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生産活動に見る縄文と弥生ー101 (通巻第452号)
 おわら風の盆の秘密を語る前に、もう一つ二つ特徴ある盆踊りを紹介しよう。風俗史研究家の下川耿史(しもかわ・こうし)氏の
著作に、「盆踊り(副題・乱交の民俗学)」がある。
▼ 同書冒頭の「盆踊りと乱交ー民俗文化のエロチシズム」の項で、下川氏は田山花袋の『田舎教師』を引き合いに以下のように
述べておられる。
...田山花袋の『田舎教師』では、盆踊りの乱交の様子がより肯定的に記されている。
 盆踊りのある処は村の真中の広場であった。人が遠近からぞろぞろと集まってくる。樽拍子の音が揃うと、白い手拭いを被った
男と女とが手をつないで輪をつくって、調子よく踊り始める。上手な音頭取りにつれて、誰も彼も熱心に踊った。
 九時過ぎからは、人がますます多く集まった。踊り疲れると、後から後から新しい踊り手が加わってくる。輪はだんだん大きく
なる。樽拍子はますます冴えてくる。もうよほど高くなった月は、向こうの広々した田から一面に広場を照らして、樹の影の黒く
地に印した間に、踊り子の踊って行くさまが、ちらちらと動いてゆく。
 村にはぞろぞろと人が通った。万葉集のかがいの庭のことが、それとなく清三の胸を通った。男は皆、一人ずつ相手をつれて歩いている。猥褻(わいせつ)なことを平気で話している。世の覊絆(きはん=足手まといになるもの)を忘れて、この一夜を自由に遊ぶという心持ちが四辺(あたり)に充ち渡った。垣の中からは灯光(あかり)がさして笑い声がした。...中略。

 下川氏は、盆踊りの乱交の本質を示す例の一つに、秋田県西馬音内(にしもない)の亡者踊りを挙げて、次のように述べる。
▽  ...例えば、秋田県西馬音内の盆踊りは、黒い覆面に目穴だけを開けた踊り子が、ズラリと列をなして踊ることから、「亡者踊り」と呼ばれ、その幻想的な雰囲気から日本の三大盆踊りの一つに挙げられている。この黒い覆面は「ひこさ頭巾」と呼ばれているが、その頭巾が「愛の営(いとな)みのための小道具」と喝破(かっぱ)したのは、秋田農業短大教授で、野良着(のらぎ)の研究家の日浅知枝子である。小坂太郎の『西馬音内盆踊り』によると、日浅は小坂に対して、

...この頭巾は神社や寺の境内など、木立の多い場所で踊られていた時代に、好き合っていた男女が誰に顔を見られることなく、
お互いは、浴衣の柄などで確認しあって、逢い引きを楽しんだ証(あか)し。夜更けて、踊りも一段落ついた頃合いに、覆面同士が
サインを交わして、境内の林の陰に消えたことだろう。
 と述べたという。  以下、省略。

 この覆面姿は、死者の、異界の者の扮装である。なぜ異界の者なのか。それが次の課題である。  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-11-30 13:46 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー100 (通巻第451号)

 古代の人々の祭りに於ける人間関係・社会意識(性関係の意識)を、現代の我々にも理解させてくれる古い歌謡がある。万葉集に
その典型的な歌が有るので、二度目の登場となるが紹介しよう。

▽ 岩波書店・日本古典文学体系「萬葉集 二 」巻九の一七五九
...「筑波嶺に登りてかがひをする日に作る歌一首
 鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上に 率(あども)ひて 
 未通女(をとめ)壮士(をとこ)の 行き集い かがふかがひに 人妻に 吾(あ)も交(まじ)はらん 
 あが妻に 他(ひと)も言問(ことと)へ この山を 領(うしは)く神の 昔より 禁(いさ)めぬ行事(わざ)ぞ 
 今日のみは 愛(めぐ)しもな見そ 言(こと)も咎(とが)むな 
...現代語訳(大意)
 鷲の住む筑波の山の、裳羽服津の、そのほとりに、呼び合って若い男女が、集まってかがいをするそのかがいで、
 他人の妻に私も交わろう。私の妻に他の人も言葉をかけよ。この山を領有する神が、昔から禁止しないことである。
 今日だけは、愛しいひとも見る勿(なか)れ、咎め立てもするな。

