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縄文語のかけらーその193 (通巻第878号)
 「わらべうた」と言うと、やはり、小さな子ども達がお兄ちゃんやお姉ちゃん達の真似をして遊んだ「花いちもんめ」が思い出される。その由来については諸説が有って定まらないと言う。私は、この遊びというのは、筑波の歌垣の流れを汲む、若者たちの男女交際の行事を、小さな子ども達が真似をして出来た遊びだと思っている。この事は前にも述べたので覚えておられる方もあるだろう。

▽ 「ずいずいずっころばし」の唄も、意味不明の言葉の連続で解釈に難儀する不思議な唄だ。子供の歌なんて言うものは、元々大した意味も無いんだよ、などと高(たか)を括(くく)っていると、ドッコイ、そこには社会的な意味が隠されていたりすることも有るから、扱いをおろそかに出来ないのである。
...この唄は、お茶壺道中での切捨御免に見られるような幕府の専制、理不尽な武家社会の在り方に対する、積もり積もった江戸の庶民の怨念と憤(いきどお)りを、罪の無い子どもの唄に託(かこ)つけて揶揄(やゆ)し嘲笑したものである。お茶壺道中なんて、幾ら威張って街道をのし歩いたところで、こちとら、戸をピシャリと閉めて、やり過ごしてしまえばそれっきりだよと...。

▼ ただ、この社会風刺の戯れ歌(ざれうた)にも元歌が有った。それが性的自由を謳歌した「ずいずいずっころばし」である。
...この「ずっころばし」だの「胡麻味噌ずい」だのの言葉には、例えば、男が女を転ばせて、胡麻を磨(す)るような動作で或る行為に及ぶ...そんな意味を持っていたのである。「婚(よば)ひ」という言葉が、その古代のおおらかな意味合いを薄め、近代の「夜這い」の意味に捉えられるようになるに従い、悪餓鬼(わるがき)の唄になって行った訳である。

◎ 「婚(よば)ひ」が社会公認だった頃は、若者たちの交際に親の世代は異議を差し挟まなかった。しかし時を経て江戸時代にもなると、農村の若者を巡る状況は悪化し、娘の所へ夜這(よば)いをかける若い者に、父親達は好意を持たず敬意も払わなくなっていた。前に述べたように、忍び込んだ青年の首根っこを押さえてトッチメルような事も日常茶飯に起こるようになった。
...なぜ、そう変化したのか。その要因の一つに、農村の疲弊の問題が有ったろう。大事な労働力である娘が、何処の馬の骨かも分からぬ小倅(こせがれ)なんぞに持って行かれて堪(たま)るかと...。

☆ 農村の若い娘を巡る争いの間(はざま)で、若者世代と親の世代の確執が生じた。「親の世代の言うとおりにはならないぞ」と言うのがこの唄の最後の部分に唄われている。
...おっとさんが呼んでもおっかさんが呼んでも行きっこ無しよ... 俺たちの交際に口を差し挟む事はやめてくれ。なあ皆んな、親から戻って来いと呼ばれたって、男だったら戻っちゃあならんぞ。そんな兄たちを見て、少し年下の悪ぶった少年達が、こんな唄を流行らせた。その唄に親たちが茶壺道中などを入れ込んだのである。ただ、元歌にも「茶壺」の言葉は有って、それは女性や女性の性器を表す隠語である。    (次回につづく)

by atteruy21 | 2020-01-31 14:28 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその192 (通巻第877号)
 夜這いの噺(はなし)や 、Eddie Hodges の女の子の誘い出しの懐かしい歌が関心を呼んだ為か、思いの外(ほか)、このブログのアクセスが昨日は多かった。そこで当初の予定を変更し、もう少しだけ古い時代の男女交際に関する話題を取り上げる事にした。

▽ 何とそれは、古い「わらべうた」に歌われているのである。
*...「ずいずい・ずっころばし」
 ずいずい ずっころばし 胡麻味噌ずい 茶壺に追われて とっぴんしゃん
 抜けたら ドンドコショ 俵の鼠が米喰って チュー チューチューチュー
 おっとさんが呼んでも おっかさんが呼んでも 行きっこなしよ
 井戸のまわりで お茶碗欠いたの だあれ

