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縄文語のかけらーその221 (通巻第906号)
 いま、縄文の昔に遡るかも知れない古い言葉の痕跡を残す、そんな地名を探す旅を続けている。このブログを書き始めた頃に、
アイヌ語で解釈する事も可能な筑紫野(ちくしの)と言う九州地方の地名を取り上げた事がある。
...それはアイヌ語で「 ci-kus-nup ・チクシヌッ = 誰もが通る野原 」と解釈ができるし、しかも筑紫野の古名が、つまり古い読み方が「ちくしぬ」なのだから、これはもう間違いが無いのだと、そう自慢したものだった。

▽ その事の真偽はともかく、北海道や東北に限らずアイヌ語で説明することも可能な地名が、中国や四国、九州地方にまで散見されるのは不思議と言えば不思議である。
...古い言葉を尋ねて遠い地方に出掛ける旅もいいが、ふと私の胸に「何も遠路はるばるの旅をしなくても、そういう自分自身の足下に、古い言葉の宝庫が眠っているのではないか、そんな想いが浮かんだのである。

▼ 地元の地名に先ず眼を遣(や)ってみよう。私の住む千葉県松戸市に和名ヶ谷(わながや)と言う地名がある。この地名の詳しい詮索には折りが有れば取り組みたいが、今は「~が谷」と言う地名が関東地方に極めて多いという点に注意を向けたいと思う。
...東京の世田谷(せたがや)、雑司ヶ谷、千駄ヶ谷を始め、埼玉では鳩ヶ谷、越谷(こしがや)など、「~がや(ヶ谷)」と名のつく地名が極めて多いのである。

◎ 一方、南関東の千葉や神奈川では、同じく谷間(たにあい)や湿地帯を表すと見られる地名には、「や(谷)」ではなく少し形を変えて「やつ=谷津」が用いられる。
...千葉県には「谷津(やつ)」という地名がある。私が子どもの頃、そこには谷津遊園(やつ・ゆうえん)という遊園地があって、遠足で行った事があった。
...神奈川県の鎌倉に不思議な地名が残っている。「扇ヶ谷」と、こう書いて、これで「おうぎ・が・やつ」と読むのだが、これが千葉県の「谷津(やつ)」と共に、縄文の古い言葉の響きを伝えるものだと私は考えるのである。

☆ 遡(さかのぼ)って、「せたがや」だの「こしがや」だの「わながや」だのの地名は、ひょっとして、それぞれ古くは「せた・が・やつ」とか「こし・が・やつ」、また「わな・が・やつ」と呼ばれていたのではないか。

★ 特別な地形を示す古い言葉に「谷戸(やと)」と言う言葉がある。インターネット検索で見てみよう。
...谷戸(やと)とは、丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形、また、そのような地形を利用した...以下、次回に。

    (次回につづく)

by atteruy21 | 2020-02-29 11:16 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその220 (通巻第905号)
 仙台の旅もこの辺で終わりにしたい。旅の終わりに、仙台の語源となった「陰の森、暗い森」と言う意味のアイヌ語での表現に使われた「セム・ sem =陰、陽の当たらぬ」と言う語と、同じく、アイヌ語で陰・影を表す別の表現である「 kur ・ kunne 」と言う言葉の間の微妙な意味合いの違いが有るのだが、それを皆さんに確(しっか)りと把握して頂くよう、最後の努力をしたい。
 それが皆さんの良い仙台土産になるように。

▽ 「 sem 」と「 kur 」の意味合いの違いを明らかにするため、ここは、他の民族の力を借りてグローバルな観念の比較考察をしてみよう。...英語の単語の比較で何か見えてくるものが有るだろうか。
...その前にアイヌ語の sem と kur の違いを、仮に定義をして置くのが分かり易いだろう。 
 * sem ... 陰  * kur ...影

▼ 英語
 * shade ...ひなた(日向)に対して日陰の部分。陰、日陰、物陰。光を遮(さえぎ)る。
 * shadow...光線が当たって出来るハッキリした影。

