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生産活動に見る縄文と弥生ー13 (通巻第364号)

 名詞の所属形(人称形)を作るときに、長形と言うのが有って、一定の決まりに従って選ばれた母音を、その名詞の語尾に付けた上で、さらに「 he 」という音(おん)を付加すると前回に述べた。気が付かれた方も多かったと思うが、矛盾したことを言っていたのである。「 he 」を付けるのだと言っている側(そば)から、例に挙げた言葉に「 -hi 」が付けられているのである。
...「 op-nici(-hi) 槍・それの柄 」がその例に挙げた語句である。
 実は、前回の説明は正確ではない。長形を作るには、名詞の語尾に一定の基準で決まる母音を付けて、さらに、その母音の後に「 h + 母音 」を付加すると言うのが正しい説明なのである。何故、そんな不正確な、いや誤った説明を持ち出したのか。実はこれには深い訳(わけ)が有っての事だったのである。幾つかの名詞で所属(人称)形の変化の様子を垣間(かいま)見てみよう。

... sapa (頭)....sapa(-ha) (それの頭) ; kera (味)........kera(-ha) (それの味)   ← ha が付く例
  casi (砦)....casi(-hi) (それの砦) ; kenasi (木原)....kenasi(-hi)(それの木原)  ← hi が付く例
  etu (鼻)....etu(-hu)  (それの鼻)  ; poru (岩窟)......poru (-hu ) (それの岩窟) ← hu が付く例
  cise (家)....cise(-he)  (それの家) ; pe (水)......... pe(-he ) (それの水)  ← he が付く例
ko (粉)......ko(-ho)  (それの粉) ; so (滝)......... so(-ho)  (それの滝)  ← ho が付く例
 ご覧のように名詞の語尾の母音に呼応してハ、ヒ、フ、ヘ、ホと変化するのである。

...何故、このように華麗多彩に変化するのを「 he 」が付くとだけ言ったのか。それは、この長形の基本、古い形が「 he 」であったと私が考えているからである。これは、大和言葉にも通じる言葉の音(おん)の秘密が絡む問題なのだが、次回以降を含めて詳しく述べて行きたい。

 「へ」という音は、アイヌ語の「 pe 」にも通じ、大和言葉の「辺(へ)」や「部(べ)」に繋がる不思議な音(おん)であり、言葉である。それは共に「取るに足らぬつまらぬ者」を意味する。「部民(べのたみ・べみん)」は、天皇に私的に隷属する、自決権を持たぬ民であり、「大王(おほきみ)の 辺(へ)にこそ 死なめ...」と吟われた兵士の気持ちは、天皇の側で死ねるのなら、この取るに足らぬつまらぬ我が身の軽き命など、どのように苦しい死を迎えようと、何ほどのことがあるか、という誇りとは縁もない悲しいものであった。「へ、べ、 pe 」の語は、独立した立場を持たず、何者かに従属して、従うのみの者を表す言葉であったと私は見ているのである。それが所属形の概念と繋がっているのだ。  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-08-31 16:00 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー12 (通巻第363号)
 「citatap-i 」を果たして「我らが・刻む・もの」と解釈して良いのかという問題で、いま暫(しばら)く語の構成の掘り下げと検討を続けよう。中川氏などが言うように、「 citatap-i 」の「 -i 」が所属形であるのだとすれば、そもそも「~するもの」を表す「 -p 」ないし「 -pe 」に所属形が有るのかということが先ず問題になる。中川氏は「 -p 」「 -pe 」を形式名詞という範疇で捉えておられるのだが、その形式名詞の「 p 」や「 pe 」に所属形が有って、それが「 pi 」なのだ、ということになる訳である。中川辞典の「 pe 」の項目の説明文の中に例文があり、そこではこう述べられている。
...keraan pe ne noyne e=ramu ? おいしいものだと思いますか?...と。この文でも「 keraan-pi 」という表現が可能なのだろうか。
 中川氏に限らず、多くのアイヌ語の研究者は概念形と所属形の対立の考え方に立っておられるようだ。ただ、この問題の発端となった考え方の基本は、アイヌ語学の大天才・知里真志保(ちり・ましほ)博士の見解に負う所が大きいのだが、その知里氏は、「所属形」と「概念形」いう分類の考え方を採らず、一般的な「名詞の人称に伴う語形の変化」の範疇で概念形との違いを説明し「人称形」という言葉を用い、対立する概念で捉えるのでなくて、局面による語の姿の変化の位相なのだと説明している。それはこの問題を捉える角度・視点が異なるのだということである。