▼ Wikipedia の解説を一部(無断で)引用しよう。
...胡麻味噌をすっていると、江戸幕府のお茶壺道中が来ると言うので、家の中に入って戸をピシャリと閉めて(=トッピンシャン)やり過ごす。お茶壺道中とは、宇治茶の新茶を街道を経由して、江戸の将軍に献上するための茶壺を運ぶ行列(宇治採茶使)のことである。
...この一行(いっこう)に対して、切捨御免(きりすて・ごめん)の時代柄、庶民は、粗相(そそう=不注意・あやまち)が無いよう、細心の注意を払っており、子どもたちは両親に呼ばれても決して外に出てはならないと教えられた...以下、省略。

◎ 上記の Wikipedia の解説の冒頭に、全体の説明が実はあるのだ。それを先ず載せるべきだったか...。
...「ずいずいずっころばし」は、古くから日本に伝わる童謡(わらべうた)。遊び歌として知られ、その遊戯をも言う。
「お茶壺道中」についての唄だと言われているほか、不純異性交遊を表す戯歌(ざれうた)とする説もある。(以下、省略)

☆ 無断引用をして、その挙げ句に記事の内容にまでケチをつけるのは、とても褒められた行為ではないのだが、卑怯と言われるのは覚悟の上で、問題点だけは指摘して置かなければならない。
...私は、この唄と言うのは、兄や姉たち世代の若者の性的な交遊を、少し羨(うらや)んで、年下の悪餓鬼たちが唄ったものだと思っている。通説は、「おっとさんが呼んでもおっかさんが呼んでも、行きっこ無~しよ‼」のフレーズの読み方が違っていて、それは逆なのである。詳細の説明は次回に回す事にしよう。
 ちょっとだけ言っちゃおうかな。
 ...こんな楽しい遊び、父ちゃん母ちゃんに呼ばれたって、止(や)められないよね~。
    (次回につづく)

by atteruy21 | 2020-01-30 11:34 | Trackback(3) | Comments(0)

縄文語のかけらーその191 (通巻第876号)

 手児名の時代の若者たちの男女交際の視覚的映像を、現代の若い皆さんにどうしたら感じ取って頂けるか、奔放(ほんぽう)な恋のやり取りを鮮明にイメージして貰うのにはどうするか。私なりに悩んで寝ずに考えた。結論は、私の子ども時代に流行ったアメリカのポピュラーソングに良いのがあって、それがヒントになると言うことになった。

▽ 「恋の売り込み」歌: Eddie Hodges
...I’m gonna knock on your door, ring on your bell,tap on your window,too .
if you don't come out tonight when the moon is bright,
I‘m gonna knock and ring and tap until you do .
 「アム・ゴナ ノコンニャ ドオ リンゴンニャ ベー 出ておいでよ ! 」と明るくリズミカルなこの歌は、当時の日本の若者や子ども達にも大いに人気があり、私も好きだった覚えがある。日本の歌手もカバーして上記のような英語混じりの日本語の歌詞で歌った他、原語のままの歌もラジオで流れていた。カッコいいアメリカの若者文化に触れた思いがして、大いに憧れたものだった。

▼ 歌の内容は、若者が好きな女の子に遊びに出ようと誘いをかける所である。意訳したので参考にして頂きたい。
...今夜は月が綺麗だよ。君と遊びに行きたくて家の戸をノックしてるんだ。だから玄関のベルを鳴らし、窓ガラスを指で叩いているのさ。月が明るいこんな晩なのに、君が出て来ないって言うなら、君が出てくるまで叩くのをやめないぞ ! ...

◎ 手児名の時代の若者同士の恋のやり取りも、こんなイメージで捉(とら)えて大きな間違いは無いだろうと私は思っている。
...手児名たちを苦しめた、住民の暮らしに重くのしかかる税の話を中途半端にしたまま、夜這いの噺などにうつつを抜かしていたが、「婚(よば)ひ」と言う制度のあらましを理解いただいた今は、悪税「調」の語義詮索のまとめをして、手児名の世界ともサヨナラをしたい。

☆ 手児名や珠名の生きた時代の関東地方、取り分け、現在の千葉県に当たる区域は、元もと穀物の耕作には不向きの、痩せた土地柄であり、穀物の収量も少ない貧しい地域であった。米の生産を軸にした税制である「租」は、そのままでは税としての実質を保てず、これを補正する「調=特産物の物納」が税の主体とならざるを得なかった。

