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縄文語のかけらーその10 (通巻第695号)
 仲宗根さんの担当した製菓会社のブログで紹介された星々の物語では、ニヌファブシが男性、ウマヌファブシは女性だとされているのだが、実は、二人の神の性別、男女が逆転した話も残っているのである。

▽ 度々私のブログに登場頂いた松居友氏の著書「沖縄の宇宙像」では、北極星の女神とされる「ネノハンマティダ」と南極星の男神である「ウマノハノユーヌヌス」とが、この世とあの世を司る夫婦の神として現れる。
...神の名の分析から見て、私はネノハンマティダは女性だと断言する。それは、沖縄方言とアイヌ語のごちゃ混ぜの変な語彙になるのだが、「マティダ」という言葉が、「女神」を意味し得ると考えるからである。

▼ 「 mat-tida 女・太陽( = 王・神)」...これが私のマティダの文の構成の分析である。ご覧の通り、アイヌ語と沖縄方言とのハイブリッドである。だが考えてみれば、同じ神格を表すと見られる「ニヌ・ファ・ブシ=子(ね)の・方角の・星」という言葉、それ自体が、中国語と沖縄方言の合成語ではないか。沖縄方言にとって、祖先を同じくするアイヌ語が混じり込んだとしても何ら不思議は無いし、罰(ばち)が当たるというものでもあるまい。
...ティダ(=太陽)という言葉は、意味が発展して後には「王」や「指導者」をも表す言葉となった。この事は前にも沖縄の古謡の「おもろさうし」を取り上げた際に説明した。

◎ 例えば、「ウシュ・ガナシ=御主加那志」という言葉がある。「王様」という意味である。意味を明らかにした漢字で書けば「御主愛し」になるとされるが、私は「御衆愛し」のフリ漢字の方を推奨したい。「御衆(うしゅう」)とは万民、人民を意味し、「かなし(愛し)」とは貴人の尊称で、「~様」に当たる。この「かなし=愛し」は、元々の意味は振り漢字の通り「人民を慈しむ方 = 国王様」だったと思われる。「ウシュ・ガナシ」は又、「ティダ・ガナシ =国王陛下」とも呼ばれた。

☆ 「ティダ」は太陽を表す。また上記のように太陽のように万民を照らす国王を表す。そして勿論、輝く太陽の神を意味する。日本神話のアマテラスのような女神を意味するのだ。「マティダ」は、「マッ= mat 女の」+「ティダ = tida 神」という語句の構成により成立したと私は見ている訳である。
...mat は、アイヌ語で「女」を意味するのはご承知の通りだが、なぜ唐突に沖縄の古い言葉などに顔を出すのか、変な所に混じり込むのかに不審な想いを抱かれるかも知れない。

★ だが、アイヌ語が大和言葉や沖縄方言に混じり込むのは、何の不思議も無い。共に縄文語の欠片(かけら)を血の中に抱えているからである。日本語にも、アイヌ語の「 mat = 女 」が混じる言葉があった。「ナントカ小町」という美人を指す呼び方が、昔流行った。小町は小野小町の個人名から来たとするのが通説だが、...以下、次回に。

by atteruy21 | 2019-07-31 15:05 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその9 (通巻第694号)

 「沖縄方言の星の名前」教室
...アラブなどの砂漠の民は、生活の必要から天空の星の並び方(星座)に名をつけ、方向を知る縁(よすが)とした。一方、海洋の民である琉球の人々も、舟の行く手を決め、航行の安全を図るためにも、星の位置やそれぞれの関係の把握は必須の知識であり、目印となるべき個々の明るい星や目立つ星団に、様々な名を付けて呼び親しんだ。

▽ 「ハイムリブシ」...南十字星のことだと言う。この語の構成は、恐らく「ハイ=南風」「ムリ(ぶり)=群り」「ブシ=星」なのであろう。沖縄では何と南天の星座、南十字星が見えるのである。
...「ミチブシ」...この語は「三つ星」の意味だろう。明るく輝く三連星と言えば、あのオリオン座の、オリオンの腰のベルトの三つ並んだ星以外にあるまい。