...「所属形」の考え方に立つのであれ、「人称形」と捉えるのであれ、アイヌ語の名詞に於いては、概念形というものが有り、その概念形が、局面に応じて語の形に変化を起こす、という点では見解の対立は無い。要は、概念形から変化する形の存在意義、
役割が何かという問題である。何故、所属形だの人称形が必要なのか。
 その変化形は、概念形の語尾に、一定の基準に従って選ばれる母音が付き、さらにその母音に「 he 」という強調音が付属することもある。この「 -he 」の付いた形を「長形」というのだが、主(おも)に、語の意味を強める役割を果たすものと考えられている。ここに所属形なり人称形というものの存在意義を理解するためのヒントが有る。

...私はこの変化形の存在理由は、「強調と特定」に在ると考えている。具体例を示して説明しよう。
 先ずは、「所属形」の命名の謂れを示す語彙の例から...。
 ▽op-nici(-hi) 槍・それの柄 ←槍 op ・それの柄 nici(-hi) この語の構成は、先ず「柄(え)」は「 nit 」と言い、その「所属形」が「 nici 」である。語尾の t に i が接続すると t 音に代わり c 音に変化する。「ティ」でなく「チ」となるのである。槍の柄の「柄」と言うのは、槍から離れて「柄」だけが独立して存在するのか。これが所属形論者の所属形の存在理由なのである。「槍・それの柄」という言葉は、柄という存在が、槍によって限定されているという関係を... (以下、次回に)

by atteruy21 | 2018-08-30 13:34 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー11 (通巻第362号)
 叩く・刻むの古アイヌ語が、「 tata 」であったのか或いは「 tatap 」であったのか、結論を出すことに焦って、また論理の飛躍を犯してしまった。問題が出される前に答えを言い始めたようなものである。ものの順序として、叩く・刻むの言葉が、なぜ「 tata 」ではなく「 tatap 」ではないかと疑ったのか、その思考の経路、つまり、そう疑うに至った経緯(いきさつ)を述べて置かなければならなかったのである。...改めてアイヌ語辞典を確認しよう。
 ▽チタタプ,ーピ citatap,-i 【名】魚の氷頭などを...(以下省略) 問題は、この語の説明の表記法である。この表記法は、
一般的に名詞の所属形を表すものである。アイヌ語の名詞の在り方で、概念形と所属形の別がある。所属形と言うのは、別の言い方では具体形と言い換えることもできる。具体的に説明しよう。
 親族呼称や身体部位の名前など、本体抜きには存在し得ないような名詞に概念形と所属形の別が有るのである。例えば、手や足などは、持ち主が居なければ、手や足だけが独立して空中に浮かんでいることはあり得ない。必ず誰かの手や足である訳である。
 先ず、手と足について中川氏の辞典を見てみよう。