◎ ご覧になって直ぐ分かるように、アイヌ語の「 sem 」と英語の「 shade 」が、略(ほぼ)意味的に重なるようだ。共に「陽の当たらぬ」を中核の語意とするように見える。
...一方の「 shadow 」や「 kur 」は、ともに光源の反対側にクッキリと黒々と浮かぶ影、それをイメージさせる。

☆ 仙臺(陰の森)は、高く聳(そび)えた針葉樹の下の、陽も射さぬ暗い空間を意味するもので、下草も無ければ花の一つも咲かぬ日陰の森=「 sem-tay 」となることは必然であった訳である。

★ ただ、「 kur 」は守備範囲の極めて広い言葉であって、影から出発して暗い、黒いとウィング(翼)を拡げ、遂には、夜や闇を意味する所まで発展するのである。
...「 kunne-siri クンネシリ 」は、国後(クナシリ)の原名で、「黒い島」を意味する「 kur-ne siri クンネシリ 」と言う文の構成で出来上がっている。島全体を指す言葉であるから、何か他の大きな物の陰に隠れるの意味ではないし、何かの影が島になった訳でもない。黒々と海に浮かぶ島、それが国後(クナシリ)である。

○ 仙台の旅も終わり、次は何処へ旅立とうか。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2020-02-28 13:08 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその219 (通巻第904号)

 「 sem ・セム 」という言葉や音(おん)が、「陽の当たらぬ...」という意味や「日陰(ひかげ)」の語義を持つのは、何も独りアイヌ語だけに言える事ではない。実は、「セム」の音は古い大和言葉にも語彙の一部として活躍していたのである。

▽ これから述べる事には、一部に障害者や病人に対する差別観念が含まれる。だが、既に死語となった言葉であり現代の生活には実害を及ぼす事も無いと思われるので、敢えて取り上げたい。日本人の過去の傷病観を表すものだと割り切って考えて頂きたい。
...日光を受ける事が少なく、栄養摂取の上でビタミン D の摂取が不足すると、骨組織に異常を生じ脊椎や四肢骨の湾曲や変形が起こる。戦前の日本では、背むし(背虫、傴僂)とも呼ばれていたが、現在では差別用語として新たな使用は控えられる事が多い。

▼ 戦前の映画や文学作品では、「ノートルダムの傴男」だとか、子供の本にも「背虫の子馬」というのがあった。
...日光に当たらない事が、背骨の湾曲「セムシ」の症状をもたらすと古人は考えたようだ。
◎ こうした病気などに関連した言葉の他に、「陽の当たらぬ...」とか「日陰の~」などの語義を含むのではと考えられるのが、「蝉(せみ)」と言う語彙である。
...蝉という生き物が、種族の保存を図るため6~7年の間、陽光の射さぬ暗い地中生活を送る事は古くから知られていた。

☆ 蝉(せみ)の語源解釈 
...古い大和言葉の文法に、アイヌ語の「 -i 」と同じ名詞化辞があったと仮定すれば、...
 「 sem-i セミ 」は、「 sem 日陰(に居る) 」・ 「 i 者 」と解釈し得る訳である。

★ 仙臺(せんだい)という地名の、元となった古い古い地名の語源に、私は「セム・(ニ)タイ」と言うアイヌ語を充てた。それは「黒い森」や「暗い森林地帯」を表していると考えるからである。ドイツの地名の「黒い森= Schwarz wald 」の噺まで持ち出して
仙台の語源の証明に躍起になった訳だが、言葉の上ではまずまずの証明にはなったと思うのだが、その仙台の地が、本当に縄文や弥生の昔に、北欧のような暗い黒々とした樹林相を持っていたのかとなると、これは些(いささ)か心許ないのである。

