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縄文語ってホントに有ったの❓ーその40 (通巻第634号)

「 sikop 生き残る 」というアイヌ語を、「目が利く」という意味合いをもった類義語の「 siknu 」という言葉に関連付けて、語源詮索の旅を続けて来た。この辺りで「 sikop 論議 」は一区切りを付けようと思う。だがもう一つ、やはり、これも取り上げて置かないと厳密な語源調べにはならないと思われる言葉がある。

▽ アイヌ語学者の中川裕氏のアイヌ語辞典(千歳方言)に「 siko 」という言葉が載っている。
...シコ siko 【動1】生まれる。 中川辞典では、記述はただこれだけで、語の構成の分析や言葉の成立の経過に関する事柄は何も触れられていない。

▼ 前回の私の記述で、達磨人形に眼を入れる噺をした。白目だけの眼球に黒々と墨で目を入れるのは、その達磨に魂を入れるのであると。「 sik-o 眼が・入る 」と言うのは、古代の人々にあっては、何かに命が宿る、或いは、何者かに魂を吹き込むという意味であったと考えられている。甲子園球児の間に今も残る「一球入魂(いっきゅう・にゅうこん)」などの観念は、古代の人々のこうした観念に繋がるものと言えよう。

◎ もう、私が何を言いたいのかはお察しのことだろう。中川辞典で言う「 siko 」は、語の構成の分析を云々(うんぬん)するまでもなく、「 sik-o 眼が・付く 」であろう。何故、「眼が付く」が「生まれる」という意味を生じさせるのか。命というものは如何なる形で形成されるのか、どのように生じるのか、狩猟民族の面目躍如の生命に対する具体的知見が、この観念と言葉を産み出したのである。

☆ 猟の獲物の解体の場面だと思って頂こう。いま、児を孕(はら)んだ母熊の胎内から胎児が取り出されたとしよう。まだ妊娠の初期で目鼻の形もはっきりせず、勾玉(まがたま)のような形の状態であれば、アイヌの先人は母熊の解体をそのまま続けただろう。これが、目や鼻がくっきりと浮かんだ状態になると、アイヌは何らかのオンカミ(礼拝)をその場で行い、母と子を分けて解体処理を行うこととなる。「 sik-o 眼が付く・入る 」と言うのは、生命の発生という神聖な出来事を眼に見える形にしてくれる、アイヌにとっての重要な指標だったのである。

★ 「美味しい料理を作る」から出発し、栄養を摂って「健康に生きる」という観念が生まれ、そこから更に「人や物を育てる」などの高次の意味合いを suku や siko という音は産み出して行った。

   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-05-31 15:05 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ーその39 (通巻第633号)
 辞典にも載らない日陰者の「 sikup 」というアイヌの古語は、遠く離れた異郷の地に、赤の他人であるにも拘わらず、まるで生き別れになった双子の兄弟でもあるかのような、そんな錯覚に囚われる言葉がある。
...もちろん、意味の上で驚くほど良く似ていたとしても、言葉そのものの形、語の発音はそれこそ「赤の他人」で全く無関係の存在であることは言うまでもない。
 縄文語の血を引き継ぐと私が想定する、「古アイヌ語」というものの語感を、「 survive 」というラテン語に由来する英単語から感じ取って頂きたい。

▽ survive (他動詞) ①~の後まで生き残る。(人が事故・災害などにあっても危うく)生き残る。(物が災害などの)後まで残る。
《例文》Robinson Crusoe survived the shipwreck . 船は難破したがロビンソン・クルーソーは生き残った。
 ②(人より)長生きする。~に先立たれる。
《例文》His wife survived him by ten years .   彼の妻は、彼の死後なお10年間生きた。
  survive (自動詞) 後まで残る。生き残る。残存する。
 《例文》The custom still survives .  その習慣は、今なお残っている。

▼ 辞典では、続けてこう述べる。
【語源】ラテン語「~を越えて生きる」の意。語源として revive や vivid の項を見よと指示マークがある。revive を見ると
...revive (自動詞)①生き返る。回復する。活気づく。 Flowers revive in the water. 花は水に生けると生気を取り戻す。
 ②復活する。復興する。 The old custom has revived . 古い習慣が復活した。
...revive (他動詞)①生き返らせる。再び元気にする。活気づける。
 《例文》They could not revive the drowned girl . 彼らは溺れた少女を生き返らせることができなかった。
 ②復活させる。復興させる。再びはやらせる。
 《例文》The old play was revived on the stage . その古い劇は舞台で再上演された。

