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縄文語のかけらーその70 (通巻第755号)
 茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流 ...あかねさす 紫野行き標野行き 野守は見ずや 君が袖振る
▽ 岩波書店の萬葉集の読解グループによる、この歌の「大意」
...紫草の生えている野、御料地の野を、あちらに行きこちらに行き...まあ、野守が見はしないでしょうか。あなたは、そんなに袖などお振りになって...。

▼ 岩波グループは全体として、この歌をまるで野原のピクニックでの恋人同士のやり取りのような甘い雰囲気で捉えている。しかし、この歌の背景はそんな長閑(のどか)な情景を思い浮かべることを、鋭く拒絶する。「お兄様の帝が、人伝(ひとづて)にあなたのそんな振舞いを知ったなら、いったいどんな疑いをかけられる事か。本当に大丈夫なの 、私に袖を振るなんて...。
...大海人の身に迫る命の危険を、額田王は恐れた。同時に、そこまで自分を想ってくれる大海人が愛(いと)しく、嬉しかった。

◎ 遠くから相手の女性に袖を振るなどという事が、たったそれだけの事が、その人の命や立場を左右するような、どれ程重大な意味を持つと言うのか。その真の意味は、現代の我々には中々理解がしにくい。
...そこで、「袖を振る」という行為の持つ意味を、言葉の上で分析・考証してみよう。特に「振る」という行為について、その深い意味合いを「ふる」という音(おん)の解析から始めようと言うのである。

☆ 「ふる」という言葉を、萬葉集ではどのように表記しているか。先ずその点から探ってみる。
...野守者不見哉 君之袖布流(きみが・そで・ふる)
  筑紫日向高千穂之 久士布流多氣尓(くし・ふる・たけ・に) 《古事記・邇邇芸命(ににぎのみこと)降臨》

★ 「袖振る」も「くしふる」も、同じく「布流(ふる)」という音で語られる。取りも直さず同じ意味を持つ、或いは同じ意味を含むと言うことを意味する。古語辞典で「ふる」の項目を検索しよう。
...ふる【振る】(他ラ四)
 ①揺り動かす、振る。 ②神体などを移す。遷座する。 ③男女の間で相手を振り捨てる。 ④入れ替える。置き替える。

...久士(奇し)・布流(振る)・多氣(たけ=嶽)...「くしふる・たけ」というのは、「霊妙な者(神)が・天降(あも)った・山(嶽)」という意味である。天孫(神)が天降るのも、袖を揺り動かすのも、神に祈る行為や、或いはその祈りに応える神聖な働きであり、
「振る」という行為の神秘性、両義性を示すものである事は前にも述べた。
「振る」は、大切な想い、強い願いを相手に伝え、相手がそれに応えるという特別な意味を、列島人に思い浮かばせるのである。
   (次回につづく)


by atteruy21 | 2019-09-30 14:25 | Trackback(7) | Comments(0)

縄文語のかけらーその69 (通巻第754号)

 あかねさす 紫野行き標野行き 野守(のもり)は見ずや 君が袖振る (萬葉・一・二〇)

...野守と言うのは、文字通り「標野」の見張りをする人である。標野(しめの)は、紫や朱の染料を採るための薬草園で、当時の重要な産業で朝廷にとっても大事な収入源であったから、標野の管理には盗人などが入らぬよう、常に番人・衛兵を置いていたのである。
 特に、朝廷の行事としての猟が行われるような時は、通常の野守に加えて帝(みかど)の衛兵も警備の任に当たった。警備は帝の身辺を守るのが主とは言え、時に政敵に刃が向けられる事も無しとしなかった。

▽ 「野守は見ずや」という問いが、どう言う情況の下で額田王の脳裏に浮かんだのか。それを考慮に入れつつ、次に続く言葉を味わってみよう。
...「君が袖振る」...額田王にとって心配でならなかったのは、今も心に秘めた大海人(おほ・あま)への想いに対し、大海人が、大胆にも人目も憚(はばか)らず、袖を大きく打ち振って自分の方に恋の合図を送ってくれた事であった。あなたの命を狙っているかも知れない野守たちの見張っている中で、私に向かって袖を振るなんて、本当に大丈夫なの...。

