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縄文語のかけらーその40 (通巻第725号)

 方角の話の途中で、思わぬ行き掛かりから「 pas ・走る 」と言う語の素性を探る旅になってしまった。乗りかかった舟だから今しばらく歩を進めよう。

▽ 「 pas 」は普通、「走る」と訳されることが多いのだが、アイヌ語では他に走ると言う意味の言葉は無いのだろうか。
...中川辞典で「走る」について意見を求めると、キラリと光る貴重な見解に出会う。早速見てみよう。

...ホユプ hoyupu (単数)→ hoyuppa (複数) 走る ; ホユプは「走る」を意味する一般的な言葉。 pas は常套句などで使われる語で、やや韻文(いんぶん)的な語と言える。 cas (チャシ )は更に限定された用法のみで出てくる。

▼ 「 cas 【名詞】ひとっぱしり。
...語源的には pas 「走る」と同一の語であり、パシ よりも古い形であると思われる。
 中川氏は、同じ「走る」の意味を持つ二つの語彙の沿革をこのように推測される。これは恐らく正しく的を射た見方だろう。

◎ 私の問題意識は、実はここから始まるのである。同じ意味を表す、二つの別の音(おん)、チャシ とパシ の問題の2語に即して言えば、「パ」という音と「チャ」と言う語が、同一の音価(おんか)を持つという問題である。
...「パ」と「チャ」の音が全く同じ意味を持つと言うことで思い浮かぶ、もう一組の言葉が有るだろう。それは、「 paro 」と「 caro 」だろう。それは同じく「口(くち)」を意味する。

☆ この音韻を異(こと)にする二つの同義の語彙を成立させた、その成り行きを改めて再構成して、それぞれの原義を明らかにしてみようなどと言う、何とも身の程知らずの試みをしようと言うのである。一蓮托生、狸の泥舟に乗った積もりで、探索の船旅にお付き合い頂きたい。

★ パロとチャロは、違う音でありながら何故に同じ意味を持ちうるのか。どちらも「口(くち)」を意味するのだが、始めからの意味が「口」であったのか、と言うことに私は何か疑問を感じるのである。
...ここからの噺は、私の信念的なやり方なのだが、語の形成過程を考える上でオノマトペの世界に皆さんをお誘いする事になるので、「そんな語呂合わせみたいな‼」等と言わずに最後まで付いてきて頂きたい。

   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-08-31 12:00 | Trackback(18) | Comments(0)

縄文語のかけらーその39 (通巻第724号)

 pas というアイヌ語は、単に「走る」という意味だけに止まらない、重要な意味が有ると述べた。カラスを例に、人間の願いを天界に届けるだとか、戦で敵軍の動静を知らせるだとかと...。確かにそれは重大な役割に絡む言葉ではあるのだが、カラスで説明するのでは、人間生活でどんな役割を果たすのかを示さなければ、パシの語義の全面的理解は困難だろう。

▽ pas の重要な意味を表す語例をもう一つだけアイヌ民族の叙事詩ユーカラの常套句から取り上げて見よう。
...kasi-o-pas カシオパシ 「救援に駆け付ける」という語句が少年英雄の物語に登場する。どんな文脈で使われるのかと言うと
...アイヌモシリを侵略せんと次々に押し寄せるレプンクル(沖の人=とつくにびと)との闘いの中で、敵軍の城深く囚われた美しいアイヌの姫を、今や救け出すべく少年英雄(ポイヤウンペ)が敵地へ急行する。そのような情況を言うのだ。

▼ kasi (~の上へ)・ o (そこ)・ pas (駆け付ける)...と言う訳である。
...残念ながら、現代のアイヌ語話者や研究者は、pas の物理的運動の側面(= to run )にのみ眼を奪われ、肝心の「何らかの使命ないし目的をもって何処かへ急ぐ」という、より重要な意味を忘れ去ってしまっている。
 大和言葉の「馳(は)せ参じる」などの言い回しも、実はこの「パシ 」の流れを汲むものであることは、前にも述べた。

◎ パシクル(烏)の語源の説明で現代の日本の若者文化の「パシリ(使い走り)」という言葉が、兄貴分の命令で弟分が使いっ走りで何処かへ行かされる時、現代の若者は古い日本列島人の正統を継ぐ「パシ」という由緒有る言葉を、それと知らずに用いているという事に、言語というものの持つ、したたかでしなやかな生命力を私は感じるのである。
...因みに、「使いっ走り」のことを、現代のアイヌ語では「パシ・ウテク・ペ」と言う。
 pas =走る utek =使う pe =者 → 使い走りの者・小間使い (萱野辞典)

