人気ブログランキング |

<   2019年 03月 ( 31 )   > この月の画像一覧

生産活動に見る縄文と弥生ー222 (通巻第573号)
 河に仕掛けられた魚とりの罠の話で、いきなり汽車( train )が走り出し、さぞやびっくりされたろう。トレーニングで鍛えるなどと言う言葉が、なぜ「編む」や「織る」に関わるのかと。こんな一見まるで無関係に見える言葉が、太い糸や血管で繋がっていると言うのだから、言葉と言うものはつくづく不思議なものである。
...幌馬車隊の話を持ち出したのは、実は「 tes 」の語意を深く追究しようとしたためなのである。馬車隊が整然と進めるように
一台一台の馬車が右へ曲がったり左へずれたりするのを防ぐため、馬車隊の指揮者は号令をして隊列を整えるのである。それは、魚を仕掛け網や罠の竹籠に真っ直ぐに追い込むように木杭を並べた魚道を作ることに似ている。だが、もっと「 tes 」の観念に近い外国の語例があるので、それも紹介しよう。
 昔、子どもの頃に見た「西部劇」に、西部の牧草地からアメリカ大陸を横断して運んできた大群の牛たち( catle )を、東部の目的地の牧場の柵に追い込む場面があって、凄い迫力だなと圧倒された思い出がある。
...大群の殺到する牛たちを、短い間に安全に柵の中に誘導するのは至難の技で、主人公のカウボーイたちも四苦八苦する様子が
描かれていた。テレビでも「ローハイド」という超人気番組があって、こうしたシーンはお馴染みであった。

▽ そこで、この牛を追い込む場面で牛が混乱して怪我などをしないよう、カウボーイ(牧童)たちは鞭を振り大声で叫んで、列を乱す牛を正しい牛道へ追いやるのである。その際の牛の通り道になる細い道のことを「 run-way 」と言うのだが、これがアイヌ語の、対象は牛でなく魚だが、「 tes 魚道 」の観念に似ているのである。牛でも魚でも、出っ張ったり曲がったりするのを力で矯正して整然と進ませる、そういう感覚である。

▼ 一見無関係の言葉同士の、しかし不可思議な深い縁を暗示する大和言葉の語彙を、汽車に続いて紹介しよう。何故、汽車とか
トレーニングを持ち出したのかは、次に持ち出す二つの言葉を通じて、なぜ「汽車」や「鍛える」を唐突に持ち出したかの理由の方も意味が理解して頂けると思うのである。そしてそれは、アイヌ語の「 tes 」の意味に繋がるのは勿論のことである。
...大和言葉に「弟子(でし)」という言葉がある。また、これと関連を持つ語彙で、商人の用いた「丁稚(でっち)」という語彙もある。

◎ ご推察のように、この「弟子」も「丁稚」も、アイヌ語の「 tes 」に音韻的にも意味的にも繋がっていると、そう私は思っているのだ。両語とも漢字が使われている関係で漢語由来の言葉だと思われている方が多いと思うが、実は元々漢語なのではなく、
大和言葉に当て字をしたものなのだ。ただ、「弟子」の方は全くの大和言葉ではなく、中国語にも少し意味合いの違う語で弟子という単語は有るのだが、その「弟子」はあまり用いられず、別の単語で(例えば門弟など)弟子等を表している。
 弟子や丁稚の大和言葉である由来は、次回で語るしか無いようだ。
   (次回につづく)


by atteruy21 | 2019-03-31 17:42 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー221 (通巻第572号)
 アイヌ語の「 tes-ka 」と言う言葉が、幾つかの行為を組み合わせて作る一体としての「魚を獲る罠=漁獲装置」を表すと言うことは、ほぼ間違いが無いようだ。そこで、この事を関連する複合語で検証した上で、その複合語がどんな新たな意味を獲得して行くのかを見てみよう。

▽ 「 teskao テシカオ」と言う言葉がある。
 ①中川辞典 テシカオ teskao 【動詞1 ? 】棒状のものをバラバラにならないよう紐で繋ぎ合わせる。
 ②萱野辞典 テシカオ teska-o  糸で編む
...二つの辞典では、 teskao に、ともに糸で編むとか紐で繋ぎ合わせるの語意を当てている。語源をどう見るかで、両者はほぼ同じ見方をしているのが分かる訳だが、念のためその語構成を再現して置こう。

