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縄文語ってホントに有ったの❓ーその70 (通巻第664号)
 太陽や月を、古代の人々はどのようなものと見たか。人間の住むこの世界の構造や成り立ちを、遠い昔にこの日本列島に生きた人びとは、一体どんな風(ふう)に認識したのか。アイヌ古人や大和びとの観念、延(ひ)いては縄文人たちが心に描いた世界像を、現代の我々が覗き見ることが出来るのかという問題がある。現代日本の風俗にも痕跡を残す仕来たりから、古人の精神世界を覗き込むことが可能だと私は思っている。

▽ 現代に残る葬儀の習慣で、出棺に際して故人が用いていた食器を音を立てて割るという習俗がある。故人の持ち物を死に行く人に持たせてやるという意味らしい。なぜ物を壊すのか、そこに古代人の世界観が、異界観が覗くのだと言う。
...文化人類学、認識人類学の研究者で山田孝子という方が、「アイヌの世界観・(副題)『ことば』から読む自然と宇宙」という著書で以下の指摘をしておられる。比較的に纏まった分かり易い記述なので、引用、紹介しよう。

▼ 第一章「アイヌの宇宙観」第5項『アイヌの他界観』の一節である。
...あの世はこの世と同じ
 アイヌは、人間は死後の世界において、この世と全く同じ姿をし、同じ生活を送ると考えるのである。このため、死者の埋葬に際してあの世での生活に困らないように、男性ならば弓矢、煙管(きせる)、タバコ入れ、マッチ、大小の刀、椀や盆、イクパスイ(捧酒箸)などを、女性ならば針と糸、衣服、機織り道具、杓子(しゃくし)、柄杓(ひしゃく)、椀、装身具などを、一部壊して副葬した。さらに、死者がとくに女性の場合には小屋を燃やし、あの世に送ったのである。...(中略)...。

...あべこべの世界
 一方、あの世とこの世とは、次のように異なると考えられている。
①あの世の人間がこの世を訪れるときには見ることのできない幽霊になるように、この世の人間があの世を訪れるときには、あの世の人々にとって見ることのできない幽霊のようなものになる。
②この世の人間はあの世の人間の話を聞き、ときには自分の言いたいことをあの世の人の口を通して伝えることができるが、直接話しかけることはできない。
③この世の犬があの世から来た幽霊の姿を見ることができるように、あの世でも犬のみがこの世の人間の存在を知ることができ、
吠える。

◎ 面白い事例が続くが、次回を楽しみにお待ち頂きたい。とは言えつい先走って教えたくなってしまう。ヒントを言うと現代と実質的に変わらない宇宙観が語られるのである。
    (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-06-30 11:04 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ーその69 (通巻第663号)
 太陽が西の空に没したあと、その太陽は海中ないし地中を通り抜けて反対側の東の水平線(地平線)に姿を現す。この考え方は、世界の多くの民族が抱いた観念である。古代文明と言えば、その代表的存在とされるエジプト文明に於いても、こうした宇宙観があった。
...考古学の世界では、ごく最近までエジプトのピラミッドは王・ファラオの墓所であって、その中には王や后の玄室があり棺が安置されているのだと考えられていた。だが、その考え方は近年の発掘や研究の中で変貌を遂げ、いまピラミッドの建造の目的も見直しがされ始めたと言う。

▽ 私は、初期のピラミッド建造は王の葬送を目的としたものだったと考えている。だが、エジプト社会が発展し周辺民族を支配する体制が強固になると、墓の性格が変化しピラミッドの建造目的にも国家経営の観点が強まり、民衆に対する支配権の正統性をアピールする国家的施設になったのだと...。今にして思えば、例えば、有名なギザの三大ピラミッドについても、ピラミッドの中で王のミイラは発見されていない。そもそもピラミッドの他に、有名な「王家の谷」という王族の埋葬地があって、ファラオのミイラはこの王家の谷で発見されることが多いのである。