☆ pas という音の詳しい解析は、次回に回そう。

   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-08-30 14:46 | Trackback(10) | Comments(0)

縄文語のかけらーその38 (通巻第723号)

 ウパシクマと言う言葉は、伝説や由来譚を語ると言う意味を表し、古い事柄に特化された意味だけでなく、「共に・伝え合う・事柄」と解釈することも可能ではないかと、前回に私は主張した。専ら伝説・昔話などに限定せず、生活に必要なあらゆる情報を伝え合うと言うのがウパシクマの原義ではなかったか、...と。それが同時に取り上げた ueneusar と同様、四方山噺や世間話をすると言う意味である。

▽ 情報を伝え合うことが即ち、「教える」ことにも繋がって行くと言う訳だ。だが、 upaskuma の何処に「情報を伝え合う」などという意味が有るのかと言う話になると、やはりもう一つ納得の行く説明が、言葉の解析が必要となる。
...「 pas 」という音(おん)と言葉に重大な秘密が隠されているのである。

▼ アイヌ語で「 pas 」と言えば、普通は「走る・疾(はし)る」を意味するとされる。しかし、「 pas 」にはそれに止まらないより重要な意味が有るのだ。

◎ 「 pas-kur パシクル ・烏」と言うアイヌ語をご存じだろうか。それはカラスを意味するのだが、語源的には、大切な「使命を帯びて走るお方」を意味するのである。
...世界の多くの民族が、人間の願いを天界に伝える者として、空飛ぶ鳥にその役割を認める観念を育てた。鳥の中でも取り分け烏は頭が良く、人の言葉を素早く記憶して、それを繰り返すことが出来たから、単にオウムのように特定の言葉のみを真似るだけでなく、簡単な語の組み合わせならば、文章すら即時に覚え、間違えずに話すことが出来たのである。

☆ アイヌ民族は、カラスのこの能力を熟知していたから、戦の際に簡単な言葉、例えば「敵、来た」などの言葉を記憶させ烏を他の場所にいる味方の軍勢への伝令として使ったのは、良く知られている。

...敵軍の動静と言う極めて重要な情報を、空を飛んでいち早く味方に伝える者、伝令の神 paskur 、カラスという言葉は、こうして成立した。

   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-08-29 19:49 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその37 (通巻第722号)
 「 pak (罰する) 」という音の流れの中に、唐突に「 paskuma (教える) 」という異質の音(おん)が紛れ込んだ。やはり説明が必要だろう。
...paskuma と言うのは、萱野辞典によれば「教える」とのみ訳がされている。中川辞典の方だと...
 パシクマ 【動詞2】~についていわれ話を語る。...と説明されている。

▽ 二つの辞典は、どのように意味が異なるのか。関連語を見ればより詳しい語意が分かるかも知れない。
...ウパシクマ 【 upaskuma 】言い伝え、古い話を聞かせる。 (萱野辞典)
...ウパシクマ upaskuma 【動詞1】伝説・由来譚を語る。 (中川辞典)...とある。

▼「ウパシクマ」という語の方を見ると、うっすら「 paskuma 」の原意が見えて来るような、そんな気がする。「ウパシクマ」と言うと、普通は伝説とか言い伝えなどと訳される事が多く、そして、それは間違いではないのだが、何か古い時代の噺(はなし)に特化され過ぎているのではないか。「ウパシクマ・ upaskuma 」という言葉は、分析すると「 u-pas-kuma 」となると考えられ、それは「共に・伝え合う・事柄」と解釈されるからである。

◎ そもそも、「 paskuma 」という語自体が「教える」という観念を中核とするものであって、ただ伝説・言い伝えという意味だけでは、その「教える」の意味が生かされないのである。「 u-paskuma 」という語彙は、「互いに・情報を・伝え合う」がその原義であって、伝説に限らず生活に必要な情報を教え合うを意味するのである。
...そうした意味では、同義の言い回しに「 u-(w)e-newsar 四方山噺(よもやまばなし)・世間話をする 」という語があり、また他にも「 u-(w)epeker ウウェペケレ = 伝説・お伽噺(おとぎばなし)」という言葉もある。これも上記の二者と同様に、情報を伝え合って、互いに分かり合う( u-e-peker 互いに・それで・明かし合う、教え合う)の語義を獲得する訳である。