★ 元々の「調」の負担の他に、更に「租」の負担の出来ない住民は、替わりに更なる「調」の負担を強いられたのである。
    (次回につづく)

by atteruy21 | 2020-01-29 13:12 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその190 (通巻第875号)
 結婚前の若い女性が、自分の部屋を訪れた不特定の男性と、カラッとした雰囲気で性関係を持つこと、それを当たり前のこととして許すという社会の風潮があり、それが結婚や男女交際を巡る風習や性風俗になった訳である。
...見方によっては、女性の側から、共に暮らす事になるかも知れない相手の男の、その品定めをする事が出来る制度だと言えなくもない訳で、そう言う意味で女性本位の、女性優位の約束事と言えると私は考える。家族の形成は、女性が主導するのだ。

▽ 結婚や男女交際を巡る、こうした社会的風潮を頭の隅に置きながら、手児名の妻問ひの情況を家族の立場で考えてみよう。
...手児名の父が、娘のために伏屋を立てたのは、年頃を迎えた我が娘への、せめてもの償(つくな)いの想いを込めた行為だったのではないか。
 手児名は、他の家の娘達とは違って、娘らしく唇に紅を点(さ)し、可愛らしい髪飾りをつけるのはおろか、髪をとかす余裕さえ無く、ただ家の為に立ち働く毎日であったのだ。

▼ 父や母は、せめて人並みの娘らしい暮らしを手児名に味わわせてやりたかった。せめて娘らしく、若い男性と華やぐ語らいをさせてやりたい。だから、家の事は心配しないで婿とりの準備をしなさいと...。お前のために粗末でも伏屋を作ろうと...。
  *勝鹿の眞間娘子の墓を過ぐる時、山部宿禰赤人の作る歌一首(萬葉・巻三・四三一)
...古(いにしへ)に 在りけむ人の 倭文幡(しつはた)の
  帯解きかへて 伏屋立て 妻問ひしけむ 葛飾(かづしか)の
  眞間の手児名が 奥つ城(おくつき)を... 

◎ 今となっては、手児名の置かれた情況が、皆さんの脳裡(のうり)にも鮮やかに思い浮かんだ事だろう。
...手児名が、娘を思う両親の「妻問ひ」の勧めを、どう受け止めたのか、今となっては誰にも分からない。手児名に寄せる両親の切ない思いは、彼女の胸に迫っただろう。嬉しい気持ちと、でも、私が家を出る事になったら、親の暮らしや弟、妹の面倒は誰が見るのか。冷たい海で海藻を採り、機(はた)で布を織る肩の凝る毎日の仕事は、いったい誰が...。

☆ そんな思いに手児名は胸を痛めていたのではないか。或いは手児名にも、幼い頃から好意を寄せ合う若者が有ったのかも知れない。或いは手児名の美貌にのぼせ上がった国府の役人の、金と権力に任(まか)せた強引な求婚が有ったのかも知れない。
...市川の真間のごく近くに、当時の国府が在った。現在では「市川市国府台(こうのだい)」という地名が残っている。手児名を歌う萬葉の歌人たちは、この地に赴任した中央の役人から手児名の噺を聞かされていたのだろう。辺境の地の一少女の噂が、遠く離れた都の役人たちの関心をそそったのである。それほどに手児名は美しく、哀しみを誘う運命を生きたと言うことだろう。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2020-01-28 12:55 | Trackback(3) | Comments(0)

縄文語のかけらーその189 (通巻第874号)
 夜這いと言うのはユーモラスな言葉であり、私は決して嫌いではないのだが、少し品格には欠けるし、縄文人由来のおおらかな性意識を表すものでもない。ここは矢張、「婚(よば)ひ」と言う由緒ある言葉を分析して、古い大和の庶民の恋愛や結婚に対する意識を知って置くことが求められるだろう。
...「妻問ひ婚」という言葉をご存じだろうか。古語辞典を覗いてみよう。

▽ つま-どひ【妻問ひ】(名詞) 異性を恋慕(こい・した)って言い寄ること。求婚。また、妻または恋人のもとへ通うこと。
...秋萩の 咲きたる野辺は さ男鹿(さをしか)そ 露(つゆ)を分けつつ 妻問ひしける (萬葉・巻十・二一五七)
《現代語訳》 秋萩の咲いている野辺では、雄鹿が(野の草の)露を掻き分けては、妻のもとへ通っていることよ...。
《補足語註》 さ男鹿...名詞の「雄鹿」に接頭辞の「さ」が付いたもの。「さ」は、被修飾語に「好ましいもの」の意味合いを加える。従って、ここでは「若い雄鹿」とか「美しい雄鹿」を意味する事になる。