▼ 「ムリカブシ」...群か星と考えられる。夜空に最も明るく輝く星の集団といえば、清少納言が「星はすばる(昴)」と爽やかに褒め称えた、あの昴(プレアデス星団)のことである。

◎ さて、この「星の名前教室」の発端となった「にぬふぁ・ぶし」の謂(いわ)れを述べないでは、それを解き明かさないでは、皆さんも当然のこと納得が行かないだろうし、アイヌ語との関連も見えて来ないだろう。
...謎解きに入ろう。なお、わたし独(ひと)りの勝手な言い分でないことの証明で、インターネットの検索で面白い記事を見つけたので、そちらの手助けを得て論を進めよう。

☆ マルキヨ製菓のスタッフブログ「お菓子な琉球語」のブログ担当の仲宗根さん(綺麗なお姉さんだと勝手に想像)の文章が大変参考になったので、皆さんも覗いて頂きたい。
...「ニヌファブシとウマヌファブシ」
  北極星。言わずと知れた、北の方角に見える地球の自転に影響されず、ほぼ動かない位置にとどまっている星ですが、沖縄の言葉では「ニヌファブシ」と言います。また、いて座の中にある明るい六つの星・南斗六星の事を、沖縄の言葉でウマヌファブシと言います。
 実は、このニヌファブシとウマヌファブシは、沖縄の伝説によれば夫婦ということになっています。...以下、省略。

★ ニヌファブシは、実は「子(ね)の・方角の・星」で、子(ね)は十二支の子(ね)、つまり北の方角を指すのである。となれば、ウマヌファブシとは、当然に午(うま=南)の方向を意味すると...。  (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-07-30 10:41 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその8 (通巻第693号)
 人が旅をするとき、目的地への道のりや、そもそも目的地の方角を何に基づいて定めたのか。元々見識った土地や自分で行ったことが無くても、人から聞いてその場所を大体は識っている場合であれば、何処にどんな形の山があり、河はどちらへ流れているのかなど、それを確認しつつ歩を進めるだろう。

▽ だが、豊かな山河の美しい景観に恵まれた日本列島は、世界の中では例外中の例外で、砂漠のようなノッペラボウな土地柄も少なくなく、また大海に舟を漕ぎ出せば目印にすべきどんな景観も存在しないのである。沙漠を行く駱駝に乗った隊商の人々は、砂丘の連続を何を目当てにして踏破して行ったのか。大海原に乗り出した海人たちは、何を目印に波頭を越えて舟を操ったのか、それは沖縄の民謡にヒントが隠されている。

▼ 沖縄民謡「てぃんさぐぬ花」
...
 1、てぃんさぐぬ花や 爪先(ちみさち)に染(す)みてぃ
   親(うや)のゆしぐとぅや 肝(ちむ)に染(す)みり 
 2、天ぬ群り星(むりぶし)や 読(ゆ)みば読まりしが
   親ぬゆしぐとぅ(言いし事)や 読(ゆ)みんならん
 3、夜(ゆる)走(は)らす舟(ふに)や にぬふぁ星目(み)当てぃ
   我(わん)生(な)ちぇる親(うや)や 我んど目当てぃ
 以前に紹介した民謡である。共通語での訳文も既に説明が済んでいるので重複は避けたい。問題となるのは三番の歌詞である。東アジア諸国との交易で暮らしを立てた琉球の人々は、海を縦横に往き来した。その際、航路と方角を何によって知り、どう定めたのか。