▼ 皇弟にして東宮(日嗣御子=ひつぎのみこ)となった大海人は、何か事が有れば兄への謀反を疑われ、いつ罪に問われるか不安の日々を送っていたのである。なのに大海人は、今は兄の「思ひ者(=愛人)」となった私に、命の危険を冒(おか)してまで、想いを伝えようとしているのか。

◎ 大海人皇子の命を賭(と)した額田王への想いの告白は、額田王の心に大きな不安を与えた。だが、そんな大海人の大胆さが、やはり額田王には嬉しかった。そう私は考える。
...大胆な愛の告白と言っても、なぜ袖を振るという行為が愛の告白と言えるのか。それが問題となるのだが、残りの紙幅が少ないので、その解明は次回と言うことにしよう。

☆ その解明の助けになるかも知れないので、額田王の歌の次にある大海人皇子の答えの歌を掲げて、この回を終わりにしよう。
...皇太子(ひつぎのみこ)の答へましし御歌
 紫草(むらさき)の にほへる妹(いも)を憎くあらば 人妻ゆゑに われ戀ひめやも (萬葉・一・二一)

   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-09-29 15:18 | Trackback(1) | Comments(0)

縄文語のかけらーその68 (通巻第753号)

 縄文語のかけらを求めて日本の古典に眼を向けるのだが、その第一に萬葉集随一と言われる燃え上がる恋の歌を取り上げよう。

...天皇、蒲生野に遊猟(みかり)したまふ時、額田王の作る歌
▽  茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流
 あかねさす 紫野(むらさきの)行き 標野(しめの)行き 野守は見ずや 君が袖振る (萬葉集・巻第一・二○)

▼ 何処に「縄文語のかけら」が在るのかなどと焦らずに、先ず、一見して長閑(のどか)な感じの額田王(ぬかたの・おほきみ)のこの歌の後ろに隠された、逆に、緊迫した背景を知ることが大切であろう。それがこの歌の深い真の味わいを教えてくれるからである。
...この歌の作者の額田王は、天智天皇と弟の大海人皇子(おほあまのみこ=後の天武天皇)の争いに翻弄された人生を生きた女性である。だが、過酷な運命に打ちひしがれることも無く、キッパリと顔を上げ前を向いて生きた人のようである。

◎ 弟の大海人皇子の恋人だった額田王は、美しい人であったのだろう。権力者となった兄の天智天皇の見染める所となり、二人の仲は引き裂かれ、額田王は天智天皇の何番目かの夫人になったのである。
...そこで、この歌の場面である「紫野の遊猟の場」になる訳だが、この遊猟がまた、危険な状況設定なのだ。この時代の遊猟と言うのは、単なる遊びの場ではなく、政治権力を護り正当化する意味をもった公式の行事であって、例えば相手を暗殺する場にもなったのである。猟の中で、兄弟がどちらかを倒す事もあり得た訳である。

☆ 順に言葉の解説をしていこう。主に岩波書店の「萬葉集」の解説に依る。
...あかねさす ...枕詞 東の空にアカネ色の映(は)える意から、昇る太陽を連想し、日(ひ)・昼(ひる)・紫に掛かる。
 アカネ(茜)は、アカネ科の多年草。根から緋色(ひいろ=赤い色)の染料を採る。「サス」は色や光が映える意。
...紫野 ...ムラサキはムラサキ科の多年草。根から紫色の染料を採る。その紫草園をムラサキノ(紫野)と言う。

★ 標野(しめの)...一般の者を立ち入らせない園(その)。「シメ」は、占有の証(あか)しに縄などで結んで印(しるし=標)とすること。...以下、次回に...。

...次回にいよいよ大切な言葉が登場する。どんな言葉か、それは...。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-09-28 11:15 | Trackback(10) | Comments(0)