▼ 前に、歌垣(うたがき)のことを論じた時にも、上記の歌は一部だけ紹介したのだが、その時にはこの肝心な部分は紹介せずに取っておいたのである。実は、この「かがひ(=歌垣)」には、未婚の若い男女ばかりでなく、妻も持ち夫もある大人の男女も参加出来たのである。伴侶を持つ身でありながら、なぜこの日ばかりは浮気が許されたのか。それは、社会がそれを必要と認め許したからである。この山を領く神の禁(いさ)めぬ行事(わざ)ぞ、と言うのは、こういう自由な性関係を、男女関係を、神が赦すという観念を通して社会が公認していることに他ならない。ここで言う「山の神」とは、社会という概念や規範という観念を未だ持ち得なかった当時の人々の社会意識であるに他ならない。

○ 盆踊りというのは、こうした系譜の上に成立した民間行事である訳だが、生産活動と祭り、そして生産(作物の生産と子どもの再生産)を支える性関係の規制と自由化のせめぎあいを示す、ちょっと言いかけた「おわら風の盆」の話題にこの辺で戻ることにしたいと思う。
  (次回につづく)

 

by atteruy21 | 2018-11-29 10:34 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー99 (通巻第450号)
 盆踊りには、時代と地方により大きな性格の違い、在りようの違いがあったようだ。踊りの場の雰囲気や、そこに集まってくる人々の種類も時間帯によって異なるということも希ではない。
 現代日本の標準的な盆踊りでは、お寺の境内(けいだい)やら小学校の校庭などの広場を使って、そこに櫓(やぐら)を組み、その櫓を中心に人々が輪をつくって踊るというのが一般的な形態だろう。私の子どもの頃の千葉県の盆踊りでは、「東京音頭」などの賑(にぎ)やかな曲を大音量のスピーカーで流し、それに合わせて、只(ただ)みんなで踊るだけだったのを憶えている。それでも、年若い娘さんたちが、子どもにとっては「綺麗なお姉ちゃん」たちが、華やかな色合いの浴衣(ゆかた)をまとい、微笑みつつ踊るその姿は、子どもである私にさえ胸をときめかせるに十分な、艶(あで)やかな色気があった。だが、盆踊りというのは、こういう子どもにも分かる明るく華やかな表(おもて)の側面の他に、密(ひそ)やかな裏の顔が有るのであり、大人(おとな)の時間帯が有るのである。

▽ 越中八尾という地方都市に、「おわら風(かぜ)の盆」という大人の盆踊りが有るのはご存じだろうか。賑やかな「盆踊り」の対極に位置を占める、しっとりとした情緒(じょうしょ=じょうちょ)を醸(かも)す、「大人の盆踊り」と言われている。
 風の盆は、普通の人々が深い眠りに就く真夜中から明け方にかけての時間に最高潮に達する。三味線のような胡弓(こきゅう)という楽器を奏(かな)でながら、踊る人々はしずしずと進んで行く。踊る人々は、目深(まぶか)に編み笠を被り、人と視線を交わすこともなく、言葉も交わさない。それが、古い形のこの風習の姿だったと考えられている。

▼ この異形(いぎょう)の踊り手たちの姿は、いったい何を、何者を表し意味しているのか。ここでは、「踊り手」、芝居で言えば演者たちは異界から来たもの、つまり死者や先祖の霊、山や森の精霊たちを演じているのである。死者やもろもろの精霊たちは何をしにこの世界へやって来るのか。もちろん、生者たちと交流・交歓して作物の豊穣を祝い、生者たちと交わって(生殖して)
子どもをつくり、村落の永遠の存続を図る為である。