▼ 古い日本列島の習慣では、結婚や婚活は現代と異なり、女性が嫁(よめ)として男性の家に入るのではなく、男性が一定の期間女性の家へ通い、女性の家に何らかの貢献をした後(のち)、初めて女性と新たに所帯(しょたい)を持つと言うのが一般的だった。 これを「通ひ婚」と言い、また「妻問ひ」とも言った。この制度は、恐らくは縄文の時代からの庶民の風習で、後の大和でも、例えば源氏物語などにも、女の許(もと)で一夜を過ごした公達(きんだち)が夜明けに自分の家へ帰って行く場面がよく描かれる。

◎ 妻問ひは、縄文の昔の、女権・母権( Mutter-schaft )が未だ健在であった頃の名残を留めた制度であると私は思っている。
 ...古い母権社会の「女丈夫(おんな・じょうぶ)」の噺は、皆さんも、もう耳に胝(たこ)が出来て、蛸焼きになってしまったかも知れない。この「女丈夫」と言う言葉は、あまり一般的な熟語でなく、普通の言い方では「女傑(じょけつ)」に該当するのだが、アイヌ語の「 katkemat 」に相応しい訳語が見当たらないため、敢えて私が造語的に用いている言葉である。
 女性が輝いていた時代の社会の在り方を分かりやすく示してくれる、その具体的人間像、女性像が「カッケマッ = katkemat 」だと言う訳である。

☆ 父権の絶対であった中国社会や朝鮮半島の文化と異なり、日本列島では後の時代まで、女性優位の母権の強い風習が残った。
...恐らく朝鮮半島の南部から日本列島に渡って来て、優れた武器や稲作を中心とした高い生産力に支えられて原住の人々を東に或いは北へと逐(お)い、大和に権力を樹立するに至った天皇家の祖先や貴族の人々は、父権最優先の社会を列島に持ち込もうとしたであろう。
★ だが、圧倒的多数を占める原住の人々、つまり、後の東北の阿弖流為(アテルイ)や手児名の時代の先人達は、直ぐには父権最優先を受け入れず、権力者も母権に一目(いちもく)置かざるを得なかった。   (次回につづく)

by atteruy21 | 2020-01-27 14:45 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその188 (通巻第873号)
 古代大和の婚姻や配偶者選びに、「よばひ」と言う制度があった。時代が下って江戸時代以降には、この「よばひ」と言う語に「夜這(よば)ひ」と言う字を充てることが多くなった。夜這いをすると言うと、夜、男が女の寝所へ忍び込むことと受け取られ、当時の農村の若者の間の男女交際の実態と符合するものだから、「暗闇の中を這って女の所へ行く」が語源だと考えられていた訳である。だが、それは誤解であって、実は語源は卑俗なものでなく、床しいものであった。

▽ 古語辞典 「よばひ」
...よばひ【呼ばひ・婚ひ】(名詞) ①結婚を求めて名を呼びかけること。求婚すること。
 ②[「夜這ひ」とも書く] 夜、男が女の寝所へしのびこむこと。

▼ 古語辞典 「よば・ふ」
...【呼ばふ】[四段動詞「呼ぶ」の未然形「よば」に上代の反復・継続の助動詞「ふ」が付いて一語化したもの]
 ①何度も呼ぶ。呼び続ける。 《例文》遥(はる)かの底に よばふ音(こゑ)ほのかに聞こゆ (今昔物語)
 《現代語訳》はるかな谷底から(人の)何度も呼ぶ声が、かすかに聞こえる。
 ②言い寄る。求婚する。

◎ 江戸時代の辺りから明治の終わりくらい迄、【夜這い】を巡る農村の若者の「武勇伝(ぶゆうでん=戦いの自慢噺)」語りは、様々なタイプがあり、一つの娯楽にもなっていた。
...音を立てずにオヤジ殿の監視の眼を盗んで娘の部屋に忍び込む方法、逆に既(すんで)の所で家人に見つかってトッチメられた噺、等々。抱腹絶倒、夜が明けるのも気付かず話題が続くのだが、時の経過によって「よばふ」の意味は変遷を遂げて来たのだ。