▼ いま、有名なクフ王の墓が発見される可能性が高まっているという。勿論、ピラミッドの内部ではなく、ピラミッドに程近い場所の地下に巨大な埋葬施設が見付かるという可能性である。ピラミッドが王の墓でないとすると、あの巨大なモニュメントは、いったい何の目的で建造されたのか。それが太陽にエネルギーを与え賦活する一大装置という概念を浮かび上がらせる訳である。
...ピラミッドは、今の武骨な岩の積み重ねではなく、建造の当初は白く輝く化粧石で表面をコーティングされた、極めて美しい建造物であったという。ピラミッドの内部には、細い通路が走り、例えば王の玄室とされる空間に繋がる細い通路は、特定の日に北極星の光が射し込む、そんな通路なのだと言う。この通路は、人が這って進むにしても苦労するような狭い空間を貫いており、結局人の通路ではない。

◎ 太陽の光がそこを通る。冬至、夏至、春分、秋分、そんな特別な日にそこを太陽の光が真っ直ぐに通って行く。そんな映像が私の脳裏に浮かぶのである。ピラミッドは、太陽にエネルギーを充填(じゅうてん)する巨大な装置である。季節の特別の日には、その内部の通路を太陽の光が、或いは北極星のかそけき星影が通り抜ける。
...或る特別な日の日暮れに、ピラミッドの周辺に多くの民衆が集い、ファラオの徳を讃えた歌声が湧き上がる。夕陽に照らされて民衆の前に立ったファラオは、民衆の歓呼に手をかざして応えながら、やがて白く輝くピラミッドの上空を指差し祈りの言葉を高らかに述べる。上空の雲には、ピラミッドの一部から赤い太陽光が一筋スッと延びて、雲を美しく染めている。そんなシーンが私の脳裏に浮かぶのだ。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-06-29 12:56 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ーその68 (通巻第662号)

 縄文人の宇宙観なんて、記録も無く、だから誰にもそうだともそうでないとも断定できそうもない。その事をことを良いことにして、その縄文人の心の中の宇宙を行く、そんな空想の旅行を楽しんでみたいという誘惑に今私は駆られている。ちょっとまた、余計な回り道をして、古代の人々の心に描いた「太陽の旅路」という物語を読み解いてみたい。

▽ 最近、世界各地の古代文明に関わる遺跡の発掘や研究が進み、今までのその文明に対する位置付けや見方に大きな変革を迫る発見が相次いでいるのだという。
...その一つに、中南米に栄えたマヤその他の、古代文明の遺跡での発掘や発見がある。中南米にもピラミッドが有ることは良く知られているが、その中南米ピラミッドの地下の構造が、エジプトのピラミッドの内部構造を決定付けた考え方に共通する概念に基づいて造られているのではないか、それが考古学者たちの新たなアイデアになって来ていると言うのだ。

▼ それは、衰えた太陽が地下に没して、やがて地下でエネルギーを充電して、また翌日に溢れる力と輝きをもって天空へと舞い上がる。ピラミッドの地下構造は、太陽の復活・再生のための巨大なエネルギー装置だと言うのである。魅力的なアイデアであり世界の民族の神話などとも整合する合理的な考え方で、私もこれを支持したい。

◎ 太陽に賦活するエネルギー装置という考え方は、そういう観念を生ぜしめた目に見える物理的実在が、そのピラミッドの地のごく近くに存在する。メキシコ・ユカタン半島にある大自然の特殊な地形と、その地の民衆の宗教上の観念とが太陽に活力を与える地下の循環装置の観念を育んだのだと私は考えている。
...太陽が西に没すると、海の底を通って、或いは大地の下を通って、次の日の朝には、東の穴からまた顔を出すのだと世界中の古代人は考えた。ユカタン半島の特殊な地形と言うのは、半島全体を覆う石灰岩の台地の地形であり、その地下の鍾乳洞の構造である。
...地上には、セノーテと呼ばれる泉が森の木々の中に散在しており、その泉は底で他の同じような泉と繋がっていて、最後には遠く離れた外洋にも繋がっているのだ。だから、この地の人びとは、太陽が西に沈むと、このセノーテの水の中を通って翌朝には反対側の東の海から姿を表すということを、ごく自然に抵抗無く受け入れることができた訳である。

