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縄文語ってホントに有ったの❓ーその9 (通巻第603号)
 「 suwe 」と言う古い縄文時代の言葉が有ったと、私はそう考えている。それは後の時代のアイヌの人々には「煮炊きする」と言う動詞の形で残り、大和の人々には「土器」や「陶器」と言う物の名称として伝わったと...。

▽ ここで、土器が何処へ行ったのどうのと、何処か下向きになってしまった視線を再度上向きに戻して、アイヌ語と大和言葉を巡る小さな旅をして、気分転換をしてみようと思うのだが、どうだろうか。...とは言っても料理の噺ではあるのだが...。
...アイヌ語の「 suwe 」に私は「煮炊きする」という訳(やく)を付す。だが、実は「煮炊きする」を表すアイヌ語は「 suwe 」
だけではない。著名なアイヌ語話者・萱野茂氏の辞典では、煮炊きや料理に関する語彙は幾つも登載されているのだが、これが、日本語との関係まで示唆して、なかなか興味が尽きないのである。さっそく見て頂こう。

▼ 萱野茂アイヌ語辞典より
...suwe 煮る ...suke 煮炊きする ...supa 煮る・茹(ゆ)でる ...ci (チ)煮える・焼ける・熟す・枯れる
 上記の語は動詞の意味を持つ語彙の一部だが、名詞やその関連語句も拾って見よう。
...su (ス)鍋(なべ) ...su-o-uhuy 鍋が焦げる ...su-opus 鍋に穴があく ( opusi 破る・破れる・穴をあける )
 su-pop 鍋が煮立つ

◎ 萱野茂アイヌ語辞典(続き) ... 既に出た語彙の分析に関わる語句
...スケ suke 煮炊きする・炊事する・料理する ...suke-makiri 包丁 ...sukep -hura 飯の焦げた匂い
...と、ここ迄来て気が付いた方がおられよう。

☆ 後でも検証するが、アイヌ語で「 su ス 」という音(おん)は、「加熱する」という観念が中核になるようだ。だから、「 su 鍋 」という語は、「加熱するもの」が原意だと思われる訳である。...とするならば、しからば「 suwe 」と「 suke 」と、似たような意味を持つ語彙の、その違いを表示する語尾の「 -we 」と「 -ke 」の役割は、いったいどんな違いが有るのだろう。

...実は、「 su-ke 」の方は「加熱する」という原義から離れて、独り立ちして「料理する・調理する」の方向へ歩み始めた進化途上の言葉だと私は思うのである。
★ その第一の物証は、「 suke-makiri 包丁 」という語の存在である。「 suke 調理する・ makiri 小刀 = 包丁 」は、例えば野菜や魚、肉などを切る場合にも用いられ、必ずしも加熱の観念を含まないものである事は自明のことである。
...また、第二に「 suke-p hura 焦げ飯の匂い 」という語彙は、調理された用意された食べ物という新しい概念を産み出しつつある状況を示していると思われるのだが、これが大和言葉にも関わって...。  (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-04-30 11:59 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ーその8 (通巻第602号)
 「陶(すゑ = suwe )」という言葉が「縄文語」の実例である、それが縄文の証明であるとアッサリと言い抜け、それで済ましてしまう積もりでいた。だが、それは独り善がりと言うもので、大勢の人にとっては、特に、最近このブログを訪れてくれた人には、「何を言っているのか解らないよ ‼」と言われてしまうのが精々(せいぜい)の所だろう。改めて説明しよう。

▽ 私は、縄文土器を用いて暮らしていた人々の話していた言葉を、少なくとも一つだけは特定し、その発音を推定して再現することができる。それが「 suwe 」と言う名詞である。その「すゑ = スウェ」という音(おん)は、単語としては「土器 = 陶器」という意味を表す。粘土を捏(こ)ねて造型し、それを炉で焼いて容器などに用いたのである。

...なぜ「 suwe 」と言う音(おん)が、土器を表す古い縄文時代の言葉だと推定できるのか。それは勿論、その「縄文語」を想定しないと、現在に遺(のこ)る言葉と逆に廃(すた)れてしまった言葉との脈絡が説明できないと言う不都合が生じるからである。
具体的に説明しよう。