▽テク , ーケ tek ,-e 【名】手 
▽テクコッ , ーチ tekukot , -i 【名】手くび ; 〈 tek 「手」 ukot 「つながっている」 hi 「ところ」。
 最初の 「 tek,-e 」が「~の手」の意味で、所属形である。次の「 tekukot -i 」の方は、 tek が概念形と呼ばれるもので、特定の誰かのものの意味でなく(所属形でなく)、概念としての「手」を表すのである。
▽チキリ ,ーリ cikir,-i 【名】(動物の)足 ; 韻文中・常套句(じょうとうく)中では人間の足も指すことがある。以下省略。
▲所属形の意義はご理解頂けただろうか。親族呼称や身体部位の名称の他にも所属形は用いられる。少し長くなるが、中川辞典の着物という語の説明に注目すべき視点があるので、これを見てみよう。
▽アミプ ,ーピ amip,-i 【名】着物 ; ← a= 「人が」 mi「着る」 p 「もの」。特定の人間の着物を指す時、或いはウサ usa
「いろいろな」に続く場合には所属形をとるが、その場合には語頭のア a = が状況に合わせて他の人称に代わる。
...この最後の部分に注目をお願いしたい。一般的に着物という場合はアミプというが、特定の誰かの着物と言う時は人の(a=)は使わず、「私の着物」なら「 ku=mip 」、お前の着物なら e=mip 、彼の着るものなら「 mip 」になると言っているのだ。
 お気付きのように、この段階で、既にこれは「所属形」ではなくなっているのだ。
 ☆ citatap,-i に戻ろう。なぜ氷頭の叩きに所属形が付くのか。誰か特定の人の、或いは、特定の存在にのみ属する魚の氷頭や
鯵が有るのか。氷頭の叩きに所属形など存在する筈が無いのである。 citatap-i の 「 -i 」は、所属形を標示するのではなく、
「 tatap 刻む(ci- べき)」「-i もの 」を意味したのである。   (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-08-29 09:25 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー10 (通巻第361号)
 アイヌ語では、「切り刻む」の意味に「 tata 」とか「tuypatuypa 切り切りする 」という重ね言葉が対応する。思えば前者の
「 tata 」についても「 ta・ ta 切り切りする 」と分析が可能なのだ。アイヌ語の「 ta 」には、彫る、掘る、汲むなどの他に「(木材など)を切り取る」という意味も有るのである。それでは、やはり、アイヌ語の「 citatap 」は、「 ci-tata-p 我らが・刻む・もの 」という意味なのか、この点をもう少し掘り下げて検討しよう。アイヌ語の範囲の中だけの検討では、思考の範囲も狭く限定されてしまうので、日本語の「鯵(あじ)のタタキ」にも手助けを頼もう。

...なぜ鯵や氷頭(ひょうず)を叩く(切り刻む)のか、それが「チタタプ」という言葉の秘密を解く鍵である。アイヌ語「 ci- 」を人称「我らが」と捉えるのであれ、私のように「誰もが当然に~をする」と訳すのであれ、人はみな鯵や氷頭を叩いて切り刻むのである。何故みんなそうするのか、それはそうすると美味しくなるからである。叩く(切り刻む)ことによって味わいが深まるのである。これは、アイヌ語の「 ta 」の元々の意義、「何かに力を加えて価値有る何かを取り出す」の観念にも繋がるものである。
 それでもやはり、「チタタプ」でいう叩く・刻むの意味は、「 tata 」という語ないし音(おん)に込められているではないかと考える方が大半であろう。尤もなことである。

...それでも私は、叩く・刻むの意味を表す古いアイヌ語(縄文語)は、「 tata 」ではなく「 tatap 」だったのではないかと言う思いが断ち切れない。それは、大和言葉の用言の活用の一形態である音便(おんびん)の中に、その痕跡が確認できるからである。
 「叩く」という大和言葉に即して説明しよう。「~して」と文章を続ける場合、叩くについては「叩いて」と、音便によって
「き」が「い」に変化する。「たたきて」ではなく「たたいて」(い音便)となる訳である。ただ、これは「か行」に限った現象ではなく、例えば「飛ぶ」の場合も「飛びて」でなく「飛んで」(撥音便)となる。促音便(そくおんびん)と言う音便があって、例えば「有る」という言葉の場合は、「有って」と音が詰まった変化を示すのである。

...そこで思い出して頂きたいのが、アイヌ語の語尾変化の特徴の問題である。ドイツ語などの特殊な発音と同様、樺太アイヌ語では、面白い注目すべき語尾の発音の特性が有った。
 例えば、「話す」を意味するアイヌ語は、北海道方言では「 itak 」であるが、樺太では「itah イタハ 」となる。語の末尾の子音が、全部ではないけれども、 p や t や k で終わる語尾の発音が、 h に変わり、収斂(しゅうれん)するのである。これらの
異なった語尾が小さく書かれるハ、ヒ、フ、ヘ、ホ に変わるのである。ここにヒントがあると私は思っている。
  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-08-28 11:19 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー9 (通巻第360号)