◎ 古代の人々は、盆踊りのような風習を通じて、村落の構成員全体の遺伝子レベルの健康保持を、それと意識せずに何気なく、
それとなく感じ取り、健康な子孫を得るという社会的に有用な対策として実施していたのである。何を言っているのか分からないという方が大半だろう。次回以降でその辺を語ることにしよう。古代に於ける婚姻制度の在り方にも繋がる、社会に於ける人間関係の、有り体(ありてい)に言えば「性関係」の規制と、逆にそれを自由にする傾向とのせめぎ合いの話である。乞う、ご期待。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-11-28 11:07 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー98 (通巻第449号)
 盆踊りの秘密にこれから迫って行くのだが、実は、盆踊りの民間信仰としての発生の理由と沿革について本質的な観点を強調したいそのあまり、論の導入部で不正確な入り方をしてしまったのである。それは、「盆踊り」というのは仏教とは何の関わりもないという、その断定をした部分である。盆踊りの舞台となる、日本の「お盆」という風習は、「盂蘭盆会(うらぼんゑ)」という
紛れもない仏教の行事に源を発するからである。

▽ 盆踊りの正確な理解のために、この「盂蘭盆」という言葉の簡単な紹介をしておこう。古語辞典の助けを借りると、...
...うらぼんゑ【盂蘭盆会】『仏教語』陰暦七月十五日に行う行事。もとは餓鬼道におちて倒懸(ウラバーニャ=逆さ吊り)の苦しみを受けている亡者(もうじゃ)救済のために行う仏事であったが、のちに祖先の霊や死者の霊を祭り、食物を供え、読経し、その冥福を祈るようになった。...と、説明されている。

▼ お気付きになった方もおられよう。日本のお盆は、この説明の後半の「のちに...」以降の部分にその発生の沿革が述べられている訳で、死者と交流・交歓するといった「盆踊り」の系譜とこの「盂蘭盆」とは本来、違う系譜に属するものだったのである。
 本来の仏教的な餓鬼道におちた魂の救済は、別の仏教行事の「施餓鬼(せがき)」に残っており、こちらの方は盂蘭盆会の本義である「餓鬼の救済」を目的とし、本来的には先祖供養などを目的とするものではない。
○ もう一方の「盆踊り」の系譜に繋がる行事の方は、元々あった土俗の民間信仰の、年に二回子孫たちの許を訪れる祖先の霊やその他の精霊を祭り、収穫と繁殖を共に喜ぶ祭りとして発展して行ったのである。

...さて、生産と収穫 production と繁殖・生殖 reproduction を喜び祝う「盆踊り」の系譜に繋がる行事は、いったい、人々の生活にどのような影響を及ぼしたのだろうか。それが、古い昔に生きた、縄文の人々の社会生活に於ける様々な観念を、現代の我々が外側から覗き込んで、それを知って行く手懸かりを与えてくれるものになるかも知れない。

◎ 田楽、歌舞伎踊り、御神楽そしてネプタ祭りと、喜びを爆発させる伝統を日本人は育ててきた。盆踊りは、一方、厳格に庶民の暮らしを規制・規定していた政治・宗教体制の下で、仏教行事の体裁(ていさい)と仮面の下で、どっこい「性の饗宴」を楽しむ
抜け道を用意していたのである。

   (次回につづく)



by atteruy21 | 2018-11-27 11:33 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー97 (通巻第448号)

 収穫を祝い生殖を言祝(ことほ)ぐというのが盆踊りの古い姿であり、ネプタ祭りの本来の意味であると述べた。もう一つ日本の民俗、民間信仰で同様の意味を持つ行事が有るので、そのことに触れよう。「御神楽(おかぐら)」という神に捧げる演芸の一種であるが、今の若い人にはもうその言葉も知られていない、言わば滅びかけた民俗行事である。

