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アテルイを継ぐ者(コシャマインとシャクシャイン)その19  通巻第141号

 シャクシャイン蜂起の前段の情況を、改めて概観してみよう。前出の山川出版社版【アイヌ民族の歴史】に、「アイヌ勢力間の抗争」という項目があり、簡潔な記述で分かりやすいと思われるので、引用しよう。
...各地のアイヌ首長層はそれぞれの立場で対立したり、協調したりしており、和人・松前藩への対応も一様ではなかった。
シャクシャインの戦いに同調しなかったハウカセ・イシカリアイヌのような動きもあったし、シャクシャイン謀殺後のことになるが、シャクシャインにくみせず「忠節」の態度を持(じ)していたのに、交易船を送られないのは困ると訴えるクスリ、アッケシの
アイヌ勢力があったし、「ラッコの狄」(東部奥地のアイヌ)は、反抗的なものは自分たちが攻め潰すので、交易開始をと訴えていた。ヨイチアイヌもイシカリアイヌを牽制(けんせい)する動きをしていた。
 アイヌ勢力間にも、さまざまな動きがあることが分かるが、十七世紀中頃以降、きわだって激しい抗争を続けていたのはメナシクル(カモクタイン、シャクシャインなど)とシュムクル(オニビシ、ハロウなど)であった。この両者の間には神話・伝説に異質なところがあり、墓標の形式が異なるなど、社会的・文化的な異質性が見られるといわれ(更科源蔵『アイヌの神話』など)、そこに
両勢力が漁猟・狩猟圏をめぐる争いを起こしやすい要因があったと考えられる。
 
 『津軽一統志』によれば、両者抗争の様子はつぎの通りであった。一七世紀中頃、優勢になっていたのはオニビシ・シュムクル側であった。シャクシャイン・メナシクル側は劣勢で、シャクシャインは逃げ支度をして、配下のツノウシに引き留められている状況になっていた。この時期に松前藩が仲介に入り、両者に贈り物をして和解を勧めたので、シャクシャインは松前藩に助けられた形になった。しかし、オニビシ側が事あるごとにシャクシャイン側をあなどる態度を取るので、小競り合いが絶えなかった。
 鹿猟のためオニビシ領を通過しようとしたシャクシャイン方の者が追い返され、シャクシャイン領で鶴を買ってきたオニビシ方
ツカコボシの甥がシャクシャイン方に捕らえられて殺害された、などのことがあり、狩猟・漁猟圏あるいは交易圏をめぐる争いであったことが分かる。
 ツカコボシの甥が殺されるという事件で抗争は激しくなり、シャクシャイン方の奇襲でオニビシが討ち取られてしまうという事態になる。双方がチャシ(とりで)を攻め合う激しい戦いが続いたが、オニビシ亡き後のシュムクル側は次第に味方が減じて劣勢となった。松前藩に武器の支援などを依頼したが、松前藩は抗争中の一方に味方することを警戒して、仲裁の態度を示すだけであった。二度目の支援依頼の使者ウトフ(ウトマサ)も仲裁のことを伝えられただけで、帰路、疱瘡で病死してしまった。
 ウトフが帰路途中で病死したとの報を得たのち、松前藩は使者を送って和議交渉を行うことについて...以下、次回に。
  (次回につづく)

by atteruy21 | 2018-01-12 11:20 | Trackback | Comments(0)