◎ アイヌ語で「 sikup 」の語源になったのは、「 sik-nu 」という言葉である。この siknu を中川辞典で見てみると...。
 シク ヌ siknu 【動1】生きる。生き返る。 siknu-re ~を生き返らせる。~を生かしておく。~の命を救う。...とある。

☆ 英語(ラテン語)の vive という言葉が、アイヌ語の siknu や sikup と言う語彙と全くと言って良いほど同義を表すのは、「言語」と言うものの不思議な力を示すものだと、私は驚きの念を禁じ得ない。
  (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-05-30 10:22 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ーその38 (通巻第632号)

 『醜の御楯(しこ・の・みたて)』という有名な慣用語を成立させた「 sikop 」という語彙が、古い大和言葉に存在したのではないかと私は主張する。その言葉は、『 sik 目の・ o 付いた・ p 者 』を意味すると...。

▽ この「目の付いた者( = 楯 )」がどんな武器なのか、それが皆さんの脳裏に鮮明な映像を結ばせることが出来たのか、実は、それがちょっと心配になった。私の説明が不十分だったのではないかと...。それが皆さんの胃の腑(いのふ)に落ちて行かないと、それが何故「 sikup 生き延びる 」という、古いアイヌ語に繋がって行くのかも理解できないからである。

▼ 『 sik-o-p 眼が付いた楯 』とは、いったいどんな楯なのか。矢や矛(ほこ)の攻撃から身を護るために、大和国家が成立する前後の時代の兵士たちは、縦に長い木製の楯を自分の体の前面に置いた(立て掛けた)。勿論この楯は、戦闘の状況に応じて、体の側面や背後に置く場合も有っただろう。兵士が隊列を組んで敵方と対峙(たいじ)する場合、楯は隙間(すきま)なく横に並べられ、兵士の体を敵の矢や槍から防御する訳である。この時、楯は人の身長を越えて縦に長いものだから、敵兵の姿や動きが味方からは見えにくいという、戦闘者にとって致命的に不利な状況に陥(おちい)ることになる。

◎ 楯を並べても前方の敵が見えるよう、楯の上部に横長の覗き穴が開けられ、その覗き穴の部分には、敵兵から見るとちょうど二つの眼がグッと睨み返して来るような、そんな絵が描かれていたのである。前回にも述べたように、古代人にとっては、それは恐ろしい戦いの神の眼であり、敵軍を護る神そのものであった。
...二つの軍が対峙するとき、その上空にはそれぞれの軍を護る巨大な神が浮かび立ち、下界の兵の闘いの状況に応じて、上空の神々も進んだり退いたりするのである。古今東西、このような観念を人間は戦争の姿として本気で信仰していたのである。人間の闘いは、即ち神同士の戦(いくさ)と意識されていた訳である。

☆ 兵が生き残る、生き延びるための神の御楯(みたて)、それが『 sik-o-p 眼の・入った・楯 』であり、これが縄文の血をひく「スクッ = 生きる」という語と融合し化学反応を起こして「 sikup 生き残る 」という大和・アイヌの共通の語彙を生んで行くことになる。

★ 「 sikup 」という語彙は、「 sukup 育つ・健康に生きる 」という語彙よりも、「生き残る、生き延びる」という少し違った意味に重点が置かれた語だと私は見ている。英語の「 survive 」という言葉が、この「 sikup 」と重なりあう意味合いを持っていると思うので、次回はその辺りを考えてみたい。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-05-29 10:20 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ーその37 (通巻第631号)

 古代のアイヌの先人たちは、「生きる・生き延びる」という観念を「目が利く = sik-nu 」という具体的事柄に託して表象したようである。抽象的な概念を何か具体的な物に引き寄せて脳髄に固着させる。合理的な思考方法と言える。魂だとか意識だとか、何か抽象的な存在を、単に精神的な観念の世界に浮遊させてしまうことなく、脳髄という具体的な物の働きだと見る、現代用語で言えば唯物論的世界観に立つのである。この事は、「『たま』という言葉について」という一連の論考の中で、くどいほど論じたことなので、これ以上の言及は避けよう。