▼ 両者とも「 teska (魚罠)・ o (~を置く・入れる) 」と、その語源を解釈していると思われる。「罠を掛ける」と解釈しても良いだろう。しかし、問題となるのは、この魚獲りの観念が、何故「糸で編む」だの「紐で繋ぎ合わせる」などと言う別の概念に意味合いが移行するのか、意味にズレが生じるのかと言うことである。
...それは、この「 tes テシ 」と言う言葉に全ての秘密が隠されているからである。この「 tes 」の原意は、中川辞典の記述がより正確に把握しているように思われるので、これを検証しよう。

◎ 「(木や草などの)棒状のものを、バラバラにならないよう(糸や紐で)繋ぎ合わせる」...中川辞典では、この解釈はあくまでも
「 teskao 」と言う複合語に対する解釈上の見方なのだが、私は「 tes 」の一語に、既に「バラバラにならないようにする」と言う意味があると考えたいのだ。そして、その意味こそが糸だの編むだの、織るだの繋ぐだのに発展して行くのだと。

☆ tes に関連する接尾辞で「 tes-natara 」と言う語句がある。「...-natara 」と言うのは、「~という状態が続いている」という意味を述語に付け加えるアイヌ語に特有の接辞である。それでは、この「 tes-natara 」はどんな風景を語っているのか。
 萱野辞典の記述では、「穏やか」、「滑(なめ)らか」、「平たい」などが挙げられている。
...私は、「 tes 」は、木や草を打ってデコボコを無くしたり、繊維の筋をキチンと一方向に整える、棒などがバラバラの状態であれば、それを纏めて繋ぎ止める、そんな行為や状態を表していると思うのである。英語で言う「 train 」が、この「 tes 」の語意に近いと思うのだ。トレインは幌馬車隊の列を思い浮かべて頂ければ分かるのだが、個々の馬車が出っぱったり引っ込んだりして列が乱れれば、これを正して一列に整然と並ぶようにする。そう言うのを「 training 鍛える 」と言うのである。
 「 tes 」は、「バラバラにならないよう纏める」を意味し、 そのために糸で編み、紐で繋ぎ止めるのである。これが、アイヌ語の「 tese 編む 」に繋がって行くのだ。   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-03-30 17:39 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー220 (通巻第571号)
 私の説明の口調が速すぎるようだ。アイヌ語「 tese 編む 」の語幹を成すと思われる「 tes テシ 」と言う語の説明で萱野茂辞典の説明をそのまま紹介するだけで、それで事足れりとしたのだが、若い読者もおられる事から、やはり詳しい補足説明をしておく事が必要だろうと思い直したのである。

▽ 萱野茂氏の「 tes 」の説明文を再掲し、補足説明を加えたい。
...テシ【 tes 】すがら ; 魚を導くための木杭にヤナギの柴を千鳥掛けにする。
 この文章を見ただけでは、若い人にはサッパリ何を言っているのか皆目(かいもく)見当がつかないだろう。幾つかの語彙について説明をしよう。
 『すがら』...魚を獲るための、例えば竹で編んだ籠状の罠に魚を誘導する木の杭の列を「すがら」と言う。この「すがら」と言う言葉は、「道すがら」だとか「夜もすがら」だとか、色々な熟語に利用される便利な言葉だが、ここでは本題から外れるのでここ迄としよう。一種の「魚道」のことである。
『柴を千鳥掛けにする』...柴と言うのは木の小枝を言う。設(しつら)えられた木杭の魚道(すがら)に、ヤナギの木の柴(小枝)をカムフラージュのために紐で結んで、杭の間に置く訳である。最後に、「千鳥掛け」と言うのが難問だろう。

▼ 「千鳥掛け」斜めに交差させること。特に、糸を互いに斜めに交差させてかがること。...と、国語辞典にある。
...tes の意味は理解頂けただろうか。萱野茂氏の「すがら」の説明は、ちょっと舌足らずの所がある訳である。
 念のため、他の辞典も覗いて見よう。中川辞典によると...
... tes 【名詞】魚を魚わなに導くための木杭の列。...とある。こちらも、やはり中途で説明が終わってしまっているようだ。