☆ 娘の許(もと)に忍び込むと言うと、何やら後ろめたい感覚が有るのだが、誤解を避けるため、念のため言うと、それは古くは社会公認の、開けっ広げの風俗だったと言うことである。本来は、例えば娘の父親が、忍び込んで来た若者を首根っこを押さえてトッチメた...などと言う話になれば、これはオヤジ殿の方がルール違反で、トッチメられるのは逆にオヤジの方なのである。

★ 婚期を迎えた娘が、色々な若者と自由な性関係を結ぶ事は社会の公認事項であった。不道徳なことでも何でもなく、それこそ「筑波の神の禁(いさめ)ぬ業(わざ)ぞ...」とされた訳である。父親と言えども、勝手に娘の恋路を妨げてはならなかった。
...言わば娘の人権は守られていたのである。忍んで来る相手の男が気に入らなければ、娘には拒否する権限も認められていた。
 男が娘の意思を無視して無理に性関係を迫れば、男は、後で地域の若者たちから厳しい制裁を受けることになる。
    (次回につづく)

by atteruy21 | 2020-01-26 12:26 | Trackback(7) | Comments(0)

縄文語のかけらーその187 (通巻第872号)

 「帯解きかへて...」という語句の真に意味する所は、実は、「寝間着に着替えて...」と言った単純なものではない。前回で手児名の時代の「妻問ひ」の噺に眼が向いた今は、この「帯解きかへて」の真の意味を受け入れるだけの心の準備が皆さんにも出来たからには、詳しいこの句の分析も抵抗なく受け入れることができるようになったと見て、今、初めて述べるのである。

▽ 「帯解きかへて」は、文字どおり「互いに帯を解き合って、男女が共寝(ともね・さ寝=添い寝)するという意味である。
...細かく言うと、「帯解きかへて」と言うのは、「下着の紐を互いにほどき合って、裸になって男女が寝る」と言う意味なのである。しかし、こう言うと手児名の清純な乙女のイメージは崩れてしまうと心配やら反感を抱く方もあろう。
 だが、ご心配には及ばない。手児名の清純なイメージ、ひた向きに明るく生きた鮮明な映像は、毫(ごう=一筋の毛)も揺らぐことは無い。

▼ 結婚する前から、「無垢(むく)の」乙女が、男と裸で寝るなどと言うことが果たして許されるのか。「清純」と言う言葉で代表される、女性の「在り方」に就いての現代の価値観は、手児名や珠名の時代のそれとは大きく異なるのである。
...筑波嶺(つくばね)の歌垣を持ち出すまでもなく、古代の大和では結婚や男女の交際は、個別的・集団的を問わず自由奔放で開け広げの性交渉を前提にしたものであった。

◎ アイヌ民族の風習では、適齢を迎えた娘には「トウンプ」と言う部屋を家の外側に父親は造った。この手児名の歌に登場する「伏屋」と言うのは、一般的な「粗末な掘っ立て小屋」と言うより、アイヌの「 tumpu 」に該当する物ではなかったか。そのように私は考える。そしてそれは、後に大和言葉の「壷(つぼ)」や「局(つぼね)」と言う語彙に繋がって行くのだと...。

☆ その関係を暗示する古語辞典の記載をご覧にいれよう。

...旺文社全訳古語辞典 
 つぼね【局】(名詞) ①宮中や貴人の邸宅内で、それぞれ別に仕切られている部屋。上級の女官・女房が起居する部屋。
 ②その部屋を持つ女官・女房の称。

 つぼ【坪・壷】①建物の間や垣根の中などにある一区画の土地。中庭。転じて宮中の部屋。(②以下は省略。)
★ 萱野茂アイヌ語辞典 トウンプ【 tumpu 】部屋。個室。 ...何処か似ている二つの言葉。
    (次回につづく)

by atteruy21 | 2020-01-25 14:28 | Trackback(8) | Comments(0)

縄文語のかけらーその186 (通巻第871号)
 「帯解きかえて」は一種の枕詞(まくらことば)であって、専(もっぱ)ら、「伏せる=寝る・横になる」という特定の言葉を引き出すだけの役割を与えられた辞(ことば)なのである。だから、多くの場合、枕詞それ自体は文章の中で意味を持たない、言わば、無味無臭の空気のような存在である。だが、枕詞の中には、使われた語彙の強い印象に引きずられて、黒衣(くろこ)が前面に躍り出て、主役の人形を喰ってしまうような場合が有るのである。