▽ アイヌ語の「 sikup 」という語彙は、目の働きに関連して発生したのではないか。そのことを窺(うかが)わせるヒントになる語彙が、ナンと大和言葉に残っている。手品の類いだと警戒して、騙されないように眼を良く見開いて読んで頂きたい。
...しこ【醜】という言葉である。古語辞典に眼を向けよう。
しこ【醜】(名詞) ①自分自身を卑下していう語。②頑固なもの、醜いものを嘲(あざけ)り罵(ののし)って言う語。 ...とある。

《例文》今日よりは 顧(かえり)みなくて 大君の 醜の御楯(しこ・の・みたて)と 出(い)で立つ我は (万葉集・二○・四三九七)
(現代語訳)今日からは(自分のことは)顧みないで、天皇のつたない警護役として出発するぞ、私は。

▼ 実は、この「しこ(醜)」という語は、この辞典の言うような独立した名詞などでなく、「楯」という名詞を修飾する形容詞的語彙なのである。「しこぬ(の)~」という形で、専ら「楯」のみを修飾する特別用語として成立したものだと私は考える。名詞としての「醜いもの」や「頑固者」の語意は、後の時代に派生したのだと私は思う。

◎ しからば、その「しこ」という発音は、何を意味しているのか。大和時代の兵士の姿を思い描いて欲しい。いま、敵軍の前でその兵士の属する一団は、長い木製の楯を体の前面に突き立て、降り注ぐ敵の矢の雨に必死で堪えている。その長い楯の上部には細い溝を穿(うが)って、前方が見える覗き窓が付いている。
...「しこ( sik-o 目の・ついた )ぬ・たて(楯)」 敵に面する最前線で、防御用の覗き窓のついた楯を兵士は構えた訳である。
大和国家が成立する以前の、兵士の用いた防御用の強力な武器。それは恐らく「 sik-o-p シコプ = 眼が・入った・者 」と呼ばれただろう。敵と闘う強力な武器、それには当然のことながら、神が宿る。だから眼が入る(眼を入れる)、それによって神の力が「いくさびと・兵士」の命を護るのである。達磨人形に眼を入れるのは、そこに神を、神秘の力を込めるためである。

☆ この「 sikop 」という私の復原した言葉は、大和言葉にもアイヌ語にも残っていない。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-05-28 12:38 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ーその36 (通巻第630号)
 素焼きの土器と炉の空間で食物を調理する( suke )という行為が、様々に意味を広げて「健康に生きる」とか「命を与える」などの表現を産んだ。その延長上に「酒を醸す(酒を育てる = tonoto sikup-ka )」という観念も生まれた。ところで、ユーカラに登場する、この「 sikup 育つ 」という言葉は、アイヌ民族の古典文学に度々(たびたび)姿を見せる常連であるに拘わらず、何と萱野氏や中川氏のアイヌ語辞典には登載されていないのである。例えば、「 sukup 育つ、古くは sikup とも言った。 」などと併記されているのならともかく、「 sikup 」に関する記述は一切(いっさい)何も無い。言わば、「日陰者」の扱いを受けている訳だが、アイヌ民族の、床(ゆか)しく雅(みやび)な「言の葉(ことのは)」に対する、礼を欠いた態度と言わざるを得ない。

▽ sikup は、「 sik-nu 生きる・生き返る 」という意味の似通った別の言葉からの影響を受け、「 sukup 」という元々自らが持っていた語形を変え、新たに成立した一種の合成語だと私は考えているのだ。
... 「 sik 目が ・ nu 利く、働く 」、これが「 sikunu 生きる・生き抜く 」というアイヌ語の原意なのだと私は考えている。
 いわゆる「目が薄くなり、耳が遠く」なれば、古代の人々にとっては命取りであった。アイヌ民族のように狩猟の民であれば、目が見え耳が聞こえる事は、その人が生き抜く上での最大の関心事であった。若い者に劣らず遠くの獲物が見え、音もなく近づく熊の気配を鋭敏に捉える力、それが「 poro sikup-kur = エカシ 」と呼ばれる人になるまで生き抜くための条件であった。