☆ アイヌ民族は、固有の文字を持つ事が無かった。しかし、それだけに口頭で情報を交換する世間話、四方山噺を大切な情報源として財物同様に貴重な財産として扱ったのである。
...「 uepeker ウウェペケレ 」は伝説・お伽噺などと特化され、また知里真志保氏は「酋長談」などと訳したりもするが、それはごく一部の語義であって、正しい訳とは言い難い。

★ アイヌは情報は何でも宝物のように大切にした。だから、噂噺もとことん聞き出す「家政婦は見た」の世界も大好きだった。
「 u-e-peker-nu ウウェペケンヌ = 尋ねる」という言葉は、好奇心旺盛なアイヌの特徴、癖を表す興味をひく言葉である。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-08-28 13:15 | Trackback(2) | Comments(0)

縄文語のかけらーその36 (通巻第721号)
 罰という観念に含ませるアイヌ民族の心の優しさは、言葉そのものに現れている。罰するという観念に、優しく諭し導くという意味合いが、不可分に結び付いているのである。恐らくは、縄文の時代から引き継いだ過ちを犯した者への思い遣りなのだろう。

▽ 抽象論でなく、罰と教えの両義を含むアイヌ語の具体例を示しながら、それぞれの語彙が、何を中心的な意味として発展して来たのかを跡づけてみよう。
...アイヌ神謡集「梟の神が自ら歌った謡」より
inkar-as awa sonnokaun aynupito-utar yuk hemem cep hemem korkatu wen ki-rokokay .
  見ると  本当に  人間達は    鹿や 魚を   粗末に取り扱ったのであった。
Orowa tewano anak Iteki neeno ikici kuni aynupito-utar mokor otta tarap otta ci-epakasnu awa...
 それから、以後は決してそんな事をしないように、人間達に、眠りの時、夢の中に 教えてやったら...

▼ 鹿や魚を粗末に取り扱った人間達を怒り罰するというよりも、鹿を出す神も魚を出す神も、夢の中でそんなことをしないよう優しく人間達に諭すのである。「 e-pakasnu 」という言葉は、「 pak 罰する」という語から出発して「教え諭す」という新たな意味を獲得して行ったのである。

...アイヌ民譚集「パナンペ放屁譚」より
 “Hokure ahun wa ipe kor epaskuma-an ciki,neno iki wa epirka !”ari Panampe itak awa ,
 「まあ入れ。したら食事をしながら教えてやるから、言う通りにして儲けろや ! 」とパナンペが言うと...

◎ ここでも「教えてやる」と言葉が使われるが、親切に教え導くという態度ではない。ここで登場する「 epaskuma 」という言葉も教えるという意味を持つのだが、「情報を伝える」という意味合いが言葉の中核であって、優しく教え諭すという意味は無いのである。

☆ 最後に、教えるという意味を含まない「 pakasnu 」の文例を萱野辞典に見てみよう。
...sukup tuyka ta neyunneyun wen puri korpa haw patek an pe ne-akus ,
 一生の間に いろいろと  悪事を した 噂ばかり あったものだが、
 onne pekor iki somo pekor iki,kamuy orwa a-pakasnu kusu onne ka eaykap .
 死にそうにしたかと思うと死にそうでもない、神から罰を受け 死ぬことも出来ない。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-08-27 22:15 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその35 (通巻第720号)

 雷が撃つ( pak ・ピカッ )という観念から、「 神(カムイ)が怒って人間(アイヌ)を罰する = pak 」という言葉が古いアイヌ語(縄文語 ? )に形成された。そのように私は推測している。

▽ だが、一口に「罰する」と言っても、現代の我々が考える罰という観念と、古代の列島人の間に生じた罰の観念とは、実は、かなり違ったものであったようなのである。
...何故そのような推測が出来るのか、そう言うにはそれだけの理由、証拠が有るのである。
 一言で言えば、神の観念である。人間が罪を犯して神がそれを罰するとき、その罰の在り方、捉え方が違うのだ。極めて人間に優しいのである。
...キリスト教やイスラムの神は、人間の過ちに対しては、過酷とも言える償いを要求した。聖書の語る所によれば、神への愛と忠誠の証しとするため、愛し子の命を神への犠牲に捧げた父親がいた。エホバやアッラーは荒ぶる罰する神であった。

