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生産活動に見る縄文と弥生ー132 (通巻第483号)

 アイヌ語の「 ta 」というのは、つくづく不思議な捉え所の無い言葉である。色々な目的語をとって様々な行為を表す。幾つか語例を見てみよう。「 ta 」という動詞は多くの場合、目的語を抱合(ほうごう)して、より高い次元の意味を創出する。利用価値の高い、活動的な語彙であり、語法である。

...「 wakkata 水汲みをする 」と言う言葉がある。「 wakka-ta 水・~を汲む 」と分析されるが、他動詞の「 ta ~を汲む 」が「水 wakka 」という目的語を抱合して一語になって、「水汲みする」という自動詞になるのである。
...「 cipta 舟を作る 」と言う抱合語になると、一筋縄では分析できない手強(てごわ)い相手になる。この語の場合は、 ta は「彫る」と訳されるのだが、舟を彫るって何なのと言うことになるだろう。少し説明しないと理解できないだろう。
  cip チプというのは丸木舟のことである。アイヌは、一本の木から一艘の丸木舟を彫り上げるので、舟を彫ると言う言い方になる訳である。
...「 toyta 耕作する 」という語は、直訳して「 toy -ta 土・~を掘る 」と分析され、これで耕作する(自動詞)を意味する。

▽ 先ず、以上3語から「 ta 」の3語共通の語意を導けないか考えてみよう。彫る、汲む、耕すでは、意味合いに親(ちか)しいものが感じられない。「 ta 」にこの間隙(かんげき=すきま)を埋めるに足る意味が有るのかという事である。実は、この問題は以前に取り上げて詳しく論じた所であるが、新しいブログ読者も多いことから、もう一度説明をしておこう。

...アイヌ語の「 ta 」には、もともと何かに力を加えるとか何かを打つと言う意味があって、それが「 ta 」の中核概念を成すのだが、それにとどまらず、「何かを打って(力を加えて)そこから何か(役に立つもの)を取り出す」という、より高次の、複合的概念が生まれるのである。それが抱合語法の役割であり存在理由なのである。

▼ 踏み込んだ説明をしよう。先ず wakka-ta であるが、これは実は中間項が抜け落ちているのである。何を打つのか、何を掘るのかと言えば、それは勿論、「大地を・土を」掘るのである。人は大地を掘って、そこから尊い清水、湧き水を取り出す。つまり水を汲む訳である。
...次に cipta である。これは、...以下、次回に。
  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-12-31 14:05 | Trackback(24) | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー131 (通巻第482号)

 アイヌ語の語彙には、行為の質・内容を問わずに、その行為の外形的共通性にのみ着目した用言(動詞など)の形式が存在する。
アイヌ語の「 tar 」は、そういう形式に立つ典型例の一つで、特定の意図ないし目的をもって何かを為す、何かを造り出すという意味を表す。何を目的とするか、具体的にどんな行為をするかは tar の関知しない事なのである。
▽ 例えばアイヌ語の助動詞に「 niwkes ニウケシ 」と言う語がある。「~しようとして出来ない」などの意味を表す。
 中川辞典より (例文) a=onaha samamni ka osorusi kusu iki a korka , niwkes wa kama esitciw wa an .
           父は 倒れ木の上に 腰掛けようとしたのですが、出来ずに その向こうに倒れてしまっていた。
 ご覧のように、niwkes は「しようとして、できない」という外形的状態だけを意味し、「腰掛ける」という行為の質には関わらないのである。
 ▼ 同じ事は、動詞と助動詞の両方の意味をもつ「 eaykap ~(が)できない 」と言う語や、その逆の「 easkay ~ができる 」などの語彙にも生じる。
 ape ruy pe ne kusu ran ka eaykap kor an ayne...
 火が激しいので 下りることも出来ないでいるうちに...。
 kemapase=an wa an=an korka inawke anak a=easkay pe ne kusu...
 年老いて(足が重い)はいるが イナウ削りは できるので...。
 yaykosnere=an akusu  i=kay wa hopuni easkay hine...
 私が自分の体を軽くすると 私をおぶって立つことが出来るようになり...