☆ セノーテは外洋と繋がっていたから、日照りが続いても涸(か)れる事は無かった。人びとはセノーテに神を見出だし、太陽の復活のための人身御供(ひとみ・ごくう)を捧げた。セノーテの底を覗き込むと、今でも太陽に捧げられた清らかな処女(おとめ)の遺骸の頭蓋骨などが見つかると言う。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-06-28 11:54 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ーその67 (通巻第661号)
 いま暫く古代アイヌの宇宙観の探究を続けよう。前回の AINU LIFE AND LORE (続き)は、以下のように続く。
...この地の人びとは、自分たちの信条としている考え方から一歩も踏み外すことをしない。その信条を守ろうとするあまり、そこから出た行為に大変驚かされることが多い。これは私が何度か見たことがある事であるが、死期の近づいた病人が出ると、冷たくて新鮮な水を口に含んで、それを瀕死の状態にある病人の顔や胸に吹き付けてやっていた。
 これもまた私が見たことであるが、水の入った桶を病人の側まで運んで来て、水に浸した両手や先端がよく分かれた小枝で病人の身体に水滴を撒き散らし、何とか瀕死の状態から脱するようにと手を尽くしていた。その後、長い祈りの言葉が述べられ、激しく嘆き悲しむ声が続く。

▽ これと同じようなことが、日蝕や月蝕の際にもアイヌの村では行われていた。
 人びとは家の外に出て、蝕を受けた太陽や月に向かって水を吹き付けたり撒き散らしたりする。こうすることで、体を蝕(むしば)まれて苦しんでいる太陽や月が生き返り、その光を再び取り戻させようとするのである。
 時によっては、蝕の起きている間じゅう太陽や月に向かって「生き返れよ ! 」と願いの言葉を述べることもあった。柳の枝やヨモギ(蓬)を束ねたもので水を撒いた方が、この病める天体を生き返らせるには特に効き目があるとされた。...以下、省略。

▼ 実は、この習俗は、アイヌの人々に限ったものではない。瀕死の病人や死んだばかりの人の魂を、水に浸した木の枝の束(たば)で打ってあの世に行かないよう引き留めようとするのは、江戸時代の風俗でもあったのである。江戸の町人たちの間では、今まさに息を引き取った人があると、家の主人は直ぐさま家の屋根に駆け上がり、屋根に跨(また)がって、大声で死に行く人の名を呼び、帰って来いと叫んだと言う。
 一方、家の女たちは家の井戸の中へ首を突っ込み、「~よ ! 帰って来~い」と呼ばわったという。これを「魂呼ばひ(たまよばい)」と言うのだが、死に行く者への儀礼として、アイヌ古人も大和びとも同じ風俗を持っていたのではないか、と私は思う。
 死に行く者は水を欲する。これは列島人の今も昔も変わらぬ観念である。

◎ 太陽も月も、成長し、頂点に達して勢いが尽きると潰れ消え果てる。だが、それは滅亡ではなく新たな成長の芽を己の胎内に育んでいるのである。「つぶ」に関連する、潰れたあとの新たな成長の言葉をいま一つ付け加えよう。
...それは、「つぼむ」という動詞であり、「つぼみ(蕾)」という名詞である。

☆ 「つぼむ」と「ひらく」...草木に花芽ができる、花芽がふくらむ、花が今にも開きそうになる意が「つぼむ」、つぼみがほどける意が「ひらく」である。矛盾の止揚と統一、「つぶ=ツプ= cup 」という古い言葉の深い意味を感じ取って頂けただろうか。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-06-27 11:05 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ーその66 (通巻第660号)
 太陽や月というものを縄文人など古代人は、一体どのような存在と認識していたのか。直接に確認する事は出来ないので、そのヒントを得るべく150年程前のアイヌの人々の観念から探ってみよう。アイヌの人々とアイヌ文化を心から愛した外国人牧師で英国出身のジョン・バチェラーの著書「 AINU LIFE AND LORE 」を底本にした小松哲郎氏訳の「アイヌの暮らしと伝承ーよみがえる木霊(こだま)ー」(北海道出版企画センター発行)に参考になる記述がある。

