人気ブログランキング |

<   2018年 06月 ( 30 )   > この月の画像一覧

通巻第304号 「たま」という言葉についてーその89

 「たま」という言葉についての考察も、長い旅の終わりを迎えようとしている。「旅の終わり」に相応しい検証行為は、前にも取り上げた松居友氏の「沖縄の宇宙像」で締め括ろう。
...死んだものは食べなければ神の国に旅立てないという考えは、人間と動物の違いはあるものの池間島でユタが、「ダビワーをして、みんなで食べ(てやら)ないと、死んだ人が神にならない」という考えに結び付く。...中略...
...愛するがゆえに食べるという習慣は、世の東西を問わず人類にはかなり普遍的な風習であった。人は、生きるためには食べなければならない。食べるためには殺さなければならない。殺すものと殺されるものの関係は、この世に残るものと神の国に旅立つものの関係であった。それは宗教的な関係でもある。...中略...

...わたしが体験したダビワーも、送る人々の死者への想いが深かったことと相俟って感動的であった。死に行くものにとって、自分自身を最後まで惜しみなく与えることは深い愛情であるが、この世に残されるものにとっても、それは深い愛情なのだ。
 親は子が溺れそうになったとき、自分の命を省みずに子どもを救おうとする。自分自身を惜しみなく与えることこそ愛であり、自らの生命を与えることは最高の愛の表現であろう。人は自分のすべてを与えることによって、愛を全(まっとう)し神になる。
ダビワーは、進んで生命を差し出すものではないが、この世の最後において子孫にすべてを与えることによってあの世に旅立つ点では、すぐれた愛の表現であると言える。...以下、省略。

 沖縄の池間島の風習『ダビワー』という事実と言葉を聞いたとき、大きな衝撃を受けた。本当にこんなことが有ったのかと。
 この風習は沖縄全体に残るものでないことから、あまり人に知られたポピュラーなものではない。そのため、一部には、この『ダビワー』という言葉を、仏教用語である「荼毘(だび = 火葬」に由来するものとする向きも有るが、遺体を食べるという事と火葬とがイコールで結び付くとは、如何にも考えにくいだろう。『ダビワー』はやはり、素直にその語源を「(遺骸を)食べる」・「戴く」という観念に求めるべきであり、或いは、死者を神の国へ旅立たせるという観念から、「旅立たせる」の語義も併せ持つものなのかも知れない。

 「たま」という言葉について、という課題もこの回で一応の終了としたい。次回以降、沖縄方言を含む日本語とアイヌ語の中に共通して存在する観念の探索の旅に出たいと思っている。それはまた、去(い)にし縄文語を求めての、こころの故郷への冒険の旅でもあるに違いない。  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-06-30 13:04 | Trackback | Comments(0)

通巻第303号 「たま」という言葉についてーその88

 「食(た)ぶ」という言葉は、文献上は用例が無いと前回に述べた。実は、これは辞典に載っているからと無条件に信じてしまうことの危険を避けるための、敢えてした警告である。実は、古語辞典の「たぶ(賜ぶ・給ぶ)」という項の隣に「食(た)ぶ」という項目が並んでいるのである。ただ、同じ「食ぶ」という漢字を当てる項目に、「たぶ」の他に「たうぶ」と読む別の読み方が有るのである。「たうぶ」の方は、「たう・ぶ」と読み方の分析がなされた上、実際の発音(読み方)も「トウブ」と読むのだと説明が付いている。実は、こちらの方が「食ぶ」の古い読み方、発音の仕方だったのだと私は考えている。

...何故そういうことが言えるのか。それは、「トウブ(=たうぶ)」の方が関連する語彙との整合性が高いからである。この事は、あとで述べるとして、まず「食(た)ぶ」と「食(たう)ぶ」の辞典での説明の違いを見てみよう。
...たぶ 【食ぶ】(他バ下二)「食ふ」「飲む」の謙譲語。また、丁寧語。(飲食物を)いただく。
...たうぶ 【食ぶ】(他バ下二) ①「飲む」「食ふ」の謙譲語。いただく。 ②飲む。食べる。...とある。
 見て直ぐに違いが分からない方もいらっしゃるかも知れない。「たぶ」の方は、「食う」の丁寧語、謙譲語なのだ。もう一方の
「たうぶ=とうぶ」の方は、「食べる(有り難く頂く)」の語感がきちんと押さえられている。辞典の編纂者にも若干の混乱が見受けられ残念なことだが、捉え方の根本は誤っていない。「食う」は、どう転んでも有り難く頂くという観念には結び付かないのである。