▼ 一方、アイヌのカムイは人間の過(あやま)ちに対し寛容であった。こうした神の性格の違いは、いったい何に由来するのか。
罪を犯した者に対してアイヌ民族のとった態度、昔からの慣習にそのヒントがある。
...悪神(ニッネ・カムイ)やレプンクル(和人など外国人)の悪行に対し、ユーカラの神々や英雄たちは、「地獄へ踏み落とす」と高らかに謡った。しかし、これとは対称的に過ちを犯したコタンのアイヌ(人間)に対しては、例えば喧嘩で相手を殺めてしまったような悪人でも、いざその男が死出の旅路に立つときは、コタンの古老(エカシ)たちは、その男の家族などに相応の償いをさせた上で、どうか反省したこの男をポクナモシリ(根の国)に引き取り、父祖たちと共に暮らさせて呉れるよう、カムイや祖先達の霊に祈ったのだと言う。

◎ 実は、「カムイの意思」という形で現れる規範というのは、その時代時代の人々の社会意識なのだと言う。前に筑波の歌垣の噺をしたとき、他人の妻と一晩の歓喜を尽くすことが恥ずべき行為などでなく、神も許し嘉(よみ)し給うものだという観念が広く古代の大和の人々の間に存在した事実について述べた。
...近親婚や狭い地域内での婚姻関係の弊害を避けるという、当時の人がその科学的見解に基づいてこの歌垣の慣習を編み出したというものではないが、そうした弊害を避けるという科学的認識が、信仰という装いをもって、「神も許し給う」という高らかな宣言に結び付く訳である。

☆ 次回は、罪と罰に関するアイヌ語の具体例を示しながら、厳しく罰するというより、より人間的な、優しく諭す人間関係について、述べてみたい。   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-08-26 10:41 | Trackback(1) | Comments(0)

縄文語のかけらーその34 (通巻第719号)
「 hum pak pak (ゴロ・ピカ・ピカ) 」と辺りを揺るがす落雷を、アイヌの先人たちはカムイが怒って人を罰しようとしているのだと考えた。その神の怒り、それへの畏敬の念が、人間(アイヌ)たちに果たしてどんな観念と言葉をもたらしたか。言葉を換えて言えば、「 pak ・ピカッ 」という擬音がどんな形で言葉の中に現れるのかという問題である。幾つかの「 pak 」を語中に含む語彙がある。なお、母音を交代させた「 pek 」もこの仲間に加えたい。

▽ 「 pak 」...罰する。これは、語中に含むと言うより語そのものである。特に説明は要しまい。
 ...「 pak-asnu 」罰、罰する。...萱野茂氏は同氏のアイヌ語辞典でこのように訳をつける。
 ...「 pak-asnu 」パカシヌ【動詞2】~を罰する。~に教える。...中川裕氏はアイヌ語辞典(千歳方言)の中で、そう訳す。
 
▼ ...同じ「 pakasnu 」という言葉でも、幾分か意味合いが異なり、語の雰囲気が僅かに違うのである。ここは矢張、語の成り立ち、生い立ちを再構成して、正確な語意を抽(ひ)き出す作業が必要になるのだろう。
 この「 pakasnu 」という語は、「 pak + -asnu 」という二つの語素の組合せから成ると考えるのが普通だろう。この二つの語の要素がそれぞれ何を意味し、その組合せ・複合からどんな新たな意味が創出されるのか。それがこの pakasnu という語彙の正しい訳語になるに違いない。

◎ 「 pak 」...これは「罰する」、何か悪さをした者に、力のある上位者が痛み・苦しみを与えることに他ならない。
 ...「 -asnu 」...これは接尾辞であり、微妙な意味合いがあるので中川裕氏の辞典のお世話になろう。
 アシヌ -asnu 【接尾辞】~が(たくさんあって)良い ; トウマシヌ tum-asnu 「力がある」← tum 「力」
 トウマシヌ tumasnu 【動詞1】力がある。力が強い。体力がある。...などと解説されている。

☆ これだけでは、未だピンと来ない方が多いかも知れない。少し補足の説明をしよう。接尾辞の「 -asnu 」は、先行する動詞や形容詞の表す行為や状態の程度が大きく又は多くなることによって、何らかの好ましい状態が生まれる事を意味するのである。
...例えば tumasnu の例で言えば、 tum と言うのは「内側の」というのが原義であるが、その内側と言うのは、体の内側という意味であって、内側から出てくる体の力や元気の事を言うのである。日本語でも、「元気を出せや ‼」等というが、あの元気である。だから、アイヌ語辞典でトウマシヌに「力がある・力が強い・体力がある」と訳が付されるのは、確かに正しいのだが、更に「元気になる」だとか「元気である」などが加わると万全な訳だと思うのだが...。

