゅう=暗誦し記憶する)、和銅五(七一二)年、太安万侶(おおの・やすまろ)はこれによって「古事記」を編んだ。阿礼の性別については男女二説がある。...とある。

 皆さんも学校で習ったことがあるだろう。何となく「へえ、そんなもんか」と。だが、この説明は何か変なのである。論理的におかしいのである。原因と結果が逆転したり、ものの成立の順序が理屈にう合わないのである。何処が可笑しいか。
...稗田阿礼が暗誦していた日本の古い時代の事柄や、天皇家の故事来歴を、太安万侶が阿礼から聞き取って文字に書き下ろしたというのが、本来の説明文となる筈である。ところが、この辞典の説明では、学校の教科書もほぼ同様の文脈で記述されていたと思うが、天武天皇が稗田阿礼に故事来歴を記憶させたことになっているのである。阿礼は、いったい誰から聞いて、或いは、何を読んで故事を記憶したと言うのだろうか。

 阿礼に記憶させるべき事柄を知る人や、書かれた書物が有るのなら、何もわざわざ改めて稗田阿礼に誦習させる必要もないし、さらに、それを二重に手間をかけて文字化し、記録する必要もないのである。
 それはともかく、「ひえだの・あれ」という名の、音(おん)の秘密を追究する本道に立ち戻ろう。

 『稗田阿礼(ひえだ・の・あれ)』という名は、個人に付けられた名前ではなく、いわば職名、官名だろうと私は考えている。
 稗田阿礼というのは、天皇家や日本の政治の、或いは日本の宗教や伝統の歴史を後代に伝承する役割を担った、語り部の集団の長に付けられた一種の官職名であったのではないだろうか。現代風に訳せば、『歴史記録官』とでもなろうか。
 ... 『 piye ta ( i- )are-i 頭脳・に・(それを)定着・させる・者 』、これがその名の語の構成である。 (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-04-22 13:46 | Trackback | Comments(0)

通巻第237号 「たま」という言葉についてーその22
 「日吉神社」という有名な社(やしろ)がある。「日吉」と書き、これで「ひよし」ではなく「ひえ」と読む。
 一般に「ひえ・じんじゃ」というと、日本には全国的規模で相当の数の「日枝神社」が有るのだが、神道の知識が乏(とぼ)しい私には、ここで言う「日吉神社」との異同は分からない。取り敢えずは、先ずは「日吉神社」がどんな神社なのか、辞典で見てみよう。よくお世話になる「旺文社・古語辞典[改訂新版]を見てみると...。
...ひえ【日吉】(名)比叡山の東麓、滋賀県大津市坂本にある日吉神社。大山咋命(おほやまくひのみこと)・大己貴(おほなむちの)神をまつり、古来、山王権現また山王二十一社と称し、比叡山の鎮守として、朝廷の尊崇も厚かった。院政時代、延暦寺の法師は、しばしば、この社の御輿(みこし)をかつぎ出して朝廷に強訴(ごうそ)した。...とある。

 この辞典の解説文自体にも、更なる解説が幾つも必要になり際限(きり)がないのだが、その中でも、最低限、次の二つの言葉の解説だけはして置かなければなるまい。日吉(ひえ)神社の祭神の、「大山咋(おお・やま・くい)の命(みこと)」というのは、どのような神なのか。「咋(くい)」などと言う見馴れぬ字が使われているから、それだけで後光が差してしまって分かりにくくなっているが、「咋(くい)」はイコール「食(くい)」であって、『大山咋命』と言うのは『山の神(熊)』を表しているのである。ただ、
ここで登場する熊というのは、人間に自らの肉という、貴重で美味な賜物(たまもの)をもたらす神であり、極言すれば、その賜物自体(至上の旨いもの)を表しているのだということに十分な注意を払わねばならないという事である。
 解説の二点目は、日吉神社の権威・聖性の高さが何処から由来するか、という問題である。旺文社版古語辞典の解説によれば、
...「古来、...中略...比叡山の鎮守として、朝廷の尊崇も厚かった。」...とある。何故、大いなる宗教的権威を一身に体現する
比叡山(延暦寺のこと)それ自体を、一神社が庇護・鎮守し得たのか。歴史の中で仏教と神道がその権威がどちらが上かで争うことは稀でなく、廃仏毀釈だ神仏習合だと大騒ぎになったことは知られている。また、この解説の後段で「延暦寺の法師は、この社の
御輿を担ぎ出して朝廷に強訴した」とあるように、延暦寺の法師自身が「ひえ・じんじゃ」の聖性・権威を認めていたことが述べられている。

 この、仏法の大権威を遥かに凌(しの)ぐような、「聖性」とでも呼ぶべき何者かが、何らかの観念が「ひえ」という音(おん)に秘められていると、私は考えているのである。
 日吉神社の話を一旦終えて、「ひえ」の発音そのものについて考察を続けよう。『ひえ』という音はまた、『至上のもの』、『美味なるもの』という概念と結び付き、アイヌ語の「ノ・イペ」と同様に『脳髄』という意味を持つ。大和言葉の『ひえ』が、脳髄或いは意識の鎮座する処を表すことを示す一例が、人名『稗田阿礼(ひえだの・あれ)」である。 (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-04-21 12:23 | Trackback | Comments(0)