...そうした問題点を踏まえた上で、この仙台の語源論を受け入れるか否(いな)か、それは貴方の判断に俟(ま)つ外ない。

    (次回につづく)

by atteruy21 | 2020-02-27 11:44 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその218 (通巻第903号)
 それでは、次に「 sem 」について考えよう。 sem という独立した語彙は、例えば中川辞典では「物置」、「土間(どま)」、「家の入口の所にある空間」とだけしている。萱野辞典でも同様の意味が並んでいて、私の主張する「陽の当たらない」などと言う意味は全く出てこない。

▽ だが、それは、「 sem 」の原意が忘れ去られてしまっただけの事であり、アイヌ語話者(アイヌ語学者を含む)が物置と言うものの在りようを改めて冷静に見直してみるだけで、「陽の当たらぬ」という語意は見えて来るのである。
...アイヌの家(チセ・ cise )の入口の、あまり陽の射さない空間に sem がある。日本の農家の土間も、昔はやはり薄暗がりの中にあった。

▼ アイヌ語には、この sem の他に、複合語的に「モセム( mo・sem )」=入口、玄関の土間、物置と言う言葉も有るから、これなども「 mo 静かで・ sem 暗い(所)」を意味していたと考えられる。
...人がアイヌの家を訪れるとき、アイヌのチセには入口の戸( door )が無く暖簾(のれん)のようなものを手で分けて入る訳であるが、その際にアイヌ独特の風習があった。

◎ アイヌの人々が他人の家を訪(たず)ねるとき、特に客が男性の場合には、家に入る前に小さく咳払い(せきばらい)をして、来意を伝えるのである。家の主人がその音を聞き付けて入口まで出て来るのを待つのが普通である。
...主人が来客の手をとって、家の中へと導くのが正式の儀礼なのである。客は体を屈(かが)め、へりくだって這(は)うような低い姿勢で家へ入り、そこで初めて挨拶を交わす事になるのである。

☆ 訪問時の軽い咳払いを、アイヌ語で「 sihumnuyar シフムヌヤラ 」と言う。萱野辞典で解説を聞こう。
* シフムヌヤラ 【 si-hum-nu-yar 】
...自分の音を聞かせる ; 家の外へ来て、家の中に入りたいので私は外に来ているよ、と咳払いする。
 シ=自ら フム = 音 ヌ = 聞く ヤラ = させる

★ 日本語の「訪(おとず)れる」とか「おとなう」も、このアイヌ民族の風習と根源で繋がっているのである。
* 古語辞典「おとなふ」
①音をたてる。 ②訪れる。たずねる。 ③手紙を出す。便(たよ)りをする。
...ちょっと又、寄り道をしてしまった。次回は sem の本道に戻ろう。
   (次回につづく)

by atteruy21 | 2020-02-26 11:32 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその217 (通巻第902号)

 仙臺(せんだい)の名の語源は、アイヌ語の「 sem-(ni)tay 」と言う言葉だろう。それは、「 sem (陰=陽の当たらぬ)」と言う言葉と、「 ni-tay (森・林)の二語で構成されたものだと私は見ている。

▽ 前回宿題で出題したドイツの地名、 Schwarz-wald の謎解きの答を先ず明かそう。「 schwarz 」は「黒い・暗い・陰鬱な」と言う形容詞で、「 wald ヴァルトウ = 森・林・森林地帯 」という名詞と合体して、「黒い森」ないし「暗い森林地帯」を意味し、実態的には針葉樹の森を表す。
...欧州の寒冷地帯の針葉樹林は、日本などの広葉樹林帯と較べ、下草なども余り無い、陽の射さぬ暗い森の相を帯びる。黒ずんだ陰の森である。r

▼ sem(ni-)tay セム(ニ)タイは、ドイツの暗い森のように、 sem (陽の当たらぬ・陰の) nitay (森)なのである。
...先ず、( ni )tay の方から説明しよう。実は、「 ni-tay ・森 」は ni (木)+ tay (集合・塊)の二語で構成されている。
 「木の集まり」つまり森や林を意味する語彙なのだが、通常は「 ni 」を伴わずに「 tay 」だけで森や林の意味になるのだ。
「せんだい」の例では、この tay が森を意味する語として用いられている訳である。