▽アイヌの暮らしと伝承「第三十章・雨乞いと天体のこと」の一部を抜粋する。
...一八八七年に部分日蝕が起こると伝えられ、この北海道ではそれを良く観測することが出来ると言う事であった。この日蝕を観察するために、妻と私は前もってその観察の準備を始めた。二人でガラスの破片を黒くし、何人かのアイヌの知人たちにも観察してもらおうと思った。日蝕が始まる少し前に私たちは家を出て、何軒かの家に声をかけてこの黒くしたガラスで太陽を観察しようと誘った。
...このガラスで太陽を観察した結果、すぐに次のようなことが起きた。一部が欠けた太陽を観察した人びとはひどく驚いたように見えた。
「ふーん、これはどうしたんだ。太陽が死ぬぞ、お日様が無くなって行くぞ ! 」と言う者もあれば、次のように言う者もいた。
「ああ、太陽の光が薄くなって行くぞ。光がだんだん消えて行く ! 」
 ...こう言い終わった後、みんなは押し黙ってしまった。何か恐ろしいことが起きるのではないかと言う思いに捉えられているかのように見えた。

▼ 後になって聞かされた事であるが、これを観察した人たちは、この部分日蝕がやがて皆既(かいき)日蝕となり、何か災いが起きるのではないかと思ったと言う。私は、皆がこれを見た結果、ひょっとしたら、その時大声をあげて跪(ひざまず)いて神々に祈るのではないかと思った。しかしながら、人びとは大声を上げることも祈ることもしなかったのである。
...その後みんなで話し合ってみて、私はこの太陽という天体を人々がどう考えているのか。幾つかのことが分かった。

◎ 例えば、太陽自体は日の女神の乗り物として見なされているに過ぎないということ、つまり、日の女神は太陽を通して日光を照らしているのであって、崇拝されるのは太陽ではなく、そこにいる女神なのである。従って、太陽が女性視されているように、月が男性視されていることも分かった。この二つの天体はそれぞれ全く異なった個性を持ちながらも、実際には夫婦の関係にあるという。この天体がもしその光を失ってしまった時には、それは丁度人間の死と同じように、魂を失った、ただの亡骸(なきがら)になってしまうのだと言う。...以下、次回に。
...アマテラスと月読み、卑弥呼とその男弟、太陽の化身としての聞得大君とそれに庇護される琉球国王。これらは皆、アイヌの太陽観や月に対する観念と太い血管で繋がっていると私は思うのだが、あなたはどう感じられるだろうか。 (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-06-26 14:37 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ーその65 (通巻第659号)

 太陽や月の動き、その運動や変化を、古代の人々はどのような意識をもって見ていたのか。例えば、月の満ち欠けというものを古代の列島人は、一連の、一つの纏(まと)まった運動と捉えていたのだろうか。それとも、二つの、方向性を異にする別の動きであると考えていたのだろうか。その事の見極めが、この「ツプ・つぶ」の原意の正確な理解に繋がる事になると私は考える。

▽ 満月から三日月を経て新月へ、溢れる光の世界から無明(むみょう)の闇へ、繰り返し繰り返し自らの反対物に変化する物体。それが月というものの行動のパターンであると縄文の古人は理解していたのだろう。一連の一つの振る舞いであり、耀きも闇も、同じ一つのものの異なった局面・相( phase )に過ぎないのだと。
...何やら哲学の弁証法の講義でも聴いているみたいだが、自然の世界をカムイの業(わざ)と達観したアイヌや大和びとの祖先の人たちは、神を恐れつつも冷静に科学的・客観的に天体の運動を捉えていたのである。古代人のたわいのない宇宙観だなどと馬鹿にした態度をとっていると、ドッコイ、縄文人の方が余程先進的な宇宙論を持っていたりすることさえ、希には有るのである。
 ひょっとしたら、ブラックホールの存在もうすうす感じ取っていたかも知れない。数々の銀河を呑み込み、あらゆる物体を吸い込み、光さえも出られなくして、無限に小さい一点に収斂(しゅうれん = 縮む)したブラックホールが、極限点を超えると、その反対側に新たな世界を、無から有を噴き出すように。これは、まさかの冗談だが...。

▼ 古代の日本列島の住人は、月や太陽を、繰り返し自らの反対物に転化する一つの循環運動だと捉えていた。そう私は推測している。月が満ち欠けを繰り返し、太陽が夏に盛り冬に衰えるのは一つの振舞いであり、違う表情を見せているに過ぎないのだと。
...そして、例えば月(つき)という語彙の音の成立の秘密は、この月の光が極限(満月)に至って(尽きて)、それが自らの反対物の闇(新月)に転化する、そういう関係を表す語彙を生むということを暗示していると思うのである。