...ご覧のように、いずれの場合にも、動詞を伴って意味を表す(助動詞だから当たり前だが)場合と、動詞を伴わずに、単独で、「出来る」、「出来ない」という抽象的な可能性だけの意味を持つ場合とがある。

◎ アイヌ語の「 tar 」が、この内実を伴わない、外側の殻(から)の役割だけを果たすものであると仮定すると、その外殻である
「 tar 」という語彙に、内容を与え、意味を注ぎ込む、中味となる語彙には、どんな語群が嵌まり込むのだろうか。その重要な語彙の一つが「 ta 」という言葉なのだろうと私は思っているのである。
...~を掘る、~を彫る、~を汲むなど様々な意味に用いられる、あの不思議な語彙にまた眼を向けて頂くことになるのである。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-12-30 16:36 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー130 (通巻第481号)
 tar という語彙は、「縄」という意味を持っていると前に述べた。例えば或るアイヌ語辞典には「背負い縄」という訳語で登載されているから、縄のような物を表す名詞の役割を持つことは明らかだろう。
 ただ、縄と言うと、一般的には藁を綯って作る物を指すので、古くからあるアイヌの言葉とするには私には抵抗が有る。勿論、アイヌ民族が用いた「背負い縄」というのは、藁で出来たものではなく、麻などの繊維で出来た物だったろうから、現代日本人のイメージする縄というより、言葉としては「紐(ひも)」の方がピッタリ来るかも知れない。尤も、日本語には「麻縄(あさなわ)」という言葉も有るのだから、そちらを使えば良さそうなものだが、これだと太いロープの語感が有ってアイヌの「背負い縄」とは距離がある。
 背負い縄というのは、紐の付いたネット状の構造の運搬具で、紐の中央部に額(ひたい)に当てる為の幅の広い部分が有る。荷物を包んで背負い、その幅広い部分を額に当て前屈みになって歩くのである。これだと手が自由に使えて他の荷物を空いた手で持ち運ぶことも出来る訳である。何よりもこの背負い縄が役立つのは、例えば、熊や泥棒などに襲われて逃げなくてはならないとき、ヒョイと頭をずらすだけで荷物がストンと足元に落ち、サッと逃げられるのが利点なのである。

▽ ところで、縄や紐がどんな材料で出来ているのであれ、日本語の「縄」に当たる物体を指す概念というのは、いったい、何処から生じるのだろうか。恐らくは、動詞の「~する」というような観念から導かれた言葉なのだろう。その「~する」の「~」に当たる部分に何が入るのかが問題になる。

▼ 縄であるだけに、「綯(な)う」、「捩(よじ)る」などが先ず頭に浮かぶが、或いは、全く別の範疇の観念なのかも知れない。物体の縄に拘らず、他の概念に眼を向けてみよう。実は、もうその見当は前から付けてあった訳で、その内の一つは「繋がる」や
「伸びる」であり、北海道方言の「 utar 親族 」や樺太方言の「 utah (一族) 」が、「 u ともに・ tar(tah ) 繋がる ・ i (者) 」を意味することから、 tar が「繋がる」の意味を持つことは蓋然性が極めて高いと言って差し支え無さそうだ。少し前に私がこう述べた事は覚えておいでだろう。

◎ また、その「伸びる・繋がる」の意味から、さらに「継続して何かを行う」だとか、何かの「目的をもって、手間をかけて、何かをする、作る」という発展・飛躍した意味を獲得するという所まで、今までで tar の意味の本質の追究を深めてきた。
...それでは、 tar から tap への飛躍は、その変身は何故必要になるのか、いよいよ tap の城(チャシ)の、本丸への秘密の抜け道の入り口にさしかかる。   (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-12-29 17:26 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー129 (通巻第480号)

 動詞に於ける複数の観念や多数回相を表す語法として、動詞語尾に「 -pa 」や「 -p 」という接辞を付けるという造語形式が有ると通説は主張する。そして、その時に用いられる接辞の選択は、動詞の語尾が開音節か閉音節かで決まるのであると。しかし動詞語尾の音節は、開音節の方が多いのだろうが、閉音節(子音語尾)も相当に多い筈である。
...前回に紹介した閉音節・子音終わりの動詞の例は、全てが n (エヌ)で終わる語彙だけで、それ以外に「 -p 」の接辞が付いて複数相や多数回を表す語彙は無いのである。これは私にとって理解できない状況である。掃いて捨てるほど有ると考えられる子音終わりの動詞は、複数を表したり多数回を表すときにどういう形態をとるのか。それとも、とらないのか。