◎ tay は、地名でも「 ni 」を伴わず単独で「 tay-nay タイナイ・森の川・林沢」という地名が有ったようで、新潟県に現在も胎内川(たいないがわ)が残っている。

☆ tay の語に中川氏は林立したものの義を与える。「 kuma-tay クマタイ」=肉や魚の掛け竿の並んだもの等と。
...私は tay は、別に林立していなくても、同種の物が沢山並んでいる場合にそれらの集まり、集合を意味すると考えている。

★ それは、 taype タイペという言葉があることで証明されると思うのだ。 taype は中川辞典でも萱野辞典でも、血統や子孫という意味で登載されている。ほぼ「 sani 」と同義が充てられている。先祖から子孫への縦の流れもあるし、子孫同士の横の関係もある。
...私は taype は似かよった同質の物の集まりの意味を表すものだと考えている。以下、次回に。

    (次回につづく)

by atteruy21 | 2020-02-24 00:51 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその216 (通巻第901号)

 「せんだい」の語源をアイヌ語に求める考え方がある。一般的に言って、東北の地名に関する限りでは、それが当たっている可能性が高いと私は考える。...と言うのは、江戸時代の末期まで現在の青森、岩手、宮城県の辺り迄は、和人に混じってアイヌ民族の人々の暮らす地であったからである。時代を遡れば遡るほど、アイヌの人たちの人口に占める割合は高くなる。

▽ 現在に残る東北の地名に、「ナイ」の音の付くものが少なくないのは知られているが、これらは皆、「~川」と解釈する事が実際の地形にもあっているのだと言う。ほんの百年も時代を遡れば、東北はアイヌ語が何となく通じる世界であったのだ。
...さて、「せんだい」の語源の噺に戻ろう。インターネット検索の「地名由来辞典」の語源説の検証の続きである。

▼ 仙台(せんだい)を「セブ・ナイ=幅の広い・川」と分析し、実在の広瀬川に比定(ひてい)する考えである。語の成立の論理的筋立ては無理がなく、魅力的な語源論になっている。
...だが惜しむらくは、この語源説は音韻的に二つの語彙の間の距離が開き過ぎ、一気に説得力が無くなるのである。

◎ 先ず「セブ 」の方であるが、これはアイヌ語に「 sep (セプ)=広い 」という単語が有ることに着目しての解釈だろうが、残念な事に「セン・ダイ」の「セン sen 」とアイヌ語の「 sep セプ 」とでは交わる所が無いと言わざるを得ない。
...では、もう半分の仙台の「ダイ」に充てられたアイヌ語の「 nay ナイ 」の方は、その聞いた音の大きな違いを越えて同一の意味を表すという、何か特別の理由が有るのだろうか。

☆ 「センダイ」と言う地名の音の一部をなす「ダイ」と言う音(おん)は、「ナイ・ nay = 川・沢」というアイヌ語とは無縁と断ぜざるを得ない。「セン・ダイ」と言う言葉・地名は、音の上でも意味の上に於いても、「広い川=広瀬川」を表す事は不可能である。そのように私は考える。
...しからば、古い言葉の「センダイ」ないし「 sendai 」に近い発音を持つ、その未知の言葉とは何か。残りの紙幅を考えて
その音の響きを先ず示して置こう。

★ その言葉の床しい響きは、以下の音(おん)の集合である。
...「 sem-(ni)-tay ・ セム-ニ-タイ 」ないし「セム-タイ」と発音されるこの地名は、川の名でも台地を表すものでもない。
 意外な物や場所を意味するのだが、貴方は言い当てられるだろうか。次回までの宿題である。
* ヒントは、日本の青森やドイツの地名の Schwarz-wald である。
    (次回につづく)

by atteruy21 | 2020-02-23 12:00 | Trackback(6) | Comments(0)

