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縄文語のかけらーその131 (通巻第816号)

...mun-sas-i ムイサシ...、これが「武蔵」の原名である。そう私は前回に宣言した。いつもの事ではあるのだが、大した根拠も示さずに何でも断定してしまう私のやり方に慣らされ、今は慣れっこになってしまった皆さんでも、さすがに今回ばかりは黙ってはいられなくなっただろう。「オイオイ、『ムン・サシ』が何故いきなり『ムイサシ』になってしまうんだ ? ちょっと勝手に言葉を変え過ぎるんじゃないの ? 」...と。

▽ だが、ご心配には及ばない。しかし、そうは言っても、ごく最近このブログを見始めた方も多いと思うので、「ムンサシ」が「ムイサシ」に変わってしまう秘密をキチンと説明して置かないと、このブログの信用もガタ落ちになってしまう。
...知里真志保(ちり・ましほ)というアイヌ語の天才学者の名前は聞いたことがお有りだろうか。その知里真志保博士の、名著と誉れの高い「アイヌ語入門」という本がある。その本の第八章に「音韻変化」の章が有り、ムンサシがムイサシに変わる秘密が、そのヒントが分かる文章が有るのだ。

▼ 知里真志保「アイヌ語入門」第八章・音韻変化 
...iv) n は、 s の前に来れば、 y に変わる。
 poy-suma 小石。 ← pon-suma (小さい・石)
 niwey-seta 猛犬。← niwen-seta (いがむ・犬
 Rikuy-sar リクイサル ← rik-un-sar (高所・に在る・ヨシ原)。ニイカップ郡。地名解 P 245 。
 Eey-sir エエイ シル ← een-sir (とんがった・山)。キタミ国モンベツ郡。地名解 P 454 。
 Repuy-sirar レプイシラル ← rep-un-sirar (沖・にある・平磯) メナシ郡。地名解 P 389。...等々。

◎ アイヌ語に於いては、n の音は、 s の前に来れば、 y に音(おん)が変化するという、そう言う音便(おんびん)の法則が有るのだ。だから、アイヌの人々が日本語を日本語の発音で話そうとしても、うまく発音できないと言うことがあった。
 例えば、「金田一先生」と言いたい場合、アイヌの古老の発音は「きんだいち・せいせい」になってしまう訳である。

☆ 第一関門の「ムン」から「ムイ」の変化の可能性については、納得が頂けただろうか。しかし、「武蔵」が古くは「むさし」ではなく「ムザシ」と発音されていた事や、そもそも「むさし・ムザシ」が何故漢字で「武蔵」と書かれたのか。それは宛字であるにしても、何故、その字が使われたのか、「相模」の謎解きをした時のように漢字の意味の解析の問題もある。前途は遥かに遠く、困難が立ちはだかるが、皆さんが迷って谷底に落ちるような事が無いよう、丁寧に道案内をする積もりである。
    (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-11-30 14:21 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその130 (通巻第815号)
 「武蔵」の語義が僅(わず)かに見えて来たような...そんな気がしてきた所で、もう少し萬葉集を繙(ひもと)いてみよう。
...武蔵野の 草は諸向き(もろむき) かもかくも 君がまにまに 吾(あ)は寄りにしを (萬葉・一四・三三七七)
《現代語訳》武蔵野の草が、彼方(あちら)へも此方へも風で靡(なび)くように、貴方の心のままに私は寄り添いましたのに...。
[語註]「諸向き」...色々な方向へ  「君がまにまに」...貴方の心の思うがままに

▽...わが背子(せこ)を 何ど(あど)かも言はむ 武蔵野の うけらの花の 時なきものを (萬葉・一四・三三七九)
《現代語訳》私の夫への想いを どう表現したら良いでしょうか。武蔵野のうけらの花のように、あの人のことは何時(いつ)とはなく恋しく思われるのです。
[語註]背子(せこ)...女性が兄・弟・夫などを親しんで呼んだ語。ここでは夫のこと。
    時無し(とき・なし)...いつと決まった時がない。いつもである。絶え間がない。
 ...うけらの花は、目立たぬが美しい花。そして花の咲く時季は長かったようだ。いつでも野に咲いていたとこの歌では言っているのだ。こう言う時のあの人(夫)が好きだと言うのでなく、何時にも恋しいと思っているのよ...と。ユーモラスな「のろけ」の歌である。