▽「帯を解く」という枕は、「帯を解いて・寝る」つまり、寝間着に着替えて寝るくらいの意味で用いられ、「帯を解く」は、
この文の中では、本来、意味を持たない飾り言葉だった筈(はず)のものである。
...だが、「帯を解く」の表す観念が余りに刺激的であった為に、与えられた役割以上に己を主張し始めたのである。また、その枕が、単に「伏(ふ)す=寝る」にかかるだけであったら、無用の誤解も生じなかったのかも知れない。

▼ この歌では、枕詞「帯を解く」の句は、掛詞(かけことば)として「伏屋(ふせや)」に掛かるのが事態を複雑にするのである。
...伏屋(ふせや)と言うのは、粗末な掘っ立て小屋を意味する。草葺(ぶ)きの屋根が、ぐしゃっと押し潰されたような家の形から出来た言葉である。「伏す(寝る)」と「潰れたような」が掛詞になっている訳である。

◎ 「伏屋立て、妻問ひしけむ...」は、ある意味で意地悪な、悩ましい表現である。山部赤人自身には、恐らく別に意地悪をする意図は無かっただろう。山部赤人にも昔の風習はうっすらと理解が出来ていただろうから。
この歌を深く理解する為には、当時の「妻問ひ=婚姻制度」を知らなければならない。なぜ、伏屋を建てないと妻問いが出来ないのか。実は、ここに当時の関東地方の庶民の風習、都人には理解し難い原住の人々の暮らしの在り方の秘密が隠されているのだ。

☆ 「伏屋」と言うのは、ただ潰れそうな掘立て小屋を言うのではない。アイヌ民族にも明治の始めくらい迄は遺(のこ)っていた若い娘を嫁がせる迄に住まわせた個室があり、その個室を「 tumpu ・トウンブ 」と呼んだ。このトウンブという言葉は、実は後の大和言葉にも繋がるのである。意外な展開になるのだが、その事は後でまた触れよう...。
...萱野辞典「トウンブ」
 トウンプ【 tumpu 】部屋、個室。

★ アイヌの風習では、娘が成長して十四、五にもなれば、父親は家の外側に元々の家の入り口とは別に、小さな入口を持つ独立した居室を作り、そこに娘を住まわせた。これをトウンブと言う。これは婚期を迎えた娘に婿を迎える準備をさせるための習慣で、妻問い婚と言い、その妻問いに訪ねて来た若者を娘が受け入れる為の部屋がトウンプである。似たような風俗はアイヌ民族に限らず、日本でも東日本全体に見られた風習である。少し形を変えて、「夜這い(よばい)」という風習が大正時代まで残った。
...この「夜這い」や「トウンプ」の噺は、興味深く、且つビックリさせる話題に溢れているのだが、次回に回すしか無さそうだ。
   (次回につづく)


by atteruy21 | 2020-01-24 14:10 | Trackback(2) | Comments(0)

縄文語のかけらーその185 (通巻第870号)
 伝説の美女の置かれた状況について、萬葉の歌の解釈の仕方によっては、随分と180度近く違う姿の手児名像が描かれるのだ。その何れかが大きな誤解な訳だが、その誤解の元になった歌の一部、問題の部分を改めて再掲しよう。

▽ 勝鹿の眞間娘子の墓を過ぐる時、山部宿禰赤人の作る歌一首
...古に 在りけむ人の 倭文幡の 帶解きかへて 伏屋立て 妻問ひしけむ 葛飾の 眞間の手児奈が...(以下、省略)

▼ 「帶解きかへて伏屋立て...」をどう読むかで意見が別れるらしい。「 Wikipedia 」の一説を紹介しよう。
 Wikipedia 「手児奈」の項の「概要」
...一つの説によると、手児奈は舒明(じょめい)天皇の時代の国造の娘で、近隣の國へ嫁(とつ)いだが、勝鹿の国府と嫁ぎ先の国との争いが起こった為に逆恨みされ、苦難の末、再び真間へ戻った。
 しかし、嫁ぎ先より帰った運命を恥じて、実家に戻れぬままとなり、我が子を育てつつ静かに暮らした。だが、男達は手児奈を巡り再び争いを起こし、これを厭(いと)って真間の入江に入水(じゅすい)したと伝えられている。(以下、省略)