◎ 「 tes 」を辞典では魚を罠に導くための木杭の列とするのが通説だが、実は、tes という言葉自体は、語源から言えば、単に魚道を意味するだけであって、罠までの意味は無いのである。恐らく「 tes-ka 」と言う語が、全体として魚道の木杭や、その前に置くヤナギの柴の千鳥掛けを含む、一体としての「魚とりの罠」を意味する語彙として成立したのだろうと私は考える。
...何故「 tes-ka 」なる語を勝手に持ち出すのか、と疑問を呈される方があるかも知れない。

☆ どのアイヌ語辞典にも「 ka 」と言う語彙が載っている。萱野辞典 カ【 ka 】(糸で作った)罠。
 カ ka 【名詞】木の内皮の繊維で作った糸。(中川辞典)
 カ ka 【名詞】(紐で作った)わな。 カ アリ ka ari 「わなをかける」。(中川辞典)
...糸や紐で作った罠、どうやら核心に近づいて来たようだ。以下は、次回のお楽しみと言うことにしよう。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-03-29 14:56 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー219 (通巻第570号)

 大和言葉では、衣料に関する語彙は、ほぼ「縫ふ」の一語で語られていた。アイヌ語も似たようなものだと述べたのだが、さすがにアイヌ語では「 ninu 」の一語では済まず、大和言葉の「織る」に該(あ)たる言葉は、「 sitayki シタイキ 」と表現される。これは本来の意味は、一般的に動作を表す「叩く・殴る」と言う語彙である。
...「 attus sitayki 」と言うと「厚司(あつし)を織る」と言う意味になるのだが、萱野茂氏によると「 sitayki 叩く」と言う言葉を用いるのはヘラで叩いて織るのでこう言うのだと説明されている。
...「 attus 厚司 」と言うのはオヒョウ・ニレの木の皮から採った繊維で織った織物、着物のことである。

▽ ただ、上記の語例を注意して観察すると、この表現は厚司を叩いて織ると言っているに過ぎず、「 sitayki 」と言う動詞は、必ずしも「織る」を意味していない、「叩いて作る」と言う程の意味しか無いのだと言うことが分かるのである。

▼ では、「織る」とか「編む」に該たるオリジナルのアイヌ語は無いのかという疑問が当然に出てくるだろう。もちろん有るのである。
...「 tese ・(敷物など)~を編む 」(他動詞)という言葉である。これが「 itese 」となると、「蓙(ござ)編みをする」と言う自動詞になる。この語は「 i = それ・ tese = を編む 」と分析されるが、ここで言う「 i ・それ 」は勿論「蓙(ござ)」のことを指すのは言うまでもない。

◎ この「 tese 」の方は、草や糸などを「編む」、「組み合わせ揃(そろ)える」を意味するオリジナルのアイヌ語だろうと私は思っている。
...それは、この「 tese 」の語頭の「 tes テシ 」という音(おん)が、或いは語彙と言っても良いのかも知れないが、他の語彙に繋がる、編むの語意に繋がる動詞や名詞の存在を暗示するからである。

☆ 萱野辞典に、気になる語彙が有る。
...テシ【 tes 】すがら ; 魚を導くための木杭にヤナギの柴を千鳥掛けにする。川で魚を獲るために刺し網を仕掛ける時に、少しでも「すがら」を作るとサケを獲りやすいものだ...と解説されている。
...テシカオ【 teska-o 】糸で編む。テシカオ サラニプ= 糸で編んだ袋物。

 この二語の検証は、次回以降に回さねばなるまい。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-03-28 21:27 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー218 (通巻第569号)

 砧(きぬた)という大和言葉が、どうやら「木や草(植生)を打つ」という意味を含みそうだという事が分かった。打つ対象が特定できた所で、次はその打つという行為によって何がもたらされるのかという事が問題になるだろう。大自然の中から、植物を打つことによって、取り出すものは何か、ということである。
...予告した通り、木や草を叩いて古代人が取り出すのは、植物性の繊維であり、言葉を替えれば、糸や布(ぬの)のことである。

▽ 古い時代の日本列島では、大和言葉にしてもアイヌ語でも、身に付ける衣料に関する言葉はごく少数の限られた語彙であり、例えば「縫う」、「織る」、「編む」、そして「刺繍する」等を表すのは、大和言葉に於いては、驚くことに、たった一つの語「縫ふ」で間に合わされていたのは既に述べた通りである。
...そしてまた、アイヌ語にあっても事情は殆ど変わらず、「 ninu 縫う 」と言う言葉が衣料の中心語彙であった。