▽ 現代の日本語では、「土器」や「陶器」に該たる固有の、大和言葉の流れの中の語としては廃れてしまって存在してしない。土器や陶器という言葉は、漢字で書かれている通りの外来語である。実は、土器にあたる言葉は、古語としては、「かわらけ」というのが有った。それは、釉薬(うわぐすり)をかけずに焼いた、素焼きの陶器を意味し、特に、杯を意味したのである。いわゆる土器( pot・ pottery )一般の、容器を意味する語ではなく、皿・杯に特化されてしまったのである。「容器」を中心的な意味とする大和言葉と言えば、実は、つい最近まで「陶(すえ)」という語彙もあったのだが、現代語に至るまでは生き残れなかったのである。ただ、陶器製作に携わった職能集団の人々の名に、例えば、毛利氏と瀬戸内海の覇権を争った戦国大名の陶(すえ)氏などの家名に残っている。陶氏は、恐らく陶器造りの人々の子孫だったのだろう。

▼ 縄文土器などの「土器 = 容器」の文化は、日常生活では廃れてしまい、その後の日本では言葉としても残らなかった。ただ、こんな言い方をすると、鋭い観察眼を持つ方は、本当に昔は土器のことを「すゑ」と言ったのかという、根本的な疑問を抱かれることになるだろう。やはり、古語辞典でこの辺を確認して見よう。

◎ すゑ【陶・須恵】(名詞)上代の、釉薬をかけない黒みを帯びた焼き物。須恵器。陶器(すえのもの)。
...「須恵器」というのは小学校か中学校の社会科や歴史の教科書で見たことがおありだろう。これは、縄文に限らず弥生式土器のことも指した言葉のようだが、「すゑ( suwe ) = 陶」と言う大和言葉が有ったことの証明にはなっただろうか。
 次回は、アイヌ語には失われてしまった「焼き物=土器」という言葉と行方と、その代わりに残った動詞としての「 suwe 」と言う言葉の秘密を考えよう。   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-04-29 10:24 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ーその7 (通巻第601号)
 縄文時代に広く日本列島を覆う形で一つの言語が人々に語られていたと仮定すれば、それは取りも直さず縄文語と呼んで良いだろう。ほぼ列島全体を覆う形で、同一形式の土器が1万年近くに亘って用いられたと言うことは間違いの無い所であるから、その土器を用いて似通った暮らし方をした、換言すれば、共通の(縄文)文化を担った人々が居て、その話す共通の言葉が有ったということも、高い蓋然性をもって言える事柄であろう。

▽ 問題は、その縄文人たちが、いったいどんな言葉を操り、東アジアにおける民族の分布の、どのような流れに属する集団の人々であったのかと言うことである。縄文人と呼ばれる人たちが、大和言葉を話す人々に繋がって行くのか、のちにアイヌ語を話す人であるのか、ひょっとして二つの民族に全く関わらない絶滅に至った人々であったのか、その何れが正しいのかと言うことである。

▼ 縄文人を絶滅させて、弥生人や古墳時代人が日本列島を蹂躙(じゅうりん)したと言う形跡は存在しない。一つの民族が完全に他の民族に入れ替わって新しい国家が出来た訳でもない。基本的には、元々列島に居住していた縄文人が、大陸や南方からやって来た集団の影響を受けつつ、その渡来した人々の血と文化を受け入れつつ生活形態を変え、弥生文化へと進んで行ったのだろう。

◎ 実は、アイヌ語と日本語(大和言葉)は、系統上は全く縁の無い、赤の他人だと言う謬論(びゅうろん=誤った説)は、アイヌ語学の草分けとなった金田一京助博士の考えに負う所が多いのである。金田一氏は、アイヌ民族の外見上の特徴を捉え、アイヌの人々を、何らかの事情で生まれ故郷の欧州から遠く離れ、極東に孤立して暮らすようになった白人系(コーカソイド)の集団の末裔だと見たことによるのだと言われている。

☆ 現在では、このアイヌ=白人説は明確に否定され、学際的研究の結果は、アイヌ民族の人々は、古モンゴロイドの流れに属する人々だというのが定説になりつつある。そうした意味でアイヌ民族が縄文人の血を引く人々である蓋然性は、かなり高いとも言い得る訳である。さて、縄文語を話した人々が、アイヌの人々に繋がるのか、それとも大和の人々に血縁のある人々であったのかの結論を出すべき所に来たのだろうか。イヤ、縄文人はアイヌと大和人の双方の先祖に該たると言うのが私の考えなのである。