▼ 武蔵(野)がどういう土地柄か、凡そのイメージは貴方の胸に浮かんだだろうか。様々な草花が種々の木々が野に広がる。また動物相の豊かな大地。それは、鹿の肩の骨を焼いて占う「肩焼き」の風習からも、野山に溢れた多種の獣たちの存在が知れる訳である。山奥には、雉が子を育む巣穴が有り、鳥たちも多く棲息(せいそく)していた事が窺(うかが)われる。

◎ 相模の地と同様、武蔵も豊かな生物相の力に溢れる大地であったのだ。
...「むさし・むざし」の言葉と音(おん)の問題に歩を進めよう。「うからの花」がキー・ワードになる。武蔵の地の讃歌に出てくる代表的な花であるこの花の名が、言わば「枕詞(まくらことば)」として度々登場するのは、決して偶然ではないのである。

☆ 「うからの花」は、武蔵野台地を特徴づける美しい、しかし気取りの無い庶民的な風情(ふぜい)を持った花だった。うからの花は、武蔵野の原の何処にでも何時でも見られた花で、特別の高貴な花の印象を与えることもなく、ある意味で雑草(あらぐさ)の仲間に数えられる花である。当然、きらびやかな美しさに相応しい「秋の七草」に入ることもなかったのである。

★ 雑草(アイヌ語で「 mun ムン 」)・ 生い茂る(アイヌ語で「 sas サシ 」・ -i 「所」
 mun-sas-i ムイサシ...これが武蔵の原名である。詳細は、次回以降で語ろう。
    (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-11-29 14:05 | Trackback(44) | Comments(0)

縄文語のかけらーその129 (通巻第814号)
 武蔵(むさし・むざし)という地名は、どんな土地に付けられたものなのか。私は、この地名は縄文の昔に遡る古い言葉で形成されたものと考える。ただ、縄文の言葉と言っても、誰もそれを聞いたこともなく知らない訳だから、それが縄文語の子孫であるともないとも断定出来ない訳である。...しかし、昔、日本列島全体に縄文土器を生活の軸に据える縄文文化が広がり、その文化を支えた共通の縄文語とでも呼ぶべき言語が存在し、その言語を操った人々が存在した。その「縄文語」を話した人々が、その後、他の国家や民族、或いは武装集団によってこの日本列島から一掃されたという歴史的事実は無かったようなので、「縄文人」や「縄文語」は、後の列島人や列島語に何らかの形で残っていると考えるのが自然である。

▽ 幸い、日本列島には古くは蝦夷と呼ばれたアイヌ民族が暮らしており、大和言葉を話す集団が次第に勢力圏を拡げて来た歴史がある。アイヌ語にも大和言葉にも、懐かしい縄文の薫り(かをり)が遺(のこ)っていない筈が無いのである。
...地名には、古い言葉が残り易い。「相模」に続いて、「武蔵」と言う地名を取り上げ、古い縄文語の痕跡を探りたいと思う。

▼ 直接に「武蔵」の音の分析に入る前に、「武蔵」と呼ばれた地の、その大まかな「在りよう=姿」を正確に把握をして置くのが賢いやり方だろう。相模の地勢を知る事が相模と言う語彙の原意の詮索に役立ったように...。
...萬葉集に武蔵の地を歌った幾つかの短歌がある。その歌から面白いヒントが得られるのである。
なお、武蔵(むさし)は昔、「むざし」と発音したようである。これも後で語源の証明に関連して来る。武蔵はどんな大地か。