▽ そもそも動詞に於ける複数や多数回相の考え方は、言わば例外的なものであって、あの知里博士によれば、大多数の動詞が単複同形・形態変化を知らない筈のものである。現代のアイヌ語話者の中には、やたらに動詞に「 -pa 」を付けて、それで複数形だと主張して澄まし顔の方もいらしたが、それは正統のアイヌ語とは言い難いものだろう。私は、「 -n (エヌ) 」の語尾を持つ特殊な動詞のグループがあり、それだけに「 -p 」の接辞が付いて、複数観念とは違った特殊な意味を表すのだと、そう考えているのである。

▼ ahun 入る、asin 出る、ran 降りる、rikin 登る、san 浜へ出る、yan 陸へ上がる、...などなど。これらの動詞は皆、知里博士も指摘されたように、話者の視点が何処に在るかによって、例えば ahun 入って行く、入って来る。 asin 出て行く、出て来る。
makan 山奥へ行く、山奥へ来る。san 山奥から浜へ出て来る、出て行く。 yan 陸へ上がって行く、上がって来る。...等々、全て視点によって意味が異なるタイプの特殊な語群であることに注意願いたい。

◎ 複数とか多数回と言うよりも、「反復」或いは「攻守処を替える」と言った変動の様相をもった言葉のグループなのだと言うことである。
 日常的に繰り返し、或いは変動する物の状態や人の行為を表す。それが n (エヌ)で終わる動詞の共通の特徴なのである。それらの行為や状態が、特定の目的や流れに沿って反復して続けられると、新たな高次の概念が生まれるのである。
...いよいよ、tar の登場であり、 tap への華麗な変身が始まる。...以下、次回に。お楽しみに...。

  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-12-28 18:03 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー128 (通巻第479号)

 少し前に、「 ci-tar-pe 蓙(ござ) 」と「 ci-karkar-pe 刺繍着 」という言葉(語句)の比較を行った。それによって得られた共通の意味合いを手掛かりに、「 tar 」というアイヌ語の音(おん)には、「継続して何かを作る」だとか、「念入りに何かを作る」といった複合的な意味合いが含まれ、更には、「何らかの目的のもとに、その実現を図る継続した行為」という、より高次の熟語的語法が産み出されたと、そのような流れの感触が得られたと私は現在考えている。

▽ この「 tar 」が、「 tap 」という語形への変化を経て、「何かを生産する・創り出す」ないしは「労働する」という新しい語彙を産み出す事になる。だが、そこに至る迄には、更にもうワンステップが必要となるのである。どんなステップが必要になるのか、それが第一の関門である。

▼ 継続して、繰り返し行うというのは、見方によっては多数回の「相」を呈する。前に、「 -pa 」やら「 -p 」やらの接尾辞を動詞の語尾に付けて、複数やら多数回を表すとされる語法を紹介した。必ずしも正しい見方とは言えないものだが、 tap という語の成立を理解するためには、反面教師としての役割くらいは果たせそうなので、ここは、その反面教師の方に是非とも頑張って頂いて、そこから我々が何かを導き出すことが出来れば、その先生にも失礼には当たらないだろう。
 動詞の語尾に付ける「 -pa 」と「 -p 」の選択の基準は、開音節の動詞に付くのが「 -pa 」で、閉音節(子音語尾)の動詞には必ず「 -p 」が付くという原則である。

◎ ただし、開音節の動詞に「 -pa 」が付くと言っても、末尾の母音に直ぐに「 -pa 」を付ける事はできず、先ず、末尾の母音を取り去って、そこで初めて「 -pa 」が付くのである。幾つかの語例を示そう。
...turi (伸ばす)→tur-pa  kiru (ひっくり返す)→kir-pa  hosipi (戻る)→ hosip-pa

☆ 閉音節の動詞の方はどうだろうか。但し、閉音節と言っても、取り敢えずは子音 n (エヌ)の例だけだが...。
...ahun (入る)→ahu-p  asin (出る)→asi-p  ran (降りる)→ra-p  rikin (登る)→ riki-p など。
 ご覧のように、子音語尾の場合は、開音節の場合とは逆に、語尾の子音(ここでは n )を取り去って、そこに「 -p 」を付ける訳である。以下、次回に。
  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-12-27 16:44 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー127 (通巻第478号)

 アイヌ語の「 pa 」が、年やら作物の稔りの意味を持ち、それが大和言葉の「とし」とか「は」に繋がるかも知れないなどと、随分センセーショナルな、もの騒がせな噺になって来た。只のコジツケだと思われては癪(しゃく=腹の立つこと)なので、ここはアイヌ語と大和言葉との関係だけではなく、第三者の中国語に証人席に立って貰って、年(歳)と稔りの深い関係を赤裸々に語って
貰うことにしたい。中国語でも、「年・歳 = 作物の稔り」という等式が成立するという驚くべき事実が判明するのである。

