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 ⛺ 竪穴住居の佇(たたず)まいは覗いて呉れた ?
...今は、各地に古代の建物の様子が再現された縄文村などと名を付けられた施設が在るようだから、子ども達にとっては竪穴住居と言うのは案外お馴染みなのかも知れない。
 🔷 竪穴住居は、半地下式の建物で床の部分が地下に埋もれ、地表の上に出ている部分は円錐形の屋根を地面に被(かぶ)せただけの構造が基本になっているようだ。

▽ 地表の建物の正面に大きな穴の入り口、そしてその上に別の小さな穴が開いている ‼
...竪穴の構造を簡単に図式化すると、上記のような表現になるのだろう。地表に三角の屋根が被さるだけの、軒の下に壁を持たない構造の家を、古い日本語では伏せ庵(ふせいほ)と言う。
 🔺 古語辞典 ふせいほ 【伏せ庵】(名詞) (地に伏せたように)屋根の低いみすぼらしい家。
 〈例文〉伏せ庵の曲げ廬(いほ)の内に 直土(ひたつち)に 藁(わら)解き敷きて...  萬葉集・巻五・八九六
 前にもこのブログで取り上げた、山上憶良の貧窮問答歌の一節である。
 貧しい庶民の家は、時代を超えて凡そこのような佇まいの家であった。

▼ 現代に迄残る ? 竪穴住居の基本構造 ❗
...此処からは、例によって私の「トンでも語源論」ならぬ「トンでも起源論」となるから、噺半分イヤ、噺十分の一くらいの積もりで聞いて頂きたい。
 🔵 現代の和風建築で、屋根の構造に遺(のこ)る【破風(はふ)】と言う用語がある。だが、この破風と言うものが一体どんな意味で作られるのか、実はよく分かって居ないと言うのが実情らしいのだ。

◎ 破風は天窓の名残(なごり) ? 現在は破風板で塞がれ只の飾り物に !
...和風建築の切妻(きりづま)屋根の両端の、山形の壁面部分を切妻と言う。別の言い方をすれば、書物を開いて「へ」の字なりにしたような形の屋根。
 ⭕ この切妻の形は、現代では模様の一種程度の役割と建築関係者の間でも実際は考えられているようなのだが、建前上は建物の防水・防風の役割を果たすと説明されている。
 
☆ 破風は、元は換気・通風孔 ❓
...破風の構造が和風建築に採用されたのは、恐らく住居内の悪い空気の排出を第一の目的にしたものだろうと私は考えている。
 🔯 これが建物内の👿悪魔の追い出し装置だと言う、未だ誰も認めては呉れない私の革命的破風の起源論なのだ。
 次回に詳しく語ろう。もう、貴方は逃げられないのだ。  ( Suy u-nukar=an ro ! )

# by atteruy21 | 2024-03-28 15:39 | Trackback | Comments(0)

 👿 竪穴住居の入り口に魔物が関係する訳(わけ)
...アイヌの古い物語に戦う英雄やカムイが登場する。彼らは住居の天窓の框(かまち)を蹴って天空へと舞い上がり、天を駆け地を疾(はし)って他のカムイや英雄と戦う。
 🔷 だが、人間の英雄が戦うのは、他の地のカムイや外国(とつくに)の悪人だけではない。人間に仇をなす魔物とも戦いを繰り広げることも多い。

▽ 邪悪な魔も天窓に降り立つ ❗
...天空を飛び回ってカムイ同士が争う~そんな事を現代の我々は想像することすら難しい。実は、カムイや人間の英雄が、天窓から天空へ飛び立つという観念が生じたに就いては、古い時代のアイヌの先人たちの住んだ家の構造にその由来が在るのだが、そう言っても現代の我々には、誰にとっても理解を超えた噺(はなし)に聞こえるだけだろう。
 🔺 そもそも、古い時代のアイヌの家の、恐らく縄文時代の系譜を引いた竪穴住居と言う存在からして、そのイメージが目頭に浮かんでは来ないだろう。

▼ 竪穴住居の映像って、見たこと有る ❓
...インターネットで「縄文時代の竪穴住居」とでも検索して頂くと、都合の良いことに「縄文時代の“竪穴住居”を知れば、火と水、土との暮らし方が見えて...」と言うお誂(あつら)え向きのサイトが目に飛び込んで来る。
 🔵 そのサイトは、是非とも皆さんに覗いて読んで頂く事として、私は特に印象深かった写真とイラスト付きの記事の噺をするだけに留めよう。