◎ 萬葉集の武蔵の歌から
... 武蔵野(むざしの)に 占(うら)へ肩焼き正で(まさで)にも 告(の)らぬ君が名 卜(うら)に出にけり (萬葉・一四・三三九一)
《現代語訳》武蔵野で占いをして鹿の肩の骨を焼き、人に告げてもいない貴方の名が占いの結果、出てしまったとは...。
[語註]肩焼き 鹿の肩の骨を火にあて、そのひびの入り方で吉凶を占うこと。
...武蔵野の 小岫(をぐき)が雉(きぎし)立ち別れ 去(い)にし宵より 夫(せ)ろに逢はなふ (萬葉・一四・三三九二)
《現代語訳》武蔵の野の小岫の雉のように、別れたあの夜から貴方に逢っていないことよ。何と長いことか。
[語註]小岫 → 山、山のほら穴 山奥の雉の巣穴のこと。
...恋しけば 袖も振らむを武蔵野の うけらが花の 色に出(づ)な、ゆめ (萬葉・一四・三三九三)
《現代語訳》恋しいなら袖を振りもしよう。だから、うけらの花のように私への想いを顔に出してはいけません、決して。
[語註]うけらの花 植物の名、おけら。夏から秋に白または薄紅のアザミに似た花が咲く。

☆ うけらの花と言うのは、野に咲く目立たない、控え目だが美しい花だと言う。武蔵は野草(のぐさ)の繁る地であったようだ。
次回にも萬葉の歌を、武蔵の地の歌の鑑賞を続けよう。何かが見えて来るのだ。   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-11-28 11:28 | Trackback(27) | Comments(0)

縄文語のかけらーその128 (通巻第813号)
 「 -ne 」という構造を持つアイヌ語の語句に、果たして「~に寄り添う」だとか「~に従う」などの意味が実際にあるのか、それを「 renkai-ne 」という、ユカラ に出てくるたった一つの言葉だけから導き出すと言うのは、いかにも強引であり、根拠が薄弱なのではないかと、そう思われる方も少なくないだろう。

▽ 尤(もっと)もな危惧であり、正当な批判・指摘である。そこで、この他にも日常の言葉で「 -ne 」という構造を持った言葉が無いかどうか、それを確かめて見たいと思う。
...このブログでは、萬葉集の恋の歌を幾つか取り上げて来たのだが、アイヌ民族にも当然の事ながら恋の歌が数多く歌われる。

▼ アイヌ民族の歌には、「 yay-sama ヤイサマ 」と言うジャンルが有る。それは自分の胸の内の気持を歌い上げる、主に乙女の恋心を歌うものが多いのだが、恋の歌だけに限られるものではない。
...「ヤイサマネナ、鳥になりたや。鳥になって貴方の許(もと)へ飛んで行けたら良いのに...。」等と歌われる。

◎ そこに、歌詞としても「 yaysama-ne-na ヤイサマネナ 」という語句が歌い込まれるのである。
...「ヤイサマネナ」というのは、「自分の側に寄り添って(私は歌いますよ)」という台詞(せりふ)なのだが、詳しく見ると...
... yay 「自身の」・ sama 「側(そば=心」・ -ne 「~に寄り添って」・ (私は歌い) na (ますよ)...と、そう言うのが、このフレーズの意味であり、言わば抒情歌(じょじょうか)であり恋の歌である。この恋の歌の形式が何故「ヤイサマ」と呼ばれるのかその意味する所はお分かりになっただろう。

☆ 「 -ne 」の意味に得心(とくしん)が行った所で、「さね」という言葉に繋がる一本の道筋が見えてきたと思うので、ひとつ、この辺で図式化を図ってみよう。
...san-i 「さに=出てくる者」→ sa-ne 「さね=中心となる(大切な)者」→ ta-ne 「たね=今に(ここに)ある者」...。こう言う語彙の変化の道筋が私には見えて来たのだ。

★ 私は「さね」と言う言葉に、内なる命の素(もと)やエネルギーを、グッと外側へと押し出す観念を見る訳(わけ)だが、それは単に抽象的観念のみを表す訳ではなくて、その観念の大本となった女性の懐( = upsor = 胸ー陰部ー膝元 )を具体的に指し示すものであって、しかも、それは大切なものを慈しみ育(はぐく)むといった崇高な思念を表すに止まらず、エネルギッシュでエロチシズムに溢れた縄文人の性の観念にも結び付くと考えている。「さねさし」という言葉は、相模の大地と海の豊かさを命が溢れると称え、明け広げの繁殖と性の悦びを爆発させた縄文人譲りのマジナイの言葉なのである。
...次回は、いよいよ次の訪問地の武蔵(むさし・むざし)へと歩を進めよう。   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-11-27 12:09 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその127 (通巻第812号)
 tane という言葉は、「 ta ここ(今)・ ne ~に至る 」の2語で構成される。ただ、この語句の内、「 ne =~に至る」などと言う語意は公認されていないから、古いユカラ の文にその語意の痕跡を見付け出す作業をして証明に代えよう。