▼ だとすれば、その「 sik-nu 目や耳が利く」という音(おん)と観念が、なぜ「 siku-p 生き抜く・育つ 」という言葉に変化したのかという、その経緯(いきさつ)が明らかにされねばならないだろう。
...だいぶ前に、動詞の「複数形」だの、動詞の様態の「多数回性」だのと、不毛の観念論、机上の空論に陥り兼ねない考え方の紹介をしたことがある。それは、分析の視点を誤った誤解を含む考え方で、正しい捉え方について詳しい説明も行った事は覚えておられる方もあるだろう。

◎ ahun 入る、asin 出る、ran 降りる、rikin 登る、 san 浜へ出る、 makan 山奥へ行く、 yan 陸(おか)へ上がる、という子音 「 n 」を語尾に持つ言葉が、それぞれ語尾の子音が「 p 」に変化して、それでその動詞の複数形が出来、多数回相を表すのだと妙な造語論が語られたのである。
...ahun → ahup 入る→多くのものが入る、何度も入る。 ...rikin → rikip 登る→大勢が登る。...等々、それなりの解釈にはなるのだが、これらの語群は知里博士も指摘したように、語る人の視点を変えると別の意味を表す特殊な語彙のグループなのであった訳で、必ずしも複数や多数回を表すものではなかったのである。その事は、もうここでは繰り返さない。

☆ sik-n(u )と sik(u)-p は、この子音 n から子音 p への転換が起こり、更に u 音の音韻転倒が有ったのではないか。さすがに随分自分勝手な推論だと私でも思うのだが...。   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-05-27 11:14 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ーその35 (通巻第629号)
 酒を醸(かも)すことをアイヌ語では「 tonoto sikup-ka 酒を育てる 」と言う。但し、この訳文というのは、金田一京助博士の独自の解釈であって、必ずしも古い昔に生きた人々の生活実感に添うものとは言い切れない点が有ると言うことに注意しなければならない。私は「 tonoto 酒 」というものが造り出された時代の、古人の意識の中に更に一歩踏み込んだ、生々しい「語源」を抉り出さなければ、この「 tonoto sikup-ka 」の深い意味には辿(たど)りつけないと思うのである。

▽ 古代の日本列島人は、炊いた穀物を清らな乙女が噛み砕き、その白濁した汁から酒(トノト)を醸した。その古い姿や観念は、いったい何処からもたらされたか。想像を逞(たくま)しくして私はこんなストーリーを創り出した。
...人が年老い、食物を摂(と)ることも出来ずいま正に死なんとするとき、母親がそうするように、噛み砕いてドロドロになった食物を赤子に口移しで与えるように、そのように老人にもしたのではないか。或いは老人に乙女の乳房を含ませ乳を飲ますという臨終の儀礼が有ったのではないか。それが死に行く人を送る作法であったのだと。

▼ アイヌ語では、赤ん坊が乳を飲むことを「 tonon 」と言い、赤子に乳を含ませることを「 tonon-te 」と言う。死に行く人が赤ん坊となって、そしてあの世へと再生して行くのである。こうした葬送の儀礼を通じて、古代の列島人は酒を醸す習慣を育てて行ったのではないか。
...tonoto sikup-ka は、「白濁した汁を与えて、人に命を与える・生き延びさせる」と言うのが、人が現実に行う行為にも合致し、かつ宗教的観念にも適合すると私は思う。なお、命を与える、生き延びさせるという解釈は、現実に死んで行く人には意味が無いではないかと心配されるかも知れない。だが、心配には及ばない。この世で命が果てても、あの世で新しい生を生きるのである。 sikup-ka 生きさせるという訳である。

◎ アイヌ語の「 sikup 」と「 sukup 」は、意味のほぼ重なりあう、しかし成立上は全く別の、他人の語彙である。少なくとも出身地については。意味上の相違は、スクプの方は「健康に生きる」を意味の中核に持ち、シクプの方は「生き延びる」に意味の重点があると私は考える。
...sukup は、「煮炊きする」を原初の意味とし、旨いものを作る・食べるの意味に発展し、健康に生きるという意味を獲得する迄に至った。
...sikup は、「目が利く・目が働く = sik-nu 」が最初の原点の意味合いで、これが sukup という発音の似た言葉と接触して、その影響を受けて「生き抜く・生き延びる」の意味を獲得して行ったのだろう。