▼ 今ここで、短絡的に大和言葉「縫ふ」とアイヌ語の「 ninu 」が同一の語彙の変形だと結論付けるのは性急に過ぎ、危険でもある。いま暫(しばら)く、大和言葉の世界に遊泳して古い言葉の余韻を楽しもう。それが案外、アイヌ語との、或いは縄文語との関連を示唆してくれるかも知れないからだ。

◎ 「布(ぬの)」という言葉が気になるのだ。万葉集を覗いて見よう。東国の素朴な若者の歌である。...
...筑波嶺(つくばね)に 雪かも降らる否(いな)をかも かなしき児(こ)ろが 布(にの)干さるかも
(現代語訳)筑波の嶺に雪が降っているのかなあ。違うのかなあ。いとしいあの娘が(白い)布を干しているのかなあ。
...「にの」は布(ぬの)の東国の方言である。
《参考》布を干すのは、水に晒した布を乾かすため。筑波山一帯に雪が降っているのかと思うまでに、白い布を干し並べた様子である。

○ ご覧のように、一地方の方言ではあるが、「にの」と言う言葉が布を表しているのである。「布」は麻、からむし、葛などの繊維で織った織物の総称と古語辞典にはあるから、「にの」は繊維や織物を指すと言って良いだろう。また、中央では失われた古い言葉が地方に方言として残るのは、言葉の伝播(でんぱ)・変化の一般的特性であるから、「ぬの」と言う言葉は、古い形は東国の「にの」であったとも考えられなくはないのである。
...「にの」が、繊維や布を意味していたとすれば、アイヌ語の「 ninu 」と言う語に繋がっていると考えても、非常識と罵られる謂れは無いと私は思うのだが...。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-03-27 16:07 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー217 (通巻第568号)

 アイヌ語に「 ki-nup キヌプ 」という言葉がある。...萱野茂アイヌ語辞典に...
キヌプ【 ki-nup 】平原、カヤ原、草むら ...と登載されている。

▽ アイヌ語では、「 nup 」は「原っぱ」の意味であるから、「 ki-nup 」の「 ki 」は木や草を表すという事が推察される訳である。萱野辞典の最初の語彙の「平原(へいげん)」は、木か草の生えた原っぱを意味するのだろう。何も生えていない平らに開けた場所を指すということも理論上はあり得るかも知れないが、普通、そういう殺風景な所は「原っぱ」とは言わない。
...カヤ(榧・萱・茅)は樹木、高木(こうぼく)を指す事が多い。横に繁茂する木というよりも、スッと上に伸びる木のイメージである。

▼ 私が注目するのは、最後の「草むら」という言葉である。「草むら」は漢字一字で書けば「叢(くさむら)」で、大和言葉での語の構成は「草・群(むら)」となるだろう。アイヌ語に逐語的に対応させると、「 ki 草・ nup 群 」となる。
...いずれにせよ、アイヌ語の「 ki 」には、「木」に限らず「草」という意味も有るということは間違いなく言えそうである。 木や草のことを、恐らくアイヌの古人、イヤ、縄文人たちは「 ki 」と呼んだのだと私は思っている。同じ縄文人の末裔である大和人の言葉「木・き」との関係を考え合わせると、「 ki 」という音(おん)は「スッと立つ・伸びる」という感覚を中心概念として成立したと、そのように私には見える。大和言葉の杉(すぎ)とか薄(ススキ)という発音は、この「スッと立つ」を表しているように、私の言語野は叫んでいるのだ。

◎ ところで、木のことをアイヌ語の普通の言い方では「 ni ニ 」と言う。私はこの「 ni 」を、古い縄文語の「 ki 」から変化した新しい発音だと思っている。詳しく解析する時間的余裕がないので、道筋だけは触れておく形を採らざるを得ない。
...前にアイヌ語の所属形の話をした。特定の名詞の、例えば身体部位の顔などの「~(誰々)の顔」などを表す文法上の概念だが、日本語にも同じような表現が有るのである。