◎ 「月(つき)」は古くは「つく」と発音されたようだ。例えば「アマテラス・天照らす」に対する「ツクヨミ・月読み」という言葉で明らかなように。この「月 = つく」の読み方については、それが独立語なのか合成語なのかで、被覆形だの露出形だのと喧しい論議が有るのだが、時間の関係もあり、ここでは踏み込まない。何れにせよ、月は「つく」とも言うのだ。

☆ cup = チュプ = ツプ = つく(尽く)...これが、月が満ち、そして欠け、闇となり(潰れ)、また、満月へと向かう全ての行程を意味するのだと言う私の語源論に、幾分かの信憑性を与えてくれるのだろうか。それはこれからの論理の展開次第だと言うことになるのだろう。

   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-06-25 11:08 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ーその64 (通巻第658号)
 アイヌ語の「 cup チュプ 」に照応する、相応しい大和言葉を探索し皆さんの眼の前に提示するために、大和言葉の発音の癖を考慮に入れ、その相応しい大和言葉の検索に当たっては、元々の「 チュプ 」という音でなく「 ツプ」ないし「 ツブ 」という音(おん)で作業を進める事をお許し頂きたい。

▽ 大和言葉の語彙の検索では、「つぶ」という音を含む語彙ないし発音を、古語辞典は素(もと)より現代語の国語辞典の助けを借りる事にしたい。「つぶ」に纏(まつ)わる微妙な意味合いに広く目を向けるためである。
...まず現代語「岩波国語辞典(第四版)」から...つぶれる【潰れる】
 潰れる ①力を加えられて、又は重みに耐えかねて、形がくずれる。 ②役に立たなくなる。それが本来持つべき働きを失う。
 《②の例文》「目が潰れる」「刀の刃が潰れる」 ③時間をついやされる。

▼ 古語辞典 つぶ【禿ぶ】(自バ上ニ) すり切れる。すりへる。
...まず取り上げた古語・現代語二つの語彙を見比べて、何を感じ取られただろうか。「つぶ」という音の第一の意義は、何かによって形が崩れる、消耗するということであろう。それが何かの物理的外力によるのか、時間などの内的要因によってもたらされるのか、何れにせよ滅びに向かう感覚を内包した語義である。
...例えば、月について言えば、満月の明るい輝きは永くは続かず、時とともに姿は衰え痩せ細って、三日月を経て新月の闇へと向かう。古語の「禿ぶ」が用いられる状況は、牛車(ぎっしゃ)の車輪の軸受けが摩擦で擦りきれ、車が動かなくなる、そう言った状況を表す。

◎ 上記の二者の語意とは正反対の、滅びの語感ではない豊かな在りようを示す「つぶ」を含む語彙を辞典で検索しよう。
...つぶさ【具さ・備さ】①物が全部備わっているさま。すっかり。完全であるさま。 ②詳しくて丁寧なさま。
  つぶら【円】(形動ナリ) 丸くふっくらしているさま。
  つぶれいし【円れ石】「つぶれ」は「つぶら」の転 丸い石。
...「つぶれ・いし」の語は、丸い石を表し、好ましい感覚を備えている。その語の成り立ちを考えてみよう。牛車の車軸の場合と異なり、物が「潰れる」という意味合いでなく、例えば、川のせせらぎで尖った角(かど)が取れて手に優しいすべすべの小石が出来上がって、それを少女が拾って宝物にして...と、そう言う感覚である。

☆ ここでは「つぶ」は、滅びの感覚ではない、逆に豊かな湧き上がる完全な者への志向性を示す。一つの言葉で、相(あい)反する二つの方向性を矛盾なく同時に表している。この特質を成立させる世界観について、次回にはもう少し語る事にしよう。
    (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-06-24 11:55 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ーその63 (通巻第657号)

 「つぶる」という音(おん)の分析に入る前に、前提条件の整備をして置かねばなるまい。注意深い人であれば、こう言う疑問を当然に抱くだろうから。...「アンタはツプ・チュプを【消長する、満ち欠けする】と言う意味だと言うけれども、確かに、月の場合には満月だの三日月だの新月だのと満ち欠けは有るけれども、太陽には、満ち欠けなんて無いじゃないか。」...と。