縄文語のかけらーその215 (通巻第900号)
 仙臺(せんだい)と言う地名が、いきなり空中から飛び出して来た訳ではない。もともと有った場所の古い呼び名、それは、その場所の特徴を、うまく音(おん)で表現したものの筈であるが、その音に漢字を当て嵌(は)めたものに過ぎない。

▽ インターネット検索の...「仙台市ー地名由来辞典」...は鋭い問題提起を含んでいると思うので、一つ一つ検証して行く事が真理に近づく一歩だと思われるので、その作業を続けよう。その上に私の語源論の城が築かれる。果たして、堅固な名城なのか、砂上の楼閣に過ぎないのか、それは保証の限りではないが...。
...1、この地に「千体仏(せんたい・ぶつ)が有ったから...」とする説は、論理的に無理がある。物の順序が転倒していて道理に合わないのである。「千体仏を安置した寺の場所」と言いたいのであれば、そのまま「千体仏寺山」と呼べばよく、わざわざ仙人などを呼び出して、「仙人のいる台地=仙臺」などと改名する必要が無いのである。
2、広瀬川の川間に開けた平地である事から、「川内(せんだい)」の意味であったとする説。...こちらは少し手強(てごわ)く、説得力がある。
...しかし、こちらの方も仙台の地の実際の地形と矛盾する事を見過ごしてはならない。第2の説の言うように、仙台の城下町の古い名称は川内(せんだい)と言った。青葉山周辺の地形を見てみよう。

▼ Wikipedia 青葉山(仙台市)
...青葉山丘陵は、西には蕃山丘陵に続き、それを介して遥かに奥羽山脈に連なる。北に伸びる尾根は東流する広瀬川に迫って断崖をなす。南では竜の口沢が八木山との間に深い渓谷を刻む。広瀬川は緩く湾曲して青葉山の南東で龍ノ口沢とあわせる。
...青葉山と広瀬川によって囲まれた段丘部を川内(せんだい)という。(以下、省略)

◎ 仙台の城下町は、確かに川に挟まれた低地である「川内(せんだい)」と呼ばれるに相応しい。しかし、仙臺はあくまでも低地ではない台地に付けられた名称なのである。玉子が先か鶏が先かではないが、先ず沖積台地や河岸段丘と呼ばれる台地の高みに城が築かれ、それが仙臺城と呼ばれた。そしてその城下町が仙臺と名付けられた訳である。
...川内(せんだい)という町に仙臺城を築いたのでなく、山の上に築かれた仙臺城の名に因(ちな)んで城下町を仙臺と呼んだのである。

☆ 3、アイヌ語で「広い」を意味する「セブ」と「川」を意味する「ナイ」が(合体して)転じて「せんだい」となったもので、2と同じく広瀬川に由来する(とする)説。

 語源をアイヌ語に求める説で、私の説に近い。音韻的に無理があるなど弱点を抱えているのだが、それは次回に語ろう。
    (次回につづく)

by atteruy21 | 2020-02-22 11:42 | Trackback | Comments(0)

縄文語のかけらーその214 (通巻第899号)
 地名の付き方を知る上で、つまり、地名の語源を考える上で注意を要する大事な点がある。日本(語)の地名の場合、それが漢字で書かれるために、元々あった地名にあとで漢字が振られる場合が多いことである。所謂(いわゆる)当て字が多いのである。文字を持たなかった時代の古い言葉が後の世まで残った場合、元々の地名の意味が解らなくなれば、その言葉の音(おん)に近い意味を持った何らかのそれらしい漢字を当てる訳である。

▽ 地名につけられた漢字の表面的な意味に囚(とら)われると、とんだ誤解に陥る事が多いと言うことである。
...安土(あづち)と言う地名を考えてみよう。この地名は、織田信長が中国の故事から引いた「平安楽土(へいあんらくど)」の慣用句が元になったと考えられている。戦争の無い、豊かな暮らしを民が楽しむ、そんな地であれかし! ...と。