★ 従って、「 pak-asnu 」の訳(やく)は、罰して、その事によって相手が良い状態になる事を含む概念である必要が有るという事である。ただ体罰を与えるのでなく、教え諭(さと)すのが...以下、次回に。

by atteruy21 | 2019-08-24 11:23 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその33 (通巻第718号)

 雷のオノマトペアは、「 pak パク 」と「 pika ピカ 」とにアイヌ語と大和言葉とでは分かたれたが、これは元々一つの言葉であったのだろう。母音の違いは、言葉を創るという点ではさしたる障害にはならないと言うのが、今までの考察の中でも明らかになっている。
...言語の発生。...特定の事柄と特定の音(おん)の連続が、人間の脳髄に特別の組み合わせとして理解されるとき、そこに言葉が生まれる。いま我々が問題としているのは、自然界の音や様子が、どう言葉(オノマトペ)として成立するのか、という事である。
 その際、その言葉(オノマトペ)を構成する音の集合体のうち、母音の違いは、或る音の組合せ、複合が一つの意味を表す上での決定的な阻害要因にはならないと言うことが、今までの検証の中で既に明らかとなった訳である。

▽ オノマトペの語例を挙げる前に、なぜオノマトペでは母音の違いが決定的な意味を持たないのかの解明をしておく必要が有るだろう。「パク」でも「ピカ」でも変わりは無い等と言うのは、言葉と言うものを真面目に研究する上では、見方によっては許せない背徳とも評すべきものだろう。
...だが、オノマトペと言うのは元々そう言うものなのである。考えても頂きたい。風の吹く音や犬たちの吠える声が、果たして人間が聞き取り易いように、子音や母音を整理して吹いたり吠えたりしてくれるものなのか。自然の音は、人の話す言葉と違って明らかな差異をもっては発生しない。母音と言い、子音と言っても、それは人間が勝手に作り出した決まりに基づいてする勝手な区別に過ぎない。そんなものに、犬や風が従う謂れや義理は無いのである。

▼ 少し前の回で、「 pak 」というアイヌ語のオノマトペが特別の動詞を創ったなどと、秘密めいた噺を持ち出した。この辺りでその種明かしをしないと、皆さんにも飽きが来るだろう。
...落雷や雷鳴に、アイヌの先人たちはどんなイメージを持っただろう。...稲妻が走り、バリバリッと大木が裂け、そこに蒼白い煙りか光の柱が立つ。そこに神が立たれたのか。時には、雷鳴と共に電撃が人を薙ぎ倒す。その人はカムイの怒りに触れたのか。

◎ アイヌの先人たちは、落雷(kanna-kamuy o-nis-poso 雷神が・そこで・雲を・抜ける)をカムイの怒りと考え、カムイが人間を罰するのだと考えたに違いない。

☆ 「 pak 」=「罰する」、「 pak-asnu =罰、罰する」、「 e-pakasnu =~に教える、~に訓戒を垂れる」
 これらの語句の解説は、次回に回すしか無さそうだ。「罰する」という感覚は、アイヌの「教える、諭(さと)す」という観念とは趣が違うようだ。次回はその辺りから噺を始めよう。
    (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-08-23 16:18 | Trackback(2) | Comments(0)

縄文語のかけらーその32 (通巻第717号)
 ピカッと光るという観念に、もう少し拘(こだわ)ってみたい。古代の列島人の感性に一歩でも近付きたいからである。ただし、言葉の音に少し変化を加え、幅広い語彙を検討の対象にしたいと思う。
...前に日本語とアイヌ語の血縁の有無について論じた時だったか、大和言葉の「父親」にあたる言葉は、「た行」の中で大きく語の形を変化させて来たことについて述べた事を覚えておられるだろうか。父という言葉は、「たた」、「ちち」と来て、そして「つつ」が無くて、更に「てて」、「とと」と母音を代えて様々に呼ばれて来たのだ。要は、大和言葉に於いては、母音の違いは単語の形成において、決定的に重要な要素という訳ではないと言うことである。

▽ 実は、アイヌ語に於いても、この事は言えると私は考えている訳で、これから述べることは今のところ私だけの独自の見解な訳だが、それはいつもの事だから敢えて言うまでも無かったか。とにかく、「ピカ」に代えて「パク」等という音(おん)をまな板の上に載せて、果たして旨い料理になるか、騙されたと思って一先ず聴いて頂きたいのである。
...ほんのつい先だって、「稲妻」の噺をした。稲の実る頃に雷が多いと言うことで、雷は稲を育てる力を持った神、つまり稲の夫(つま)なのであると...。