◎ 私のイメージする手児名の姿とは、かなり異なる。そもそも「子持ちの乙女」という観念があり得るのかなど、様々な欠点が目につくが、その誤解の本源(おおもと)となった元凶は、いったい何であるのか、さっそく歌の解釈に入って行こう。

☆ 岩波書店「日本古典文学大系・萬葉集一」 この歌の[大意]
...この辺りに昔いたという人が、倭文織り帯を解きかわして伏す、伏屋を作って妻問いしたという、葛飾の真間の手児名の墓は此処だと聞くが、眞木の葉が茂っているせいだろうか、松の根が長く延びているように時が永く経(た)ったからであろうか、その墓は(もう)見えないが、手児名の話だけでも、名前だけでも、私はいつまでも忘れられないことであろう。

★ 語彙、言い回しの意味の解説
 核になる部分の解明の前に、一通り言葉や言い回しの解説をして置こう。
①倭文幡(しつはた)...倭文(しつ)は、当時の唐から輸入される織物ではなく、日本古来の織物を言う。よって「倭の文(あや)」と書く。ハタは、織機。
 シツハタは、シツを織る機(ハタ)、またその織った布。

...②帯解きかへて  ...以下、次回に。
    (次回につづく)

by atteruy21 | 2020-01-23 12:16 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその184 (通巻第869号)
 律令制の土台となった税制である日本の「租庸調」制度は、中国の同名の制度を修正して大化の改新に際して導入されたものであった。その税制の基幹となった「租」の制度自体に、未だ当時の日本の国情に適合しない事情が有ったのである。つまり、米を中心とした穀物の物納の制度と言うのは、少なくとも、米の生産が国内全体に普及していないと成り立たない訳だが、その歴史的条件が未だ整っていなかったという事である。

▽ 例えば手児名の時代の関東地方では、米の生産こそ始まっていたとは言え、地理的・地質学的条件から、その収穫量は極めて少なく、また不安定でもあったから、納税の中心はそれぞれの地方の特産物を物納する制度=「調」に頼らざるを得なかった訳である。
...手児名の生業(なりわい)の噺を思い出して頂きたい。...「葛飾の 眞間の入江にうちなびく 玉藻刈りけむ 手児名し思ほゆ」

▼ 手児名はいつも海藻採(と)りをしていた。他にも、麻の布を織るのも日々の大切な仕事だった。自から織った粗末な麻の着物に青衿(あをくび)を縫い付けて、麻ばかりで織った裳(も=スカート)をはいて、櫛で髪をとかすこともせず...。
...手児名の日常の描写を、彼女の小さな肩にかかった重い負担、恐らく老いた両親や小さな弟妹たちの暮らしを支えざるを得なかったその日常の暮らしを、それとなく示してくれる歌がある。注意深く見ないと、見過ごしてしまう表現がそこには有るのだ。

◎ 勝鹿の眞間娘子の墓を過ぐる時、山部宿禰赤人の作る歌一首
《 古(いにしへ)に 在(あ)りけむ人の 倭文幡(しつはた)の 帯解(と)きかへて 伏屋(ふせや)立て
 妻問(つまどひ)しけむ 葛飾(かづしか)の 眞間の手兒名が 奥つ城(おくつき)を こことは聞けど
 眞木の葉や 茂りたるらむ 松が根や 遠く久しき 言(こと)のみも 名のみも我は 忘らゆましじ 》(萬葉・巻三・四三一)
...この歌の萬葉仮名表記は、以下の通りである。

☆ 古昔 有家武人之 倭文幡乃 帶解替而 廬屋立 妻問為家武
 勝壯鹿乃 眞間之手兒名之 奥槨乎 此間登波聞杼
 眞木葉哉 茂有良武 松之根也 遠久寸 言耳毛 名耳母吾者 不可忘

★ 言葉の解説や現代語の訳(やく)は、次回に行おう。使われた漢字の意味に引きずられて、誤った解釈が大手を振って横行している。例えば、手児名が出戻りの、バツイチの再婚女だととれる解釈まで行われているのだ。
...言葉が女性を差別する言い方になっているが、私の本意ではない。念のため...。
    (次回につづく)

by atteruy21 | 2020-01-22 13:16 | Trackback | Comments(0)