☆ 「花は桜木(さくら・ぎ)人は武士」と言う慣用句があるが、ここで言う「さくら・ぎ」の「ぎ」という言葉は、「桜・の木」というアイヌ語の所属形(具体形)と同じ機能をもつ語法なのである。実は、この「何とか・の木」を表す、「き」に濁点を付けた「ぎ」という音が、アイヌ語では後に「 ni ・ニ 」に音韻変化をして行くのである。

...「きぬ・た」と言う言葉が、木や草を打つという観念と結び付くという所までは、少なくとも、そういう可能性があるということ迄は、ご理解が頂けただろうか。   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-03-26 10:51 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー216 (通巻第567号)

 大自然の何かを打って、そこから有用な何かを取り出すという「生産」の観念を、アイヌの祖先たちは「~ ta 」という構文で表した。「 toy-ta 田畑を耕す」、「 wakka-ta 水を汲む 」、「 cip-ta 舟を作る 」などなど。だが、何を打って何を取り出すのかについては、最近になって初めてこのブログを覗かれた方には、何の事やらサッパリ訳が分からないという気持ちだろう。一々の繰返しは避けて、ただし一語だけは改めて説明を加えて置かないと、新来の読者の方には酷と言うものだろう。

▽ 「 cip-ta 舟を作る 」という言葉だけは、説明を受けずに独力でその構文の意味に到達することは、どんな天才にも不可能なことに思われる。 cip チプというアイヌ語は、舟という意味なのだが、これは構造船ではなく一本の木から彫り上げた丸木舟のことである。アイヌは一本の丸太を彫り上げて小舟を作る訳だが、「 cip-ta 」の「 -ta 」は、どういう意味の動詞なのかという事が問題になる。直接的には「打つ」という行為を指すのだが、ここでは「彫る」と訳されている。他にも、この「 -ta 」が語尾につく動詞の表す具体的な行為は「(水を)汲む」であったり、「農作業をする」であったりするのである。様々な内容をもつ行為を「 -ta 」という一つの動詞語尾で括れるのは、その「 -ta 」という音(おん)が神秘的なカムイに関わる力を意味するものであるからに他ならない。重複を避けると言いながら、また繰返しの論議になってしまった。チプタに戻ろう。

▼ cipta-cikap という鳥がいる。キツツキのことであり、チプタ・カムイとも言う。キツツキは、木の皮の下にいる虫を追い出し、出てきた所を捉えて喰うために、盛んに木を嘴で突つく。英語でも wood-pecker (木を突っつくもの)というが、語の発想は日本語やアイヌ語と同じである。この木を突っつく姿をアイヌ古人は、まるで丸木舟を彫り上げているようだ、と見た訳である。

◎ さて、本題の「きぬ・た」の分析である。何を打ち、何を取り出すのか。ここで言う「きぬ」は、いったい何を指すのか。
...前回では、「木を打って・繊維を取り出す」と断定的に述べた。だが、これは百パーセント正しい分析ではない。「木を」とした部分が、実は言い過ぎなのである。正しくは「植物を打って」とすべき所を、植物を代表して「木を」とした訳である。

 私が想定する古代語の「縄文語」では、木や草のことを「 ki 」と言った。そう私は考えている。その考えには、一定の根拠が有ると私は信じているのだ。それは現代の日本語やアイヌ語にその痕跡がハッキリと残されているからである。

☆ 取っ掛かりの語例に、先ずアイヌ語を挙げよう。
...「 ki 」というアイヌ語がある。
キ【 ki 】①カヤ〔榧〕 ②簾。火棚の簀(すのこ); オニガヤなどで作る。...  以下、次回に。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-03-25 11:41 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー215 (通巻第566号)
 大和の人々は、布を杵で打って布地を柔らかくしたり、布を打つことによって布に艶(つや=光沢)を出す技術を持っていた。
その布を叩く作業を古くから「砧(きぬた)を打つ」と言い慣(なら)わして来たのである。実は、「きぬた」と言うその一語だけで「何かを・打つ」を意味するのであって、「砧を打つ」という言い方は、馬から落馬するというような重複表現になる訳である。
...だが、恐らく縄文の昔にまで遡るだろう古い言葉の砧(きぬた)の意味は、漢字を取り入れた時代の大和人には、既にその語の生い立ちや正確な意味のニュアンスは分からなくなっていたのである。