縄文語のかけらーその67 (通巻第752号)
 「よこしま」と言うのは、突然に人を襲う災厄であり魔物のことである。それは暴風や横殴りの風が擬人化されたもので、龍や神の姿をとる事から、「擬人化」と言うと少し可笑しいかも知れないが...。

▽ 東アジアの古代人の多くは、病気を惹(ひ)き起こす原因となる病原菌を、風や龍や蛇として表象した。直接には目で見る事の出来ない存在を、そのように目に見える物として認識したのである。病気を惹き起こす魔を、日本の古代人は「はやち(疾風)」という、風にして且つ蛇体をもった神と考えた。
...同様の関係を中国語の世界で検証しよう。日本人が病魔を風と認識したように、古代の中国人は、やはり南方の気象や気候を病気の原因となる魔物と考えたのだ。

▼ 瘴( zhang チャング )という言葉がある。辞典の説明を聞こう。
...瘴( zhang )...瘴痢( zhang li ) 亜熱帯の湿潤な地区に流行する悪性マラリヤなどの伝染病。
 瘴気( zhang qi ・チャングチイ・しょうき) 熱帯や亜熱帯の山林中の高温多湿の空気。「瘴痢」の病原とした。
...中国南部や東南アジアの高温多湿のジャングル地帯を、中国人はあらゆる伝染性疾患の震源地だと考えたようである。これは単に神話や迷信であると簡単に片付けられ退けられるべきものでなくて、今日的な観点からも一定の科学的根拠をもった見解だと言えるものなのかも知れない。

◎ 古代の日本列島人は、中国や東南アジアに淵源をもつこうした観念の影響の下に、人間に死をもたらす恐ろしい魔物の観念を「はやち・はやて」という蛇体をもった風の神として表象した訳である。

☆ 「横しま風(邪風)=横殴りの暴風」が、古日という可愛い男の子の、いたいけな幼い命を奪った。「横しま風」という言葉と、それを産み出した古代人の観念が、あなたの胸にも実感として共感をもって響いて来たものと思う。

★ 山上憶良の美しい和歌の調べを味わう旅は一応これまでとし、次の話題に進みたい。前にも述べたように、「萬葉集」と言うのは、古い大和言葉や古いアイヌ語の、そしてその元となった「縄文語」の潜む不思議な世界である。萬葉集に載せられた歌は、日本国家の草創期の初期の天皇の歌から、奈良時代の後期に生きた農民の歌に至るまでの時代と人間を越えた総合的歌集である。
...それは、一種の国語辞典、古語辞典として草創期の国家の文化事業としての側面をもって成立したのである。

次回以降、古典、特に萬葉集を中心にそこに登場する地名やら国名やら、その他の言葉をまな板に載せて、自由に脈絡なく縄文語やアイヌ語との関係を考えて行きたい。   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-09-27 14:31 | Trackback(2) | Comments(0)

縄文語のかけらーその66 (通巻第751号)
 「よこしま」という言葉について、大和言葉と中国語で関連する語彙を見てみよう。和語「邪(よこしま)」と「横しま」に中国語の「邪 xie 」や「横 heng 」が、きちんと照応しているのかどうかという問題である。

▽ 大和言葉「よこしま」
...①横の方向 ②ねじけていて正しくない様 
 横しま風...横風、邪風、横殴りに吹く風、暴風。
▼ 中国語「邪」 中国語「横」
...邪( xie ・シエ )  ①正当でない、よこしまな ②奇怪である ③程度がひどい
           ④疾病を引き起こす環境や要素
  横( heng ・ホング) ①凶暴である、道理を弁(わきま)えない
           ②意外な、不幸な
  横死( heng si ホングスー )...不慮の死、横死(おうし=非業の死)
  横事( heng shi ホングシー)...凶事、不幸な出来事
  横遭( heng zao ホングツアオ)...不幸な事に遭(あ)う
  横蛮( heng man ホングマン )...横暴である、理不尽である