◎ ハタと気が付いた ! 縄文の家の天窓の姿 ‼
...その印象深かった写真と言うのは、そのサイトの冒頭部分に掲載された竪穴住居の中・遠景写真である。
 ⭕ その写真は、茅葺きの竪穴住居の写真であって、正面に見える地上にポッカリと開いた大きな入り口の真上に、円錐形の屋根を被せたその更に上に、小さな出入り口が口を開けているのである。
 ...これが後に天窓となる、古い時代の出入口の痕跡なのだろう。

☆ イラスト付きの記事が面白い ‼
...竪穴住居はどんな内部構造をしているのか気になって、「竪穴住居の構造」と言う検索ワードを打ち込んでみた。すると、お誂(あつら)え向きのこんな記事が目に飛び込んで来た。
 🌃 【竪穴住居の作り方】イラスト付きで竪穴住居に製作手順が載せられており、これが分かり易く😃💕楽しい。
 ...次回は、その噺をしよう。 ( Suy u-nukar=an ro ! )

# by atteruy21 | 2024-03-27 15:28 | Trackback | Comments(0)

🏠 インターネット検索 「建築をとおしてみた日本」(抜粋引用ーその4)
...「天窓のシンボリズム」
 竪穴住居の本来の出入り口は、屋根の頂上に開いた開口であった。竪穴が(次第に)浅くなり、或いは竪穴そのものが放棄されるに従って、住居への出入りは壁面に設けられた通路を介した形式に改められ、屋根の出入り口は排煙と採光を兼ねた天窓として残される事になった。

▽ 神窓の役割
...しかし、曾(かつ)て天窓から出入りした事の記憶は、文化のさまざまな局面の中に刻み込まれている。
 🔷 アイヌの家屋では、ニブヒ族の冬の家のような天窓が無い代わりに、(家の)東側に神窓を設け、その前には人が座ってはならないとされている。
山から熊を取って来れば、死体( Sumawe )はこの窓から入れる。すると、その死体の耳と耳との間に坐っていた熊の神の霊が、炉端に出て来て貴賓席に就(つ)き、火の神や家の神と祭りが終わるまで歓談するのだと言う。

▼ 神窓は、曾ての竪穴住居の天窓に由来 ❓
...この神窓も、やはり竪穴住居の天窓に由来するものかもしれない。
 🔺 (と言うのは、)文化五(一八〇八)年に樺太に渡った間宮林蔵が伝える樺太アイヌの冬の家は、(北米の)平原インディアンと同じ、側道をもった土小屋の形式をしているからである。

◎ 後世の北海道アイヌの平屋の屋根に残る天窓の名残 ❗
...一方、幕府の絵図師・村上島之丞の描く『蝦夷島奇観』(1799年)の中の北海道アイヌの家屋は、笹で屋根を葺(ふ)いた平屋の建物だが、屋根の棟には天窓を開けている。
 🔵 北アメリカの平原インディアンの土小屋でも、天窓は至高神の支配する天界とを繋ぐ窓口と見なされている。

☆ 私の結論
...遠い昔のご先祖様(エカシ)が、天窓を通じて出入りされた。英雄叙事詩に出てくるカムイや英雄が、この神窓のような所から天へ飛び立ち、或いは天空から上座の窓( Rorunpuyar )へと降り立つと詠われるのは、神とも慕う先祖のエカシ達へのアイヌ民族の敬意の現れである。
 ...この噺の最後に、この聖なる出入り口に、神や英雄ではない魔が関わる事の必然性に就いて語るのも、避けられない事だろう。次回は、その事に就いて語るしかあるまい。  ( Suy u-nukar=an ro ! )

# by atteruy21 | 2024-03-26 13:51 | Trackback | Comments(0)

インターネット検索 「建築をとおしてみた日本」(抜粋引用ーその3)
 🔥 炉に火を起こそうという時には、薪が完全に燃焼するまでの間(あいだ)、天窓と共にこの第二の戸口か、もし冬であれば前室の屋根に在る開口部を開けて通風を確保する。

▽ 通風の確保は竪穴住居の最大の関心事 ❗
...さもなければ、竪穴(住居)の中は忽(たちま)ち充満する煙で何も見えなくなってしまうのだ。
 🔷 イテルメン族の竪穴住居でも、炉の位置から土中を通って外部に達する通風道(通風のための穴道)は、やはり女子供の専用で、此処を通るような男は、(勇気の無い者として)女と見なされて物笑いの種になったと言う。

▼ 私の補足説明
...アイヌの英雄叙事詩のユーカラでは、カムイや英雄は普通の人間の出入口でなく、家の上部に開いた風の出入口のような所から上空へと飛び立つと叙(じょ)され、そして天を駆け他の英雄やカムイ、或いは魔と戦う。
 🔺 英雄やカムイが天に向かって飛び立つ、その足場となる家の中の或る場所と言うのは、一体どの場所を指すのだろう。
 ...私は、それは北アジアの少数民族の人達が言う「天窓(てんまど)」だと考える。それは処を変えて樺太等のアイヌの先人の地では、神窓( Kamuy puyar )とか横座の窓( Rorunpuray )と呼ばれる事になる。