 古アイヌ語として私が復原した「 tatap 」という想定語彙と、現代の日本で現に使われている「叩(たた)く tatak(u)」という言葉が、直接に繋がっている可能性があるのだと前々回に述べた所である。しかし、それは単なる偶然の一致に過ぎないのではと思われる方もやはり未だ有るだろう。そこで、「たたく」という大和言葉をもう少し検証してみることとしよう。

...「たたく」という言葉に漢字を当てれば「叩く」「敲(たた)く」などが有る。古アイヌ語の「 tatap 」と単に発音が似ているだけなのだろうか。「 tatap 」は、何かを打って、その結果として、(価値の有る)何者かを取り出すというのが原義だと述べて来た。それならば、大和言葉の「叩く・敲く」にも同様の意味が含まれるのかという事が問題となる。同じ意味が有るとすれば、
それは偶然の一致、他人の空似(そらに)なのではないという証明になるであろう。

...それでは実際に何かを叩いて見よう。何が取り出せるか、何が出てくるのか。「鉦(かね)を叩く」「太鼓を叩く」等の言葉が思い浮かぶ。いずれも物を打つと音が出るという関係を表している。鉦も太鼓も寺院の鐘(かね)も、神や仏への祈りを神仏のいる遠い世界へと響かせ届けることを目的としている。鉦や鐘は仏に、太鼓は神へ、祈りを届けるのである。物を叩いて祈りを届ける役割を果たす神秘の音を引き出す。それが「叩く」の中核的語義なのである。

 縄文の人であると、弥生の人であるとを問わず、古代の人々は音をたてて神と交信した。また、神は、涼やかな或いは重々しい音をたてて人々の前へ立ち現れた。ただ神そのもののお姿は人には見えないのはご存じの通り。神は、特に神道(しんとう=かんながらのみち)においては、神は厳(おごそ)かに気配(けはい)を示されるだけである。
 アイヌの人々は、金属の触れ合う音に特に神秘性を認め、尊んだことはよく知られている。
...アイヌ神謡集 梟の神の自ら歌った謡 
Sirokanipe ranran piskan konkanipe ranran piskan. arian rekpo hawkenopo ciki kane,
 銀の滴 降る降る 周りに 金の滴 降る降る 周りに という歌を 静かに歌いながら
tapan poncise eharkiso un esiso un terekeas humi tununitara.
 この 家の 左の座へ 右の座へ 美しい音をたてて飛びました。
 この最後の「 tununitara 」と言うのはオノマトペ(擬音)で、美しい金属の擦れ合う音ないしは揺れる音を表し、敢えて音訳をすれば「シャララーン」といった所か。   (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-08-27 15:02 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー8 (通巻第359号)
 単語という範疇(はんちゅう)ではカバーしきれない語の特殊な性格が、アイヌ語と日本語の、語としての在り方には存在すると前回に述べた。その問題に入る前に、「語彙」という言葉の、用語の正確な意味を確認しておいた方(ほう)が後々の理解に役立つだろうと思うので、その語意の確認を済ませて置きたい。中国語辞典の「彙」の字の説明の一部をご覧いただこう。

...彙 hui ④[動]集める、まとめる。 「彙印成書(編集印刷して本にする)」
 ⑤集めたもの 「字彙(字典)」 字典 zidian (ツー・ティエンと読む)は字引(じびき)のことで、辞典とは少し異なる。
 また、彙は現代中国語では、「匯」の字と同じ略字で表される。匯水(いすい)と呼ばれる河が西安( xi-an シーアン )に流れているが、その匯水の匯(い)は、川の流れが集まった処という意味である。
 従って「語彙」という言葉は、個々の単語の意味ではなく、実は語の体系を、或いは全体としての言葉のグループの総体を意味するものなのである。