◎ 前回の記事に誤りが有ったので、お詫びして訂正する。
...「風邪(かぜ)という言葉は日本人の造語であって、中国語には無い」と私は断定したのだが、誤りだとの指摘があった。漢方の医療用語、つまり中医の専門用語にちゃんと「風邪(かぜ)・寒邪(さむけ・寒気)という語があるのだ。余り一般的な言葉でないので、辞書に載っていないと言うだけで、そんな言葉は無いなどと勝手に決めつけてしまうと酷い目にあって恥をかくという良い見本だ。今後気を付けるので許して頂きたい。

☆ 「邪(よこしま)」という言葉や「横」に関する語彙のグループは、日本でも中国でも、どうやら意外な形で突然にやって来る不幸や災いを意味しているようだ。また、その災いは道理も理由もない理不尽極まりないものでもあるという意味が加わる。
...これに風邪を意味する「感冒」という言葉の「冒(おかす)」の意味を考慮に入れると、それは横合いからやって来て何か価値ある物を奪い取る、掠(かす)め取るを意味するのだ。病魔は憶良の手から古日という掛け替えのない宝を掠め取って行ったのである。
...冒功( mao gong マオ・コング )という言葉は、「他人の功を横取りする」という意味である。「よこしま」とは....
    (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-09-26 16:14 | Trackback(5) | Comments(0)

縄文語のかけらーその65 (通巻第750号)

 愛らしい古日くんは、霧の中に浮かんだ懸け橋を渡って、懐(なつ)かしい両親の懐(ふところ)へと弾む心で飛び込んで行った。その後ろ姿を見届けたところで、憶良の歌の解釈のこの話題を切り上げたいと思う。
...ただ、愛らしい盛りの古日という子を両親の手から無慈悲にも奪い去った「横しま風」という言葉、また、その言葉を産み出した観念が、萬葉人の心の世界でどのように形成されたのか、それが未だ説明しきれていない気がするのだ。

▽ 日本列島に限らず、中国や朝鮮半島、東南アジアやシベリアまで、広く東アジアに広がった地域の古代人の間では、風や龍が人々に豊かな稔りを与え、一方では人の命を奪う災厄をももたらすという共通の観念が存在した。或いは信仰と言ってもよいものかも知れない。

▼ 古日の幼い命を奪い去った「横しま風」も、「横合いからの突風」の表象であろう。やはり、風が「病魔」という「魔物」を演じている訳である。この病魔、つまり病気に対する古代人の観念を明らかにすることが、萬葉人の心の世界を知る事の第一歩になると思うので、風(かぜ)や病気に関する言葉の考証を、大和言葉に限らず広く漢語をも視野に入れて行ってみよう。
...「風邪(かぜ)」という言葉がある。日本人の造語であって、漢語には存在しない。
 「かぜ」と言うと、「かぜ(風邪)は万病のもと」という慣用句が先ず思い浮かぶ。この語句の真の意味は、インフルエンザ(流感)のようなものがあらゆる病気を引き起こすという事である。だが、換言すれば「かぜ」はあらゆる病気、病気そのものを指すとも考えられる訳で、病(やまい)のもととなる「病原菌」などの古代人的な捉え方であったのではないだろうか。

◎ 風がもたらす病気、病原菌がもたらす死の病(やまい)、それが「邪(よこしま)風」であり病魔なのであると...。
...風邪を中国語では「感冒( gan mao カンマオ )」と言い、他にも「傷風( shang feng シャンフォン )」とか言う。「風邪」というのは和製漢語であって中国語では言わない。風邪と言う語の並びは、「よこしま(邪)・かぜ(風)」という言葉の語順を、単にひっくり返したものに過ぎない。

☆ さて、中国語での風邪・病魔の真の意味合いを、使われた漢字の意味の分析を通じて、もう少し追ってみよう。大和言葉の「よこしま風」の「よこ・横」の存在理由がそこからも分かるのである。幼い古日を邪(よこしま)に、横様(よこざま)に憶良の手から掠(かす)め取った病魔の在りようが見えてくるのである。