◎ アイヌ民族の儀式(イヨマンテ等)でも、カムイは神窓を通って出入りされる !
...狩で獲物となった熊や梟の遺体を、アイヌ語ではスマウェ( sumaw ,- e )と呼ぶ。中川辞典によれば、それは「仕止めた獲物」と意識され、アイヌにとっては只の獣の遺体ではない。
 🔵 中川氏の「仕止めた獲物」と言う表現も、チョッとドライで熊や梟の神に対する敬意に欠けると言う恨みがあって、私には抵抗がある。
 ...矢張、神の賜物(たまもの)くらいの感謝の念に満ちた訳が、より相応しいのかと私などは思うのだが...。

☆ なぜカムイや魔は、神窓だけを通られるのか ❓
...実は、上記の問いは物を考える上での順序が逆転しているのである。アイヌ民族が獲物の遺体、イヤ、カムイの賜物を家の中に運び込む時、過去の古い時代にはアイヌの先人の家には、天窓のような高い位置にしか出入り口が無かったからなのである。
 ⭕ 半地下式だった古いアイヌの住宅 ❗
 ...アイヌ民族の先人たちが日本列島に住み着き始めた頃、現在の列島と較べて寒冷な気候が一般的であったと考えられると言う。だから、人々は風の余り当たらない窪みのような場所に、更に窪みを掘り下げて半地下式の床面を敷き、その上に三角形の屋根を被せて...以下、次回に。  ( Suy u-nukar=an ro ! )

# by atteruy21 | 2024-03-25 13:40 | Trackback | Comments(0)

インターネット検索 「建築をとおしてみた日本」(抜粋引用ーその2)
...縄文・弥生時代を通じて、日本(列島)の国土に最もありふれて見られた住居の形式は竪穴住居であった。
 ⛺ そして縄文時代早期の土器や石器の形式が、北アジアの先史文化と一定の系譜関係を示しているように、寒冷地にふさわしい竪穴の居住様式も北アジアの地下式住居に起源を持つと考えられている。

▽ 稲作の文化の到来と住居様式の変化
...🌾 弥生時代に入ってから、稲作の開始と軌(き)を一(いつ)にして遺跡の中には高床式穀倉が現れ始める。
 それは中国南部や東南アジアに由来する新しい建築様式であり、この時代以来、日本の家屋は竪穴から高床への長い発展の道のりを歩み始めた。(中略)

▼ 竪穴の通路と天窓
...本来、屋根の頂上に在るべき竪穴(住居)の出入り口は、地域によっては樺太アイヌのように、側面から出入りする、言わば「普通の」形式に改められて行ったらしい。
 🔷 カムチャッカ半島北部に住む、海岸コリヤーク族の竪穴住居には、屋根の頂上に開いた天窓(てんまど)の他に、海岸に面した側(がわ)に第二の戸口が在った。
 ...この戸口は、漁労を行う夏の間にだけ開放され、冬にここから出入りする事は禁忌(タブー)だった。(このコリャーク族の竪穴住居は)アレウト族の住居と樺太アイヌの住居の過渡的形態とでも言えようか。

◎ 天窓から出入りするのは男だけ...
...(コリャーク族の)第二の戸口は、樺太アイヌと同様の前室に通じていたから、冬の訪れと共に此処を草や土で塞ぎ、そこに丸太の重しを載せてしまうと、前室は冬季の食料を保管するための冷凍庫に早変わりした。
 🔺 低い前室の屋根には、人が一人やっと通過できる程度の穴が開いていて、女子供(おんなこども)と女を演じるシャーマンだけが、冬の間でもこの穴を通って出入りする(事が出来た)。

☆ 男たちは天窓に掛けられた梯子を伝って敏捷に竪穴に出入りした ❗
...確かに住民たちは天窓にかけられた梯子(はしご)を伝い、リスのように敏捷に竪穴に出入りしたけれども、梯子は滑りやすく、その上、小屋の炉に火が焚かれると梯子も過熱して、煙りに巻かれないよう注意しながら、子供を背負い犬の(餌の)スープを入れた手桶だの重い水桶だのを抱えてこの梯子を上下するのは、至難の技だった。
 🔵 炉に火を起こそうという時には、...以下、次回に。
    ( Suy u-nukar=an ro ! また、お会いしましょう ! )

# by atteruy21 | 2024-03-24 15:04 | Trackback | Comments(0)