◎ 現代中国語辞典(香坂順一編著)から... (この辞典では簡体字が使われているが、私の能力不足のため繁体字で表記)
...年 nian(ニイェンと読む) ①《名詞》年 ②年齢,歳 ③一年の収穫 (例文)豊年=豊作,歉年=不作 
(私の解説)注意して頂きたいのは、③の収穫の意義である。「年」が「収穫」を表すなどとは、日本人の常識からは考えられないことだろう。また、次の「豊年」という言葉も、殆ど百パーセントの日本人が、これを「稔りの豊かな年(とし)」のことだと信じて疑わないが、実は「豊かな稔り」と言っているのであって、豊かなトシではないのである。
...歳 sui スイ ①《助数詞》歳;年齢を計算する単位。②年,歳月。③その年の収穫(例文)歉歳 qian sui チイェン・スイ=凶作
(私の解説) こちらも歳と収穫を意味する。
...稔 ren レン ①農作物が実る。豊稔=豊作。転じて、年の意。(例文)「凡五稔=およそ五年」
        ②よく知っている。(例文)「稔知 renzhi =よく知っている」「素稔 suren = 平素からよく知っている」

▽ ご覧の通り、中国語でも作物の稔りとトシ(年・歳月)は同じ言葉で語られる訳である。大和の人々が「とし」や「ぱ(は)」に年・歳・稔の字を当てたのは、単なる偶然や思い付きではないと言うことが、お分かり頂けただろうか。

▼ なお、蛇足になるのだが、「稔」という漢字は、訓読(くによみ=日本人に分かるように読むという意味)をすれば「みのる」と読む他「とし」とも読む。これも「実る・稔る」の意味と「歳・年」の意味との両方の義をもった言葉であることはご承知の通りである。

▽ 私の悪い癖で tap の追究の筈が、回り道の上に道草喰いを重ねて、なかなか本題に入らないとお怒りの言葉が聞こえて来そうなので、今度こそ本当に tap 論に入るつもりである。呆(あき)れずにお付き合い願いたい。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-12-26 15:21 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー126 (通巻第477号)
 日本語(大和言葉)でも、「年(とし)」のことを「 pa ぱ 」と言っていた時期が有ったのではないかと私は思っている。それは古い言い回しの中に少し形を変えてはいるが、その痕跡が残っている。古語辞典を覗いてみよう。

▽ 先ず、第一の前提として、日本の古代に有った「パ」という発音が、後代では「は」という発音に音韻変化していることを、そういう言語の歴史を踏まえて考えて頂きたいと言うことである。上古の pa をここでは「は」と読み替えて考えることになる。
これから比較考証する古語辞典の語彙も、もちろん「は」の形で語彙の中に現れる。

...とし-は【年端】(名詞)年齢。年の程度。
 例文「それはまあまあ、年端も行かぬに...」〈浄瑠璃・傾城阿波鳴門(けいせい・あわのなると)〉
 [参考]多く、下に「行かぬ」が付いて、「幼い」の意を表す。
...とし-の-は【年の端】毎年。年ごと。
 例文「年の端に 春の来たらば かくしこそ 梅をかざして 楽しく飲まめ」〈万葉集 五・八三七〉
 現代語訳 「毎年、春がやって来たら、このようにして梅を髪にさして、楽しく飲もう。」
 (私の補足説明)「梅をかざして」というのは、漢字で送り仮名をしてやると、「梅を簪(かざ)して」という意味である。梅の花の小枝を髪に差してお洒落に飲もうと言う訳である。

▼ 年端、年の端の「端(は)」の字は、当て字に過ぎず、「端(はし)」の意味で使われているものではない。ご覧を頂いて分かるように、「年の端」というのは「毎年、年々に」という重ね言葉であって、「とし」も「は=古くは pa 」も「年 year 」を表す語彙だったと考えられる訳である。古い大和言葉でも年を意味した「 pa 」という発音も、音韻変化の法則によって「fa ファ 」から「 ha は 」に変化するに及んで、古人の理解した語意が後代の人々には理解できなくなり、手近な「は(端)」という意味を已む無く当てたのであろう。