▽ 御神楽には、「おかめ」と「ひょっとこ」と呼ばれる男女の主役が登場する。おどけた姿で踊り恋のやり取りをするのだが、この二人は農民の男女ではなく、実は一組の生産と豊穣(生殖=子作り)の神なのである。「おかめ」も「ひょっとこ」も、縁日の露店でそのお面が売られたりしているから、若い人でもこのお面を見たことくらいは有るだろう。おかめは、丸顔で細い目のあの「おかめ顔」で有名だし、ひょっとこの方も、曲げた口を突きだして片方の目を細めた、あの独特の表情で印象が深い。

▼ この二神の素性(すじょう)については諸説が有り、実はよく分かっていないと言うのが実情のようだ。「ひょっとこ」の方は「火の男=ひよとこ」がその語源だとするのが有力である。確かに、火を起こすときに使う「火吹き竹」を吹いているような風情(ふぜい)があり、片目を細めているのも、製鉄の作業に従事する人が片目を失明したりする職業病を表しているのだとも言われている。

...御神楽は、神社の秋祭りで演じられ、奉納される演芸であることから、やはり農業に関わる行事であると考えるのが素直なのではないだろうか。火吹き竹を吹く動作も、何も製鉄に結び付ける必然性は無く、例えば、焼畑農業に関わる農作業の一環と見ることも可能なのである。ただ、一つだけ言えることは、「ひょっとこ」が火を扱う、火を司る神で、「火男」が語源であることは確かだろう。

 二神の素性の詮索はこれくらいにして、彼らがどんな役割を演じるのかについて考えを進めよう。私の住んでいる千葉県あたりでは、私の子どもの頃の御神楽の舞台では、もう喪(うしな)われて演じられなくなってしまった、二神の或る動作が有る。
 それは、「おかめとひょっとこ」の舞の最後に演じられるべき「愛の交歓」の場面である。恐らくは明治の末期頃まで、地方によっては第二次世界大戦が終る頃までは、男女の交合の場面が最後に演じられ、祭りに集まった人々の間からは、高らかな哄笑と歓声が湧(わ)き上がったのだという。それがこの祭りのメインテーマであるからである。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-11-26 11:10 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー96 (通巻第447号)
 盆踊りというのは、本来的には農作物の収穫の祭りであって、その年の作物の豊穣を先祖の霊とともに祝い喜ぶ行事であった。
現在では暦に合わせて七月から八月に行われるが、元々は年に二回、現代風に言えば盆と正月に作物の収穫を祝い、併せて来年の豊かな稔りを予祝するものであった。
 娯楽の少なかった古い時代の農民たちにとって、盆踊りは、特に若者たちに出逢いの機会を提供してくれる貴重な場であった。

▼「盆踊り」と言うと、その「盆」という字に影響されて、多くの人がこれを仏教の行事だと考えてしまうのだが、実は仏教とは何の関わりも無い古くからの土俗の民間信仰が基(もと)になっているのである。最近、「ハロウィーン」などというヨーロッパの古い民間信仰の祭りが日本でも若者や子どもたちの間で人気だが、これもキリスト教とは無縁の行事である。日本の「お盆」と同様に、収穫の祭りに際し、死者(ご先祖様)が生者(せいじゃ)の許に訪れて共に祝うという考えが基になっているのである。

▽ 仏教には(キリスト教にも)、死者が年ごとに生者のもとを訪れるという教義は全く存在しない。死者(仏)は成仏(じょうぶつ)して彼岸に行ってしまいこの世に戻っては来ないし、キリスト教の教義でも、死者は主(しゅ)の許で復活の日を待っている存在であり、決してこの世に、生者の所へ舞い戻って来るなどとは書かれていないのである。