...「たうぶ=とうぶ」という音が、「食ぶ」という言葉の本来、元々の読み方だと私が主張するのは、それが別の意味の発展形を示す「尊ぶ(とうとぶ・たっとぶ)」の語彙に繋がるからである。『あな、尊(たふと)』は、神仏を崇める感謝と畏れの言葉だが、前に私が、釈迦の慈悲に報じようと燃える火に身を投じた憐れで殊勝な兎の話をした、その時の兎に対する思わず頭が下がり手を合わせたくなるような「有り難い」という心情を、この尊しという語は含んでいるのである。

 ...『たぶ』は、古く「たぷ・たぷ」という重ね言葉、「有り難く有り難く頂く」から出発し、たったぶ(taptap →tattap )に変化し、更に「尊(たっと)ぶ」(= tattobu )まで変化したものではないかと考えている。原意は、命を有り難く頂くであり、その身を捨てて肉体を与えてくれる存在に対する心からする感謝と祈りである。食(た)ぶという言葉は、その前段に「たうぶ」の語が立ち、「たうぶ」は音便(おんびん)形で、その前身は恐らく「たぷぷ」であったろう。さらに、その「たぷぷ」は、「たぷたぷ」という重ね言葉だったと私は主張しているのである。  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-06-29 13:14 | Trackback(15) | Comments(0)

通巻第302号 「たま」という言葉についてーその87

 「たま」と「ため」という語の異同と相互の関係について、ご理解は頂けただろうか。この語を「犠牲にする・犠牲になる」という意味で用いるのであれ、「目的のため役立つ・目的に役立てる」との文脈で使うのであれ、双方ともその原意・中核的語意は或る高い価値を持つもののため、価値の低いものが己(おのれ)を捨てる、否定するという点に有るのだということに十分な注意が払われなければならない。

 さて、「たま」という言葉についての考察も、そろそろ終章を迎える頃合いである。動詞と名詞の関係など文法問題に着目した考察に加え、ここで併せて、語形の変化、語の発音の変化についても一応の目配りをしておかないと、この語の精確な理解のためには不十分であろう。「たま」という音を含んだ大和言葉、例えば「賜(たま)ふ」にしても「給(たま)ふ」にしても、別の発音の言葉がそれぞれ同時に併存したのである。古語辞典で、それを確認して頂こう。
...たぶ【賜ぶ・給ぶ】(補動バ四段) (動詞の連用形の下に付いて)尊敬の気持ちを表す。 お...になる。...てくださる。
 (例文)《竹取物語》 「もし金給はぬものならば、かの衣の質(しち)返し給べ」 訳文 もし(残りの)代金をくださらないものならば、あの預けておいた衣(皮衣)を お・返し・ください。

 マ行音とバ行音は、よく転換することが知られている。 m 音の b 音への変化である。それは相互に転換しうる。つまり、逆の方向へも変化するのである。図示をすれば b ↔ m となろうか。語形と発音の若干の差異は、理由なしに生まれるものではない。それは、意味合いの微妙な違いや文法上の役割の違いをもたらすために自ずから生じるものなのである。言葉は人間が作るものであるに関わらず、自然界の生き物のように自ら変化し成長するという不思議な側面を持っている。それが、言語というものの持つエネルギーであり、ダイナミズムなのである。

...賜ふという言葉が「たぶ」とも読む、そういう発音も有ると言うことになると、一つの疑問がまた解き明かされる。「賜ふ・給ふ」が最も古い意味に於いては、「命を頂く・遺された肉体を食する」を意味したのは今までさんざんに述べてきた所である。
「喰らう」という荒々しいものでなく、「用意された与えられた食物を有り難く頂く」という穏やかな語彙が、現代日本語では「食べる」であり、大和言葉で言えば「食(た)ぶ」と言ったと想定できる訳である。事実としては文献上は「食ぶ」という用例を見ない。恐らくは、初期の大和言葉や「縄文語」にはこの形の語彙が、そういう発音が為されていたと私は考えている。
  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-06-28 12:15 | Trackback | Comments(0)