☆ poro-sikup kur 、この言葉は、未だ目も耳も利く( sik-nu )、元気な老人を指すのである。未だ俺の目の黒いうちは、若い者なんぞにデカイ面をさせて堪(たま)るか、などと。     (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-05-26 15:20 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ーその34 (通巻第628号)
 ...たすく【助く・輔く・扶く】(他カ下二) ①手伝い・補佐・後見などをして助ける。 ②危難・病苦などから救う。
  ③力を添える。倒れるのを支える。
▽ 上記の古語「たすく」の語義の解説を見て、私はアイヌ語の「 sukup 」の類義語でユカラ などに登場する、「 resu 」という雅語(がご=みやびな言葉)を思い浮かべた。
「 resu 」は、「育てる」、「生活を支える」などを意味する語で、古い時代のアイヌの社会意識をも反映する言葉である。
...「社会意識」などと言っても、素人を眩惑(げんわく)するだけの、虚仮威し(こけおどし)の「張り子の虎」になってはいけないので、分かり易く説明しよう。

▼ 自分たちの暮らす社会を、古アイヌはどのように見たかと言うことを語ってくれる言葉がある。余り正しい意味で辞典に載ることも無い、幸せ薄い言葉である。それ自体は「幸せな場所」を意味する語であるに拘わらず...。
...私のこのブログの名前にある「 urespa 」という言葉にヒントが有るのだ。
 「 urespa 」は、私の考えでは、「故郷」とか「共同体」、自分を包み込む「懐かしい人々の集合体」を意味する。その語彙の形成の道筋は以下の通りだと私は見ている。

... u (ともに~し合う)・ respa (生活を支える)、つまり「共に暮らしを支え合う・所(もの)」を意味するのだと...。
◎ 古い時代のアイヌの人々は、人間は独り(ひとり)では生きて行けない、ともに手を携(たずさ)え、支え合ってこそ生きて行けるのだと、そう考えたようだ。それが「 urespa 故郷であり共同体」なのである。

☆ resu ,respa の古典の中の姿を見て頂こう。
 
アイヌ叙事詩ユーカラ集Ⅲ PONSAMORUNKUR (小和人)第一章「シリペナ村の悪伯父」より 冒頭の一部を抜粋
...A-keusutu a-kor unarpe  tan poro cise  upsororke    i-yo-respa ,
  わが伯父  わが伯母  この大きな家 その懐(ふところ)深く 我を養い育てた
ikit tukari amset-ka ta yayan kosonte a-i-ye-resu ,...
  宝壇の手前の 座台の上に 只の小袖 それにて我は育てられた。...

★ resu という言葉を仲立ちとして、suku-p というアイヌ語と ta-suku という大和言葉が、一本の線で結ばれた。同じ意味が、この異なる二つの言語のほぼ同じ発音を含む言葉の中で形成されたのである。
  (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-05-25 13:15 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ーその33 (通巻第627号)
 縄文の昔に日本列島に暮らした人々の間には、「スク suku 」という音(おん)を語幹にした基本語彙があり、その語幹の末尾に幾つかの子音を加えて、その子音の違いにより、少しづつ内容のずれた様々な意味合いを派生させて来たように見える。そうした事は、ともにその縄文の古い言葉の子孫にあたる、アイヌ語にも日本語にも言えることである。

...この「スク」から派生した語彙は、「健康に生きる」から「時を過ごす」、さらに「人を養う」など、幅広い意味を獲得し、現在でも成長の過程にあるのだと言っても過言ではない。アイヌ語でも大和言葉でも、語根となる「スク」の表す語意の周辺に、微妙に意味合いの異なる語群が形成されたのである。いま、「語尾に付ける子音の僅かな差によって...」と説明した。しかし、語幹につけたのは、その語幹の「語尾に」だけだったのか、また、付いたのは「子音」だけだったのか。そういう問題がある。

▽ 頭を切り替えて、ちょっと言葉のお散歩をしてみよう。ただし、お散歩の場所は「スク」という名の公園なのだが。
...アイヌ語の「 sukup 」の語尾を大和言葉のように、大和言葉ふうに変化させると、「すくふ」という発音になる。このカッコ付きの「すくふ」という音が、そのまま「成長する」だの「時を過ごす」だのの意味や、「人を養う」などの場合に使われる言葉であれば万々歳なのだが...。