 各地の盆踊りの習俗の中には、死者の扮装をして踊りに加わるという例が少なくない。処(ところ)を変え少しだけ形を変えると「ねぶた(ネプタ)祭り」という、これも収穫の祭りに合わせて死者の魂が生者を訪れるというタイプの祭りの行事がある。主に、武者などを象(かたど)った行灯を勇壮に担いで躍り狂う夜祭りである。本来は、怨みを呑んで亡くなった人を慰霊する祭りなのだと言う。例えば関東の平将門(たいらの・まさかど)のような。
▼ 「ネプタ祭り」とは、死者と共に生産を喜び祝う行事であった。生産( production )を祝うと同時に、再生産( reproduction =生殖・繁殖)を喜ぶ行事だったのである。収穫を祝い繁殖の喜びを爆発させる華やかでエネルギッシュな祭りであった。明治政府などは、この無軌道な東北の祭りに大いに危機感を募(つの)らせ、幾多の禁令を出して庶民のエネルギーの爆発を抑えようとしたことはよく知られている。

◎ ネプタ祭りの掛け声はご存じだろう。今は「ラッセー・ラ」とか「ラッセー」と言うが、実は昔は「ダッセー、ダッセー」と
叫んでいたのである。フルコースで言うと、「出っせー、出っせー、ボボ出っせー。出っせー、出っせーマラ出っせー」と言うのである。「ボボ」とは女陰を指し、「マラ・魔羅」は男根のことを言う。  (次回につづく)

 
 

by atteruy21 | 2018-11-25 13:46 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー95 (通巻第446号)

 宿題を出しっぱなしにしたまま、答え合わせもしないで次の授業を始めてしまったようで気が済まないので、答のヒントだけは言っておこうと思う。「田楽」に関する別の古語辞典での記述が参考になろう。

▼ でんがく【田楽】(名)民間舞楽の一つ。もと、田植えのときに農夫の労苦を慰(なぐさ)め、或いは田の神を祭るために行った歌舞が遊芸化したもの。平安末期から室町初期までがその最盛期で、猿楽(さるがく)と影響しあった。...と、ある。
...ここで大切なのは、「農夫の労苦を慰めた」という部分である。「慰める」というのは、特に、男性を慰めるという場合は、特別な意味合いを持つと言うことに注意を向けなくてはいけない、という事である。(答になったかどうか分からないが。)
▽ 田楽の伝統は、形を変えて歌舞伎踊りの芸能に発展して行く。【出雲の阿国(いづもの・おくに)】という名は、知らない人はいないだろう。歌舞伎の祖と言われ、京の都に登り歌舞伎踊りを始め、一世を風靡(ふうび)した安土桃山時代の女性の名である。
 阿国たちのグループは、各地の田楽などに出掛けて行っては、若い女性の踊り子たちに華やかな色合いの薄物をまとわせ、肌も露(あらわ)にラインダンスのような踊りを披露して、農民や、後には都びとからも喝采(かっさい)を博していたのである。

○ 本来は辛い農作業が、田楽や歌舞伎躍りによって、農夫たちの慰めであり楽しみでもある行為になる、このような感覚を感じ取ることがお出来になったろうか。健康な性への衝動が、人を慰め励まして生産力を高めるエネルギーになるというのは、当時の人々の生活の中から産み出した知恵であったのである。日本に於ける芸能というものが、神事に源を発するというのは、既に繰り返し述べてきた。だが、その神事さえも、その大元には「生産力を高めるため」という観念・動機が働いて行われるのだという、そういう関係に気付かなければならないのである。

...因(ちな)みに、出雲の阿国は、出雲大社の巫女(みこ)と自称したとされている。阿国は、恐らくは巫女ではなかっただろう。
巫女であれば、そう簡単には肌も露に脚を振り上げて躍るという訳には行かなかっただろうから...。

 盆踊りについて語ろうと言いながら、別の話題で一回を過ごしてしまった。だが、これは無駄な道草喰いではなくて、盆踊りの秘密の解明の前段の作業だと言うことで、ご理解を頂きたい。次回こそは、革命的な盆踊り論を展開したいと思っている。
 ただ、併せて、また道草的に「御神楽(おかぐら)」という神事にも触れるのだが...。
   (次回につづく)


by atteruy21 | 2018-11-24 10:59 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー94 (通巻第445号)