★ 詳細は、次回に語ろう。お楽しみに。

by atteruy21 | 2019-09-25 12:24 | Trackback(22) | Comments(0)

縄文語のかけらーその64 (通巻第749号)
 山上憶良・長歌「男子名は古日に恋ふる歌」語源解釈(続きーその5)
...古日の口にした「うへはなさがり=ボクの側を離れないでね」と言う言葉の逐語的解析で、ボクの側「うんへ= un-he 」という
語句の真ん中に在る「ん」の音(おん)が言葉から抜け落ちてしまった事に就いて、キチンと理由を説明しないと、この語源解釈は成立しない。「うんへ」から「うへ」への、深い谷間に架かる懸け橋を渡してやらねば、あの古日は恋しい両親の許(もと)に駆け出して行くことが出来ないのである。
▽ 私は以前の論考で、「ん」の音を脱落させる日本語の癖を論じた。それが参考になると思うので、一部再掲したい。
 《通巻第495号「生産活動に見る縄文と弥生ー144》
...平仮名の「ん」という音(おん)は、それまでは字として表記されることはなく、発音上で現れるだけの認知されざる日陰者であった。あの有名な弘法大師・空海が、仏典の翻訳に当たって必要に迫られて考案し、そして最後に出来上がったのが、「ん」と言う文字であったと言うのは、余り知られていない。
▼ もう一つだけ、注目すべき事実を述べよう。その「ん」という発音が、初めのうちこそ有っても無いもののように無視されるという扱いを受けてはいたのだが、終(しま)いには、その「ん」という音(おん)自体も、言葉の発音からさえ消し去られたという悲しい運命に追い込まれたと言うことを...。
...懸想(けさう)という、これも仏教から発生した言葉がある。ちょっと古語辞典を覗いてみよう。
◎ けさう【懸想】(名詞)〔「けんさう」の撥音「ん」の表記されない形 〕思いをかけること。恋慕うこと。
〈例文〉『伊勢物語』 「むかし男ありけり。懸想じける女のもとに、ひじきもといふ物をやるとて...」
〈現代語訳〉 「昔、一人の男がいたという。思いをかけた女のもとに、ひじきも(=ひじき)という物を贈るというので...」
...この「懸想」という言葉が、どんな風(ふう)に発音され、どう発音が変化して行ったのか、興味深いものが有るのだ。
分かり易さを優先して、現代人の耳で聞いた場合、それがどう聞こえたのかを再現してみよう。
☆ 「けん・さん」→「けん・さう」→「け・さう」→「け・そう」という流れ。この流れがこの言葉の辿った道程であった。
...「ん」という音は、「う」という音に変わったり、終(つい)には発音からも消え去るという運命に遇(あ)ったのである。
 なお、「想」の字が「さん」と読まれたり「さう」という発音に変わる事に違和感のある方が多いだろう。少しだけ漢字が中国から日本にもたらされた時のことに触れよう。
...現代の中国語の「想」の読み方は、「 xiang ・シアング 」と言い、語尾の「 g 音」は日本人には殆ど聞こえず、「シアン」ないし「シャン」と響く。
 しかし、この「懸想」という用語を仏僧たちが輸入した当時の中国人の発音は、「シアング」ではなくて、恐らく「サング」に近いものであったと思われる。当時の留学僧の耳には、「懸想」の語は「けんさん」と聞こえた筈だと言うのが私の考えなのだ。
★ 「うんへ」の「ん」が落ちて「うへ・ボクの側」になったと見る私の考えにご賛同頂けるだろうか。
...古日君は、「うん」の懸け橋を通って、懐かしい恋しい両親の許へ駆け出して行けた、そう私は信じている。(次回につづく)

by atteruy21 | 2019-09-24 11:56 | Trackback(28) | Comments(0)