▼ 「すくふ」を古語辞典で見てみると、「掬(すく)ふ」の一語が有るだけ。仕方がないので一応、これを見てみよう。
...すく・ふ【掬ふ】(他ハ四) ①(手や柄杓で液体などを)くみとる。 ②さらう。奪い取る。
 古語を見る限りは、アイヌ語の「 sukup 」に繋がるような意味合いは、全く無い。現代の日本語であれば、「掬う」の他に、もう一つ「救う」という語彙がある。こちらの方は、「 sukup 」とか「養う」に何となく繋がるかも知れない。私の言語野は、そんな声を上げている。

◎ 国語辞典「救う」
... すく・う【救う】[五他]あぶない状態、苦しい状態、悪い環境、貧しい境遇などにあるものに力を貸し、そこから逃れるように助ける...とある。「助ける」?...何か引っ掛かるので、助ける、古語で言えば「助く(たすく)」を念のため見てみると、
...たすく【助く・輔く・扶く】(他カ下二) ①手伝い・補佐・後見などをして助ける。 ②危難・病苦などから救う。 ③力を添える。倒れるのを支える。

☆ 古語「助く」の ②と③の意味を見て、何か気付かれた事は無いだろうか。私はアイヌ語の「 sukup 」の類語の「 resu 」という語彙が頭に浮かんだのである。「 resu 」は、「育てる」、「生活を支える」などを意味する、ユカラにもよく使われる格調の高い雅語である。   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-05-24 14:24 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ーその32 (通巻第626号)
 アイヌ語の「 sukup スクプ 」と大和言葉の「 sukus スクシ 」ないし「 sukut スクッ 」という言葉が、異なる言語であるに関わらず、「成長する」「時を過ごす」「人を養う」と言った複合した意味合いを共通に持つというのは、驚くべきことである。
...ここで私が注目したいのは、言葉の、動詞の語尾の閉音節の子音の僅(わず)かな違いが有っても、その語意は、内容的にほぼ同一で、これらの言葉が元々一つの概念なり観念を表していたということである。換言すれば、これらは元々一つの言葉だったと言うことを示していると言って差し支えない。

▽ 閉音節の子音が、交替(こうたい=入れ替わる)する現象は、アイヌ語と日本語の同じ意味を表す他の語彙にも見られる。
...アイヌ語に「 sinot ・ シノッ」と言う言葉がある。普通、「遊ぶ」と訳されることが多いのだが、ユーカラなどの中では「男女が交際する」という意味で使われるのは余り知られていない。この事は、以前にこのブログでも取り上げたユーカラの中の物語「 Kemka Karip 朱輪姫(あけの・わ・ひめ) 」にも登場する。大和時代の「歌垣(うたがき)」のような、見知らぬ若い男女が野原 で自由に交流する(性関係を持つ)風習がアイヌ民族にも有った。朱輪姫のこの物語では、「 sinot-numatpo 遊びの胸紐 」という語が出てくる。遊びの胸紐というのは、若い女性の着物(モウル)の胸の合わせ目を留める小紐のことで、出会った若い二人が意気投合して互いに気に入れば、娘はこの小紐を解いて受け入れの気持ちを表すのである。

▼ sinot という言葉は、後世でこそ子どもが「遊ぶ」にも用いられたが、その原意は「男女が交わる・恋をする」というものであった。面白いのは、この「男女が交わる・恋をする」という同じ意味が、大和言葉では「 sinop シノプ 」という言葉で現れるという事である。論より証拠、古語辞典で「 sinop 」の語を見てみよう。ただし、語尾を少し変えて、「しのぶ」の項目を...。
...しのぶ【偲ぶ】(一)(他バ四)[上代は「しのふ」] ①思い慕う。恋慕う。懐かしむ。②賞美する。
 (二)(他バ上二)[「忍ぶ」との混同から上二段化したもの]思い慕う。なつかしむ。