▽ 月の場合の満ち欠けは、確かに分かり易い。一月(ひとつき)の中で姿・形がハッキリと眼に見える形で変化するからである。だが、太陽の場合は時間の単位が異なって満ち欠けするのである。それは、太陽の勢いが日々に移り変わり、一方では年の単位で太陽の力が消長する、その事に注意を払って初めて理解が出来るのである。
...アイヌをはじめ世界の多くの民族は、取り分け古代の人々は、月や太陽をどのようなものとして見ていたのか。一年を通じての太陽の消長に対する見方は、例えば前にも述べたキリストの復活の説話に見事に反映されている。勢いを失った太陽に力を取り戻させるための犠牲が、その代償がイエスの命であった訳である。太陽を復活させるために子どもや若者の、若い乙女の命を神に捧げると言う文化は、古代世界の至る処に広がっている。

▼ アイヌの古い説話にも、一日(いちにち)の単位での太陽の消長の観念を表す、そんな面白い化け物の噺(はなし)がある。
...昔、アイヌの国( mosir )には、太陽が幾つも有った。太陽が姿を現し地上の者に暖かさを与え、夕方に地下に没しようとするその刹那(せつな=瞬間)、大地の魔物が大きな口を開けて待ち構え、働いて疲れ果てた太陽を一口でパクッと喰ってしまうのだ。
太陽は草臥(くたび)れているものだから、何日かに一編はこの大地の魔物に喰われてしまい、とうとう幾つも有った太陽も一つだけになりそうになった。
...そこで困ったアイヌの人々は、草原に幾らでもいるチロンヌップ(狐・ ci-ronnu-p )の仲間を、一日に一匹づつ、大地の魔がアングリ開けたその口に放り込んで、大地の魔がそれを喰っている間に太陽を通させたのであると...。お陰で太陽は一つだけは空に残ったと言うことである。チロンヌップと言うのは、狐(スマリ)の愛称で、「(ゴチャゴチャいっぱい居て)誰にでも捕れる奴(やつ)」という意味である。

◎ 太陽の消長のもう一つの観念に、日蝕や月蝕の自然現象が有る。だが、こちらの方は、王朝の命運にも関わる場合が有るとは言え、それは日常的な太陽や月に寄せる人々の意識に関わるものではないので、ここでは触れないで置こう。

☆ 次回以降、何回かで「 cup チュプ = ツプ 」に関連すると思われる語彙や音を取り上げて、検証を行ってみたい。

    (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-06-23 12:28 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ーその62 (通巻第656号)
 アイヌ語では太陽のことを「 cup チュプ 」と呼ぶ。但し、月のことも「 kunne cup 暗い(影のような)チュプ 」と言うから、 「 cup 」と言う語彙そのものは、必ずしも「太陽」だけを表すものではないという事が分かる。敢えて太陽と強調する場合は、「 tokap cup 」つまり「昼間の cup 」と説明的な呼称になる訳である。

▽ アイヌ語辞典では、例えば中川辞典では「 cup 」の項目にはこう述べられている。
...チュプ cup 【名詞】①(天体としての)太陽。月。 ②(時間としての)月。
  cup という言葉には、可哀想な事に、それだけを意味する専門の語彙が割り振られていないのである。今までの私の説明ではやむを得ず「天体」という、こなれない訳語を充ててきた。「影のような天体」だの「昼の天体」だの、中学校や高校の天文クラブの生徒が天体観測をしている訳でもあるまいし、アイヌの古人が影の天体などと呼ぶ筈もないのである。

▼ やはり、「 cup 」という言葉に、天文部の生徒たちが如何にも言いそうな言葉ではなくて、古い大和言葉にも通じるような、万葉集や「おもろさうし」に出てきても違和感の無い、芳(かぐわ)しい訳語を見付け出してやらないと、「 cup 」という由緒のある言葉が泣こうというものである。
...太陽や月という実在の物の重要な性質、在り方に通じる言葉であって、音韻的にも意味の上でも cup に近い、そんな名詞か、動詞か、形容詞が有るだろうか。