縄文語のかけらーその63 (通巻第748号)
 「男子(をのこ)名は古日に恋ふる歌」(語源解釈続きーその4)
...大和言葉で「ボクの側を...」と言おうとする時に、果たして当時の人々、特に幼児が、一人称目的格の「我を」と言う言葉や「我に」と言う代名詞・格助詞を使っただろうか。大和言葉の世界では、もともと人称代名詞が、いちいち会話に顔を出さないと言うのは、アイヌ語と日本語の同系か否かを論じた際にも触れた。

▽ 大和言葉では、「私が」とか「あなたに」とか「彼を」等の代名詞が、滅多に述語に伴って文に現れることは無いのである。
...直接人称代名詞を用いて行為の主体や客体をあからさまに無遠慮に示してしまうことを避け、敬語や謙譲語などを駆使して、それとなく誰が誰にそれをするのかが分かる、そのような文章が品格のあるものとして尊ばれたのである。

▼ 大人の会話では、「私に~してくれ」とは普通言わないのである。だが、「私に~してくれ」を敢えて言わなければならない時も有り、その場合は特別の語法、語彙が有るのだ。
...「うぬ」という古い言葉がそれである。古語辞典で見てみると...
 うぬ【己】(代)《組成「おの(己)」の転》①自称の人代名詞。自分を謙遜して言う言葉。おれ。
  ②対称の人代名詞。相手を罵(ののし)って言う言葉。きさま。てめえ。
...「おの」の方も見ておこう。
  おの【己】(代) ①反照指示代名詞。その人・物自身を指して言う語。自分。 ②自称の人代名詞。私。
...「うぬ」が「自身を」を表すことの証明の語例を一つ...「自惚れ(うぬぼれ)」自分自身を愛する余り理性を失うの意。

◎ もうお分かりだろう。大和言葉には、印欧語などで言う再帰的な自称の代名詞「私自身の」とか「私自身を」の語法があったのだと私は考えている。「 un -he 」と言うのは、外(ほか)でもない、この「わたし自身・その側を」と古日は強調しているのだと、そう私は分析するのだ。

☆ この解釈が成立するためには、もう一つ飛躍が必要となる。「うへは」という言葉の一部である「うへ」という音(おん)が私の主張する「 un-he 」と言う語から導かれるためには、何故「うんへ」と言う音から「ん」の音が抜け落ちて「うへ」と言う言葉に変化したのか、その理由立てをしてやらないと「 un -he ボクの側を 」のボクが行き場を失って泣き出してしまうのだ。

★ いつも古日の姿を思い浮かべては涙と鼻水でグシャグシャになる、そんな孫煩悩(まご・ぼんのう)のジイジとしては、そんな古日の行く手を阻むようなマネは、死んでもしたくないのである。次回は、古日くんの行く手を明るく照らし、父母の許へと続く道を指し示してやりたい。
    (次回につづく)


by atteruy21 | 2019-09-23 16:08 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその62 (通巻第747号)

 「男子名は古日に恋ふる歌」語源解釈(続きーその3)
...父母毛 表者奈佐我利 ちちははも うへはなさがり
 
▽ 「うへはなさがり」と言う語句に、私は「 うぬへ( un-he = 自分・の側 )」 + 「 は ( wa =~から 」 + 「 な(勿れ)」 + 「 sagari = 離(さか)り 」と言う意を与える。勿論、文法上の疑問点満載である。自分の主張の弱点を皆さんの前に明らかにした上で、皆さんなりの判断をお願いしたいと思う。

▼ 私の解釈の問題点の第一は、 un-he ボクの側という言葉が、文法上あり得るかという問題である。アイヌ語の語法を参考に、先ず「ボクの、私の」という属格(所有格)に「 un-...」という語が成立し得るかと言う点がある。
...アイヌ語の通説では、アイヌ語には基本的に属格は存在せず(不正確な言い方だが)、代わりに主格や目的格が用いられる。
 分かりにくい言い方なので補足すると、アイヌ語では「~の」と言う場合の「の」に該たる言葉が無くて、主格の「~が」とか目的格の「~を・~に」が用いられると言うことである。例えば、私の姉と言う場合、一つの言い方として「 a-sapo 私が・姉」という訳である。