通巻第301号 「たま」という言葉についてーその86
 「たま」という言葉についてと言いながら、理由の説明もなしに、いきなり「ため」という言葉を中心とした論の進め方に切り替わっている。そこに不信感を持った方がいらっしゃるかも知れない。確かに、論を進めることに焦り丁寧な説明を省いてきたと批判されても仕方がない、そんな強引な進め方が有ったと思う。このあたりで、「たま」と「ため」という両語の関係をきちんと説明して置かないと、これ以上の論理の展開に無理をきたし、話が噛み合わなくなって、論が空回りしてしまうかも知れない。

...「たま」は動詞であり、「ため」の方は、その動詞の語尾に名詞化辞「 i 」を付けてできた名詞である。理解を早めるため、アルファベット表記を用いて説明する。また、説明の便宜上、幾つか有る「たま」の語義のうち、「犠牲になる・犠牲にする」を代表として説明することとしたい。

 「 tama (犠牲にする)・ i (こと・もの) 」がこの語彙の、「ため( tame )」の分析結果である。「 tama-i タマ・イ 」という語が、何故「 tame (タメ) 」に変わってしまうのか。時間の関係で詳細な説明はできないが、言語の音韻変化の法則では、二重母音の「あ・い」や「あ・え」が「え ae 」に変わるのは、ごく普通なことなのである。現代語でも、まだ方言にはこうした変化が数多く残っている。例えば、『どこさ、いぐだ ? 』『ゆさ。』『そうけ ! 』などである。標準語で翻訳すれば、...
...『何処へ行くんだい ? 』『風呂へ(行くんだ)』『そうかい !? 』となろうか。「かい」ないしは「かえ」が、見事に「け」に変化している。ところで、この「かい・かえ」が登場したので、また横道にそれるが、同じ意味のアイヌ語の疑問詞「 he ? 」について一つの文をお目にかけたい。萱野茂氏の著書「アイヌの碑(いしぶみ)」に出てくる氏の祖母の言葉である。

...sisam kar-pe cep ne wa he , ku poho uk wa kamuy eparoyki,koeturenno poho utar ere-p
 和人が作ったもの魚であるとてか、我が子が捕って 神に 供えて、併せて その子らに 食べさせたものを
  a-kopak      hawe ta an ? wen sisam utar uk hi anak , somoapak hawe ta an !
 それで咎められるという話なのか。  悪い和人が 獲った時には  罰せられないと言うのに ! ...
《萱野茂訳文》
 和人が作った物 鮭であるまいし 私の息子がそれを獲って神々に食べさせ、それと合わせて子供たちに食べさせたのに
それによって罰を与えられるとは何事だ。悪い和人が獲った分には罰(ばち)が当たらないとは。全く不可解な話だ。
...川で魚を獲るというアイヌ固有の権利を奪われ、その禁令違反を理由に息子を逮捕された老いた母親が、涙とともに抗議した言葉である。「たま・ため」とは離れてしまったが、無駄な回り道だとは思わないで頂きたい。 (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-06-27 12:21 | Trackback | Comments(0)

通巻第300号 「たま」という言葉についてーその85

 ヤクザ者の世界では、「鉄砲玉」という言葉の「玉(たま)」という語彙は、丸い弾丸の意味よりも、使い捨ての「道具」という意味で用いられていたのだ。反社会集団である「ヤクザ」の世界に限らず、「たま」という言葉は、世間(せけん)一般に何らかの目的や高い価値のある事柄の実現するための道具、或いは犠牲という意味で用いられた。高い価値の実現の為に低い価値の存在を無きものにするというのが、この言葉の原意である。「目的(たま)」、「犠牲(たま)」という用法もあり得た訳である。
 考えてみれば、目的の実現の「ため」に、何かを犠牲にすると言った表現自体が、より高い価値のための低いものの否定を意味しているではないか。