◎ この歌にあるように、琉球の舟人は「にぬふぁ星(ぶし)=北極星」を目印にしたのである。天の真北に在って、恒にその位置を変えぬ者、それが「にぬふぁ・ぶし」であった。
...沖縄方言の「ニシ」の語源を、何とアイヌ語から解き明かそうなどと、歌舞伎ではないが、六方を踏んで大見得を切って出てきた迄は良かったのだが、「ニシ」の語源の詮索より前に、先ず自分の足許の沖縄の星の名称の理解を固めて置かないと、論議の前提が崩れてしまう、転んで下駄が飛んでしまうような事にもなり兼ねない。

☆ 沖縄方言の星の名前などに眼を向けてみるのが、案外、この方角問題の秘密に近付く早道なのかも知れない。...と言う事で、
次回は沖縄方言のお星様教室に皆さんをお招きしたい。   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-07-29 11:10 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその7 (通巻第692号)
 沖縄方言やアイヌ語に於いては、風の吹く方向が方角・方位の観念の形成要因になっていると言えそうである。現代の西日本各地に残っている「南風(ハエ)」という語を見ても、古い時代の列島の住人の間に風の吹く方向と地理的方角を結び付ける見方が有ったのは、もう証明の必要すら無い事柄に属すると言うべきであろう。

▽ 古い時代の「列島人 = 縄文人?」の方角の概念は、太陽や月が昇る、沈むという事象に着眼点を置いた、「東・西」の観念が中核をなすものであって、「南・北」の観念は東西の概念に従属する、言わば「準概念・下位概念」なのではないか。そのように私は考えている。
...その考え方を敷衍(ふえん)する前に、説明しかかったアイヌ語の matnaw という言葉について、それが、果たして北風なのか南風を言うのか、それが曖昧なままではブログ読者のフラストレーションも高ずるだろうから、私の考えを述べて置こう。

▼ mat-naw という言葉については、辞典にはその語源・構成について一言も説明が無い。恐らく、この語の成立した時点の語の形から相当に隔(へだ)たった音で語られていたのだろう。誤りを覚悟で、私なりの分析を試みようと思う。
...「 mata - aw 」が元の形であったのではないか。直接の語源解釈の前に、大和言葉の俳句の世界に思わぬヒントが有るような気がするのだ。
 
◎ 何故、唐突に俳句なのか。俳句には日本人の自然観のエッセンスが込められているからだと、今はそうとだけ言っておこう。
...俳句には「季語」と言う、美しい自然観の宝庫がある。その短いただの一語で、詠み手の深く広い想いを、その季語が語ってくれるのである。
「冬隣り(ふゆ・となり)」という季語がある。秋も深まり、もうそこまで冬がやって来た。そういう季節に寄せる人の想いをこの季語は運んでくれる訳である。この「冬隣り」の外にも同じように「春隣り」という季語もある。冬が終わって、ホラ、もう其処まで春の足音が聞こえているよと、そんな喜びの心を、この「はる・となり」という柔らかな五音は伝えてくれるのだ。

☆ 「 mata-aw rera 冬・隣りの風 」、これは強引に過ぎる解釈かも知れない。母音を取り除き、子音を挿入して、勝手にでっち上げた架空の語句である。だが、ただの語呂合わせだと片付けられないだけの爽やかなイメージを、あなたの脳裡に、この解釈は浮かべさせたのでは...と、私はそう思いたいのだ。「冬隣りの風」とは、北から吹く風であることは言うまでもない。

★ 未だ途中で言いかけのままにしてある沖縄の「ニシ」という言葉に戻ろう。それは一体、どんな自然現象から導かれるのか。それが次の課題である。何とそれはアイヌ語の「ニシ 」という言葉から説明されるのである。乞うご期待‼である。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-07-28 11:51 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその6 (通巻第691号)

 アイヌ語の「方角」を表す言葉のうち、「南北」を表す語彙に関しては、同じ名前で呼ばれても、地方・地域によって指し示す方向が異なる場合が少なくない。これは、方角の観念が形成される上で用いられた指標が、東西と南北で異なることに起因する。