▽ 微(かす)かな縄文の記憶を辿(たど)って、大和人たちがうっすらとでも理解ができた「きぬた」という語に隠された意味は、語尾にある「~た」という音(おん)に、「何かを打つ」という意味があるという事だけであったろう。砧を打つという行為を素直に見れば、その何かと言うのは打つ行為の対象となる「布(ぬの)」か、或いは「叩き台」かのいづれかになるだろう。大和の人々は布地を打つと考えたに違いない。布地を打って艶(つや)や柔らかみを出すのだと。

▼ この大和人の分析は、一見それらしく正しそうに見える。客観的に見ても、打つ対象は布であり、何ら不都合は無いからだ。だが、この打つ行為によって何がもたらされるのか。砧(きぬた)という言葉の神秘的な点は、打つという行為の内容を表すだけでなく、その打った結果までを含意する点に有るのである。大和人にも、うっすらとその辺りの事は理解されていた。だから、布地を打って光沢や柔らかみを出すのだと、そう考えた訳である。

◎ だが、打つ対象となっている「布」は、「きぬ」と読むのであって、即ちそれは「絹」と同義であり「光沢のある糸」ないし「その糸で織った織物」なのである。つまり、打つ対象と打つことによって得られる物が同一の物となる訳で、布(ぬの)を打って布(ぬの)を作り出すという、重複し、かつ背理した表現になってしまうのである。

☆ 途中まで言いかかったアイヌ語の「 ~ta 」の語法が、俄然(がぜん)、「きぬた」の謎解きの主役に躍り出る、と私は考えている。
...toy-ta 土を打って・作物を取り出す、...cip-ta 木を打って・舟を取り出す、...wakka-ta 土を打って・水を取り出す、

 さんざんに述べてきた、「大地に手を加えて、大地(カムイ)から恵みを受ける」という、アイヌの生産の基本的な概念の、その同じ世界観が、大和言葉の「きぬた」に表れているのである。「 kinu-ta 」=「きぬ・た」という語句は、「布・きぬ」を打って「光沢を出す」という意味でなく、「木を打って・繊維を取り出す」という、大和人や現代日本人の解釈とは、かなりかけ離れた意義を持っているのだ。そのように私は信じている。詳細は、次回で語ろう。
  (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-03-24 16:28 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー214 (通巻第565号)
 大和言葉の「縫ふ」と言う語彙は、衣・食・住のうちの「衣」に関わる事柄を、広く表す機能を持っているのだと言う事実が、古語辞典をほんの一瞥(いちべつ)しただけで分かった訳である。そして、その「衣」と言う漢字は、大和言葉では「きぬ」とか「ころも」とか読まれるのが普通である。ならば、先ず、その「きぬ」という音(おん)が、いったい如何なる観念を大和の人々の脳裡に思い浮かべさせたのか、その事を考察するのが順序という事になるのだろう。

▽ きぬ【衣】(名詞) ①着物。衣服。 ②顔の皮膚。地肌(じはだ)。
《参考》上代では衣服のことを「きぬ」「ころも」「そ」と言ったが、平安時代に「きぬ」が一般的な言い方となる。..以下省略
  きぬ【絹】(名詞) 蚕(かいこ)の繭(まゆ)から採(と)った繊維。絹糸。また、それで織(お)った織物。絹織物。
...さて、ほんの僅かの語例を眺めただけで、「きぬ」の音が、衣服や繊維や「織る」という概念に繋がっていることが分かる。

▼ そこで、前に触れた「砧(きぬた)」という語彙の登場である。これも古語辞典で確認してみよう。
きぬた【砧】(名詞) ①[(組成)《きぬいた》の略〕つやを出したり、柔らかにしたりするために、布地を打つのに用いる木または石の台。また、布を打つこと。冬に備えて多く秋に行い、その打つ音は哀愁を帯び、詩歌の題材となった。...とある。

◎ 古語辞典ではいずれも、「きぬた」を「きぬ+いた」と分析し、敢えて漢字を当てれば、「布(きぬ)・板(いた)」と解釈している。これは中国語にも「砧 zhen チェン 」いう語彙があり、それは物を叩いたり潰(つぶ)したりするとき下に敷く器具のことを言う。普通に日本語で言えば金床(かなとこ)とか金敷(かなしき)と呼ばれる物なのである。それは金属を加工する道具なのであって、トントンと布を杵(きね)で打つ、風情のある「砧(きぬた)」とは似て非なる、イヤ、全く別のものなのである。
...同じ物を打つ作業であっても、全く趣を異にする「砧」という漢字を、何故、大和の人々は「きぬた」と響く自分たち固有の語意に当てたのか。それが究明されねばならないだろう。