 いろいろ述べたいことがあって、思わず、「盆踊り」のことを先走って強調してしまったのだが、農作業に関することだから、収穫の祭りとしての盆踊りよりも、先ず、田植えの時期の「五月女(さおとめ)」の風俗の話をするのが順序というものだろう。

▽ 五月女というのは、田植えのとき田植に従事する若い女性たちの華やかな風俗を指すのだが、これが、辛い労働と明け広げの性の喜びを結び付ける独特の仕組みを産み出して行くのである。
...五月女と呼ばれた若い女性たちは、後世では真っ赤な腰巻きを尻からげして、横に並んで稲の苗を植えたのである。そして、
初期の田植えは、その女性たちの尻に就いて男たちが苗を植えて行くのである。娘たちの健康的に伸びた素足から太ももに励まされて、男たちは田植えに励んだのである。ただ、この描写だけでは、この五月女の賑やかで華やいだ雰囲気は伝わらないだろう。
...その雰囲気を感じ取るためには、この五月女で一緒に行われた「田楽(でんがく)」のことに触れなければなるまい。

▼ でんがく【田楽】(名) ①民間舞楽の一つ。 もと、田植えや収穫の時に豊穣(ほうじょう)を神に祈り、或いは感謝する芸能であったが、平安時代には、神事よりは娯楽として歌舞を主体として演ぜられ人々に愛好されていた。鎌倉時代に入ると...以下、省略。
...田植えは、田楽を伴って賑やかに性の喜びを謳歌(おうか)する祭りとして行われたのである。もちろん、こうした雰囲気は、江戸時代以降、急速におとなしいものに変わって行き、喜びを爆発させるような躍りは廃(すた)れて行ったのだが...。

◎ なぜ、田植えに唄や踊り、さらに性の華やぎが必要だったのか。田植えというのが辛(つら)い労働だったからに他ならない。
...中腰に腰を屈(かが)め、長時間この姿勢で作業を続けることは、非常な苦痛を伴うことであった。もちろん田植えの作業を、
この中腰の姿勢を取り続けることの苦痛を和らげるべく、さまざまな動作の工夫(くふう)も昔にはされており、現代の我々が機械無しに田植えをするときに感じるだろう苦痛とは、較べものにならない合理的な姿勢をとっただろうことは当然のことである。

△ 蛇足を承知で学の有るところをひけらかすと、実は、この中腰で稲の苗を植える姿勢は、性行為の真似から導かれたものだということだけ述べて置こう。中腰で女性の尻を追いかけることが、なぜ田植えの苦痛を和らげるのか、想像して頂きたい。
...次回は、盆踊りの秘密に迫ってみようと思う。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-11-23 11:55 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー93 (通巻第444号)
 tapkar というアイヌ語の意外な原意を探究する作業に入る前に、頭の準備運動をして置こう。「踏舞する tapkar 」等という言葉が、いったい何で「生産する」やら「労働する」など縁もゆかりも無さそうな言葉と繋がるのか、見当がつかないと思う方が大半だろう。踊りなんて言わば「遊び」じゃないか、何であの辛(つら)い「労働」と結び付くのかと...。