...さて、なぜ「語彙」という面倒な言葉を用いるのかの問題に戻ろう。単語という言葉の守備範囲には到底収まらない、一つの例で言えば、それなりに最低限の意味を持つ単母音の発音がアイヌ語や日本語には多すぎるのである。その発音を、単語 word として扱って良いのか迷うケースが多すぎるのである。
 一つ具体例を挙げれば、それは「の」である。有名な古い歌を挙げてみよう。「ひんがしの のに かぎろひの たつみえて」
で始まる歌は、色々な解釈の可能な不思議な歌である。古代朝鮮語で解釈できるという人まである。この歌で短いこの文章の中に三つの「の」という音(おん)が含まれている。独立した、或いは半独立の意味を持ったこの「の」を、単語として扱えないことは言うまでもない。極(ごく)一部の言語、例えば中国語などを除き、一つの音が多数の意味を持つ等というのは、言語学の上では、あり得ないことだと言われている。
 この短い文の中で「の」と言う音は、名詞、所有格の助詞、主格の格助詞として用いられ、重要な意味を表している。
...東(ひむがし)の...の末尾の「の」は、格助詞である。次に続く「野に」の「の」は、野原と言う名詞である。そして、最後の
「かぎろひ(炎または陽炎)の立つ見えて...」の中央に位置する「の」は、主格の格助詞(~が)であることは疑いようがない。

 このように、単一の母音がそれだけで、かなりのボリュームのある意味の体系を形成するのが日本語(とアイヌ語)の特徴なのであって、それ故に単語という語に収まりきらない意味合いを「語彙」という言葉に私は託した訳である。(次回につづく)
 サービスで...東の野に炎の立つ見えて かえりみすれば 月かたぶ(傾)きぬ 柿本人麿
 

by atteruy21 | 2018-08-26 12:13 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー7 (通巻第358号)
 「 tatap 」という語彙(ごい)が、どういう形で形成されたのかについても、一瞥(いちべつ=ちょっと見ること)しておこう。
...「 tatap 」は恐らく「tap-tap 叩き・叩きする 」という重ね言葉に由来するものだろう。重ね言葉は、言葉の意味を強め、強調するためにアイヌ語でよく用いられる語法で、通常、語を重ね意味を強めた上で、その語を重ねた後にできた語形を、さらに改めて短縮するという面倒な作業が併せて行われるのである。
 この「 tatap 」に即して言えば、「 tap-tap 」→「 ta(p)tap 」→「 ta(-)tap 」→「 ta-tap 」→「 tatap 」と、恐らくこういう経過で、この「叩き叩きする」という語が形成・成立したものだろう。

...なお、重ね言葉は、意味の強調を語法の基本的な目的とするが、このケースの場合には実際に何度も叩いて魚肉を刻む訳で、打つ・叩くという行為が一回性で終わるものでないことをも表している訳である。

 ところで、比較的最近このブログを覗くようになった方もあると思うので、実は、書く方(ほう)の身としては、読む方(かた)も当然分かっているだろうということを前提として、読者の個々の状況に頓着せずに使っている用語などがある。前々回だったか、
古語辞典の記述の仕方の説明を改めてしたばかりである。たびたび「語彙(ごい)」という用語を私は用いている。ほぼ「単語」と同じ意味で私は使っているのだが、実はその使い方は正確ではない。...と言うより、誤っていると言うべきなのかも知れない。 ただ、英語で言う vocabulary に該たる適当な訳語が無いので「語彙」を用いているに過ぎない。「語彙」の説明文を、英語の辞典と国語辞典でそれぞれ確認しよう。
...英和辞典 vocabulary の項目で...
 ①語彙 ある個人・書物・階層・専門分野などにおいて使用される語の総数、用語数、用語範囲。
  He has a large vocabulary. 彼の語彙は豊富である。(たくさん単語を知っている。)
 ②単語表(集)・用語集
...国語辞典 「語彙」の項目で...
ある範囲の、或いは広く一言語についての、語の総体。「農業語彙」「基本語彙」。語を集めて一定の順序に書いたもの。
  ▽誤って俗に「単語」の意味にも使う。「この語彙はむずかしい」
...なぜ誤った用法と知りつつ、それでも「語彙」という語を用いるのか、それには理由が有るのである。単に「単語」の意味であれば、英語の word と同様に「単語」と言えば済む話である。日本語やアイヌ語には、「単語」という言葉で済まない、カバーしきれない語(=音)が多いのである。  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-08-25 12:27 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー6 (通巻第357号)