▽ 「東・西」の観念を生ぜしめた事柄は、太陽や月の動きで、それが天空に上がる方向が東であり、大地や海に沈む方向が西であると、そう古人は考えた。列島のどんな場所に住んでいようと、月が昇り日が沈む方向は誰の目にも分かりやすく、また季節によって変わることもない。だが、南北となると、見知った土地や海域でなければ、その方向を見定めることはそう簡単なことではない。南北の観念は、特に「南」の観念は、天体を目印にしにくい事もあり、天体の動きの外(ほか)、山や川などの地理的環境、風の吹く方向などの自然条件が南北を知る上での指標となったのである。
...風の吹く方向などは、季節やその土地の地理的条件によって区々(まちまち)であって、実はこの事が、アイヌ語や沖縄方言で同じ風の名称が、地域によって指し示す方向が異なる状況を産み出す最大の要因になっているのである。

▼ 大和言葉にも同様の状況が起こることを、方角に関連した風の名称で確認してみよう。
...六甲颪や筑波颪(つくば・おろし)という言葉を聞いたことがお有りだろうか。阪神タイガースのファンならずとも、六甲颪という球団の応援歌があることは知っておいでだろう。六甲山がどれ程の標高を持つ山なのか私は知らないけれども、そこから吹き下ろす風は、キット、冷たい強い風なのに違いない。千葉県に住む私にとっては、筑波嶺(つくばね)から吹き下ろす風が、小学校や中学校の校歌でお馴染みの言葉だった。
...颪(おろし)と言うのは、「冷たい風」というのが通り相場で、生暖かい「ナントカ颪」という風の名は、聞いたことが無い。要は北風のことを言うのである。

◎ だが、例えば筑波颪は、何処の場所でも北から吹く風なのだろうか。筑波颪は、江戸の方面から見た北風であっても、例えば筑波山の北側に住む人から見れば、筑波颪(つくばおろし)は南風になる。それとも、筑波の北側の住人は「筑波颪」という言葉を使わないのだろうか。

☆ pikata という季節風が、北風とも南風とも、地方によって方向が変わることを、ご理解頂けただろうか。ただ、筑波颪という風の名に関して言えば、それが主に北風を指す言葉として使われたことは紛れもない事実である。
...私は、pikata について言えば、それは南風を指すのが基本だと考えている。matnaw の方については、冬の季節風、つまり北風を指すと考えるのだが、その説明は次回に繰延べたい。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-07-27 11:34 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその5 (通巻第690号)
 沖縄方言では、なぜ「北」のことを「ニシ」と言うのか。その謎解きの前に、沖縄の「東西」の観念は、太陽や月が昇る沈むという事柄に結び付けて形成されたようだという事実を踏まえて、それでは、「南北」を区別する観念の方は、どんな自然現象から導かれたのかと言うことが、今度はそれが気になるのが人情というものだろう。

▽ 沖縄方言では、地域によって細かな発音の差異が有るのだが、「南」は、「フエー」とか「ハイ」と言った発音で語られる。
そして、それは風の流れる方向に語意の中核が有ると見られている。実は、この「フエー」や「ハイ」或いは「パイ」などの一連の発音の延長上に、西日本の各地に「ハエ」という南風、ないし東南の風を表す言葉が残っており、これは同一の語源に発するということが言われている。

▼ 「ニシ = 北」の方は、「北風」という意味は無いようなので、風以外の、何らかの事物か自然現象に由来するものと考えられる。それが何に由来するのかの解明はいま暫(しばら)くお待ち頂いて、その前に、皆さんの疑問、心の蟠(わだかま)りを解消して置かないと、この先の論の進め方に悪い影響が有るといけないので、その疑問を解消して置こう。
...それは、アイヌ語や沖縄方言の方角の観念には曖昧さが多いだとか、南北の観念が無いのではないか、等の私の一方的な決め付けた言い方の事である。そんなことが本当に有るのかと...。