...もう少し、「たま」という言葉が「道具」ないし「犠牲」を意味するということの傍証(ぼうしょう)を示そう。
「試し斬り(ためしぎり)」という実際に有った江戸時代の法制度や犯罪の例が参考になるだろう。江戸の法制度の一つに、斬首の刑に処せられた罪人(とがにん)の死体を使って、幕府の役人や大身(たいしん=身分の高い)の旗本たちが新刀の切れ味を試す仕来たりが有った。戦国の気風を忘れ軟弱になった武士を鍛えるという「目的(ため)」で正当化された恥ずべき仕来たりである。こうした風潮はまた、月の無い闇夜に、旗本の馬鹿伜(せがれ)たちが、寂しいところを通りかかった町人に斬りかかって殺す等という犯罪行為の温床にもなった。武士の気風を保つために町人の命の一つや二つ、無くなったところで何程のことが有ろうか、それが馬鹿者たちの言い分であった。

...戦国の気風を失わぬため、その為には町人の命は犠牲にされて当然のことであった。馬鹿伜たちの闇夜の試し斬りは、流石に非合法とはされたが、その辻斬り(つじぎり)という犯罪行為は、幕末まで絶えることは無かったという。

 「試し斬り」の中の「試(ため)す」という語は、現代日本人の感覚では英語の「 try 試(こころ)みる 」と同義に意識されがちなのだが、元々の原意は切れ味を調べ確かめるという意味ではなく、「武士の気風を失わない」という崇高な目的、価値の実現のための、やむを得ぬ命の犠牲だという価値観に立つものなのである。だから、「ためしぎり」という大和言葉により正確な漢字を当てるとすると、「試し斬り」という字よりも「犠牲(ため)し斬り」とする方が適しているのである。
 高い身分の者の「ため」に、低い身分の者は、仕え、犠牲になるのが定めなのだ。それが、江戸時代を通じての権力者、武家の変わらぬ本音であった。
  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-06-26 11:24 | Trackback | Comments(0)

通巻第299号 「たま」という言葉についてーその84

 「たま」という言葉について、普通、我々は漢字で何種類もの字を当てて、色々な意味を表すものとして用いる。例えば魂とか霊、玉や弾、そして長く探求してきた賜ないし給など数え上げれば切りがない。誤解を避けるため敢えて説明すると、大和言葉が中国語の様々な意味合いを全て網羅する超越的語彙である訳ではなく、また、意味の限定をなし得ない、無節操でふしだらな語彙だという訳でもないのである。大和言葉は、もちろん異民族である中国人の使う中国語とは異質の言語であり、その意味する所がピタリと範囲が一致することの方が寧ろ珍しいのである。日中両言語の意味の重なりあう部分が、少しづつズレながら大和言葉の意味の一断片を幾つかの漢字(漢語)が受け持って表しているのである。前置きはこれくらいにして、この「たま」の語義の詮索に
掛かろう。

 ...「たま」の語義の先ず第一の着目点として、辞典の同項目⑤の「丸い形をしたものの総称」の意味を挙げた。ちょうど良い分かりやすい説明の順序になると思うので、一つ前の④の意味の検討から入って見よう。それ(丸い形のもの)が、どのように⑤の「計略などの手段に使うもの」に重なって行くのか。手品ではないが、誤魔化されないように眼を見開いてお読みいただきたい。
 鉄砲玉という言葉がある。鉄砲の弾丸のことである。しかし、「たま」という大和言葉の熟語的意味合いには深いものが有って
例えばヤクザものの映画で、子分を指して「野郎は、鉄砲玉にでも遣うしか有りませんぜ!」などと言えば、対立抗争する相手の組の親分などを暗殺しに行かせることを意味する。鉄砲玉というのは、一度撃てば帰って来ないので、敵の親分を殺せば相手からその子分は殺されて、帰っては来られない、使い捨ての「道具」だという意味である。
 この用例の場合、鉄砲玉の玉(たま)は、丸いものという意味よりも使い捨ての道具という意味に力点、焦点が置かれているのである。また、「たま」は、必ずしも丸いものを意味するとは限らない。例えば、関東地方では、ホチキスの「針」という言い方が一般的なのだが、西日本では同じものをホチキスの「たま」を入れると表現するという。関東地方では形状に着眼し、西日本では用法に注目している訳である。西日本の「たま」は、「撃ち込むもの」ないし「(何かの目的のために)行って、働かせるもの」という意味で使われた語で、丸いものを意味してはいないことは明白だろう。