▼ 信長の「あづち」の地名に込められた意味は、その通りだろう。だが、平安楽土は「あづち」の語源ではない。あくまでも「あづち」ないしそれに近い音を持つ土地の名に、あとでつけられた振り漢字(=宛字)だと言う事を忘れてはならないのである。
...「あづち」の語源は諸説があり、海人族の地で「安曇・安積(あずみ)」と言う地名が元になったとするのが有力だと言う。

◎ さて、伊達政宗の仙臺の地名の語源に戻ろう。信長の「安土」のように、「仙臺」にも元になった「センダイ」ないしそれに近い音(おん)を持つ先行の地名があった。そう、私は考えている。
...参考になる記事をインターネットで見つけた。
* 仙台市...地名由来辞典 
...仙台市は、戦国期に「千代」で見られるのが古く、1601年(慶長六年)、伊達政宗が青葉山に城を築き(改築?)「仙臺城」と改称して以降、この地は「仙臺」となった。...中略...

☆ 仙臺の語源となる「千代」の語源は、下記のとおり諸説ある。
1、この地には千体仏があり、そこに城を築いた事から、城名を「千体城」と言ったが、千代に栄えると言う願いから国分氏が「千代城」に改名したとする説。
2、広瀬川の川間に開けた平地である事から、「川内(せんだい)」の意味であったとする説。
3、アイヌ語で「広い」を意味する「セブ」、「川」を意味する「ナイ」が転じて「せんだい」になったもので、2と同じく広瀬川に由来する(とする)説。...以下、省略。

★ 私の語源説は、これらの語源説とは相当に隔たる。次回に詳しく語ろう。
    (次回につづく)

by atteruy21 | 2020-02-21 14:12 | Trackback(3) | Comments(0)

縄文語のかけらーその213 (通巻第898号)
 天下に臨(のぞ)む織田信長や、天下取りへの想いを秘めた伊達政宗の脳裡には、一体どんな映像が浮かんでいたのだろう。
...天下統一の拠点となる地に、彼らがどんな名付けをしたのかを知ることによって、その二人の描く理想の国の姿が見えて来るのではないか。先ず、信長のイメージを探ってみよう。岐阜の地もさることながら、安土の地や安土の城は信長の思いを具現したものであった。

▽ 焼失してしまった安土城は、宣教師ルイス・フロイスの残した文書や信長の家臣太田牛一の「安土日記」などによって、その偉容を知ることが出来る。
...安土城には壮麗な天守が有り、その内壁は中国の故事に基づく華麗な人物画で覆われていたと言う。三皇五帝や孔子の門弟の十哲、竹林の七賢人などが描かれていたらしい。

▼ 信長の天下人のイメージは、やはり中国の聖人君子の映像が土台に据えられているようだ。ただ、革命児信長は、僅かの間もそこに止まらず、日本や中国の聖人・神仏はおろか、西欧の全能の神・デウスをも凌(しの)ぐ隔絶した存在であるとして、天守の一角に自らを神として見立てた大きな岩を安置し、家臣たちに拝ませたと言う。ここまで来ると、もう尋常の精神状態に発するものとも思われないが、信長が本気で神になったのか悪い冗談だったのか、それはもう分からない。

◎ 封禅は、皇帝の即位の儀式の中核をなす儀式として発展した。しかし、その大元になったのは古い民間信仰だったと私は見ている。泰山は、一体どんな山だったのか。それは、そこで祭られた神の性格から推察出来る。答を先に言って時間を省こう。
...泰山は、死者を送る祭りの場、斎場の山であったのだろう。泰山府君はその泰山の護り神であり、人々の生死を司る神なのであるが、死者を送る儀式のその送られる対象でもあったのである。泰山府君は、祭りを行う人々の御先祖様だったのではないか。