○ 恐らくは、古い大和言葉にも年月を早(速)く過ぎ去るものとする観念が有って、それを「疾(と)し」とも「疾(ぱ)し」とも表現していたのだろう。この「疾走(パシ )」の語はまた、アイヌ語「 pas パシ 」に通じ、それは「使命を持って~に駆けつける」を意味する。伝令役としてアイヌに使われた烏をパシクル paskur と呼ぶのは、「敵(てき)、来た」などと簡単な言葉を憶えさせて、戦争などの伝令にカラスを使ったことの名残の言葉である。パシクルは情報を持って疾しる神の意である。  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-12-25 10:39 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー125 (通巻第476号)

 年・歳(とし)という言葉が作物の実り(稔り)を意味し、収穫までの「期間」を中核の概念としたと言うのは、現代人にとっては一種の驚きであろう。なお、辞典の説明で、稲が実るのに一年かかるところから「年」の意になったとして、「とし」に「一年、十二ヶ月」の意義を与えたのは、正確な説明とは言い難いと指摘せざるを得ない。「年」という語彙は、あくまでも苗の植え付けから稲穂を刈り入れ、収穫するまでの「期間」ということだけを意味している。二期作の話を持ち出すまでもなく、十二ヶ月はかからないのである。誤解の無いように、念のため。

▽ ところで、「とし=年・歳」という語に意味の大変似通った「よ=世・代・齢」という語彙がある。非常に広い守備範囲を持つスーパー・プレイヤーで、古語辞典に載っている意味を、慣用句まで網羅して全部紹介しようとすると、丸一日かかり兼ねないので、そのごく一部だけを紹介しよう。丸数字の②などやカッコ付き数字の表示は、それが何番目の意味なのかをを示している。
...よ【世・代】 ②社会。世間。世の中。③君主・統治者の治める期間。また、家長が相続して家を治める期間。代。時代。
⑤主権者の治める国。国家。⑨年齢。(12)栄える時。...など16項目。
...「よはひ=齢(よわいと読む)」(名詞)①年令。とし。②年ごろ。年配。③寿命。

 こうして見て行くと、「よ」という音は、「とし」という音と同様に、年齢や年月、物事の生起する期間を意味するもののようである。ただ、「とし」という語彙と異なり、「作物の実り」という観念を含むことを示す直接的な証拠には欠ける点は留意する必要がある。
▼「作物の実り・収穫( harvest )」に直接に繋がらないが、「よ=世」の語意の(12)の項目に「栄える時」の語意が有り、これが
稔りの季節の喜びに繋がるのだと私は見ている。慣用句に「我が世の春」といった表現があるが、これは収穫を為し成果を得て、
自分の思い通りに世の中が進むことを意味しているのである。

○ アイヌ語「 pa 」が日本語「とし=年」とほぼ重なる意味を持っていたとしても、所詮(しょせん)は語形が「とし」と「パ」とでは余りに違い過ぎるではないか、語の直接の繋がりは無いではないか。二つの異なる言語の、同じ意味を持つ語彙の比較をしたところで、それに如何ほどの価値が有るのかと、そう思っておられる方が多いだろう。だが、この「 pa = とし 」論には面白い可能性が付いているのである。昔は、大和言葉でも、年令のことを「パ(後世には、は)」と言っていたかも知れない一つの証拠が有るのである。   (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-12-24 11:19 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー124 (通巻第475号)

 「歳」や「年」の考え方について、知っておいて頂きたい大切な視点が有るので、もう少しお付き合いを頂こう。昔の日本には誕生日という観念が無かったという噺(はなし)から始まる。誕生日ということを意識した最初の日本人は、あの戦国の英雄・織田信長だったと言われている。織田信長の生まれた時代には、人は皆、百姓も町人(商工業者)も、武士もお公家(くげ=貴族)様も、大晦日を越えるとみんな一斉に一つ歳をとったのである。だから、民話や昔噺しに出てくる人が、例えば「笠子地蔵」に出てくる人のよいお爺さんが、大晦日に笠を売りに行ったものの、笠は全く売れず、その帰り道に寒そうに雪の中で立っているお地蔵さんたちにその売れ残った笠をかぶせてやったというあの噺である。
 ...ガックリ肩を落として帰ったお爺さんに、お婆さんは、「良いことをしなすったね、お地蔵さんたちもきっと喜んでいなさるに違いない」と優しい言葉をかけるあの噺である。笠が売れずに当てにしていた小銭も手に入らず、餅も撞けずにひもじい思いで二人して布団に入るのだが、お爺さんは、お婆さんに向かって、「二人で良い年取りをしよう」と言って寝るのである。そのあと大晦日の晩に、六地蔵様がエンヤラ、エンヤラと...。