★ 以前、縄文語が有ったのかの自らの設問に、自ら答えて縄文語の証明として、土器を意味する「スウェ・ suwe ・陶(すゑ)」と言う言葉を皆さんに紹介した事がある。土器と言うのは、色々な用途が有るなか、その最も重要な役割は、食べ物を「煮炊きする」という役割である。アイヌ語には土器を表すと言う意味では「 suwe 」と言う言葉は無くなってしまったが、その代わりに、
「 suwe 」と言うアイヌ語は、動詞で「煮炊きする」と言う言葉として現在にも用いられているのである。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-04-28 16:30 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ーその6 (通巻第600号)
 大陸から陸地伝いに、或いは舟で南の海から、新しい見かけぬ人々が次々に列島にやって来た。列島の旧くからの住民たちが、どのように新来者を迎えたのかは余り知られていない。
...弥生時代以前の縄文後期には、東アジアでは民族関係に大きな変動があった。例えば、中国大陸南部の江南地方の人々の一部には、民族間の軋轢(あつれき)により故地を追われ、日本列島の西海岸に住み着く人たちが少なくなかったと言う。

▽ 江南の稲作の技術をもち、農作業に用いる鉄器を手にした人々は、何かいったん事があれば、農業用器具を優れた武器として用いることが出来たのは言うまでもない。
 こうした新来の人々は徐々にその生活区域を広げ、先住の人々を、東へ北へと追い立てる結果になったのは前にも述べた通りである。
...勿論、日本列島で起きた住民の間の居住場所や力関係の変動は、中国江南の人々だけが一度にもたらしたものでなく、朝鮮(韓)半島の南部の人々の動きも、これに加わってのものであるのはご承知の通りである。特に弥生時代から古墳時代を経て、大和国家の成立に至る歴史は、韓半島南部の群小国家・諸民族の動きや抗争を正確に位置づけること無しには、全き理解は到底のこと期待できない。

▼ 前に、アイヌ語から「渡り鳥」を意味する、元々あった「 kari-cikap = 廻って行く・鳥 」と言う言葉が、ある理由によって失われたのではないかと、私が勝手に想像して、色々な理由を捲し立てたことを覚えておいでの方も有るかも知れない。その同じ理由をまた持ち出したのである。曰く(いわく)、アイヌの祖先たちは、北へ北へと追い詰められた為に、海を越えて南へ渡る渡り鳥の観念を失い、「 留まる・鳥 = tori-cikap 」だけを「鳥」と見る状況になったのであると。

◎ 私の主張が呑み込めない新しい読者もおられると思うので、少しだけ説明しよう。私の考えは、こうである。...
...昔、古アイヌ語には鳥を表す言葉は二つの大別した表現があった。それは、先ず、鳥一般を指す上位概念の「 cikap 」という言葉があり、その下に、鳥の在り方に着目した下位の概念の「渡り鳥 = kari-cikap 」と「留鳥 = tori-cikap 」の対立した項が有ったということを私は主張したのである。
...アイヌ語で「 kari 」は「廻って行く」を意味し、「 tori 」は「留まる・逗留する」と言う意味を持つことはご承知の方も有るだろう。

☆ なお、海を越え北へ渡って行く鶴や白鳥のことも「 tori-cikap 」と言うではないかと心配されるには及ばない。海を渡った樺太やシベリアは元々アイヌの生活圏の一部であり、アイヌにとっては鶴などは遠く渡って行く鳥ではなくなっていたのである。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-04-27 12:43 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ーその5 (通巻第599号)
 縄文文化は、日本列島全体を覆ったものではない。一般的にはそう思われている。例えば北海道においては、続縄文文化から擦文文化に移行しただけであって、いわゆる縄文土器は存在したことは無かったと。念のため続縄文文化の定義を見てみよう。