☆ 日本にも伝わった観念であるが、祖先崇拝は中国人の宗教観の根源にどっかと居座っている。中国を支配した多くの皇帝たちが、自らが全中国を治めるに至った経過を、誇りを込めて天(=先祖の霊)に報告するのは、当然の事だろう。
...しかし、御先祖様と言えども、所詮は死者であり人間であって、信長や政宗にとっては崇拝すべき対象ではない。

★ インターネット検索でご覧頂いた「ニコニコ大百科 『仙台市」の記事を思い出して頂きたい。
...ちなみに仙臺とは仙人の住む台地の事を指し、...と述べられていたのだ。伊達政宗は、御先祖に替えて、中国の神仙思想で語られる仙人たちに天下を臨む地に相応しい客として降臨して貰いたかったのである。これは、信長の安土にも言える事である。
 次回は、安土の地名についても少し触れよう。
    (次回につづく)

by atteruy21 | 2020-02-20 12:48 | Trackback(25) | Comments(0)

縄文語のかけらーその212 (通巻第897号)
 中国の宗教観や政治観念の根本に「天命」という概念がある。例えば一つの王朝が滅び、新しい王朝が興る。その際に、王朝が交代するその訳(わけ)は、片や、滅びる側の王朝は天命を失い、もう一方の興った方の王朝は新たに天命を受けたのだと。これを「天命が革(かわ)る」、即ち「革命」と言う。天(帝)が為政者を取り換えると言う考え方は、一見すると宗教的、神秘的に捉えられるのだが、実は、王朝の興亡と言うのは、天帝ならぬ人心の赴(おもむ)く所に由(よ)るのだという真理を述べているのだ。
...人心を失なった権力は天帝によって取り除かれる。それが天命であり、革命思想の根源なのだ。

▽ 封禅という言葉がある。インターネット検索 旺文社世界史事典三訂版の解説
* 封禅 ほうぜん
...中国の祭祀(さいし)の一つ。天命を受けた皇帝が、山東省泰山(たいざん)の頂きに天を祭り(封)、麓の小丘梁父で地を祭って(禅)、王朝国家の成立と永続を祝福する。
 史記にその起源を伝えるが、確実には秦の始皇帝が最初。前漢の武帝、後漢の光武帝、唐の玄宗などが実施した。
 《補註》「梁父」と言うのは、泰山の麓にある小さな丘(おか)の名である。

▼ 中国の歴代王朝は、少なくとも秦始皇帝以降は、特別な場合を除き、みな王朝の正統性を証すため、王の即位に当たって泰山での封禅の儀式を執り行った。また、天下に覇(は)を唱(とな)えんとする程の者は、この封禅に似た儀式を行った上で戦いに臨むのが普通だった。織田信長も伊達政宗も、この「封禅」を意識して岐阜や仙臺への改名をしたことは疑い無い。
...しかし、封禅の儀式には、日本で行うには不都合な事情があった。それは宗教的観念からの制約が有ると言う事である。

◎ 封禅の儀式は泰山で行うのが基本であった。泰山は中国随一の名山と言われ、古くからの山岳信仰の場であった。神としての泰山の神格は、泰山(=太山)府君と呼ばれ、仏教・道教の神を兼ねる存在であった。
...何れの宗教に於いても、泰山府君は人の生死を司る冥府の主神で、十王(じゅうおう=地獄の審判官)の一人と位置付けられた。
地獄の閻魔(えんま)大王と比較される神であった訳である。

☆ これが、信長や政宗をして、「天下取り」の拠点の地の名に「泰山」を用いられなかった理由である。取り分け、伊達政宗にとっては、大魔王と呼ばれた織田信長が、本能寺の変で無念の横死を遂げたあと、泰山や魔王(泰山府君=信長)を彷彿させる名を我が天下取りの拠点とすべき地の名に用いる訳には行かなかっただろう。

★ 《参考事項》 時代背景 本能寺の変...天正十年(1582)   仙臺開府...慶長六年(1601)
    (次回につづく)

by atteruy21 | 2020-02-19 11:56 | Trackback(1) | Comments(0)