◎ アイヌ語の方角の観念を表す言葉に見られる曖昧さの例を挙げてみよう。
...南北の観念に関わる言葉を、萱野辞典と中川辞典に見てみよう。どんな混乱が有るのかと。

matnaw ...北風 matnaw rera 北風 (萱野辞典)
matnaw ...南風 (中川辞典)
ピカタ pikata 【名詞】風の名称 ; どちらから吹く風かはっきりしない。(中川辞典)
ピカタ 南、南風、南西風。(萱野辞典)

☆ ご覧の通り、全く反対の言葉が載っていたり、「どっちから吹く風か分からない」等と、辞書には載せにくい解説と言うか、訳語と見られる文章を掲載せざるを得ない状況が有るのである。ただ、この状況と言うのは、独(ひと)り萱野氏や中川氏の責任に帰せられるべきものではない。

★ 地方、地域によって語彙・語意が逆転するのは、それにはそれだけの理由が有るのだ。次回は、その辺りの罰(ばち)当たりな表現の由来を語ろう。ヒントのキイワードは、六甲颪(おろし)や筑波颪という言葉である。 (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-07-26 14:23 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその4 (通巻第689号)

 インターネット検索で「沖縄方言」を覗いていたら、 tonton さんと言う方の書いた「方角について」の記事を見つけた。良く纏まった、素人の私にも分かり易い文章で語られているので、例によって tonton さんには無断で、一部を引用させて頂こう。

...沖縄の方言「方角について」 by tonton
《 大切な方角 》
 沖縄に住む人たちは、風にとても関心を払います。四方を海に囲まれて、言うなれば年中海風にさらされています。夏になれば台風が直撃するなど生活を脅(おびや)かすこともあり、風の吹く方向などには常に注意を払ってきました。その風が吹いてくる方角にも沖縄独特の呼び方があります。
 通常、わたしたちは「東西南北」を‘’ヒガシ・ニシ・ミナミ・キタ‘’と呼びますね。

▽ しかし、沖縄本島では東をアガリ、西をイリ、南はフエー、北はニシと呼びます。細かくは地方によって若干の違いがあり、宮古島では東をアガル、西をイル、南をパイ、北をニシと呼びます。八重山諸島では、東をアール、西をイール、南をハイ、北をニシと呼びます。西表島の名前、イリオモテジマも、この由来から来ています。

▼ 波照間(はてるま)の北西には、ニシ浜というビーチがありますが、北側にあるのに‘’ニシ‘’なので、沖縄旅行で来た観光客は混乱してしまいそうですね。

◎ なぜ北をニシと呼ぶのかは諸説が有るそうですが、「イニシエ(昔)」が省略されたとの説があります。「イニシエの人が居た方角」との意味で、古代の日本では西方(アジア)から民族が移り住んだため、北をニシと呼ぶというものです。
 あくまで仮説ですが、興味深い考察ですね。...以下、省略。

☆ tonton さんの指摘は、参考になる多くの視点を含んでいる。こうした観点も含め、方角の観念がどのように日本列島にやって来た人々の間で育まれて行ったのか、その問題の追究を続けよう。
...沖縄方言に於いては、「東」と「西」の観念は、アイヌ語と同様、太陽や月が「上がる」方向、「沈む」方向が中核の語意となって成立したもののようだ。

★ 一方、南北の方は、...以下、次回に。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-07-25 09:36 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその3 (通巻第688号)
 Wikipedia から引用 「メナシクル」(続き)
...「メナシ」の原義は、「(東または南から吹く)強風」や「時化(しけ)を呼ぶ風」などで、太平洋沿岸地域のアイヌが、河川を境として「東風の吹いてくる方角」を「メナシ」、その対岸を「スム」と呼んだことから転じて、「メナシ」は「東」を意味するようになった。...以下、省略。