 「たま」は、何かの目的の為に使うもの、時によってはその目的のために犠牲にするものを意味する。この語義が、「たま」という言葉に新たな地平を切り開くのである。思えば、阿弖流為の時代の民(たみ)という特別な言葉に、「(異民族の人々の)脇腹に突き付けた刃」と奇想天外な訳語を付した訳だが、それが「命をかけて朝廷のために働く、道具として役に立つものども」を意味したのだということが、こうした別の視点からの考察からも証明されるということである。  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-06-25 12:07 | Trackback | Comments(0)

通巻第298号 「たま」という言葉についてーその83
 アイヌ語の「 tam = 刀剣 」という言葉は、アイヌ語に固有の言葉なのだろうか。つまり元々からアイヌ語に有った語彙なのだろうか。普通、金属を精錬する技術を持たなかったアイヌ民族は、金属でできた刀剣を知らず、従って、それを表す固有の語彙を自ら産み出したとは考えにくい。だから従来、「 tam 」という言葉は、外国語の借用をしたものだろうと考えられてきた。
 しかし、もし借用語だとするならば、何語に由来するものなのか。一般的には、地理的に隣接し、人的・物的交流も盛んだった日本語(大和言葉)から借用したと考えるのが、最も自然で無理の無いところで、歴史学者や言語学者も、何ら疑問を感ずることも無くそれを言うまでもない真理として扱って来たのである。
 ところが、その肝心な貸し主の方に、他人に貸し付けることのできる、「 tam 」かそれに近い発音で、「刀剣」とか「鋭い」という意味を表す語彙が無いのである。無い物を貸すことは難しい訳で、結局、別の貸し主を探すか、元々アイヌ語に「 tam 」という言葉は有ったのだとする他はない。私は外国語に、例えば中国語や朝鮮半島の言語、或いは東北アジアの少数民族の言語に tam の語源を求めるのは意味がないと考えている。アイヌがそれらの言語を日常生活の中で受け入れる必然性が、謂れがないからである。
 私は、日本列島の先住民の言語の「縄文語」に、タムに近い発音を持ち、「切れ味の良い」とか「不思議な力を持った」などの意味を表す未知の語彙が有ったと推定している。私の見るところによれば、その縄文語は、後の大和言葉や沖縄方言(琉球語)に、そしてアイヌ語に引き継がれ、歴史の流れの中に消えていったのではあるが、その俤(おもかげ=面影)は、アイヌ語に最も色濃く残されているのだと。

...アイヌ語にだけ、「 tam 」という言葉は残った。言葉の全体的意味は失い、一部の「刀剣」という意味に特化されて...。
 大和言葉や琉球語には、 tam は別の語彙として残った。「それじゃ、結局は tam と関係ないじゃないか」とは言わないで頂きたい。語彙として消滅したというのではなく、『縄文語の tam 』に関連のある、別の語彙として残ったのである。その、関連のある別の語彙とは、いったいどんな言葉か。その、別の語彙となった大和言葉(日本語)の分析と比較によって、消滅してしまった縄文語の在りし日の雄姿(ゆうし=凛々しい姿)を復元、再構成してみようという訳である。

 キーワードは、また「たま」という言葉である。 (旺文社版)古語辞典〈改訂新版〉で「たま」を引いてみると、...
たま 【玉・珠】(名)①美しい石。宝石。 ②貝類。特に、真珠。 ③美しいものや優れたものの形容。 ④丸い形をしたものの総称。 ⑤計略などの手段に使うもの。 ⑥美女。転じて、芸者。...などなど。このうち、私は先ず、⑤の「計略などの手段に使うもの」の用法に注目したい。これが大きく意味を拡げて来るのである。  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-06-24 15:27 | Trackback | Comments(0)