 アイヌ語の「 tap 」という音(おん)に、今は失われてしまった「強く踏む」という意味が、昔は有ったと仮定しよう。言葉を覚えたての小さな子どもに教え込むようで恐縮だが、「踏む」というのは、どういう行為か。もちろん足で何かに強く力を加えることである。では、手で何かに大きな力を加えることは何と言うか。先ず思い浮かぶアイヌ語と言えば、「 kik 打つ 」だろう。「 kik 」の他には「押す」なども有るが、「 tap 」の持つ躍り上がる力感に比較して意味合いが弱いのである。「手で打つ」を意味する語でもう一つ、少し意味合いがずれてはいるが、「 tap 」という音にも通じる語彙が有ることに私は注目している。

...「 ci-tata-p チタタプ 」というアイヌ料理(の食べ方)をご存じだろうか。魚の氷頭(ひょうず)などを生(なま)のまま細かく刻んだ料理法である。言葉の比較の上でも極めて示唆に富む日本の料理(法)が有るので紹介しよう。酒好きの私にとっては思わず涎(よだれ)が出そうな料理で、「鯵(あじ)のタタキ」というものである。漢字で統一的に書けば「鯵の叩(たた)き」となろうか。

...鯵の叩きは、アイヌ料理のチタタプと同じ作り方で、鯵の肉を包丁で叩き切りして細かく刻んだ食べ物で、酒によく適(あ)うのである。日本語では「叩(たた)く」という概念で言葉が綴(つづ)られる訳だが、結果的には同じく細かく刻まれた食べ物になる
「チタタプ」と「鯵の叩き」が、同じ響きをもった「 tatap 」と「叩く= tatak(u)」という語で語られるのは、決して偶然ではないと私には思える。

...中川氏辞典によれば、「チタタプ,ーピ citatap,-i 【名】魚の氷頭などを、生のまま細かく刻んだ料理 ; 〈 ci=「我々が」
tata 「~を刻む」 p 「もの」、と説明されている。中川氏は動詞を「 tata ~を刻む」と解しておられるが、私の解釈は語の切れ目が違い、中川氏の分析のように「 ci-tata-p 我らが・刻む・もの 」とは見ずに、「 ci-tatap,-i 叩く・(べき)・もの 」と
分析するのである。
 そもそも「 ci = 」を「我々が」と人称接辞として訳してしまうことが、既に誤っているのであって、「ci- 」は、「誰もが~する」と訳すべきものであることは、アイヌ語と日本語の同系か否かを論じたときに、口を酸っぱくして述べて来た所である。

 また、復原した「 tatap 」という古アイヌ語(縄文語 ? )も、前に述べた音韻の変化論、「ママは昔、パパだった。」の譬話のように、「タタプ」→「タタフ」→「タタク」と変化したものとも考えられ、縄文語(古アイヌ語) tatap が大和言葉 tatak 叩くに変化した可能性をも示唆するものである。  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-08-24 12:20 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー5 (通巻第356号)
 「何かに力を加え、そこから何かを取り出す」というのがアイヌ語の「 ta 」という言葉の中核的意義であると述べた。
 この短い「 ta 」という発音に、重要な二つの概念が込められていること自体、既に神秘的なのであるが、それは措くとして、
では、「力を加える」という意味と「取り出す」という二つの意味のうち、そのどちらが、より本質的な重要な語義であるのかという問題に目を向けて、この語の成立の謂(いわ)れをきちんと理解しておく必要があると私は思うのである。

 言うまでもなく、何かに力を加えることによって、その結果として何かを取り出すことが可能になる訳だから、「力を加える」という観念が主概念で、「取り出す」は従概念だと考えることが穏当なのだろう。この視点に立って、「 ta 」の根本義を改めて追究すると、「 ta 」の近傍に幾つかの語彙ないし発音が見えてくる。

...力を加えるを原義とする語に、「 tap 」という動詞を私は復原する。現代アイヌ語では、「 tap 」という語は単独で動詞として使われることはない。「 tapkar 踏舞する 」という複合語の中で、「踏ん張る・強く踏む」という意味で残っているだけである。このタプカラ という語は、「 tap-kar 強く踏む・ことをする」と分析することが出来ると私は見ている訳である。
 問題は、この「 tap 」という音に、少なくとも昔は「強く踏む」という語意が有ったのか、それを証明することができるかということにある。