◎ ただ、この主格を用いた所有格の表現と言うのは、何もアイヌ語だけの特徴ではない。例えば、「我が闘争」と言う言い方が日本語でも行われる。これも古めかしい表現だが、属格に代わって主格の代名詞が使われる。
...その一方、アイヌ語では所有格に代わって目的格が用いられる場合がある。例えば、それは位置詞に関連して登場する。
 アイヌ語には三人称が無く、二人称にも格変化が殆ど無いので、一人称の場合で見てみよう。「私の...」とか「我々の...」を意味する語法は、「 en-...」や「 un-...」で語られる。「私の側に」は、「 en-sama-ta 我を・側・に 」と表現され、我々の側にという言い方は、「 un-sama ta 」となる訳である。

☆ お気付きの通り、「ボクの側を」と言う言い方は、アイヌ語の通りの言い方が古代の大和でも行われていたとすれば、古日のボクの側を離れないでねの表現も、 un-he ではなく、「 en-he 」ないしは「 en-sama 」で憶良たちに訴えられなければならなかった訳である。

★ 紙幅が尽きたので、大事な次の論点は次回回しという事になる。

   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-09-22 15:20 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその61 (通巻第746号)
 山上憶良「男子名は古日に恋ふる歌」の語源解釈(続き)

...夕星乃  由布弊尓奈礼婆 伊射祢余等 手乎多豆佐波里 父母毛   表者奈佐我利 三枝之...
 ゆふつづの ゆふへになれば いざねよと てをたずさはり ちちははも うへはなさかり さきくさの...

▽ 夜空に群星(ぶりぶし)の輝く夕方になれば、「さあ、寝ようよ」と私たちの手を引っ張って
 「父さんも母さんも、ボクの側から離れないでね ! ぼく三枝の真ん中に...」

▼ 夕星(ゆふ・つづ)と言うのは、夕空の星屑(星粒)の意である。「つづ」=「つぶ」であるらしい。
...難問は「うへはなさかり」という古日の言葉である。

◎ 岩波解読グループは、「うへ(表・上)+ は (者【~は】) + な(勿れ) + 下(さ)がり」と分析・解釈している。
...岩波グループは、「側を離れるな・側は離れるな」と解釈している。「うへ」は上部だけでなく、古くは、物の表面や近辺を意味し、また、「下がる」は「退出する」や「離れる」をも意味し得たので、次に続く「な・さがり・(そ)」は「勿れ・退出・そ」となって結局「側を離れるな」と訳する事が出来なくはない。

☆ だが、岩波グループの最大の弱点は、幼い古日の「ぼくの側を離れないでね ! 」という、可愛らしいお願いの意味合いには、些(いささ)か距離が有るのである。特に、「ボクの側」の語意が「うへは」という語の構成からは決して導き出せないということである。

★ 先ず第一に、「うへ・表・近い所」はあくまでも物の表面や側を指すのであって、物や場所でない、人称の意味を表す「ボクの側」という観念を表し得ないのである。ボクの側という表現・語法は、次回に詳しく解説するが、今回は措く事としたい。
...第二に、「な・さがり」をどう解釈するかである。
「...な~そ」という定型の禁止語法がある。例えば、「東風(こち)吹かば にほひ起こせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」と言う菅原道真の歌は有名である。主人の私が居なくなっても、東の風が吹いたら春を忘れずに花を咲かすのだよ。

○ 私の解釈は縄文語のかけらを含む、アイヌ語にも似た以下の文である。
...うぬ・へ・わ・な・さかり(そ)...un 我に he 側 wa ~から na 勿れ sakari 離(さか)り そ
 ボクの側を離れないでね   ...文法的解釈は、次回に詳しく解説しよう。

by atteruy21 | 2019-09-21 15:52 | Trackback(20) | Comments(0)