◎ sinot も sinop も、共に「恋する」という意味なのだ。大和言葉の恋するの古い発音は、「 -p プ 」から後に「 -h ふ 」に変化するのだが、その説明は省略する。「しのぶ」が「恋する」を意味するという事の、もう一つの証拠を挙げておこう。
...♪「卯の花の匂ふ垣根に ほととぎす早も来鳴きて しのびね洩らす夏は来ぬ」...小学唱歌より
☆ ここで言う「しのびね」は、普通、「忍び音」と解釈され、「あたりを憚るようなひそやかな声」でホトトギスが鳴く情景と説明されるが、少し矛盾が有るのである。ホトトギスというのは、時鳥と言い、郭公(カッコウ)に似た鳥のことで、鋭い鳴き声で時を告げるという。密やかな声では鳴かない鳥なのである。
ほととぎす 大竹藪を もる月夜(芭蕉)...(静寂を破って)ほととぎすが鳴いて過ぎた。うっそうと茂る大竹藪のすき間から、漏れこぼれたように月の光がさしこんでいる。「しのびね」は、忍び鳴きではなく、「偲び音(しのび・ね=恋鳴き)」であろう。
雌鳥に恋の歌を歌っているのである。...sinot = sinop と決めつけて良いだろうか。  (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-05-23 14:06 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ーその31 (通巻第625号)
 「健康に生きる・健勝(けんしょう=健やか)である」ということを、アイヌ語では「 sukup 」或いは「 sikup 」と言う。その一方で、同じ事柄を古い大和言葉では、「すくす・すぐす」のような発音の言葉で語っていたのではないかと、そんな推論を私はここ何回かで主張している。
...その論理を取り敢えずの前提にして、アイヌ語の「 sukup 」と古い大和言葉の「 sukuss (スクッと読んで頂きたい)」が同じ親の許で育った、兄弟なり姉妹の言葉である事の証明をこれからしようと言う訳だが、頭の体操だくらいの軽い気持ちで私の噺を聴いて頂きたいのである。

▽ 同じ親、縄文語から成長を遂げたと思われる sukup と sukuss という二つの言葉が、濃(こ)い血の繋がりを持つ事を証明するためには、それぞれの語尾の P (ピー)音と S (エス)音とが、同じ意味を持つか、または同一価値の音として転換が可能かのどちらかである必要がある。なお、私の想定・復元した古い大和言葉の「 sukuss 」の語尾の ss の表記は、それが閉音節(子音終わりの音節)の語彙であることを示すための表記で、エスの字を重ねずに、ただ「 sukus 」とするだけでも良いものである。敢えて片仮名で表記すれば小さい「 シ 」を用いた「スクシ 」と言う発音の語である。「スクス」と読んではいけないと言うことである。

▼ もうハッと気が付かれた方もおられるかも知れない。有名な民俗学者柳田國男の「後狩詞記(のちの・かりことばの・き)」に登場した「タマス=分け前」と言う言葉である。漢字で書けば「給(たま)す」となるのだと、私が大声で主張したことを覚えておられる方もあろう。この言葉は、宮崎の半農の猟師の村の人々が、神から賜(たまわ)った獲物である猪の肉を、村の皆なで平等に分け合う風習から生まれた言葉である。

◎ この言葉の注目すべき点は、この「給(たま)す」と言う言葉が、一方の村人にとっての神の賜物(たま・もの)である猪の肉を「有り難く頂き、村人で分け合う」という意味と、他方、神が人間に猪の肉という美味の食べ物を「賜(たま)ふ」という観念を、同時に表すという、いわゆる両義性と双方向性をもった語彙だと言うことである。分かりにくい表現なので、少しだけ噛み砕いた言い方に改めよう。
...「たま」という語自体で、それ一語で、神など「上位の存在が下位の者に何かを与える」という意味と、反対に「下位の者が上位者からの賜(たまもの)を戴(いただ)き、それを分け合う」の意味を兼ね備えているという事なのである。

☆ この「たま」の両義性を、敢えて人間の立場で語る時は、語尾に「~す」を付けて「給・す」とし、神の視点から述べる時は語尾に「~ふ」が付いて「賜・ふ」となる訳(わけ)である。
...何処かで見たような...。かたや「 tama-ss 」であり、もう一方は「 tama-h 」である。なお、「 tama-h 」の「 -h 」は、「 -p 」に音韻転換して、「 tamap 」となることは言う迄もない。   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-05-22 13:22 | Trackback | Comments(0)