☆ 「きぬた」という語彙は、漢字を取り入れる以前の古い時代からあった言葉である。この古くからの言葉、古くからの作業に漢字を割り振るに当たり、大和人は大いに苦労したのであろう。言葉の成り立ちが、もう当時の大和の人には理解できなくなっていた中で、「何か(きぬ?)」を「打つ」という実態だけは理解していた大和の人は、「物を打つ道具」を意味する「砧(=金床)」という語彙を、そういう漢字を用いざるを得なかった訳である。
...何故、「きぬ・た」と言う音(おん)が「何かを・打つ」ことだと理解できたのか。ここで、思い出して頂きたい事が有るのだが、それはアイヌ語にも繋がる「~ ta 」、あの「何かを打って、そこから何かを取り出す」と言う、例の語彙であり、構文なのである。何を打って、何を取り出すのか、それは次回以降で詳しく語ることになろう。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-03-23 13:38 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー213 (通巻第564号)

 物と物の間を折れ曲がり進むことを、大和言葉では「縫ふ」と言う。針で縫われた糸は、布の表面に、布の裏側へ、針の進むに従って或いは姿を現し、或いは姿を隠す。「ぬふ」とは、大和人にとってそのような観念を含む言葉であった。
...一方のアイヌの古人は、灯(あか)りが点滅するような状態を「 nin-nin 」と言い、また人が針を使って布を縫うような時にも、同じように「 nin-ninu 」と言ったようだ。アイヌ語の「 ninnin(u) 」には、どうも「交互に相反する状態になる」と言う意味合いが強いようだ。

▽ さて、「縫う」と「 nin-ninu 」の直接の音韻比較を行う前に、先ほど説明を後回しにしたアイヌ語の「縫う」にあたる別の言い方に、きちんと説明を加えて置いた方が親切と言うものだろう。それは、「 ukauka 」と言う言葉なのだが、この重ね言葉はどんな意味を表して、そして結局は「縫う」という意味に落ち着くことになるのか、その辺の説明が必要になるだろう。
...「 ukauka 」と言うのは、「 u- 互いに・ -ka ~の上に 」の重ね言葉で、「交互に・上になる」を意味し、繰返しの動作を表す色々な熟語を形成する。「縫う」という動作も、布の表側へ裏側へ針と糸が行ったり来たりを繰り返す訳で、そういう意味においては、明かりの点滅と同様、繰返される相反する動きを示すのである。

▼ ところで、「縫う」という言葉の成り立ちを考えるという事なのだが、やはり先ず、大和言葉の「縫ふ」の正確な定義付けをして置くことが必要だろう。現代人の我々の感覚とは、この古語の「縫ふ」は一味も二味も違うのである。先ず、その事に注意を払わないと、論理が空回りしかねないのである。古語辞典で念のため確認をしよう。

...ぬふ【縫ふ】①縫う。衣服を作る。②編む。《例文》人皆の笠に縫ふといふ有間菅(ありますげ)...[万葉・十二・三○六四]
③繍(縫い取り)をする。

◎ ご覧のように、大和言葉の「縫ふ」は広い意味を持っており、実は、これはアイヌ語でも同じことが言えるのである。
...二つの言語は、語彙の発音こそ若干の違いを示しても、この衣服や布に関する語彙は、例えば「縫う」、「織る」、「編む」「刺繍する」などは、現代語でこそ別々の語彙に分岐してはいるが、古代ではそれぞれの言語で一つ、ないし、精々二つの語彙で語られていたのである。次回以降で幾つかの語例の検討を進めるが、こうした意味で先ず取り上げねばならないのが、「きぬ」と言う言葉だろう。それは、絹、衣(きぬ)などは勿論、例えば「砧(きぬた)」などと言う隠れた同意語、誤解されてそのまま辞典にまで誤った形で登載されている語彙まで有るのだ。「砧(きぬた)」の正しい分析は、いったい如何なる展開になるのか。楽しみにお待ち頂きたい。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-03-22 16:13 | Trackback | Comments(0)