▽ 続縄文文化(ぞく・じょうもんぶんか) (コトバンク・ブリタニカ国際大百科辞典小項目事典の解説)
...北海道・東北地方北部の金属器文化。弥生・古墳文化に並行するものとされるが、寒冷な気候のため、依然として稲作を行わず、金属器の存在が確認されているが、石器、骨角器が基本的な利器で、縄文土器の影響を強く残す続縄文土器を使用し、狩猟、漁労の段階にある。
 この文化を担ったのは、出土遺物や人骨の特徴から、アイヌの祖先であるとする見解がある。

▼ 関連用語で、「縄文」の縄目模様の意味に関わる名称があるので、コトバンクの「貼付文」の項目を見てみよう。
...貼付文(はりつけもん)
 縄文土器などの文様。粘土の紐または粒を器面や縁(ふち)に貼り付けて装飾するもの。最古の縄文土器は豆粒土器と言い、この手法が見られる。その後、縄文時代前期に発達し、中期以降に継承される。また東日本の弥生時代中・後期の土器の一部に、ボタン状あるいは棒状の粘土を貼り付けたものもある。

◎ この二つの解説文では、北海道に元々の、「続」という字の付かない「縄文土器」が有ったのか否かについては直接に触れていない。ただ、続縄文土器という言葉自体が、それに先行する縄文土器が有ったことを前提に成立するものであるとだけ述べるに留めておこう。
...いずれにせよ、粘土の紐を作って、それを巻き上げて甕(かめ)などの形を造り、炉で焼いて出来るのが縄文土器である。また粘土の紐を粒状に切って、丸めて豆のようにし、それを土器の表面に貼り付けたのが豆粒文土器と言うことなのだろう。

☆ 縄文土器の発達の未だ初期の段階で、アイヌ民族の祖先たちは土器の製作をやめ、元々の骨角器や石器の道具を用い、また、縄文土器の影響下に続縄文土器を使い、併せて他民族との交易によって手に入れた金属器を用いるようになった。

★ 何故、手に馴染んだ筈の、使いやすい縄文土器をアイヌの人々は手放すことになったのか。それはアイヌの祖先たちが、その住む土地を変え、その食料が変わるという生活の大転換を余儀無くされたという状況が横たわっているのだと私は考える。
...大陸から、南の海から、陸づたいに或いは舟で、日本列島に次々にやって来る雑多な人々。それが土器の有る古い形の暮らし方を変えて行ったのであろう。それは、人々の口にする言語をも、必然的に変えて行く事になるのは言うまでもない。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-04-26 11:50 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ーその4 (通巻第598号)

 アイヌ語と日本語に共通の親に該たる「縄文語」と呼ぶべき言語が、この日本列島に曾て実際に存在したのかという問いから、
縄文土器の噺になった。そもそも「縄文」とは何を指すのかと...。

▽ 1万年以上の永きにわたって、恐らくは現在の日本列島の全域を覆う形で、いわゆる縄文文化が広がっていたと考えられている。煮炊きの出来る素焼きの陶器は、当時の人々の食料事情を抜本的、革命的に変革・改善し列島全体に瞬く間に、イヤ、それは言い過ぎかも知れないが、素晴らしい速さで列島人の間に広がった。素焼きの土器と言うのは、縄文人の発明ではないかと世界の人々も考える程の、それだけの歴史をもった列島人固有の生活用具なのである。
 「縄文土器」を軸として成立した生活様式、つまり縄文文化は、基本的には姿を変えずに1万年の命脈を列島の上に保ったのである。世界の歴史を見回しても、この縄文文化の在りようは類例を見ない。なぜ、それが可能であったのか。

▼ 縄文土器を使った共通の生活様式つまり縄文文化は、一つの共通語が在って、その言語が縄文文化を支えたのではないか。
そのように私は考える。縄文の時代にあっても、人々は列島内の各地は素(もと)より、小舟を操っての海外との交易さえ行っていたのは今では常識である。黒曜石を産しない遥か遠くの土地に、黒曜石が広く用いられていたのは、幅広い交易の存在を想定しなければ、説明がつかない。当時の人々にとっての黒曜石と言う存在は、調理をするにしても道具の製作にしても無くてはならない貴重な品物であった。そして黒曜石は産出地の限られた、正に希有の宝であった。