▽...アイヌ叙事詩ユーカラ集(Ⅰ) PON OINA 小伝第三章「契り」より
 rai-an hene nekon neyakka pirkano Porosirun kamui hekote wa uwepirka yan !
 私が死んでも どうなるとも よくよく 幌尻の神へ 縁付いて 仲良くしておくれ。
 kamui renkaine kamui nubur wa bokna-mosir oma rorumbe a-eboso yakun ,
 幸いに  私の運が強く  よみの国における 戦いを 私が切り抜ける なら、
ouse a-humihi poka   e-nu nankor korka ,  ramma rai-an kuni a-porore ruwe-ne .
 ただ私の(還り来る)音を お身が聞くであろうけれども やはり私は死ぬよう諦めていることだ。

▼ ここでは、kamui renka-i-ne 「神の配慮により」の部分を、金田一氏は意訳して、「幸いに」とだけ訳している。前回のこの物語では、「 renka 」と言う動詞を「考える」の意味だと私は説明して、さらにその「考え」というのは、「何らかの価値判断を伴う意思決定をすることだ」としたのだが、実はその定義でも未だ不十分なのである。

◎ 神慮(しんりょ=神の配慮)によって、古風な言い方なら「神のまにまに」と言うことになるが、要するに神の御加護によって、もし運が有るなら...と言う意味になるのである。
...なお、kamui renkaine の文法的構成は、金田一博士は「 kamui (神) renka-i (意) ne (~である)」と、単に逐語的に直訳をするだけで、分かり易い説明をしていない。

☆ 「神意・である」という語句が、何故「神意・によって」という訳になるのか、納得の行く説明が欲しい所である。
...その点では、中川辞典の「レンカイネ」の項目の 【副詞】~のお蔭で、~の力によって、~に従って。...と言う説明の方が分かりやすくて正直である。ただし、やはり「 renkaine 」の構造の分析はして居られず、単に意味の説明にとどまっている。

★ 「 kamuy renka-i ne 」について、私は逐語的に以下のような語句の構成になると分析している。
 ...kamuy 「神の」・ renka 「思う」・ i 「お~になる・所」・ ne 「~の方に行く、~に寄る(依る)、~に従う・添う」と分析し、最終的に「神の慮(おもんぱかる)所に従って=神慮のままに」となると考えている。
 「ta-ne 今に・ここに至る」の噺は次回で終え、「さねさし」の「さね」の結論もつけて「武蔵の地」へと向かいたい。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-11-26 15:34 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその126 (通巻第811号)
 アイヌ語に於いては、植物の種子を表す言葉として現在普通に用いられてのは「 pi / piye 」であるが、この語の他に、元々は
「 tane 」や「 sane 」という一纏(まと)まりのグループの語が有って、実は、このグループの方が初期のもので、 pi / piye と言う語彙よりも、よほど古い時代から使われていたのではないかと、そう私は考えている。

▽ そして、その「 tane 」ないし「 sane 」という言葉は、恐らく「 san-i 」...「出てくる・者」という観念が大本になったのだと推定する。
...秋に収穫した穀類をその年の食用に供するほか、一部を食べずに取って置いて翌年の春に植えて(種蒔きして)やれば、穀類は姿を変えて青々とした苗になって田や畑の土中からまた出て来て、辺りに広がる。これが「さね・実」であり、また、堅い何か「核(さね)」が喪われて土中から出てくる新しい物である。

▼ 「 san-i ・さに 」という音(おん)は時を経て「 sane 」に変化し、時をおかずに「 tane 」と言う言葉に姿を変えたのだ。
...sane から tane に音が変化するに就いては、何が原因なのか確かな所は私には分からない。ただ、音韻が変化するについては矢張、それなりの理由、必然性が有る筈である。