▽ メナシ ( menas )とスム ( sum )という二つのアイヌ語の語彙は、それぞれ大和言葉の「東・ menas 」と「西・ sum 」を表す概念とされる。しかし、この大和言葉に対比させた方位の捉え方や考え方は、果たして古代アイヌの方角の観念と、その枠組みにおいて完全に一致するものなのだろうか。言葉を換えて言えば、「東」「西」「南」「北」という「方位」の観念は、万国共通の普遍的観念なのだろうか、と言うことである。

▼ アイヌ語には、明確に「北」や「南」の方角を表す言葉が無い。私にはそのように見える。実は、これはアイヌ語独りの例外ではなく、大和言葉の沖縄方言も同様であったという見方が成立し得るのである。その沖縄方言の東西南北についても、このあと詳述したいと思っている。
...不正確になるのは百も承知の上で敢えて暴論を吐くと、古代アイヌの方角の観念には「南・北」の独立した概念が存在せず、東と西の観念だけが存在したのだという事になる。

◎ 常識的にはあり得ない話に見えるかも知れない。交易の民とも言われたアイヌが、北や南の遥かな地を目指すとき、その舟の行く手をどの方角に定めたのか。実は、アイヌの方角の観念の「 menas 」は、ただ「東」を指すのではなく、「東南」の方向を指していたのである。
...曖昧さを排して、もっと露骨に語ろう。実は「 menas 」という言葉は、古くは「東」ではなく、「南」を意味したのだろうと私は考えているのだ。

☆ 北海道の地形と対比させて私の考えを述べよう。北海道を敢えて二分すると、アイヌの観念とも重なる訳だが、北見山地から石狩山地、そして夕張山地と北海道を南北に縦断する山脈を背骨として、地図で言えばその左側の日本海側、西北地域を sum と言い、右側太平洋岸の東南の地域を menas と呼ぶ。そういう観念が広く道東地方に有ったのだと考えている訳である。

★ 東西の方角は cup-ka と cup-pok が受け持ち、南北の観念は menas と sum で使い分けた。それが古代アイヌの独特の方角の観念を産んだと私は考える。その証明は、沖縄方言と対比させて語る方が、より鮮明であり分かりやすいと思うので、次回は沖縄方言の解析に入ろう。西=北という面白い話になるのである。   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-07-24 11:31 | Trackback(1) | Comments(0)

縄文語のかけらーその2 (通巻第687号)
 アイヌ語や沖縄方言を含む大和言葉には、方位・方角に関する観念に、従ってそれを表す言葉に、理解しがたい曖昧さや混乱が見られる。実はそれは、共通の祖先である縄文人と呼ぶべき人間集団が、この日本列島にやって来た経路や歴史的沿革に基づく、言わば必然の言語上・観念上の注目すべき特徴なのである。新シリーズの「縄文語のかけら」という論考の冒頭に、この方位及び方角の問題を取り上げたのは、まさに「縄文語」の成立の秘密に直結するものだからであり、その意味で必然なのである。
...方位方角を表す言葉の不確かさの例の紹介を、先ずアイヌ語の例から始めよう。

▽ アイヌ語の方位を表す言葉に、と言うよりアイヌ民族の方位方角の観念を成立させる要因に、二つの事柄が存在する。アイヌ民族は、方角を特定するに当たって、一つには宇宙の、天体の運行に着目した。もう一つは、この大地の自然条件、例えば大地を流れる風の動きに着眼して、その流れ来たる方向で方位を定めたのである。また、海に対してその地域がどういう位置を占めるのかも方位を決める条件となった。
...cup-ka (位名)東 ...cup-pok (位名)西 
 cup 太陽・月が ka 上・上がる...太陽や月が上がる方角が東である。アイヌ古人はそう考えた。
 cup 太陽・月が pok 下・沈む ...太陽や月が沈む方向が、即ち西である。

▼ koy-ka (位名)東 ; ↔ koy-pok  地域によって指す方向が違う。
  koy-pok (位名)西 ; 地域によって指す方向が違う。
  koy・yanke・usi コイヤンケウシ【名詞】波打ち際
  koy 波 yanke ~を岸に上げる usi 所 (以上は、中川裕氏のアイヌ語辞典による)