◎ こうした交易が成立するためには、身ぶり手振りを交えてのものであれ、聞いた音で何とか互いに意思を通じることの出来る共通の言葉が必須(ひっす)であった訳である。

☆ 縄文文化の支え手は、もちろん、一方はその時代に生きた列島人であり、他方はその列島人が口にした言語、つまり縄文語であったに相違ない。

...しかし、物事は何時もそう簡単には運ばない。縄文文化を支えた一方の片割れの子孫であるアイヌ民族は、早い時期に土器、つまり素焼きの陶器に訣別(けつべつ)し、異なる文化を築いたではないか。そう言う疑問が、当然に有るだろう。擦文(さつもん)文化とか続縄文文化という言葉は聞いたことがお有りだろう。この事に触れずに縄文語を縄文文化を語ることは出来ない。

★ 次回は、続縄文文化・擦文文化についても一瞥しなければなるまい。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-04-25 13:33 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ー3 (通巻第597号)

 南米に未曾有の巨大な版図(はんと)を築いたインカ帝国は、その領地の隅々にまで総計四万キロに及ぶインカ道を張り巡らし、その整備された王の道を各地の様々な物産が流通し、その物資の流通を厳密に管理する情報システムを持っていた。王の命令は、チャスキと呼ばれる一種の飛脚が、キープと呼ばれる未だ謎の解き明かされていない通信手段を用いて、次々と駅伝リレー方式で伝えられ、各地からの経済報告や軍事情報が、ごく短時日の内に皇帝の許に届けられる仕組みになっていた。

▽ ウィキペディア情報の続きをご覧頂こう。
...キープは単なる記号以上の複雑な体系をもち言語情報を含んでいることが近年の研究によって明らかにされている。
 王や役人は人民の統治に必要な情報などをキープに記録し、その作製及び解読を行うキープカマヨック(キープ保持者)と呼ばれた役人がいた。キープカマヨックは、インカ帝国統治下の各地におり、人口、農産物、家畜、武器など資源についての統計や、裁判の判例なども記録した。作成されたキープは、シャスキと呼ばれる飛脚たちによって運ばれた。往時の資料によれば、シャスキは一日280km ほどもリレーした。時速17 km である。...などとある。

▼ 最近まで、インカ文明の「キープ・結縄」というのは、単に物の数量を表すだけの記号に過ぎないと考えられていた。しかし考えても頂きたい、大帝国の巨大な人口を支える様々な物産の流通や軍事経済情報が、単に数量を表すだけの通信手段で管理され得るものだろうか。もちろん答は否(いな ‼)である。
...数量に限らず、品目の種類や命令の内容を伝える、限定されてはいただろうが言語情報がその結縄に込められ、縄目文字とも呼ぶべきものが成立していたのだろうと私は考える。

◎ 実は、この「結縄」というのは、インカに限らず、中国やエジプトなどにも有った文字の発明以前の世界共通の文化的事象であって、縄の色や結び目の位置や形状などの違いによって、かなり込み入った内容を伝えることができたと考えられているのである。

☆ もちろん、縄文土器の縄目の紋様が、文字を構成していたとは考えにくい。だが、縄文土器の表面に付けられた複雑な模様や立体的構造が何らかの言語的、精神性を表すシンボルであったと言うことは、大いにあり得る事だと私は思うのである。
...文字以前の文字、これは一つの魅力ある考え方である。以前にアイヌのカムイへの祈りの儀式で用いる「 pasuy 俸酒箸」の
話をした。アイヌの男たちはこの「パスイ」や刀剣の鞘に、心を込めて、祈りを込めて紋様を刻んだ。様々な意匠の、複雑な線や形を。ここに何らかの定型的な意味は無かったのだろうか。その事が、ずっと私の脳裏を離れないのだ。
    (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-04-24 22:16 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ー2 (通巻第596号)
 複雑な紋様や立体的装飾に溢れた縄文土器の在りように較べ、弥生式土器は何の装飾もないシンプルな造形であった。それは、生活用具としての実用性に徹した姿だと言うことが出来よう。火焔土器やその他の縄文土器は、例えば平底のものでないラグビーボールのような形の土器など、水を入れたり煮炊きをする道具としては、考えにくい構造をもったものまであると言う。