◎ 「 san-i =出てくる・者」の概念を離れ、言葉同士の関係を完全に分解・清算して、新たに異なる観念を表す語彙として再構築する。そんな試みをしてみたいと思う。
...それは、「(古い物が)姿を変えて、今ここに有る」と言う新しい枠組み( frame-work )である。
 ta-ne は何を意味するのか。
ta 掘る。耕す。汲む。採(と)る。
ta 今、ここ、これ
ne ~になる。違ったものや別の姿に変わる。(萱野辞典)
ne ~の方に行く。~に従う。~に添う。(←これは公式に認められていない私の独自の語意説...次回に詳述)

☆ 新しい枠組みの説明は、譬(たとえばなし)で説明しよう。
...一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、麦は土中で滅びて一旦死ななければ、新しい命として苗は地上に顔を出すことは出来ない。古い姿・形が一旦(いったん)喪われ、新しい今の形で現れるのである。それが tane の原意であり、そして、今(=現在)という時の観念にも至るなどと考えるのは、少し強引に過ぎるのかも知れない。
...次回は、「姿を変えて、今、ここに在る」と言う tane の意味の新しい観念の枠組みについて、ユーカラの表現を引き合いにして説明しよう。    (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-11-25 16:08 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその125 (通巻第810号)
 日本語の「種(たね)」に該たる、アイヌ語の「 pi / piye 」という言葉の成り立ちについて、原意は恐らく「小さいもの」であったとした上で、穀物の「稗(ひえ)」と言う言葉を取り上げて、それは「イザと言う時に命を繋ぐもの」という観念にさえ結び付く可能性があると言う事が分かる訳である...と私は説明した。

▽ しかし、これは説明不足は否めないと深く反省したので、稗が備荒作物だと言うことを中心に「イザと言う時」の補足説明を加えよう。
...中国語の「稗」を取り上げ分析したからには、更にもう一歩進めて、漢字の「稗」の字を偏(へん)と旁(つくり)に分解して、「稗」と言う概念を丸裸にしてみたら、何かが見えて来るかも知れない。

▼ 「稗」は、「禾(か)」+ 「卑(ひ)」から成るが、それぞれの偏(へん)と旁(つくり)は中国語では何を意味するのか。
【禾】he (ハー・第二声) ①穀類植物の総称。 ②古くは特に粟(アワ) ③苗(特にイネの)
【卑】bei (ベイ・第一声) ①(人の品位・物の質が)低い。劣っている。
             ②(位置が)低い。(土地が)低く水捌(は)けが悪い。
             ③へりくだる。 ④謙詞
【稗草】bai-cao (バイツアオ) 稗、イヌビエ、サルビエ。

◎ 中国語では、稗と言う漢字の構造は、穀類の苗や種子を表すと同時に、それが質の悪い劣った物である事を重要な観念としている事が分かる。それが用いられるのは、あくまでも臨時的代替的な物である事も「稗草」と言う複合語から類推されるのだが、それが何故か貴方には分かるだろうか。

☆ 日本語訳の「イヌビエ・犬稗」と言う言葉が、稗が質の悪い代用食であることを証明してくれるのである。この「イヌ・ナントカ」と言う表現は、物の名詞に接頭して、その修飾される対象の質が、正規の物に較べ劣っていて、やむを得ない場合の代用になる関係を示すものであった。

★ 前にアイヌ語と日本語の同族関係を論じた時、アイヌ語にも元々は有った「 i-nu 犬 」と言う言葉が、或る理由で「 seta =
セタ 」と言う語に置き換わり、それまであった「 inu 」の語彙はアイヌ語からは消滅してしまった...と述べた事を覚えておいでだろうか。 se-ta と言うのは、「非常の時に」「危急存亡の時に」の意味であって、セタ(犬)は、飢饉などの時には非常食、代用食として食べられてしまったと言う悲しい歴史を背負った言葉なのであった。
    (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-11-24 13:02 | Trackback(45) | Comments(0)

縄文語のかけらーその124 (通巻第809号)