 文字を持たず文献の無い民族の、過去の精神活動、観念の在処(ありか)の証明をするのは極めて困難であるので、隣人の大和の人々の観念からヒントになる事柄を導き出せないだろうか。何度も言うが、元々ご先祖様は同じ縄文人なのだから、そこから類推してもバチ(罰)は当たらないだろう。

...相撲取りの四股(しこ)の話である。この四股がアイヌ民族の「 tapkar 踏舞 」と思想・観念を共にするものであると言ったら
あなたはどう感じられるだろうか。相撲の四股は、もともと神事で、或る土地に人が入るに当たり、その土地の魔神や神を鎮め、土地の豊かな稔りを願う行事であった。それは神前で強く大地を踏みしめ、また、高く跳んで舞を舞うことでもあったのである。
 大和政権や、その大和に国譲りを強いられた原住民の王たちも、殆どがその軍隊の先陣に力士(タヂカラヲ)の軍団を備えていたことは知られている。相撲は、素舞う(すまふ)が語源と言われるように、強く大地を踏みしめ躍る、まさに tapkar であった訳である。「 tap 」という古い動詞があり、それは「強く踏む」を意味したと言うのは、少し強引に過ぎるのだろうか。
  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-08-23 11:26 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー4 (通巻第355号)
 縄文的生産様式の「狩猟・採集」活動を表す語彙で、アイヌ語と日本語に共通する音(おん)に、「かる」と「 kar 」があると述べた。それならば、弥生的生産様式である(主に稲作の)農耕活動についても、アイヌ語と日本語に共通する語彙なり言語要素が有ったのかということに次の関心が赴くことになるのは、自然の成り行き、人情(にんじょう)というものだろう。

 縄文の香りを日本語より色濃く留めていると見られる「アイヌ語」に先ず着眼しよう。アイヌ語に「 ta 」ないし「 tap 」という言葉がある。アイヌ語辞典で「 ta 」を引いて見ると...。
...タ ta 【動2】~を彫る。~を掘る。~を汲む ; 何かで詰まったものの中にあるものを表面から取り出す。...とある。
 
 この辞書の記述だけでは、なぜ「 ta タ 」という一音(いちおん)に、意味合いのかなり異なる語意が矛盾無く込められ、併存するのかの理由が見えてこない。
...具体的に目的語を組み合わせてみて、そこに生じるそれぞれの違った意味の、その底に流れる共通の意義、「 ta 」なる語の中核を成す思想を掴(つか)み取ろう。

 ▽ cip-ta  舟を彫る(丸木舟を作る)。 アイヌは樹を彫って舟の神を世に出してやると意識したようである。
 ▽ toy-ta  畑を打つ(農作業をする)。 直接的には「土を掘る」を意味するが、勿論畑を耕すの意味である。
 ▽ wakka-ta 水を掘る(水を汲む)。   大地を掘り下げて清水を汲むのである。
 これらの「 ta 」を含む動詞の、それぞれに共通する概念は何だろうか。何かに人が力を加え、働きかけて、その中から「価値有る何者かを取り出す」というのが共通する概念であろう。だからこそ、幅広い意味の違った行動を表す動詞を、ただ一つの発音で纏(まと)めることが可能となった訳である。

「 ta 」という言葉は、具体的な行為の枠組みを超えて、言わば「代動詞」的な役割を果たす。何かに力を加えて、何らかの価値有る物を、見えない所から目の前に取り出すということである。その「何かに力を加えて、価値の有る何者かを取り出す」という範疇に入りさえすれば、その具体的行為の内容は問わないのである。
 では、その「 ta 」という音は、何処から何者から由来する音(おん)であるのか。それは恐らく、「力を加える」という語意が語の中核を成し、それが「取り出す」という概念を抽(ひ)き出したのだと私は考えている。「力を加える」という意味を表す語で「 ta 」に近い音をもつ語彙は近傍に有るのか。それが次の課題である。  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-08-22 10:25 | Trackback | Comments(0)