通巻第297号 「たま」という言葉についてーその82

 「尖(とが)った= een 」という語以外に、少し意味合いのずれた、「切れ味の鋭い」という感覚に力点を置いた古いアイヌ語は無かっただろうかと、前回述べた。だが、こういう問題を設定すること自体が、既に精神の自縄自縛の様相を呈していると、直ぐに反省をした。実は、「 tam 」というアイヌ語そのものが、それ自体で「切れ味のよい」という意味合いを最初から持っていたのだと、なぜ思い至らなかったのか。アイヌの歴史に深い洞察力をもつ眼光鋭き研究者・新谷行(しんや・ぎょう)氏が、ただ一度だけ歴史を見抜く眼力を失い、「シャクシャインの敗北」へのありきたりの誤った視点を免れなかった話は、まだ記憶にとどめている方もいらっしゃるだろう。天才の眼を曇らせ、過ちに導いた原因・躓きの石となったのは、として私が持ち出したのは、例の「鉄砲の威力への信仰」であると。

 ...その躓(つまず)きの石に、私も実は躓いていたのである。アイヌ民族は鋭い切れ味の刀剣を自ら造り出すことはなかったのだから、刀剣やら鋭い切れ味に関する語彙を自前で持っているとは考えにくいと。だから、「 tam 」は、大和言葉から借用した採り入れた語彙に違いないと。

...しかし、よく考えて見ると、その切れ味鋭い刀剣を自ら鍛造(たんぞう)する大和民族の言葉そのもの自体に、「 tam 」という音(おん)に繋がり、且つ、「刀剣」や「鋭い」を表す語彙が見当たらないではないか。してみると、このアイヌ語「 tam 」なる語彙は、いったい何処から現れたのか。何に由来する言葉なのか。言葉を借用するにしても、その貸し主が大和言葉でないとするなら、どの国の如何なる民族の言葉からなのか。
 外国語にその貸し主を探し求める必要はないと私は思っている。大和とアイヌと、そして沖縄と、共通の祖先である(と、私は思っているのだが...)縄文語に、tam に連なる、「不思議な力のある~」を意味する言葉が有ったのだと私は考えている。

...とは言え、縄文語は、実際にその語彙を我々の眼の前にハッキリと示してくれる訳ではない。三つの言語ないし方言に、その古形に、姿、いや、その俤(おもかげ)をチラリと垣間見せてくれるのを、逃さずに捕まえてやらなくてはいけないのだ。

 アイヌ語や沖縄方言(琉球語とする人もある)については、古形はおろか現代語でさえ怪しい私の力量では、遣い慣れた(?)日本語で勝負するしかない。幸い、古語辞典も二冊も持っている。次回以降、「 tam 」に繋がる大和言葉の探究の探検旅行に旅立ちたい。『乞う、ご期待‼』なのである。  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-06-23 16:23 | Trackback | Comments(0)

通巻第296号 「たま」という言葉についてーその81
 「たま」という言葉の追究から離れ、戦国のモラルの話に夢中で、少し肩に力が入り過ぎてしまった。本題に戻ろう。
「たま」という言葉は、「賜(たま)ふ」にしても「給(たま)す」にしても、「命のやりとり」に関する行為が、古い時代の語意の中核を成す概念であった。「命のやりとり」などと言うと、ヤクザの出入りみたいで如何にも物騒な話に聞こえるが、戦国武将の戦場での荒々しい命のやりとりや、ヤクザの血みどろの殺し合いとは全く無縁の、穏やかな関係に立つ命の交換を意味したことは憶えておられるだろう。

 その際注意して置かねばならないのは、この「たま」という言葉の両義性、双方向性の特質である。
「賜ふ」という言葉は、「(自分の)命を(相手に)与える」を意味し、もう一方の「給す」の方は、「(相手から)命を頂く」という意味や「(頂いた)命を(みんなで)分け合う」という二つの意味を持ち、一語にして、双方から見た見解を同時に矛盾無く充足するという、世界の言語を見回しても類例を見ない特異な語彙なのである。

 「たま」という言葉を、ただ「命を与える」だの「命を頂く」だのと、綺麗事の抽象論の世界で終えてしまうと、古代日本列島人の真意には、到底のこと到達できない。「たま」と言うのは、血の臭いのする、生々しいエネルギーを秘めた語彙なのだ。
それは死んだ人の肉体を有り難く頂くことであり、遺体を解体して綺麗に分け合い、煮炊きすることまでを表していたのである。
 それが日本各地に残る貝塚という名の遺跡の雄弁に語るところであり、神話において、食糧を司る女神が、殺されてその遺体の各部位から粟が生(お)え、稗が生え...などと語られる、その思考・発想を産むことになるのである。