◎ cup に対応する大和言葉の探索は、私の常套手段である答の種明かしを先にする例の手口で始めよう。
...太陽や月という天体の目立った特徴の一つは、「唯(ただ)一つの~」とか「大いなる~」ということだろう。しかし、言葉を作る、言葉ができる要因は、物事の一つの側面だけを見てできるものではない。前に出したことのある「家(いへ・いやー)」という観念の成立には、縄文時代の家の三角形の屋根の表象(心の中の映像)と、そこで得られる安全・安心という、もう一つの観念が必要だったこと、その事を思い起こして頂きたいのである。

☆ 太陽や月のもう一つの別の側面、それは「消長(しょうちょう)する」という点である。「消長する」などと言っても、それは普段の使い慣れた言い方ではなく、ちょっと「チュウショウ」的に過ぎて、どんな動詞なのか若い人には理解しにくいだろう。
...少し具体的な言葉に置き換えると、例えば月は「満ち欠けをする」という事である。アイヌ語に於いても日本語でも、方向の相(あい)反する動作が、たった一つの言葉で語られるという世界に余り例を見ない際(きわ)立った特徴がある。
★ 答えを言おう。それは古語で言う「潰(つぶ)る」という言葉である。
...この「つぶる」という言葉は、文字通り「潰れる・滅びる」という意味と、何とその反対物の「完全な物になる・新しいものがきざす(萌す・兆す)」という両義が有るのである。   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-06-22 12:43 | Trackback | Comments(0)

縄文語ってホントに有ったの❓ーその61 (通巻第655号)
 もうニ三十年も前になるか、テレビのコマーシャルで、「チャップイ、チャップイ、ドント、ポッチイ」と縄文人のような風体の男が呼び掛けるのがあった。小学生を中心に爆発的な人気を博し、終には大人の、サラリーマンの親しい仲間同士の朝の挨拶にまで、この「チャップイ、チャップイ」が使われたと言う。勿論、仲間内の冗談的なもので上司に向かって遣われたものではない。

▽ この C・M は、使い捨てタイプのカイロ(懐炉)の宣伝で、「ドント」と言うのは、その商品名である。この C・M の台詞は、一見すると只の「おふざけ」のようであっても、恐らくは製作に当たって古語の研究者や学者に意見を求め、ヒントを得て台詞を考えたのだろう。
...この台詞(せりふ)は、「寒い、寒い。ドントが欲しい。」を意味するのだが、単に受け狙いの幼児語を並べ立てたのでなく、古語の音韻変化の歴史的沿革に、一定の配慮と目配りをした水準の高い出来栄え(できばえ)になっているのである。
 石器時代人だか縄文人だか、粗末な服を着た男が、寒そうに身を縮めながら、テレビ画面からこの極め台詞(きめぜりふ)を訴えかけて来るのである。
 その宣伝効果は絶大で、ドントは大いに売り上げを伸ばしたと言われている。だが、そのヒットは、一商品の売り上げの問題に止まらず、使い捨てカイロ全体の市場における位置を押し上げ、日本人の冬の生活スタイルにも影響を及ぼしたと言われるほどの社会現象になったのである。
 
 この C・M では、さ行の言葉とは行の言葉とが取り上げられている。これを見てみよう。

▼ チャップイ...寒い(さむい)←ツアブイ←チャップイ 又はツアプイ。
  ポッチイ ...欲しい(ほしい)←ポッシ又はポッチ←ポッツイ。
...この台詞でさりげなく述べられているのは、「さ行」の音とは、「さしすせそ」だけでなく、「チャ、チ、チュ、チェ、チョ」や「ツア、ツイ、ツ、ツエ、ツオ」の発音をも含むものであると言う事である。
 そうした可能性をも、この簡単な台詞は示唆(しさ)するものである事に注意を払って頂きたい。

◎ さて、「さ行」の秘密はそれくらいにして、少し元に戻ってアイヌ語の太陽を表す語の在り方に注意を向けてみよう。実は、「太陽 = Si 」とする、その言い方が、何事も大した根拠もなく断定して憚(はばか)らない私の性格からして、珍しく腰の引けた
遠慮がちな言い振りなのである。アイヌ語では、「 Si 」は「唯一の」を意味し、太陽はその意味のセンター(中心)には居ないのである。もう一度、太陽そのものが意味の主役として鎮座するアイヌ語を探り当てよう。
...それは、「 cup チュプ 」と言う言葉の再検証をすることを意味する。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-06-21 13:05 | Trackback | Comments(0)