▽ 古代の遺物で用途が分からないものが見付かると、何かの宗教的な意味の有るものなのだろうと安易に位置付けられてしまうことが多いが、それは正しい態度ではないだろう。しかし、そうは言っても、弥生式土器と比較しての縄文の込み入った装飾は、実用性とはかけ離れた、その紋様に込められた何らかの精神的意味合いを想定しなければ、どうにも説明がつかないものであると考えざるを得ない。
...縄というのは、少なくとも日本に於いては、神に関わる何らかの力を意味していた。例えば神社では、注連縄(しめなわ)は、聖域を表す象徴であった。しめ縄の此方側が俗界であり、向こう側は神の領域を示すのである。

▼ 注連縄はまた蛇体を表し、永遠の生命(力)を表した。蛇は、世界の多くの民族が蛇の脱皮や生命力の強さに着目して「永遠の生命」の象徴としている。縄文土器に文様として付けられた縄の模様は、縄文の人々が自らの共同体の生命力やその永続性を神に求めた祈りの言葉であったのではないか。

◎ アイヌ紋様には、渦巻き模様( morew )が多く描かれる。渦巻きは「 mo-rew 静かになる・曲がる 」と分析される。渦は世界の永遠性を意味する。曲がり曲がって、何処へも消え失せない。渦巻き模様は、蛇がとぐろを巻いて、自らの尻尾をくわえる姿に共通する。永遠の循環、これが渦や蛇に寄せた古代人の観念にほかならない。

☆ 縄文土器の縄目模様は、永遠への憧れに尽きるのだろうか。私は、それだけでない、縄目の形に、そうした抽象的観念に止まらない具体的な意味合いが発生し始めていたのではないかと、そんな気がするのである。文字を持たない民族にとっての、文字に代わって神に祈りの言葉を伝える眼に見える何者かが。

★ 南米の古代インカに「キープ」という通信手段が有った。インターネット検索のウィキペディアの情報によると、...
...キープ quipu , khipu ケチュア語で「結び目」 紐に結び目を付けて数字を記述する方法。...とある。
ウィキペディアでは、出典が不明としつつ、注目すべき以下のような記述を続ける。
...キープは単なる記号以上の複雑な体系を持ち、言語情報を含んでいることが近年の研究によって明らかにされている。
王や役人は人民の統治に必要な情報などをキープに...以下、次回に。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-04-23 20:12 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ー1 (通巻第595号)
 日本語やアイヌ語の祖語に該(あ)たる「縄文語」と呼ぶべき言語が、本当に日本列島に曾て(かつて)成立したのか。それを検証してみようなどという途方も無い企てを、ズブの素人の私がしようとしている。優秀な学者や研究者が、専門の垣根を越え学際的な共同研究をしたとしても、それでも万人を納得させる研究成果を挙げられるか、それさえ心許ない困難な仕事であるのに...。

▽ 言語学や民俗学に全く素人であっても、「言霊(ことだま)」の不思議な力に導かれて、ふと気が付いてみたら「縄文の心」に至る秘密の通路の扉の前に立っていた。そんなことも有りそうな、そんな予感が私には有るのだ。勿論、乏しい知識を総動員して寝る間も惜しんで居眠りしてでも、材料集めに奔走したいと思っている。

▼ そもそも、「縄文」とは何か、という噺(はなし)から始めるのが筋だろう。縄文時代、弥生時代と言うのは、社会科教科書で殆どの人が小学生の頃に教わる。だが、この「~時代」のネーミングは、いったい何に由来するのか、必ずしも誰もが知っているという訳ではない。
...縄文時代、弥生時代の命名は、出土した土器の型式の違いに注目した年代の区分なのである。あの「火炎土器」に代表される大胆な意匠(いしょう=デザイン)の土器が出土する地層と、複雑な飾りをもたず、滑らかな表面をもったシンプルな造形の弥生式土器の出てくる地層に、学者・研究者たちはそれぞれの名を付けたのである。