◎ 詳しい分析は追い追い行うとして、風の方向による方角の観念の例を見てみよう。アイヌの英雄シャクシャインを取り上げた際に出た関連語のスムンクルとメナシクルの話である。例によって Wikipedia のお世話になる。本質を衝いた分かり易い名文である。

...シュムクル(スムンクル) sum-un-kur
 胆振(いぶり)から日高北部にかけての太平洋沿岸地域に居住するアイヌ民族集団の名称。17世紀には東で接するメナシクルと抗争を繰り広げたことで知られるが、その示す範囲については諸説ある。
《定義》アイヌ語で「西の人」の意である。「スム(・レラ)」は本来「西風」を意味する単語で、太平洋沿岸のアイヌが河川を境として西風が吹いてくる方角(=西)を「スム(シュム)」と呼んだことから、転じて「西」を意味する名詞となった。
...メナシクル 「メナシ」の原義は「(東または南から吹く)強風」や「時化(しけ)を呼ぶ風」などで...以下、次回に。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-07-23 11:14 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその1 (通巻第686号)
 つい先だって、日本人のルーツになった人々が、どのような形で日本列島にやって来たのかを探る一つの実験航海が行われた。幾組かの男女の乗り込んだ丸木舟が、台湾から出発して、黒潮を乗り越え沖縄の西南諸島の何処かの島に無事にたどり着いたのだと言う。三万年前の出来事だとの想定で、使った舟の木材やその道具も全て現地調達で、かつ想定された当時のやり方で手作りで彫り上げた舟だと言う。

▽ 台湾島は、三万年前には中国大陸に接していたと言われ、日本列島にやって来た人々の中に少なくとも中国南部に住んでいた人々が居たことは定説になっているので、この台湾からの実験航海が的外れのものだとは言えないことは確かである。
...日本人のルーツが、中国大陸から渡来した人々が中心だったのかどうかは一概には決めつけられないが、縄文の人々の祖先が陸伝いにか海を越えてかして日本列島にやって来たのは間違い無かろう。

▼ 私は、後に縄文人と呼ばれることとなった人々の祖先は、恐らく南方から海を越えてこの日本列島に到達したのではないかと思っている。縄文人が南方にルーツを持つのではないかという考え方には、幾つかの根拠が有るのだが、その前に、誤解を避けるために念のため言って置かなければならないことがある。
...それは日本人のルーツという考え方は、厳密に定義して置かなければ正しい歴史的事実を見誤るという事である。

◎ 縄文人は、日本列島全体に広がって縄文文化の下に生活した人々を言うのであって、その子孫にあたる人々には、沖縄を含む大和民族と、アイヌ民族が含まれるという事である。私は、今までの六百回を越えるこのシリーズの中で大和言葉とアイヌ語との共通の祖先である「縄文語」という文脈で、この論考を続けてきた。

☆ 従って、「日本人のルーツ」という表現を用いる際も、縄文人がアイヌ民族や大和んちゅ、ウチナンチュの共通の祖先なのだというコンセプトで語られるべきだという考え方を、このブログでも前提としているので、留意して頂きたい。

...縄文人と呼ばれる人々が、果たして日本列島の最初の住人、ないしその直系の子孫であったかどうか私は知らない。しかし、縄文人が列島の外側から渡来して来た人々であったことは、幾つかの証拠からかなりの確かさで言えることだと私は考えている。

★ その証拠の一つが、方位・方角に関するアイヌ語と大和言葉(沖縄方言を含む)とに現れる特徴、共通の方角観念の曖昧さなのである。次回以降、東西南北の不確かさの比較をしてみよう。それが「海外からやって来た縄文人」の証拠になるのである。

  (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-07-22 15:33 | Trackback | Comments(0)