 植物の種を表すアイヌ語が「ピ、ピイェ」であり、その原意は恐らく「小さいもの」だろうと私は述べた。種(たね)と言うのは植物の命を次世代に繋ぐものであるから、例えば米や麦などの穀物も、我々が食べる部分は矢張「種子」の1種である訳である。
 「一粒の麦は地に落ちて死ななければ...」と言うのは聖書の有名な一節である。麦の種は、地に落ちて死ななければ、新たに多くの麦に生まれ変わって、人々の糧となる事は出来ないのである。穀物となる植物自身の命を繋ぐと共に、人々の命をも支えてくれる、あの「小さいもの」...それがアイヌの先人が「 tane 種 」に与えた愛称であり、別称であった。

▽ 「種(=小さいもの・ pi )と言う名付けに、他の民族の観念を引き合いに出して、インタナショナルな検証を加えよう。
...やはり穀物の名で、稗(ひえ)と言う言葉を取り上げよう。
 中国語の説明に入る前に、国語辞典で日本語の「ひえ」の意味を確認して置くのが順序と言うものだろう。

▼ ひえ【稗】いね科の一年生植物。夏、茎の先に淡緑または褐紫色の花を総状につける。種子は三角形で細く、食用・飼料用。
 やせ地でも育つため、昔から備荒作物(凶作に備えて植えておく作物)として栽培される。
...稗はどんな位置付けの作物だったか、念のため「五穀」の方も見て置こう。
「五穀」五種の主要な穀物。米・麦・あわ・きび・豆。転じて、穀物の総称。▽麻や稗を数えることもあって、諸説一定しない。

◎ 「ひえ」は米などに比較し小さく、栄養価に乏しかったから、五穀に数えられない一段下の格付けをされたのだ。私は食べたことが無いので断定は出来ないが、恐らく米の飯と比べると不味いのだろう。備荒作物でしかなかったのである。

☆ そこで中国語の出番である。
【稗】bai (バイ・第四声)①稗子〈名詞〉ヒエ。転じて「厄介者」。
 ②小さい。細かい。正規のものでない。→稗史(はいし=民間に伝わる逸話を記した書物)

★ 中国語の「稗・稗子」の登場で、穀物の「稗」が「小さい種(たね)」を表すと同時に、それはいざと言う時に「命を繋ぐ」と言う観念にさえ結び付く可能性があると言う事が分かる訳である。
...それは、又、アイヌ語の「 pi / piye 」の語義と音韻にほぼ重なるものである事に、十分な注意が払われなければならないと言う事でもある。因(ちな)みに、穀物の「稗」のことをアイヌ語では「 piyapa ピヤパ 」と言う。このピヤパも勿論、「あの小さい命のモト」と言う文脈で造語され、語り伝えられたものと私は考える。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-11-23 13:06 | Trackback(12) | Comments(0)

縄文語のかけらーその123 (通巻第808号)
 植物の種子(たね)の意味を持ち、且つ「たね」とか、それに近い発音をする語彙は、本当にアイヌ語には今は残っていないのだろうか。植物の種と言うのは、古い時代から、どの民族にとっても人間の暮らしに必須のものであり、それを表す語彙は、言葉としては民族の基本語彙中の基本語彙である筈である。

▽ 植物の種子を、アイヌ語では「 pi,piye ・ピ / ピイェ 」と言う。恐らくは「小さいもの」が原意だろう。「 pi ・ピ 」と言う音(おん)が、小さい・細(こま)かいを意味するという事は、幾つかの関連語句でそれと知れる。
...pi ota 細かい砂  ...pi-itak そっと囁く(ささやく=小声で言う)

▼ だが、植物の種という古代人にとって暮らしに重要で常用の用語を、ただ「小さいもの」という一つの特徴だけで造語するものなのだろうか。第一次的に名付けに使われる、より強い印象の音韻が用いられないだろうか。例えば、「また、(来年)出て来るもの」などの...。アイヌ語で「出てくる」は、「 san 」と言う。だから、「(また)出てくる者」は、「 san-i 」となって何の不思議も無い訳である。それで「 sani 」は種子(さね・たね)を意味し、子孫を表し、血筋をも含意する事が出来るのだ。

◎ 私はアイヌ語の「 pi 」は、種子(たね)と言う第一次的な本来の種を表す用語に対し、二次的に、一種の愛称として命を繋ぐ「あの小さいもの」を意味する「 pi 」の音を用い、種子に対する補助用語としたのだと私は見ている。
...ハッキリと宣言しよう。今も昔も、アイヌ語では、植物の種子を「 tane 」ないし「 sani 」と言う。ただ、余り使われないだけなのである...と。