◎ 「弥生」式土器と言うのは、その土器が出土した場所が、今の東京大学の近くの弥生町という所であったからである。一方の「縄文」式土器と言うのは、これは皆さんご存じのように土器の表面に縄目の模様が付けられたものが多かったことによる。
...なお、こちらの方は余り知られていないが、「縄文土器」という名の命名者は、大森貝塚( Shell Mounds of Omori )を発見したアメリカ人学者のモース( Edward Sylvester Morse )である。モース氏については、大森貝塚で発見した食人の痕跡をとどめた人骨を廻る、考古学界やアイヌ学会の多くの人々を巻き込んだ「アイヌ=人喰い人種論争」のきっかけを提供した人である。
...モース氏自身は、アイヌには食人の習慣はないので、それ以前の先住者の遺跡なのだと考えたようだが、人骨が独り歩きしてしまった訳である。この事は前に述べたので、繰り返しは避けよう。

☆ 縄文土器( cord marked pottery 縄目を・付けられた・陶器 )、これが命名の謂れである。縄文土器は、人の目を引く大胆なデザインで、恐らくは色彩に富んだものも有ったのだろう。火炎土器を含め、その造形のダイナミックな特徴は、どこかアイヌ紋様に連なる情念を感じさせる。暮らしの道具であるとともに、神に祈る、そのような感覚を我々に訴えてくる。

★ 縄目は、土器製作の過程で付いてしまうと考える研究者もあると聞くが、やはり神への願いに関わるものと考えるのが自然であろう。どんな想いがその縄目に託されているのか、それが次の課題である。   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-04-22 14:34 | Trackback | Comments(0)

生産活動に見る縄文と弥生ー243 (通巻第594号)
 「いそ( iso )・磯」という言葉は、大和言葉に於いてもアイヌ語にあっても、食糧の生産活動の場所やそこでの収獲の喜びを表すということが言えそうである。そこで、生産活動と収穫の喜びに関連した大和言葉で、重要な一つの語彙が私の脳裏に浮かび離れないのである。

▽ 山の幸、海の幸という言葉がある。猟の獲物の豊猟や漁穫の喜びを表す言葉である。美味しいものの喩えや暮らしの幸せをも意味する。この「さち」という言葉の成り立ちを、現代の眼で再構成することは可能なのだろうか。
...「幸(さち)」という漢字を一旦忘れて、心を白紙の状態にして、「さち」という耳で聞いた音だけを頼りに、その音(おん)の原意を探ろうという訳である。幸(さいわ)いにも、古語辞典で見るだけで参考になる考え方のヒントがたくさん有る。

▼ 古語辞典 「さち」
...さち【幸】(名) ①漁や狩りで獲物の多いこと。また、その獲物。 ②獲物を取る道具。弓矢や釣り針など。
〈②例文〉火遠理命(ほをりのみこと)、その兄火照理命(ほでりのみこと)に、各(おのおの)さちをあひ易へて用いむ」と言ひて
〈訳文〉火遠理命が、その兄の火照命に、「お互いに獲物を取る道具を取り替えて使ってみよう」と言って...
 ③幸福。さいわい。
...同じ古語辞典に、「さち」の語源として...
 → 一説によると、「さち」或いは「さつ」とは、それが付くと獲物を得る力を生ずると信じられた霊力であって、その霊力の宿った弓矢のことを「さつ弓」「さつ矢」と言い、霊力を身につけた者が「山さち彦」「海さち彦」にほかならないと言う。
「さち」「さつ」は具体的な物を指す言葉から、その結果としてもたらされる「獲物」という意味を経過して、さらにはそれを抽象化した幸福・さいわいといった意味を派生させて行ったと考えられる。...とこの辞典は解説している。

◎ 「さち」という言葉が、獲物を取る「道具」を意味したと言うことは、現代に生きる我々にとっては驚きである。だが、縄文時代を生き、弥生へと移り変わる時代の古代の列島人にとっては、生産と生活を根底から揺さぶり変化させる道具の革命は、正に神が宿ったかと瞼を擦(こす)らせる程の経験であった。

☆ 山や海での鉄製の鏃(やじり)や釣り針、畑地での鋤や鍬や鎌の登場は、人々の労働の生産力の爆発的な向上、発展を促した。縄文には無かったこれらの利器(りき=さち)が、縄文の人々にとっては「カムイ」そのものであったろう。
...次回以降、アイヌ語と日本語の親に該たる「縄文語」という言語が、実際にあったのかという大テーマに取り組んで見たい。
 → その冒頭に、そもそも「縄文(じょうもん)」とは何か、ということが先ず語られねばならないだろう。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-04-21 14:54 | Trackback | Comments(0)