▽ この後はご存じの通りの結末になるのだが、収穫を終えて年の始めに人は一斉に歳をとるのだった。信長は、恐らくイエスの
生誕節(クリスマス)にヒントを得て、自分は神にも等しい存在であるから、一般の庶民どもとは違って、自分の生まれたと同じ月日に歳を加えるのであると、そう宣言したのであろう。信長が、自分に見立てた大きな岩をご神体として安土城の一室に神の間を設け、家臣たちに拝ませたことはよく知られている。

▼ 一年というのは、年(とし)というのは、どういう観念で成立するのか。 pa 年・歳・トシ というのは、どんな概念で組み立てられているのか、古語辞典に助けを借りよう。意外なことが分かって来るのである。
...とし【年・歳】(名詞)[穀物、特に稲が稔る意で、これが実るのに一年かかるところから「年」の意になった]
①一年。12ヶ月。②多くの歳月。世(よ)。時代。③時候。季節。④年齢。⑤穀物。特に稲のこと。また、穀物が実ること。

○ 熟語「年(とし)有り」→「五穀が皆よく実る」こと。

...ご覧のように、年(とし)というのは、「作物を植え、それが実り、収穫をするまでの期間」を基本的観念とするものであるということがお分かりになると思う。  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-12-23 14:21 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー123 (通巻第474号)

 tap の語義の探究という点からは少々脱線気味になるが、「 pa 歳・年 」という言葉について考えを進めたい。アイヌ民族の時間観念の一つである「 一年 sine-pa 」の捉え方の問題である。アイヌの語り物のユカラ(yukar)には、例えば年数を表すのに、「夏の年三年、冬の年三年」という言い方をする。夏が三回巡り、冬が三回訪れるという意味なのだろうが、これは果たして現代の日本人が意識する「三年」を意味するのだろうか。少なくともアイヌの先人たちは、夏の年三年と冬の年三年の、合計六年が過ぎたと意識していたのだろうと私は考える。上古の日本でも、現代で言う「一年」を、やはり、「夏の一年と冬の一年を併せて二年」と意識していた節(ふし)が有るのである。証拠はカッコ付きの「歴史書」、日本書紀に出てくる。

▽ 戦前の日本では大東亜共栄圏という身勝手な国家構想があり、日本は神国で、現人神(あらひとがみ)である天皇陛下の許で、日本国民が東アジアの人々を導き、共に繁栄する国を創る資格と能力が有るのだと、そう内外に宣言していたのである。日本の国は、神代の昔から二千六百年もの歴史を持ち、中国の歴代王朝はもとより西洋のキリスト生誕よりも更に古い時代から続いているのだと。
...日本書紀によれば、飛鳥時代の推古天皇の即位以前に、神武(じんむ)天皇から始まって崇峻(すしゅん)天皇に至る三十二代の歴代の天皇が、西暦・紀元前660年から紀元587年迄の合計1247年間を統治したことになっている。天皇によって治世の長い短いは有るのだが、単純に計算して1人の天皇が約40年の間帝位に就いていた事になる。ここまではあり得る事と見る事もできようが、紀元前の部分、キリスト教よりも古い伝統が有ることを強調するためにでっち上げられた架空の天皇の治世の時代を含め、660年を11人の天皇が統治したと言うのである。1人60年の在位は如何にも長過ぎる。零歳児で天皇位に就くことはあまり無かっただろうから、天皇は平均70歳までは生きたことになる。

▼ 日本書紀は、天皇の数を水増ししていることは周知の事だが、それにしても70年以上天皇が生きたと言うのは、当時の人々の平均寿命を考えると有り得ない記述なのである。一年の捉え方が違っていたのである。夏の年と冬の年の一巡りにより、天皇は
1年で2歳の歳を加えたのだと考えると計算が合うのだ。天皇は、稔りの季節ごとに、つまり、新しい歳を迎えるたびに新嘗祭(にいなめさい=稔りを神と共に祝う祭り)を執り行った。1年に2回の収穫が有り、2回の新年の祭りを行う訳だから、天皇は、当然に一年の間に二歳の年令を加えることになるのである。そう考えれば、日本書紀が書かれた当時の人々にとっても、天皇の年令が70を越えることはウソには見えない記述になったろう。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-12-22 12:19 | Trackback | Comments(0)