☆ 今もアイヌ語に「 tane = 種 」と言う言葉は残っている。ただ、それはアイヌ語ではなく、日本語からの借用語と思われているのだが...。借用論のデタラメさと罪悪については、ここでは繰り返さない。実際の文例、使用例をお目に掛けよう。
...有名なユカラ やウエペケレ の伝承者・語り部に、遠島タネランケと言うお婆ちゃんが居られた。その名前の由来は、恐らく、
「 tane - ranke = 種・下ろす 」と言う語の構成で、「種を撒(ま)く人」の意味だろう。美味しい野菜や穀物を育てる働き者の意味の他に、合わせて女性の立場で家を守り、立派な子を育てる女をも意味しただろう。

★ 江戸時代や明治、大正そして昭和に至るまで、働き者の元気なお婆ちゃんに「おたねさん」が大勢居た。あの遠島タネランケさんの名前が、日本語の「お種さん」の流れで命名されたのか、アイヌ民族の伝統的名付けによるのか、私は知らない。
 種(たね)= tane と言う語彙が、古くからのアイヌ語か、それとも日本語からの借用語に過ぎないのか、それは、貴方の判断にお任せするしか有るまい。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-11-22 14:10 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその122 (通巻第807号)
 鎌倉幕府第三代将軍・源実朝(みなもとの・さねとも)の「さねとも」の名は、頼朝(よりとも)の跡を嗣ぐべき、正統の者を意味する...などと、強引な極(き)めつけで前回を締め括(くく)った。
 自分の主張を他の人に分かって貰うための必要最低限の説明すら欠いた、論理の飛躍と言うより論理の欠落した、正に非論理的主張の典型的な例と言う外(ほか)無い。

▽ アイヌ語の「 sani 」が血統や子孫を意味し、この言葉が大和言葉の「さね = 核・実」と言う語彙に何か関連が有りそうだと言う所までは、多くの方の胸や胃の腑(いのふ)に落ちただろう。しかし、実朝の「実(さね)」が「~の血統を嗣ぐ」を表すとまで言い切ると、これは話は別になるのである。
...それは中間項の無い、つまり「梯(かけはし)」の無い、渡れない深い淵に面してしまう事になるのだ。

▼ ならば、その淵に梯を架けて見ようではないか。大和言葉で「さね」の語に音(おん)で似通い、且つ、意味(語義)に於いても重なる所の多い、「たね」という言葉に登場して貰うのが、理解を助ける「架け橋(=中間項)」となるのだ。
 「たね」という語と「さね」という言葉を、古語辞典で引いて横に並べて見ると...

◎ ...たね【種】(名詞)
 ①植物の種子。 ②[胤とも書く]血筋。血統。子孫。 ③物事の発生する原因。根源。事の起こり。 ④根拠。
  ...さね【核・実】(名詞)
 ①果実の種。 ②骨組み。壁下地。 ③根本のもの。
...さね【札】(名詞)
  鉄または革(かわ)で作った細長く小さな板。紐や革で綴って(つづって=繋ぎ合わせて)鎧(よろい)を作るもの。

☆ 「さね」と「たね」とが、略(ほぼ)同じ意味を表すと言う事に今度は納得が行かれただろうか。「さね」にしても「たね」にしても、何れも、大切な命や宝とすべき何者かを守り伝えて行くという概念を表しているようだ。實朝(さね・とも)が、頼朝なり鎌倉幕府の正統を嗣ぐ者と言う意味で名付けられたと主張しても、罰(ばち)は当たらないと今はもう認めて頂けるだろう。
 
★ 植物の命を次世代に繋ぐ「種子」を、昔の人は「さね」と呼び、現代語でば「たね(種)」と言う。ならば、アイヌ語では種を何と言うのか。アイヌ語では植物の種を「 pi/piye(he)=ピ/ピイェヘ 」と言う。期待をされた「さね」とか「たね」と言う音に連なる語彙は残っていない。「残っていない」と言う、この表現に注意を怠らないで欲しい。これには続きが有るのである。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2019-11-21 12:16 | Trackback | Comments(0)