 「たま」という言葉で、注目すべき第二の点は、命を分ける為に用いる鋭い刃(やいば=剣)という観念に結び付く新たな意味を獲得したことである。その新しい語彙は、アイヌ語にも入り「 tam =剣 」という語彙となった。そう考えられている。金属製の刀剣を自ら造ることの無かったアイヌ民族に、刀剣を意味する自前の、オリジナルの語彙は存在しないというのは、ある意味では
論理にかなった考え方である。だが、一つの可能性として、「鋭い刃物」を表すものとして「 tam 」という語彙がアイヌ語にも昔から有ったと言えないのだろうか。そういう考えが頭から離れないのだ。「金属の」意味に拘(こだわ)らず、「鋭い」の意味に重点を置いた古いアイヌ語は無かったのか。

 「鋭い」と言えば、アイヌ語では「een 尖った」などが先ず思い浮かぶが、切れ味の鋭いとは意味が少しずれる。...。
  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-06-22 13:15 | Trackback | Comments(0)

通巻第295号 「たま」という言葉についてーその80

 将門の率いた無敵の軍団も、実は農民を主体とした寄せ集め集団でしかなかった。その戦力は、季節により異なっていたというのも、信じがたいことだが、当時の戦争では敵も味方も似たような状況にあったのである。こうした軍隊の在りようは、後の戦国時代まで続くのであって、あの有名な武田軍団も例外ではない。川中島を廻っては何度も上杉謙信と戦って、なかなか決着がつかなかったというのも、両軍の実力が伯仲(はくちゅう=よく似ていて優劣の無いこと)していたことにもよるが、季節によっては、戦の途中でも兵を引かなければならない事情が、双方に有ったのである。

 農民が主体でなく、どんな時でも季節にも影響されず闘える軍団、専門の戦闘集団・常備軍を持ったのは、革命児・織田信長が初めての武将であった。信長は農耕に従事する義務を免除し、日頃から戦闘技術の鍛練だけに専念して、武技を以て主君に仕える二千人の武闘集団を育成したと言われている。有名な桶狭間の戦いで、降りしきる豪雨の中を、大将首を取ることだけを目指して殺到する八百の騎馬軍団に、さしもの剛毅な性格で東海の雄と謳われた名将・今川義元も敵ではあり得なかったのである。
...私の少年だった頃、今川義元というのは、貴族趣味で、肥満して馬にも乗れない無能な大将という、最悪・最低の人物として描かれていた。この人物像で正しいのは、今川義元が太っていた(大兵肥満=大柄で太っていること)ということだけで、義元も、領国経営の才に長(た)け、武術にも秀でた名将の誉れを承けていた人物だったのである。「馬にも乗れないデブおやじ」の印象が強いのは、このとき義元が輿(こし)に乗っていたことによるのだが、それは肥って馬に乗れなかったからでなく、上洛を目指す、天下を臨むに相応しい格式を以ての、当時の当たり前の姿だったのである。
 義元の最期(さいご)も、群がる雑兵(ぞうひょう)の数をものともせず、自ら太刀を執っての堂々たる奮戦ぶりであったという。
その後天下を取った信長や秀吉、家康などが自身の権威付けのために意図的に義元を無能人間に祭り上げてしまったのだが、その口ぶりとは裏腹に、義元の佩刀(はいとう=帯びた刀)は誰もが欲しがったという。

 ...捕虜を出さず、敗残兵の皆殺しもしなかったのは、敵も味方もその事によって双方の生産力、労働力の温存を図らねばならないという、専(もっぱ)ら経済的要因から出たものだった訳である。その為にこそ、面縛やら白装束の切腹も行われた訳である。
 惨(むご)たらしい戦場にも、人道が存する。それは人間の感情に基づくものではあるが、その根底に横たわるのは、乾いた経済合理主義であるということに、ご同意頂けるだろうか。

  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-06-21 11:25 | Trackback | Comments(0)