▼ アイヌ語では稲妻の事を「 imeru それ・光るもの 」と言うのだが、ここで言う「 i = それ 」は「神」のことを言う。神の光と言う訳である。大和言葉の「雷(かみなり)」は、神鳴り(かみなり」という語の構成になっており、アイヌ語とは若干視点がずれているが、言葉を造る考え方は共通である。
...ところで、「ピカッ」に代わる語彙は何時出てくるのだ、と質問が出そうなので、その答を言おう。やはりアイヌ語のオノマトペアに、その音が登場するのだ。

◎ アイヌのユカラや神謡に「サケへ」という神の繰返し言葉がある。稲妻の噺なので、雷神( Kanna kamuy )が登場する際に自ら何の神であるかを示す、自己紹介の繰返し言葉を紹介しよう。
...雷神は、「 hum pak pak ゴロ・ピカ・ピカ 」と雷の音を立て、光る様子を体で表しながら登場する訳である。大和言葉の「ピカ」という音は、ここでは「 pak パク 」と母音を代えて現れる。この「 pak パク 」という擬音は、特別の動詞を作る語彙の構成要素となるのだが、それは次回で述べることにしよう。

☆ サケへの例をもう一つだけ紹介しよう。火の神の自己紹介のサケへである。
...ape-meru ko-yan ko-yan  火の光・あがる・あがる ...紹介した上記の二つのサケへは、アイヌ神謡集の解説文として知里真志保氏が訳したものである。
    (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-08-22 12:02 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその31 (通巻第716号)

 自然界の事物の出す音(おと)やそれを見た様子が、人間が言葉を創り出す契機(けいき=きっかけ)となる。これがオノマトペア(擬音語・擬態語)と呼ばれる。民族によって、言語全体の中で擬音語や擬態語の占める割合は異なるものの、オノマトペを抜きに言語と言うものを語ることは出来ないと言われている。アイヌ語と日本語は、例えば風の音や水の流れる様子を、様々に工夫して言葉の音(おん)に採り入れ、類いの無い情感に溢れた言葉を造り出した。

▽ 前置きが長くなった。「 pika 」という言葉の正体を探る検証作業を開始しよう。「 pika ・ピカ 」という音を聴いて、何を思い浮かべるか。大和言葉との関連を見易くするため、「 pika 」は片仮名で「ピカ」と表記すること、閉音節(子音終りの語)に溢れたアイヌ語や「縄文語」の癖に合わせて、例えば「ピカッ(pikat)」や「ピカン(pikan)」を比較対象に加える事を許して頂きたい。
...「ピカッ」という擬音を聴いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか。多くの方が先ずイメージするのが、例えば原爆の閃光(せんこう)だろう。一瞬にして十万に及ぶ人々の命と暮らしを葬り去った、あの恐ろしい閃(ひらめ)きを。広島の人々は、長崎の人たちは、原爆を、見た光景の通り、聞いた音のとおり「ピカドン」と呼んだ。未知の残虐無比の大量破壊兵器を、そう名付けたのである。それは、「原子爆弾」などという取り澄ました無味乾燥な言葉よりも、遥かに恐ろしい実感を伴うものであった。

▼ この「ピカッ」という音(おん)は、「強烈な光(ひかり)」という語義の他に、幾つかの別の意味合いを併せ持っているように思える。大事な点なので一つひとつ検証して行こう。なお、最初に出た閃光の「光(ひかり)」という語は、pikar → hikar(-u)という経過を辿って成立した言葉だということは言うまでも無い。

◎ 「ピカッ」という音が醸(かも)すもう一つの語感は、「瞬時の、瞬間の」という意味である。ピカッと光ると言うと、それは瞬(まばた)くような光り方を意味し、例えば、灯台が光をサッと投げかける、あの照らし方とは質が異なるのである。
...秋の夜空に輝く満月は、穏やかに耀いても、決してピカッとは光らないし、「ピカピカ」なものでもないのである。実は、「ピカッ」という日本語の擬音は、現代アイヌ語の「 pikan 素早い(動き)」に通じる、また、古い縄文語の直系の子孫に該たる由緒のある語彙なのである。

☆ ピカッと光ると言うのは、強烈な光であると共に、瞬間性の観念を含んでいる。この「瞬時の...」の語義が、「素早い」とか
「敏捷な」等を意味するアイヌ語の「 pikan-pikan 」に繋がって行く訳である。

   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-08-21 15:20 | Trackback | Comments(0)