▽ ♪「幸せはおいらの願い、仕事はとっても苦しいが、流れる汗に願いを込めて、明るい社会をつくるため...」 
 ...50年くらい前になろうか。当時の若者たちに歌われた「労働歌(ろうどうか)」の一節である。その後、高度成長の時代の中で、各地に「歌声喫茶」などという青年たちの溜まり場が出来て繁盛したと言う。労働は苦しいものだが、働く人たちは決してへこたれてはいなかったのである。
▼ ところで、「労働する」ということが、人間の感性に何をもたらすかという問題で、参考になる世界共通の遊びがある。
...昔のアメリカの若者たちの一種の収穫の祭りで、「 strawberry slap(ing)= 苺叩き 」という遊びがあった。苺の初夏の収穫時に集まった大勢の若い男女が、哄笑(こうしょう)しながら楽しんだ仕事兼遊びである。集まった娘たちは、薄物の上着の下には何も身に着けないで、摘み取ったばかりの苺の実を胸元から落とし込んで、支えるように着衣の下に隠し持って、追いかけてくる若者たちから逃げ回るのである。
 その際、若者たちは娘たちの胸を思い切り平手でパチンと叩くのである。当然、苺は潰(つぶ)れるものも有って、娘たちの着ているブラウスなどは、真っ赤に染まることになるのである。これが縁で恋に落ちるカップルも出たりして、なかなか人気のある、また苺の収穫にも実益をもたらす、そんな意味もある祭りだったのだという。今も行われているのかは、私は知らない。

 前に、労働と性の関係を論じた事がある。黎明期の人類が、生き残るために共同作業を必要とした時、その協働(きょうどう)を
象徴したのが模擬的性行為だったのであると。苦しい労働を人が力を合わせて行うとき、男女が睦み合う姿勢や声を真似て踊り、歌ったのである。それが神への訴えにもなり、古代人に苦しみを喜びに変える力を与え、作物の実りをももたらす力となったのである。

◎ 日本の農村にも、こうした名残(なごり)が僅かだが残っている。田植えの時期の「五月女(さおとめ)」であり、収穫の時期の
「盆踊り」である。特に、盆踊りは、収穫の祭りであると同時に、神の前での、開放(=解放)された性の祭りという側面・性格をそのルーツに持つもので、...以下、次回に。
   (次回につづく)



by atteruy21 | 2018-11-22 12:01 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー92 (通巻第443号)

 アイヌ語の動詞に複数の観念が有るのかとか、単複の問題とは少し視点のずれた「行為の一回性や多回相」の問題も、そろそろ結論が見えて来たところである。ところで、この問題のそもそもの出発点が何処にあったのか、何のために単複問題などを詳しく検証する「長い旅」を続けて来たのか、もう忘れてしまわれた方も少なくないのではないだろうか。

▽ 旅の始め 「生産活動に見る縄文と弥生ー53」(再掲)
...「 tap 」も「 kar 」も、ともに「打つ」というのが中核をなす語意であると述べた。これからこのアイヌ語の二つの語彙の
大和言葉との関連や、さらに所謂「縄文語」との繋がりを含めた、それらの語彙の原意を探究する長い長い旅に出るのであるが、
根気よくお付き合いを頂けるだろうか。
▼ 長い旅であるからには、どこへ向かおうとしているか、目的地や旅程の見当がつくようにして置かないと、旅する方の身には
少し酷かも知れない。目的地は、お知らせして置こう。「 tap 」も「 kar 」も、ともに手を携え相補って、生産と労働をともに
讃え、その収穫をともに喜ぶという意味を表しているのである...。以下、省略。
       「生産活動に見る縄文と弥生ー55」(再掲)
...アイヌ語の「 tapkar 踏舞する 」という言葉から、現代語でいう「労働する・生産する」を意味する古くからのアイヌ語の、
しかも、現在では、そのアイヌ語にさえ失われてしまった「 tap 」という古アイヌ語を抽出(ちゅうしゅつ)しようなどという、かなり無謀な試みを私はしようとしている。
△ 先ず、「 tap 」という語彙の再吟味(さいぎんみ)から始めよう。「 tap は、「 ta 打つ、何かに力を加えてそこから何かを取り出す」という語彙の多数回性を示す語形だと私は考えている。...以下、省略。

◎ ご覧のように、tapkar という言葉の秘密を解き明かす約束をしたのだが、何時まで経ってもその秘密に迫ってくれないと、
多くの方が不満に不審に思われたことだろう。次回以降、この問題に取り組む事としたい。

  (次回につづく)




 

by atteruy21 | 2018-11-21 14:19 | Trackback | Comments(0)